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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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Barry Silver WS@逗子 7/11レポート  

逗子ヨガHPにアップした記事ですが、諸事情によりこちらブログにも記録としてまとめてエントリーします。





2日目のレッドクラスの後、レクチャークラスのテーマは「ヨガの歴史」でした。


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日本ではヨガの歴史というと、パタンジャリのヨーガスートラから始まり、ハタヨガの源泉としてハタヨガ・プラディピカを揚げるのが定番ですが、恐らくそれは現在の日本ではまだ「ヨガ=ポーズを行うこと」という認識が広く流布しているからでしょう。

しかし今回のバリー先生のレクチャーは、この2つのバイブルともいえるヨーガスートラもハタヨガ・プラディピカも引き合いに出さず、私達の狭い「ヨガの概念」を、さらに大きく広げてくれる内容となりました。

別の言い方をすれば、ヨガとはつまり、パタンジャリの編纂した八肢則(いわゆるアシュタンガヨガ/ラージャヨガ)が全てだというわけではなく、ましてやその中のひとつの枝でしかないアサナ(ポーズ)に特化した、ハタヨガプラディピカに原点を見出す必要もない、と示していたということです。

ハタヨガという括りの中の、たったひとつの流派でしかないアシュタンガ・ヴィンヤサ・ヨガ・システムの指導者である本人が、このような視点で講義を行うというのは、ある意味とてもパラドキシカルかつ実に興味深いことです。

本来のヨガという意味で源泉を求めるのであれば、インド古来の思想であり信仰であり哲学である世界観にたどり着きます。つまり、世界(宇宙)をどのようにとらえ、わたしたちはどのように生きるのか、その意味は?目的は?意識とは?といった普遍的な疑問の回答を示すものです。

バリー先生によるレクチャーは、私達が日々行っているアシュタンガヨガの源泉として、このインド哲学ヴェーダから説明が始まりました。

その思想において、人の求めるものはアルタ(富や家族などの安定)、カーマ(喜び)、ダルマ(人としての役割)、そしてモクシャ(解脱=梵我一如)の4つがあると定義され(=プルシャルタ)、このモクシャを求めた生き方が、すなわちダルマそのものがpath of lifeでありヨガである、と捕らえられています。

この広義からとらえるヨガの遍歴、その起源から現在私達が行っているヨガまでの流れを追うと共に、(ここ肝心)、「なぜ」そのような広がり方をしたのか?を理解することが、今回のレクチャークラスの肝だったと、私個人的には感じています。

ともあれ、まずはヴェーダの基本概念とは何なのか?を理解することから始まります。ここを押さえるとインド的世界観がストンと腑に落ちます。小難しい学術的な研究対象としての「インド哲学」としてヴェーダを捉える限り、それは単なる知的遊戯に終始し、「やれ難しい、難解だ」と自ら思い込みの壁を作り上げてしまい、さらにとっつきづらくしてしまいます。しかし本来、哲学や信仰とはつまり、「生きることの道しるべと、それを支える世界観」なわけですから、5歳の子供が聞いても理解し納得し体現できるよう、説明されるべきことです。それがウパニシャドであり、ギータやマハーバーラタ、ラーマヤーナなどの壮大な叙事詩です。

ではヴェーダとは?そこに根ざす世界観とは?それは宇宙の智慧であり、生命の源である意識(コンシャスネス)を理解すること、自らの中にそれを見出すための生き方、ダルマ、宇宙との調和を保つための与えられた役割を全うすること。

インドのいわゆるカースト(ヴァルナ)も、このように捉えるとダルマです。バラモン(祭司)として生れ落ちようが、奴隷として生まれ落ちようが、与えれられた人生の役割を全うする、その道筋は異なれど、最終的にたどり着くモクシャは同じです。モクシャ、解放、サマディ、悟り、梵我一如・・・言い表す言葉は様々ですが、宗教であれ、精神的修行であれ、ヨガであれ、サンプラダヤ(師弟継承・宗派)は、そこに向かって木の枝のように多様に広がり伸びていきます。

ヴェーダ的世界観に大きな変化をもたらしたのが、仏陀の登場した紀元前500年ごろです。この時期はヴェーダを否定する自由な思想家=六師外道が生まれた時代でもあり、ジャイナ教なども発生しました。仏陀はサムサーラ=輪廻転生という新たな考え方と共に、輪廻におけるアートマンの否定、バラモン教ヴェーダ哲学の否定、カースト制度への否定を表明します。「誕生・生・死・再生」を繰り返す輪廻転生の環の中から脱して初めて解放される、という考え方は、カルマによる因果応報」としてその後インド思想の根底に流れる死生観の一部となります。

そしてまたバラモンのための難解なヴェーダを、分かりやすく記述したウパニシャドが生まれたのもこの時期です。ギータ、マハーバードラ、ラーマヤーナといった「神々や王族が引き起こす様々なドラマ」には、ヴェーダのエッセンスのメタファーがちりばめられ、その壮大な物語を楽しみながら、ヴェーダ的世界観が自然と根付くようになりました。

