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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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ポーズを増やせばよいという最近の風潮  

先生なんていいや、無理して帰依などせず、自分の練習をしよう。私はプラクティス自体を信じてくっ!

とかっこいい決意をし、5月半ばからヨガサークルのような某スタジオで練習を始めた。

そこで目のあたりにしたのは、アサナ合戦ゲームだった。地道に辛抱強く繰り返す練習で、少しずつ身体を心を開き、柔軟性と強靭さという土台を築き、上に乗っける基盤を作っていき、準備ができたら次へ進む・・・というプロセスを重視したアシュタンガ・ビンヤサ・ヨガ・システムは、そこにはなかった。脆弱な基盤の上に次々と乗っけていく「新しいアサナ」という重荷。一歩一歩確実に、ゆっくりとすこしづつ、なんて悠長なこと言ってられないわよー、とばかりに、先へ先へとアサナを進めていく、もっともっとnever enoghの世界。

プライマリーができなくてもセカンドシリーズ、セカンドができなくてもサードシリーズ、むずかしいポーズはプロップ使ってモディフィケーションで流す・・・が当たり前の環境であっても、周囲に惑わされず自分の練習をしよう、とオバサンは決めていた。ここ1年ほど格闘しているマユラーサナの肝を習得するまでは、次のポーズに進んでも弱点の肩を痛めるだけだということは明らかだったし、「準備ができたら次のポーズ」というアシュタンガヨガのシステム自体を、どんな指導者よりも信頼していたから、「なんでそこで止まってるの?できなくたって、いいじゃん?」と当然のように言われたけど、きっぱりとNOと言えた。しかし、その時点で当然のごとく、アンタッチャブル(不可触民)の存在と成り果てるのだが。

来る日も来る日も同じ練習をする。指導されるわけでもなく、ポーズをもらうわけでもなく、アジャストされるでもなく、自分の練習を黙々と行うことで、自分の奥底から生まれてくる「強さ」を発見した。それは「自身」であり、「信頼」であり、「受容」でもあった。それまで、指導者の顔を伺うように、周囲から評価されるために、「他者の目を前提としたパフォーマンス」みたいな練習に終始してた自分が、ちょっとづつ素に戻っていくようで、なんだか楽しかった。

ところでハーフセカンドだけを1年もやっているとスタミナがなくなってくるのは確かで、なんと週に1回のプライマリーがキツくなってくる。それもなんだかなぁ・・・って感じなので、ハーフプライマリー+ハーフセカンドという、伝統が大好きな指導者が怒りそうな練習をするようになった。ポーズの進捗を第一目的にする練習と違って、この「ハーフプライマリー+ハーフセカンド」は非常にバランスがとれていて、健康な生活をするためのヨガとして大変素晴らしいです、大好きです。

同時にセカンドのポーズの精度をもう少し上げようと、特にカポタとカランダを、チョチョイとやって素通りするのをやめて、しっかりと向き合ってフォーカスすることにした。結果、カポタは自力でカカトをつかみ、カランダはちょっとチーティング入れれば自力でUPするようになった。カポタ3年目、カランダ2年目にして、いわゆるminimum standard(最低限の基準)を達成。どれだけアリエナイ~!と思ってたアサナであっても、不可能ではなくて、ただ時間がかかるだけのことなんだと、身をもって実感。「ポーズ習得3年説」断然支持しますよ(笑)

現在奮闘中のマユラーサナは、1年経っても、これまた面白いくらいできないんだけど、やるほどに自分の肉体と精神の奥深さが見えてくる。色んな指導者の色んなアドバイスを受けたけど、一番の先生は自分の経験だな、と思う。

確かに、どんどんポーズを進める練習もチャレンジングでいいかもしれない。そういう選択肢があってもいいと思う。でも私自身は、ゆっくり確実に歩を進めたい。歳だから肉体的な無理は避けたいという部分もあるけど、なによりも長く続けていきたい、というのが本音。全力疾走の短距離ランナーというよりは、臨機応変に状況を鑑みながらペース配分しつつ長い距離を走りたいな、と。

アシュタンガはその効用がパワフルだから、始めて直ぐはスゲー!とはまりやすい。でも反対に、突然パタリと止めてしまう人も多くて、熱しやすく冷めやすいヨガ・ナンバーワン(笑)。だからこそ、って気持ちもあるのかな。

昔ね、陰ヨガのTTでポール・グリレイ氏が言ったことが、最近頭をよぎるようになってきた。

ヨガを始めて最初の5年から10年は、急激な変化や進化にかなりインスパイヤされます。しかしその先10年20年ヨガを続けていったときに、同じようなインスパイヤを求めても、そこにはあなたを満足させるものはないでしょう。



はまりやすがゆえ、イケイケゴーゴーになりやすいゆえ、一般的なハタヨガの真逆に振り子が揺れらすいがゆえ、アシュタンガヨガはその実、ポーズがドーダ&アーダのハネムーン的時期を潜り抜けた後こそが大切というか、どれだけ長く続けていけられるかがキモなんじゃないか?、と。まるで結婚観を語るような自分に苦笑。

恋に落ちるのは簡単、結婚を人生のゴールにしても、その先は長い長い。恋愛→熱情→離婚を繰り返したって、それは延々と巡るサムサーラの輪から抜け出せない魂みたいだ。それが人間関係であれ、ヨガであれ、他のどのような人生の役割であれ、大切なのは「忍耐と勤勉さ」だと思います。そこをおざなりにしちゃって、やれ自由だ解放だ、ったって、それは単なるワガママでしかないじゃないかと。

ポーズを増やせばよいという最近の風潮にしたって、どんなに進んだってサードとまりでしょ?そこまで最短距離でたどり着いたところで、その先はどうするの?というのが、確信の部分というか、そこからヨガは始まるんじゃないの?

scalesabhyasa.gif



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