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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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I feel so lost  

あと数日で、ようやく現在の仕事に一区切りつき、練習時間もしっかりと確保できるようになるんだな、と思いながら、昨日今日と練習をした。

ここ半年間、とても短い時間での練習を続けてきて、ある意味とても深遠な経験をした気がする。

毎朝毎朝くりかえし抱える、フラストレーション、行き場のない怒り、自分自身のふがいなさ、周囲への醜い嫉妬、指導者への不信感、衰えていく肉体への嫌悪感。諦めきれない忸怩たる思いを子供っぽい皮肉的な態度で誤魔化してみたり、なにもかもを「バカバカしいもの」として見下すことでかろうじて保てる自尊心。

アシュタンガヨガを始めて10年が過ぎたけれど、こんなにもインテンスに自分のココロの内の醜さと向き合うコトはなかった。

この半年間、自分の練習のすべてが嫌だったし、スタジオにいる全ての人達を羨んでいたし、先生に対する信頼をアタマから打ち消していたし、なによりも、このプラクティス自体を完全に否定していた。

にもかかわらず、毎日毎日3~4時間の睡眠でグラグラになって、長距離通期とフルタイムの仕事をしながら、スタジオへ通っていたのは、何故だろう?

こんなくだらない余興のようなアクロバティックな練習なんて、やめてしまえばいいのに、なんで、来る日も来る日も、居心地の悪い不愉快な思いをするために、体中の関節を酷使しボロボロになるまで、練習を続けていたのだろう?

一呼吸ごとの自分のカラダの動きが、たとえばエーカムインヘールで上げる両腕の描き軌道ですら、忌まわしい汚らしい嫌悪に満ちた思いというサムスカーラにまみれていることに、今朝ハッと気づいた。

ああ、やだやだ、ほんとうに100%ネガティブな気持ちで半年も毎日練習していたんだ、私は。

ここからいきなり、普通の練習に戻ったところで、なんだか全てのものが、空々しく感じるだけのような、そんな気がして、心はずっとブルーなまんまだ。

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人生ドンデン返し  

ところで、日本を離れイギリスへ移住することになった。
20年連れ添った英国人配偶者と共に、余生はかの国で生きるコトに。

そうしたい!という意図もなく、着々と計画を立てていた訳でもなく、一時の衝動でもなく、それはある朝突然に、本当に拍子抜けするほど呆気なく、気がついたら決まっていた。

日本社会の閉塞感に耐えきれず海外へ飛び出したワガママ娘が、20年近くフラフラしながら、やっと日本に根をおろし、落ち着いて生きていけるほど穏やかな心になった矢先。

10年前なら大喜びで飛びついたであろうイギリス行きも、50を超えた今となっては、「えっ、あんなトコで余生を過ごさなきゃなんないの?」と、正直思いっきりドン引きしてるのも確か。

でもまあそこが面白いというか、
「ここじゃないどこか」を求める現実逃避が不要となった今だからこそ、の人生大ドンデン返し。

人生の流れというものは、こちらが望む時ではなく、色々な意味で「しかるべき」時に、本当に面白い様に動き出すのだなぁ、と感服しきり。

とりあえずは、日本だからこその素晴らしさを、日々の生活の中で、うんと堪能しておこう、と。

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新鮮な風  

水曜日

「ロンドンのハーミッシュ先生がマイソール東京で1日だけ指導をする」と前日に連絡があったので、ちょっと内心ワクワクしつつも、先週後半から調子が悪いのと、さらに当日寝坊もしちゃったので、特に気張らずハーフセカンドをゆっくりやることに。

だけど実際ハーミッシュ先生が指導を始めたのは8時過ぎからで、その頃には練習を終えている前半組の練習生にとっては、「え?そんな人いたっけ?」というくらい、結局のところはアンマリ関係なかったのであった。

更衣室で「なんか残念~」と騒いではみたけれど、1日だけの特別ゲスト先生に何かを期待するのも変な話よねー、とも感じてた。


木曜日

体調もかなり回復し、肩と上腕もほぼほぼ正常に動くので、そろそろフルの練習に戻そうと、ちゃんと早起きして慎重に練習を進める。先週後半から休息と食事に気を配った甲斐があったのか、全身が軽くしなやかで滞りのないスッキリとした練習を堪能・・・

