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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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Stephen Lapham WS@逗子 7/17レポート  

逗子ヨガHPにアップした記事ですが、諸事情によりこちらブログにも記録としてまとめてエントリーします。





超夏日!カラリと晴れた空は快晴!最高の天候に恵まれた本日、スティーブンの日本初ワークショップの開催です。

午前のマイソールは、体調を崩されたり、怪我をされたり、レディースホリディとなったり・・・とキャンセルを余儀なくされた方々が多く、予定よりも少ない人数のクラスとなり、そのため参加者全員にとても細かい指導がなされました。クラス最後には、ひとりひとりにフィードバックと今後の練習のアドバイスもあったりと、まさにマイソールスタイルの良い部分を体験していただける、貴重な機会だったのではないでしょうか。

スティーブンの指導は基本に忠実で、いわゆる「伝統的」と言われる姿勢が貫かれています。が、彼は「伝統的」という言葉を厭い、「グルジが”correct”と言ったやり方」と表現します。

そして彼は常に私達を「いまよりも、もうちょっと先」を目指すよう力づけてくれます。ついつい私達はいつもと同じ「楽ちんゾーン」に留まりがちですが、ほんの少しの努力で、どれだけの変化が生まれるのか、ということに気づかせてくれます。

いわゆるポーズの完成形そのものが目標ではなく、そこを目指して努力すること自体の大切さを、献身的に伝えようとする姿勢は、恐らく自身が身を持って経験してきたヨガのエッセンスへの、揺るぎのない信頼と帰依の表れなのだと思います。


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午後は3時間にわたる「アシュタンガヨガ入門と探求」のクラスでした。アシュタンガヨガとは?ポーズの正しい実践法とは?ヨガ的生活とは?グルジとは?等々、私達のアシュタンガヨガの実践をさらに豊かにする内容となりました。

まずは広義の「ヨガとは?」のお話から、そしてパタンジャリのヨーガスートラへ。八肢則それぞれの意味・意義を、私たちが行っているアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガへ落とし込みながら説明がなされました。

通常は、パタンジャリのヨーガストラのラージャヨガ(アシュタンガヨガ)と、パタビ・ジョイスのアシュタンガ・ビンヤサ・ヨーガ・システム(現在私達が行っているもの)とを区別することが一般的です。

パタンジャリのヨーガスートラというのは、すでに太古から存在していた「ヨガ」ってなぁに?をロジカルに再構築しコンサイスに編纂したマニュアル本みたいなもので、そこで定義されているものをラージャヨガ(アシュタンガヨガ)と呼びます。

広義のヨガのくくりの中には、ニャーナヨガ(ギャーナヨガ)とカルマヨガのふたつしかありません。ニャーナ=Knowledge知識のヨガと、カルマ=Action行為のヨガです。ギータでは、ニャーナ、バクティ、カルマの3つのヨガがあると定義していますが、カルマヨガの中にバクティヨガ(献身のヨガ)やラージャヨガ(アシュタンガヨガ)が含まれます。

このラージャヨガ(アシュタンガヨガ)を構成する8つの枝として、禁戒・勧戒・座位・調息・制感・集中・瞑想・三昧があります。現在の私達が行っているいわゆるアサナ(ポーズ)は、この中のたったひとつの枝「座位」でしかありません。

そしてラージャヨガ(アシュタンガヨガ)によるヨガの定義とは、これら8つの枝を体験習得したのちに、最終的な三昧(サマディ)、すなわちマインドの領域における思考パターンの制御=Self Realization真の自己の発見に至る、ということです。

このラージャヨガ(アシュタンガヨガ)のひとつの枝であるアサナに関しても、現在の“アシュタンガヨガ”で行うような太陽礼拝やトリコナーサナ、ジャンプバックやバックベンドの話など出てきません。ヨーガスートラではただ簡潔に3つのセンテンスでアサナを定義するに留まります。

1:アサナ(ポーズ)は、しっかりと安定していて、かつ安らぎに満ちたものである
2:アサナ(ポーズ)への努力がやんだとき、無限なるものに意識を溶け込ますこととなり
3:これが可能になってはじめて、苦悩の根源である二元的世界観から解放される