インド信仰や哲学や思想を、ヴェーダの権威を認めるVedic(ヴェーダ的)なものと、Non-Vedic(非ヴェーダ的)なものという区分をすると、ヨガはVedic(ヴェーダ的)であり、仏教はNon-Vedic(非ヴェーダ的)です。

面白いことに、Non-Vedic(非ヴェーダ的)として、バラモン教ヴェーダ哲学に対する反旗を掲げた仏教ですら、あらゆるものを飲み込むインド世界の中では、仏教はヒンズー教の一部、仏陀はビシュヌの生まれ変わりの化身のひとりと捉えられ、新たな概念であったサムサーラも、前述したとおりインド思想の根底をなすよになります。

さておき、インドにおけるヨガは、ヴェーダ的/非ヴェーダ的世界観を背景に、サドゥやヨギのように秘教的道を極める者もあれば、世俗に生きる人々の生活にもどっしりと根ざし、儀礼や祭事、日々の祈り、信仰として、インド国内で深く広がっていきます。

このインドのヨガが世界に広まったのは、17世紀からの英国植民地時代、イギリス人により当時の密教・秘教的ヨガや哲学が翻訳されインド国外へと紹介され、エキゾチックなオリエンタリズムの台頭とともに、西洋におけるヨガやインド哲学への興味がうまれます。

そして聖者ラーマクリシュナの愛弟子ヴィヴェーカーナンダが、「アメリカへ渡りヨガを広めよ」という使命を受け、1893年9月11日シカゴにおける第一回国際宗教会議に参加し普遍宗教を説き、大いなる存在との合一の手段としてのヨガを提唱しました。これを機にインドからスワミ・ヨギが大挙してアメリカに渡り、様々なヨガが伝わることとなります。

以降、アメリカを中心としたヨガの広まりは、最終的にたどり着くモクシャにむかって、様々な形状をとりながら、木の枝のように多様に広がり伸びるサンプラダヤそのものです。

50年代にはインドラデビがハリウッドで俳優達にヨガを教え始めます。様々な種類のヨガの中で、あえてハタヨガ、アサナ中心のヨガを伝道したのは、アメリカという土壌と人々の健康志向ゆえだったのでしょう。

イギリス植民時代に蒔かれた種が、ヴィヴェーカーナンダの渡米により西洋文化に根っこを下ろし、ハリウッドヨガ(!)により健康志向のエクササイズとして、現在のいわゆる「アメリカ発のヨガ」が広まる土壌が築かれました。
そして、60~70年代のヒッピームーブメント、ビートルズとマハリシとの出会いによる、サブカルとしてのヨガ、現実逃避、ドラッグ、意識の変容、TM瞑想、ラジニーシ(osho)、アイアンガー、ヨーギパジャン、ムクタナンダ、etc…このあたりの話になるとご自信もリアリタイムで体験しているからか、一気に熱が入りました(笑)

ともあれ、インドの太古から伝わるヴェーダの教えから、ヨガという生き方、その伝わり方、広まり方、そして現在私達がマットの上で行っているポーズの練習まで。大きな俯瞰図でとらえると、その多様性と全てを飲み込んでしまう懐の大きさに驚かされますが、でも実はみんなひとつのゴールに向かって歩んでいることが見えてきました。

バリー先生はレクチャークラスの冒頭によくこう言います。

わたしたちの行っているアシュタンガ・ビンヤサ・ヨガは、単なる「ひとつのメソッド、ひとつのシステム」なのです。


「ヨガ哲学」というと堅苦しい、「信仰・宗教」というと胡散臭い、「宇宙や存在の真理」というとトンデモ系、「スピリチュアルな自己発見の旅」というと江原か?・・・そんな偏見や先入観で聞く耳を閉じてしまう私達の心に、結局のところ私達はみなそれぞれの「心の拠り所」を持ちながら、それぞれの方法で「生きる」という旅をしているのだなぁ、と思わせてくれた気がしました。

そして、ここにいる私達は「ヨガ」もしくは「アシュタンガヨガ」というひとつのツールに出会い、魅了され、練習をしています。この「ひとつのメソッド・ひとつのシステム」の背景には何が存在し、その何に自分が引き付けれられ、それは自分自身が何を希求しているからなのか、を探求するよい機会となったなら幸いです。

「アシュタンガをやっているから、ポーズのことだけ追求すればよい」それはそれで素晴らしいことですが、そのポーズを自分という小宇宙の一番外側の粗大な「肉体」レベルだけで捕らえず、内にあるエネルギーや意識や感情や知性や直感といった更に微細なレベルで捕らえていくことで、単なるエクササイズからヨガの叡智に触れることができるのではないかな、と、未熟者ながらそんなことを思いました。


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ご参加されたみなさま、ありがとうございました。
バリー先生ありがとうございます、お疲れ様でした。


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