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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

ヨガのいらない人生  

年明けとともに、また新しい職場で新たな業務が始まり、なんだかんだいって自分はサラリーマンであることにある種の居心地の良さを感じているのだな、と苦笑しながら、相も変わらず横須賀線に乗って長距離通勤をしております。

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前回の勤務先から業界を路線変更したのだけど、その延長線上で以前から興味のあった部署での仕事が紹介され「おお、そう来るのか!」と、膝をポーンと打ったり。

ダンナさんとのイギリス行きも、健康上の理由でちょっとだけ延長になって、物事はホント面白い展開をしてゆくのだなぁ、と感服しきり。

自分の意志や意図ではどうしようもない事柄が、歳をとるにつれどんどん増えてゆくけれど、いまよりもっと自由だった若かりしときよりも、現在の方がずっと楽チンに生きてるような気がします。

時間も、お金も、環境も、身体も、関係性も、なにひとつ思うようにはならないけれど、「それらを自分の不幸の理由づけにする必要はないよね」っていうか、「だって大切なのはそんな些細なことじゃないじゃん」と、本能レベルで腑に落ちてるのかな。

昨年末から頸椎ヘルニアの症状が強くなってきたため、アシュタンガヨガのフルプラクティスは、まるっとお休みしているけれど、特に不満もなく、どちらかというと満ち足りた気持ちで、日々を過ごしています。

毎朝のヨガアサナの練習が必要じゃないくらい幸せ度合いが高い理由のひとつに、ビーガンとかベジタリアンとかの偏食を止めた・・・というのもある。栄養素が充分ゆきわたっていればニンゲン結構ハッピーでいられるものなんだ、と痛感。



あ、いまの私って、ヨガがいらいない人生なんだ

No Yoga No Life なんてことは、決してなくて

Life is Yoga なんて、あえて声高に言う必要もナシ



むしろ、ここで、アシュタンガヨガのアサナを追っかけるような練習は終わりにする時なのかなと、静かにそんなことを思っていたりもします。

もちろん、まるっとヨガやアシュタンガを止めるワケではなくて、やり方というか姿勢を変えて、これから老年期を迎える自分自身が、より豊かに幸せに生きていく上でのサポートとなるような位置づけであれば充分じゃない?


いまのこの気持ちも、明日目が覚めたら、また変わるのかもしれないけれど。

それはそれで、またワクワクと楽しめば、よいのかな、と。

ま、そんなとこ。

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おおそうじ  

12月の後半は有給消化でのんびり過ごし、久々に「おしりを気にしなくてよい」練習を再開。

身体全体に染み渡るように、やわらかなエネルギーを一呼吸ごとに充電していくような、自己ヒーリングっぽい感覚のプラクティス。心のありようで身体の状態なんて(ましてやアシュタンガヨガの練習なんて)ガラリと様変わりするものだとは判っていても、ここまで自分自身の中に、暖かでやわらかいパワーが源泉のように湧き上がってくるのを感じるのは、ちょっとした驚きでもあった。

あれだけシンドくて辛くて肉体的限界マックスで心が折れまくっていた、あのポーズやこの動きetc それらに対してとっても冷静に静謐に対峙する余裕が生まれていた。すごいなぁ、人間のパワーって。

アシュタンガヨガだけに限らず、ひとつの世界にどっぷりはまっていると、視野は当然狭くなる。その世界だけで通用する価値観に疑問を持たなくなり、“ワタシタチ“という内々での共通言語に寄り掛かった物事の捉え方に支配されていく。私自身がそうだったし、そういう人達を沢山目撃してきたけれど、いまの私にとってそれは要らないんだ、と、久々の開放感あふれるプラクティスの中、そんなことを感じていた。

「私の身体は固い」と、そう信じている沢山のアシュタンギ。エゴの指令で心と身体をコントロールしすぎて、ニンゲン本来の自然な柔らかさやパワーを失ってしまった、ギクシャクとした身体と動き。まぎれもなく、それは私であったし、私を取りかこむ小さな世界での“アタリマエ“みたいなもので。だけど、いまの自分が行っている「アシュタンガヨガのシーケンス」の練習の只中で、その固さがユルユルと解けていく体験を目の当たりにして、なんかちょっと気が抜けちゃった。

人間ってスゴイよなぁ、からだ全体がそのまんまで、まるっと自然そのもので、パワーと柔らかさに満ち満ちている。赦せばいくらでもやわらかくなるし、委ねればものすごいパワーを生み出す。

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なんてことをね、ぼんやり感じながら、ゆったりと毎日2時間ちかく練習する、至福の時を味わわせていただいた年末の2週間。こころとからだのおおそうじをして、風通しが随分と良くなったような、そんな気がしております。

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I feel so lost  

あと数日で、ようやく現在の仕事に一区切りつき、練習時間もしっかりと確保できるようになるんだな、と思いながら、昨日今日と練習をした。

ここ半年間、とても短い時間での練習を続けてきて、ある意味とても深遠な経験をした気がする。

毎朝毎朝くりかえし抱える、フラストレーション、行き場のない怒り、自分自身のふがいなさ、周囲への醜い嫉妬、指導者への不信感、衰えていく肉体への嫌悪感。諦めきれない忸怩たる思いを子供っぽい皮肉的な態度で誤魔化してみたり、なにもかもを「バカバカしいもの」として見下すことでかろうじて保てる自尊心。

アシュタンガヨガを始めて10年が過ぎたけれど、こんなにもインテンスに自分のココロの内の醜さと向き合うコトはなかった。

この半年間、自分の練習のすべてが嫌だったし、スタジオにいる全ての人達を羨んでいたし、先生に対する信頼をアタマから打ち消していたし、なによりも、このプラクティス自体を完全に否定していた。

にもかかわらず、毎日毎日3~4時間の睡眠でグラグラになって、長距離通期とフルタイムの仕事をしながら、スタジオへ通っていたのは、何故だろう?