・・・してたら、いきなりパシャーサナでアジャストが入り、え? と思ったらハーミッシュ先生。もどかしいパシャーサナの痒いトコロに手が届くような、久々に目から鱗のアジャストに、ついついワタクシ変なスイッチ入りました。

参加者さんが少なかったからか、普段うけたことのないポーズでも沢山アジャストをしていただき、いろんな意味で沢山の気づきがテンコ盛り。

一般的なアシュタンガのアジャストって、とても表面的で「とりあえず外側のカタチだけ整えればオッケー」的な粗雑さがなんとも苦手なのだが、時にビックリするくらい繊細に、内側の目に見えない部分を整えることで物理的な肉体部分も深めていく指導者がいるけれど、ハーミッシュ先生は間違いなくそのタイプ。

そこさえ踏ん張れれば、あとは自力で呼吸でどんどん深めていける境地とかあるじゃない?その弱点わかっちゃいるけどナカナカどうして・・・的なもどかしい部分を少しだけサポートして、方向性を促し、後は自分でがんばりなさいよ、という感じで、かなり新鮮だった。

普段かなり甘やかされているというか、すいぶんと勝手気ままにマイペースで練習しているせいか、やはり惰性的になっている部分がたくさんあって、できるけど辛いからやらないとか、ここまででいいや~とか、がんばることを放棄してるコトとか、イイワケたくさんでごまかしてる動きとか・・・自分の中のズルイ怠け者の姿を、再認識せざるを得ない、そんな機会になったコトは確か。

最近の慣れ親しんだ緩い練習に、ちょっとだけ渇が入ったというか、もう少し素直に無心に奮起してもいいのかも?なんてね、そんなことも感じましたよ・・・ って、今日は誕生日だったからか、特別バースディプレゼントみたいで嬉しかった。

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バックベンドのバリエーション  

ところでアンチバックベンダークラブの名誉会長を務めるワタクシとしては、アシュタンガのセカンド後半あたりで無謀にも登場する、バックベンドのバリエーションというのが、どうも解せなかった。

  1)ハンドスタンドになってから、エビ反ってブリッジの状態で着地する、ドロップオーバー
  2)ドロップオーバーで着地したら、逆回しで戻ってくる、ヴィパリータチャクラーサラ(チクタク)
  3)ハンドスタンドからエビ反ってバランスキープする、ヴリシュチカーサナ

という流れを行ってから、最後のドロップバックx3回、足首をつかむチャクラバンダ―サナを、アシストされて行うのだが、これって、あまりにも唐突に無謀というか・・・

   ハンドスタンドで上がれて、静止キープできないとお話しにならない。
   ハンドスタンドができても、バックベンド自体が固かったらエビ反れない。

この点からすると、ハンドスタンドもバックベンドも「好きだけと不得手」なワタクシとしては、チャレンジするコト自体は楽しいけど、全部アシストの手にお任せで(=別名「高い高いアジャスト」)、自分でやってる感が皆無というか、なんか変な余興にしか思えなかったのだが、とりあえずスタジオで練習する以上は、指導者の判断に任せることにしてた。

面白いな、と思うのは、ほぼほぼアシストが必要な2)のチクタクと3)のヴリシュチカーサナは、指導者によって「チャレンジさせる/させない」の判断基準が異なるというトコロ。チャレンジするには、ちょっとまだなんか準備できてないんじゃないの?というボーダーラインに私自身がいるので、それがよく判る。

鼻息荒くチャレンジしたがる私を戒めてくれる指導者、弱気で後ろ向きでムリムリ~とやる気ナシ子さんの私のケツを叩いてくれる指導者。どちらも一理あるし、どちらからも沢山の学びを受けてきた。

ここ最近は、練習自体がスローダウンしているのと、肩や上腕が故障しやすいので、2)のチクタクも3)のヴリシュチカーサナも「準備できてない身体で無理をしたらケガをする」気がしてやらなくなったが、そのキッカケはドミニク先生マイソール期間中の学び、「ポーズの獲得を目的とする練習から、人生を豊かにする練習へ」のシフトだったような気がする。



でもね、その時には正しい選択だと思えたコトも、常に変化を続ける状況の中では、しごく簡単に「単なる怠け心の現れ」になっちゃう。多分、いま現在の自分にとっての、2)のチクタクと3)のヴリシュチカーサナご辞退というのは、ちょっとラクチンな逃げの部分だなぁ、と薄々は気づいていたのだ。

