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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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拘りは信頼の欠如の現われ  

さいきん、ふとしたキッカケで、「あ!」と腑に落ちたことがあって。


アシュタンガヨガを練習してきて、色んな人の指導を受けて、色んな人の思いや拘りを聞いて、本来シンプルなはずのシステムが、色んなアレコレで覆われた鬱陶しいものに見えてきて仕方なかった。

ポーズのアライメントひとつとっても、アノ人はこう言うし、コノ人はああ言う。十人十色の身体の個性があれば、指導者の数だけ「ワタシのちょっとした拘り」はあるだろう。でもそれをあえて滔々と説く必要は、このシステムの中にあるのかな、と疑問が沸々してきたり。

指導者の思い込みが激しくて、受けてるこちらが戸惑うことも多々あった・・・それは肉体的なポーズだけでなく、精神的な指針や、生活面での規律だったりで、正直なところ、それらは本来ヨガの練習を通して、個々が自分の中で模索しながら探していくものなんじゃないの?と、簡単に回答を導く手順を開示する「教科書ガイド」みたいな過保護さに辟易したものだ。

私の好きな指導者のひとりがこう言ったことがある。
「私の先生は、ヨガを教えることについて、シンプルであるようにアドバイスしてくれました。ポーズの形と呼吸とドリスティを伝える、あとは”ヨガ”自体が、するべき仕事をしてくれるのだから、と」
私はこの言葉に深く共鳴し、ちょっと心が震えたのを覚えている。

そういえば、ずっと昔にヘルニアのリハビリ練をしていた頃に、藁をも掴む思いで相談したシニア・ティーチャーに、「あんまりアレコレ思い悩みなさんな。ヨガの練習を、ただおやりなさい。そうすればヨガ自体が適切にアナタに働きかけてくれるから」とサクリと言われたことがあって、その時に初めて私は、自分が安易に回答を周囲に求めすぎていることに気がついた。

ある程度の期間、継続的にヨガの練習をしてくると、あ!答えは自分の中にあった!と気づくことがある。それまでの自分の思い込みの箱からひょいと出たような新鮮な驚きは、誰にでもある経験なんじゃないかな?なのに、なぜ指導する立場になると、生徒が自分で見出そうとしているナニかを、こちらから提供するようになっちゃうんだろう?

それは決して指導者のエゴ的自己プレゼンとは違う。そういう下心とは別の部分で、彼等彼女等は本当に熱心で真摯だ。自身が得たヨガの恩恵を、そのディテールを、一生懸命伝えようとしている。それはまるで、「ヨガ・アンバサダーによって大安売りされるスピリチュアリティ」なんだけど。キノ・マクレガーしかり、デヴィッド・ロブソンしかり、現代の若手アシュタンガ指導者は、啓蒙活動に余念がない。

そして悲しいことに、そういう”過剰な拘りの押し付け”をするヨガ大使的な部分を、指導をする自分自身の中に見つけることが多くなった。一生懸命になればなるほど、余分なモノで補足フォローしてしまう。自信の無さ、というよりは、自分の中の「このシステムに対する信頼の欠如」の表れなのではないか、と思うようになった。

ま、そんな背景があったわけで。

・・・で、気づきのハナシ。

ひとつは、とても丁寧で細かな指導に定評のある先生のワークショップを開催したときのこと。クラスを受けた生徒さんがこう言った。「まるで1年分の練習で得るものが、このWSに凝縮されてました!」と。

それを聞いて、私は、あ!しまった!と思った。 →オーガナイサー失格(笑)

もうひとつは、最近受けたスタジオでの代行先生の言葉。なんでアシュタンガってそういうワケわかんないルールがあるの?的高飛車クエスチョンに、「理由はどうであれ、そのゲームをプレイするんだ。そう伝えられてきたやり方のとおりにね」 と、そこに疑問をはさむ余地のないまっさらさが返ってきた。

それを聞いて、私は、うわ!ヤバ!と思った。 →萌え~(笑)


ともあれ、過剰に幾層にも装飾の鎧をまとってアーダコーダとウザウザするより、もっともっとシンプルに本質の部分にフォーカスできるよう、おおきな空間を周囲に確保しておきたいな、と思った次第。

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コメント

No title

ぜんぜん違う話しかも知れないけど・・お茶とかお花とかの世界では、「決まり事」っていう制約の中で何度も同じことを繰り返しながら結果的に自由を作り出すっていう作業をするんだけど、物事の本質を見つけ出すにはそれ相応の努力や研鑽が必要だと言う点においてアシュタンガってすごく似てるというか、みな同じって事ですね。

URL | kishico #79D/WHSg
2011/12/07 16:56 | edit

No title

kishicoさん
うん確かにそう。ヨガだけじゃなくて、”道”のつく芸事や修行、アートや武道や舞踏、祈祷などの儀式も、まず型があって、そこに本質が凝縮されている。それは「家庭教師か、公文式か」みたいな効率の問題じゃなくて、向かい合う対象との関係を映しているのではないかなー、と、またワケのわからん妄想がひろがってゆくー。

URL | miwananda #79D/WHSg
2011/12/07 18:20 | edit

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