こんなくだらない余興のようなアクロバティックな練習なんて、やめてしまえばいいのに、なんで、来る日も来る日も、居心地の悪い不愉快な思いをするために、体中の関節を酷使しボロボロになるまで、練習を続けていたのだろう?

一呼吸ごとの自分のカラダの動きが、たとえばエーカムインヘールで上げる両腕の描き軌道ですら、忌まわしい汚らしい嫌悪に満ちた思いというサムスカーラにまみれていることに、今朝ハッと気づいた。

ああ、やだやだ、ほんとうに100%ネガティブな気持ちで半年も毎日練習していたんだ、私は。

ここからいきなり、普通の練習に戻ったところで、なんだか全てのものが、空々しく感じるだけのような、そんな気がして、心はずっとブルーなまんまだ。

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人生ドンデン返し  

ところで、日本を離れイギリスへ移住することになった。
20年連れ添った英国人配偶者と共に、余生はかの国で生きるコトに。

そうしたい!という意図もなく、着々と計画を立てていた訳でもなく、一時の衝動でもなく、それはある朝突然に、本当に拍子抜けするほど呆気なく、気がついたら決まっていた。

日本社会の閉塞感に耐えきれず海外へ飛び出したワガママ娘が、20年近くフラフラしながら、やっと日本に根をおろし、落ち着いて生きていけるほど穏やかな心になった矢先。

10年前なら大喜びで飛びついたであろうイギリス行きも、50を超えた今となっては、「えっ、あんなトコで余生を過ごさなきゃなんないの?」と、正直思いっきりドン引きしてるのも確か。

でもまあそこが面白いというか、
「ここじゃないどこか」を求める現実逃避が不要となった今だからこそ、の人生大ドンデン返し。

人生の流れというものは、こちらが望む時ではなく、色々な意味で「しかるべき」時に、本当に面白い様に動き出すのだなぁ、と感服しきり。

とりあえずは、日本だからこその素晴らしさを、日々の生活の中で、うんと堪能しておこう、と。

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新鮮な風  

水曜日

「ロンドンのハーミッシュ先生がマイソール東京で1日だけ指導をする」と前日に連絡があったので、ちょっと内心ワクワクしつつも、先週後半から調子が悪いのと、さらに当日寝坊もしちゃったので、特に気張らずハーフセカンドをゆっくりやることに。

だけど実際ハーミッシュ先生が指導を始めたのは8時過ぎからで、その頃には練習を終えている前半組の練習生にとっては、「え?そんな人いたっけ?」というくらい、結局のところはアンマリ関係なかったのであった。

更衣室で「なんか残念~」と騒いではみたけれど、1日だけの特別ゲスト先生に何かを期待するのも変な話よねー、とも感じてた。


木曜日

体調もかなり回復し、肩と上腕もほぼほぼ正常に動くので、そろそろフルの練習に戻そうと、ちゃんと早起きして慎重に練習を進める。先週後半から休息と食事に気を配った甲斐があったのか、全身が軽くしなやかで滞りのないスッキリとした練習を堪能・・・

・・・してたら、いきなりパシャーサナでアジャストが入り、え? と思ったらハーミッシュ先生。もどかしいパシャーサナの痒いトコロに手が届くような、久々に目から鱗のアジャストに、ついついワタクシ変なスイッチ入りました。

参加者さんが少なかったからか、普段うけたことのないポーズでも沢山アジャストをしていただき、いろんな意味で沢山の気づきがテンコ盛り。

一般的なアシュタンガのアジャストって、とても表面的で「とりあえず外側のカタチだけ整えればオッケー」的な粗雑さがなんとも苦手なのだが、時にビックリするくらい繊細に、内側の目に見えない部分を整えることで物理的な肉体部分も深めていく指導者がいるけれど、ハーミッシュ先生は間違いなくそのタイプ。

そこさえ踏ん張れれば、あとは自力で呼吸でどんどん深めていける境地とかあるじゃない?その弱点わかっちゃいるけどナカナカどうして・・・的なもどかしい部分を少しだけサポートして、方向性を促し、後は自分でがんばりなさいよ、という感じで、かなり新鮮だった。

普段かなり甘やかされているというか、すいぶんと勝手気ままにマイペースで練習しているせいか、やはり惰性的になっている部分がたくさんあって、できるけど辛いからやらないとか、ここまででいいや~とか、がんばることを放棄してるコトとか、イイワケたくさんでごまかしてる動きとか・・・自分の中のズルイ怠け者の姿を、再認識せざるを得ない、そんな機会になったコトは確か。

最近の慣れ親しんだ緩い練習に、ちょっとだけ渇が入ったというか、もう少し素直に無心に奮起してもいいのかも?なんてね、そんなことも感じましたよ・・・ って、今日は誕生日だったからか、特別バースディプレゼントみたいで嬉しかった。

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