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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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「学び」の時期から「プラクティス」の時期へ  

スタジオでフルセカンド(含む7頭立)&4ポーズ

身体はギシギシと錆付いてはいたけれど、自分のフル練習を最後までバテずに(いやむしろ余裕があるくらい・・・)やることができて、自分でも感動。目下の目標は、「どんなコンディションであれ、自分のフル練習を週4日、とにかくやり続けながら、サードのポーズを地道に積み上げていくこと」だったので、とりあえずスタートラインに立てたかな?って気がした。

その昔、プライマリーを3年くらいやって落ち着いてきたところで、セカンドのポーズが一個ずつ追加されていって、練習時間もそれに伴い増えていく中で、日に日にスタミナがつくと同時に、エネルギーを効率的に配分するスキルも生まれてきて、その過程で必須となる「いい意味で諦める」というエゴとの付き合い方が、実はポーズが深まる大きな要因だったり、途中で流す苦手ポーズも”アライメントがどうとかこうとか”という執着を手放さざるを得なくなることで、それでも毎日毎日何百回も繰り返すことで、「あらヤダ今頃急にナゼ?」というような大発展を遂げたりするコトがあった。自分のフォーカスは最終ポーズのカポタなのに、なぜかスプタクルマが自分でできるようになっちゃった・・・とか、そういう感じで。

マイジーザスのDG氏の弁を借りれば、シリーズの練習には、「学び」の時期と「プラクティス」の時期があるそうだ。「学び」の時期とは、新しいポーズが自分のものとして理解できるまでの間のことで、これは決して「完成形のカタチがとれる」とかいう表面的なことは指していない。いわゆるグルジが言っていた「1000回やりましょう」の期間なんだと思う。1000回というと、毎日練習して3年から5年・・・自分の短いアシュタンガ暦を思い起こしても、ポーズがしっくりとするのには、そのくらいの年月は必要だった気がする。そして、その「学び」が終わったときに、それを継続していくための「プラクティス」の時期に入っていく、というDG氏の説明には、妙に説得力があった。

そんなこんなを思ったのは、ここにきて、やっと、「あ、セカンドシリーズが、これで少しずつ統合していくんだな」って実感したからなんだ。だって確かにセカンドのいっこいっこの深みや進化が、ケタはずれに違うし、セカンドのポーズに取り組むときのココロの状態がまるっきり違う。特に苦手ポーズで、「どうやる、こうやる、ああやる、うーん・・・」というグチャグチャがないのだ。「よし、やる!以上」って感じ。パシャで手首を掴むのも、カポタで足首を掴むのも、バカBでハンドスタンド降りをするのも、「あーダメだ、よし、もう一回!」というやり直しがなくなっている。そしてなんと、あのマユラーサナに至っては、急にコアの力が漲ってきてピーンと足が伸び始めたのだ(・・・って、そんなレベルでスマン)

いずれにせよ、毎日コツコツとフラットにセカンドシリーズを「プラクティス」する時期が、ついにワタシにもやってきたのかな、ってシミジミした月曜日の朝。
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