さらに最近は「時間がない」というのを言い訳に、「ドロップバックのアシスト待ってたら遅刻しちゃう」からと、最後のドロップバックも一人でササッとやって済ませていたし。

そんな矢先、ハンドスタンドの奇跡的な安定を感じ始めるちょっと前から、3)のヴィリシュチカーサナはやりましょう、というコトになってきて。まぁ背骨の固いワタクシですから、思いっきりギュウギュウと強いアジャストしても、足先はそんな簡単にアタマにつくはずもないのだけど、練習自体が「どこかの着地点へ向かうため」ではないことは重々承知の介ゆえ、そのあたりはなすがままに。

そして、ヴリシュチカーサナをやるというコトは、イコール次のドロップバックで足首をつかむチャクラバンダーサナをやるというコトにつながるので、結果的に「バックベンドを深める」過程に足を踏み入れてしまった模様。ふーん、そうかー、なるほどねー。



アシュタンガヨガのシーケンスやルールって、時に冷静になると「なぜや?」と非常に疑問に思えるコトが多々ある。若かりし頃は、いちいち指導者に「なぜや?」と質問するメンドクサイ生徒だったワタクシが、一番腑に落ちた回答は、“(理由はどうであれ)You just play this game by the rules“ (by ルーク・ジョーダン) で、「うわっ、それってマジ真理だわー」と萌えた覚えがある。

あー、そうそう、そうだった。なぜ?とか、解せない!とか、あんまり関係ないんだわ、アシュタンガヨガって。やるんだったら、とりあえず取説どおりにやろーぜ、というのがアシュタンガヨガ、というか。それを束縛と捉えるかどうかは、やる者の色眼鏡次第。

ハンドスタンドの土台が安定し始めて数週間経った頃、そろそろチクタクもやりましょうね、と課題が増えたけど、もうそこに「なぜや~?」のクエスチョンマークも、「えー、まだ準備できてないと思うんですが~」の言い訳も湧き上がってこなかった。

オッケー、できる範囲でやりますよ、デキル・デキナイは別としてね、と、心でほほ笑む自分がいた。

相変わらず私の背骨の可動域は狭く、バックベンドのバリエーションひとつひとつが色々と大変ではあるけれど、チャレンジ=無謀にならないように気をつけながら、「頑張りすぎずvs怠けすぎず」の間でヤジロベイみたいにユラユラと揺れながら、まだまだ日々の練習は続くのであった。



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ハンドスタンド  


好きだから、楽しいから、ワクワクするから、まーーーーったく気づかなかったけど、アシュタンガヨガの練習の中で一番不得手なのは、恐らくこのハンドスタンドなんじゃないかと、ふと思った。

かれこれ7-8年も毎日数十回やってきたってことは、一体何千回の反復練習をしてきたことか・・・にも関わらず、いまだにブレるのだ、これが。10回に2回くらいはブレずに脚も上がって一瞬静止はするけれど5秒も停止できず。

それでも、毎回毎回のチャレンジが、身体の使い方や、呼吸への意識、心の機微の状態も含めた探求と発見の連続で、驚きと気づきに満ちていて、まったく飽きず、エキサイティングですらあるから不思議。

苦手なポーズや動きは、「やってみる→できない→ショック残念→なんでだろう・・・」というネガティブスパイラルに簡単に陥りやすいけど、その微塵すらないのがハンドスタンド。

ま、単純にアドレナリンの成せる技だとも云えますが。




んで、なかなか安定しない中にも、ときたま「おおっ!」っと、落ち着く時もあって、その都度「すわ!ついにハンドスタンド制覇かっ?」とどよめくのだが(そして都度ブログにも大げさにしたためるのだが)、気が付くとまたグラングランに揺れまくっている・・・というのがよくあるパターン。

で、今回もまた、数週間前に、「え?ナニコレ?」と、突然土台の安定感がパワーアップ。神様の気まぐれかしらん、と怪訝な気持ちで数週間に渡って検証した結果、確かに土台のブレの振れ幅が収まり、その上にやっと脚を乗っける準備ができた模様。

うん、そうか、この感触が、強固な土台。だとしたら、いままでのは随分と脆弱な土台モドキだったのね・・・ と、やっと体感で理解するくらいに、その差は歴然。

これがまた、一時の勘違いに終わるのか、このまま安定が定着するのか、それはあんまり「自分でコントロール」しないように、神様の思し召しに任せることにする。

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