これだけです。
私達が毎日行っているアサナの練習。できる、できない、進歩する、後退する・・・まるで振り回されるかのように、練習の全てがアサナであるかのように思えてしまいますが、ヨーガスートラはマリーチアサナDができようができまいが、全く関知いたしません。

そこで、前述した部分に戻るのですが、アサナはラージャヨガを成す構成のほんの一部でしかない、という理解のもと、現在のアシュタンガ・ビンヤサ・ヨーガ・システムを捕らえたときに、パタンジャリのラージャヨガ(アシュタンガヨガ)とは区別する、というのが一般的な考え方です。

先日行ったバリー先生のWSでは、私達が行っているアシュタンガヨガの源流を知る目的での「ヨガの歴史」というテーマでレクチャーがありましたが、ヨーガスートラにはほぼ言及せず、広義としてのヨガの連綿たる流れの中の「ひとつのメソッド・ひとつのシステム」としてアシュタンガ・ビンヤサ・ヨガを位置づけていました。それがどのようなサンプラダヤ(師弟継承・宗派)であれ、その道筋は異なれど、最終的にたどり着くモクシャは同じということです。

そして今回のスティーブン先生のWSでは、アシュタンガ・ビンヤサ・ヨガ・システムを正しいやり方で行うことによって、感覚の制御、集中、瞑想、サマディまでを身をもって体験し、ヨガの叡智に触れ、マットを離れた日常生活の中に自身のヨガを広げていくというアプローチで、まずは、なにはともあれ正しいプラクティスありき、そのガイドラインとしてヨーガストラ、という姿勢がうかがえました。

個人的に面白いと思ったのは、この両名のコントラストです。バリー先生は多様性を飲み込むインド的世界観を持ってヨガ全体を包括し、その中の流れ動きとして個々のメソッドやシステムをとらえていきます。いわゆる「マクロからミクロ」的視点。

一方スティーブンは反対に「ミクロからマクロ」的視点で、パタビ・ジョイスのアシュタンガ・ビンヤサ・ヨガ・システムのプラクティスを深く突き詰めることにより、そこに組み込まれたラージャヨガを体現し、そのヨガという叡智によって宇宙の智慧へと精神を広げて行く姿勢が伺われました。

ということで、ヨーガスートラを中心にヨガとは?から始まり、クリシュチャマリアとパタビ・ジョイスの生い立ちや逸話などと共に、「ヨガ・クルタ」をベースにヴィンヤサ・アサナというシステムが生み出された背景などのお話へと続いていきました。

特にグルジを語るときの熱さ(!)は、彼のパタビ・ジョイスへのゆるぎのない純粋な愛が感じ取られました。

そしてアシュタンガ・ビンヤサ・ヨガ・システムの正しいプラクティスの説明。これはポーズの完成形を指すのではなく、アシュタンガヨガのトリニティ、「アライメント・呼吸・ドリスティ」の重要性の話です。

身体を使ってアサナ(ポーズ)を行うのですから、アライメントは当然大切です。しかしここで特に強調されていたのは「柔軟性は関係ない」ということ。アサナをやっていると、ついつい「柔らかい=すごい」とか、「もっと柔軟性がほしい」とか、表面だけの部分に囚われがちですが、現在の自分に与えられた条件のもとで、正しいとされるアライメントに「向かって」練習をすることが重要とのことです。

また呼吸は単なる肺機能の活動ではなく、ライフ・フォース(生命の力)=プラナを宇宙全体から取りこみ、そして送り出す、という微細な次元の意識を持つようアドバイスがありました。私達は物質的な肉体だけの存在ではなく、エネルギー体としての存在であることを前提に、この呼吸の大切さを説き、バンダもこの呼吸(=プラナ)のコントロールの一部としてとらえていたのが印象的です。

