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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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School of fish  

代行先生のマイソールへ行ける最後のチャンスであったが、諸事情により渋谷へは行かず、ハマソで練習。

みんなが来る前に、まだ暖まらないスタジオの薄暗い明かりの中、サマスティティヒ。スーハーの波に乗って、身体が少しずつ動き、軋み、たわみ、ゆらぎ、ほぐれて、手放したかと思うと、また戻ってくる・・・その無限の繰り返しの狭間で、ひとり、またひとりと人が集まり、静かな空気を保ったままマットを敷き、各々の練習の海に潜ってゆく。ときに私達は小魚の群れなのではないか、と感じることがある。

寒くて、まだまだ開かない身体でフルセカンド+チャコラーサナまで。カポタもカランダも、まだまだむずかしいポーズ。この瞬間の先ばかりに意識をむけないように、過去の記憶に囚われないように、つかずはなれずの距離感を保ったまま、自分の中心にチューニングする、そんな練習をする絶好のツール。

私の意識の向かう先を、このままならない肉体を少しでも押し広げ、伸ばし、柔らかく曲げる、といった「Overthereあそこにある目標地点」から外すことで、どれだけ「現在のこの瞬間」に留まれることか。そして、そこから生まれる、自由な空間の無限の広がりと、どっしりと落ち着いて根を張っていく感覚が、どれだけの可能性を目の前に差し出してくれることか。

フワフワと風船のように飛んでいっちゃいそうな日もある。ズブズブと底なし沼に沈んでいってしまいそうな日もある。その両極に引っ張られながら、付かず離れず揺さぶられながら、不安定にバランスをとる日もある。そして、その両極へ向かってグンと押しやるエネルギーの反作用で、中心へピシッとピンポイントフォーカスする日もある。

それと同じことを、すべてのポーズにおいて、自分の肉体という宇宙の中のエネルギーワークとして、意図的に∧無意識的にやっているのが、日々の練習の礎なのかな、と。

大群の中で時に規則的に、時に奔放に泳ぐ小魚のたわごと。
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