バンダは体内を流れるエネルギーを留めるロックで、丹田と呼ばれたり、骨盤底筋群・腹横筋、コアマッスル・・・様々な名称や解釈があり、人によっては会陰部や腹部の「締め付け」「拘束」と物質的な筋肉の収斂を示し、アサナやアライメントの一部として捕らえることも少なくありません。しかし頑張ってギューっと固めるのではなく、引き込むようにして体幹の特に腰周りをサポートするように安定させ、空間を作りエネルギーを保つことである、と、本来の微細なエネルギーのコントロール機能を再確認するよい機会となりました。

さらに呼吸は私達のマインド・心と密接に連動していることから、呼吸を制御することで、引いてはマインド・心を落ち着かせることができることに触れました。

そしてドリスティ、凝視ポイント。決められた凝視ポイントを守ることにより、意識の一点集中をもたらすと共に、身体のアライメント自体も変化し、特に背骨の状態が整っていきます。

これらアライメント・呼吸・バンダ・ドリスティを意識的に正しく行うことにより、特に呼吸と動きの連動を大切に行うことにより、アサナの練習が一種のダーラナ(集中)の状態となり、そのアサナとアサナの間をつなぐビンヤサによって、途切れのないダーラナが、ひいてはディヤーナ(瞑想)の状態を導く。これが、アシュタンガヨガが「動く瞑想」と言われる所以であるとの説明がありました。

アシュタンガヨガの特徴として、ますはプラクティスありき、というのがあります。毎朝、または定期的に練習をコンスタントに続け、毎回できないことにチャレンジします。練習を繰り返すということ、同じことの繰り返しの中に変化を見出すこと、自分自身の変化を知ること、それにより、煩かったマインドが、たくさんの執着がすこしづつ落ち着き、自分自身が、自分の人生が、ポジティブに変化していくことを実際に体験していきます。その効用がアシュタンガヨガを続ける私達の最も大きなモチベーションなのだと、熱心に伝えてくれました。

これらの説明のあと、実際にカウントを取って太陽礼拝からファンダメンタルまでのポーズを練習しました。インドのマイソールで指導されている正式なカウントとアライメントのため、私達がなじんでいる日本独自のスタイルとは異なります。

まずは、サマスティティヒ。立ちポーズが終わるごとに、サマスティティヒに戻りますが、日本や東アジアの国ではこのときに両手を胸の前に合わせて合掌することが多いです。しかし、サマスティティヒは「きおつけ」の姿勢で両手は体側です。

スリアBの「エーカム・吸って」のとき、両手を一旦床までおろしてから、大きく羽を広げるように両手を上に上げる「パフォーマンス」っぽいやり方が一般的ですが、そういう余分なことをする必要はなく、単に両手を上にあげるだけで充分です。

トリコナーサナやパースバコナーサナのビンヤサイン(ポーズへの入り方)は、「エーカム・吸って」でジャンプして両手を左右に開き、両足先は正面の「大の字」状態です。次の「ドヴェイ・吐いて」で足先を外側へむけてポーズに入ります。踊るように両手を開いたり、ストレッチするようにポーズに入る必要はありません。

このようにビンヤサ、ポーズへの入り方をシンプルにすることで、より集中した練習ができることを、実際に身をもって体験していきました。


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最後に、ポーズの練習を離れた日々の生活の中でも行える、ヨガ的経験や生き方のヒントのお話がありました。私達は常に様々な刺激や雑音に囲まれ、忙しく落ち着かない生活をしています。マットの上でヨガの練習をしているときと同じように、意識を「いま・ここ」に集中させることによって、マインド・心を落ち着かせる方法として、視覚、聴覚、嗅覚などの感覚を使った瞑想の説明がありました。たとえば目を閉じて、意識を100%耳に入る音に集中します。普段は捉えることのできない音や、振動を、しっかりと捕らえて感じることによって、感覚を研ぎ澄まし、自分自身を「いま・ここ」にしっかりとつなぎとめます。シンプルですがとても奥深い瞑想です。

アシュタンガヨガへの純粋な情熱が溢れんばかりのスティーブンのワークショップ、3時間は短かったようで、最後は時間ぎれとなってしまいました。今回伝え切れなかった部分は、次回に続きます・・・多分!


ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
スティーブン先生ありがとうございました、お疲れ様です。





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