HEADING NOWHERE

三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

tb: --   cm: --

見つからない探し物  

「アシュタンガはひとりの先生につくべきだ」

という思い込みで、自らを窮屈な状況に追い込んでた日々が、今年に入ってからしばらく続いてた。それは自分のココロの中にポカリと空いた穴を、ムリクリ埋めようとしてただけの、陳腐な足掻きみたいなものだったから、当然のごとく長続きはせず、5月半ばの奇しくもグルジの命日を境にパタリとスタジオから足が遠のいた。

5月18日の朝、いつもと同じように家を出た私の足が向かったのは、何故かダンさんがいた頃に通っていたスタジオだった。別に理由なんて、後からいくらでも付けられるけど、多分なにかをリセットしたい気持ちがどこかにあったのかもしれない。熱気の立ち込める久々のスタジオで、少しだけ厳かな気持ちで練習した。特にアジャストも受けず、自分の練習をただ行った。どのポーズがどうだとか、身体のどこそこがどうだとか、そういう枝葉の部分よりも、自身の奥底から沸きあがるような核心のようなもの、それを「吸って・吐いて」の呼吸に身体を乗せていく練習。グルジありがとう、私たちは幸せです。場所なんて、ほんとうはどこでも良かったのかもしれない。

運のよいことに私は、肉体的なアサナを介して、精神的な成長を促し、励まし力づけ育んでくれる素晴らしい先生に恵まれて、アシュタンガを練習してきた。まだ幼いピヨピヨのフラジャイルな植物が育つには、水も温度もそうだけど、なにより風よけしてくれる覆いが、ある程度成長するまでの期間必要なように、ヨガの修行においても、独りで育っていけるまでの間、守り育んでくれる環境が大切だと、ヴィヴェさんが書いていたが、私のヨガ修行ピヨピヨ期における、身体のウダウダはもちろんのこと、心のウダウダまでをも引き受け、長く険しい道程のみちしるべとなってくれたダンさんの存在は、確かに大きかった。

恥ずかしいことに、ダンさんが去り、そこから巣立ったはずの自分が、まだまだ全然ちっとも「そこ」を卒業できていないのに気づいたのは、つい最近のこと。自分の練習が低迷してきて、それはポーズの進捗もそうだけど、プラクティスとの向き合い方そのものにおいて「あれ?なにやってるんだ、私?」と愕然することが多々でてきた。環境や生活の変化を言い訳に、師事する指導者を3人も転々とした。練習をしては怪我をし、回復したかと思えば、また怪我や体調を壊してばかりいた。腰をすえて真摯に練習に取り組んだり、指導者との信頼関係を育むコミットすらできない自分がいた。次第に責任転嫁をし始め、アシュタンガを教える人々に幻滅し、アシュタンガを行う人々にうんざりし、アシュタンガヨガ自体に嫌気がさしてきた。

この先生のアジャストが上手いとか、あの先生のデモがスゴイとか、誰それはアサナを離れたヨガ的指導が素晴らしいとか、ナントカさんは優しくて親身になってくれるとか、あそこは生徒がガツガツしてるとか、こっちのスタジオは穏やかな雰囲気の人が集まるとか、どこそこはポーズをガンガンくれるとか、あそこの先生は超厳しいとか、私達アシュタンギは指導者とスタジオと、そこに集まる生徒さんたちのジャッジに余念がない。結局は自分の練習を、与えられた状況と環境の範囲内で、いかに精一杯やるか、つまりその行いをめぐる「人生のカルマヨガ」に他ならないはずなのに、心のさざ波で忙しい私たちのエゴは、ついつい自分の外側に答えを求めたり、期待したり、果てには敵を作ったりしてしまう。

私がここ1年間近く、ヨガジプシーのごとく、アチコチを転々とすることに忙しくして、自分の練習自体を二の次にしてしまったのは、つまりそういうことだった。私は指導者とスタジオと、そこに集まる生徒さんたちのジャッジに余念がなく、自分の外側に答えを求め、期待し、非難し、拒絶し、結果的に敵を作り続けていただけの大ばか者だ。私は誰にも心を開いていない。かたくなに心をきゅっと一文字に結んで、自分の内側へ深く潜っていくことで、周囲を拒絶している。開いた心が傷つくのが怖い、信じたものが消えていってしまうのが怖い、愛したものを失うことが怖い・・・そんな簡単なもので、どうやら私はできているらしい。

あれ?私がいままでやってきたのは、なんだったのかな?アシュタンガー!と勢いだけはいいけど、自分の練習ではなくて、先生ありきの練習でしかなかったの?その答えを知るのが怖くて、ほんとうの自分を見るのが怖くて、誤魔化し誤魔化しやるプラクティスなんて、本末転倒というか、そのベールを剥がすこと自体がプラクティスなはずなのに、嗚呼・・・!と、頭で考えすぎる人(→私)特有のグタグタでグチャっとしたまま、日々は過ぎ、気がついたら「アシュタンガなんて、やーめた!」になっていた。

奇しくもそんなおり、フィンランドへ越していったダンさんから便りが届いた。

厳しく寒いこの土地の気候により固く閉じてしまった身体で、ハーフプライマリーですら辛い日々が3ヶ月以上続きましたが、ようやく最近春が来て、花が咲き始め、練習も少しずつサードシリーズへ戻りつつあります。


そんな淡々としたメールをもらった。マイナス何十度という常軌を逸した環境で、ガチガチに固まった身体を抱えて、毎日黙々とできる範囲の練習を行う。誰に何を求めるでもなく、「ただやる」こと自体に意義を見出すかのように、現状を認め受け入れ、謙虚に誠意を尽くす姿が目に浮かんだ。そういやダンさんって、昔からそんな感じだったなぁ、と思ったら、なんでか、涙がボロボロ出てきた。同時に、ちょっとでも思い通りにならないとブイブイ文句たれてはダダッコしている自分が、恥ずかしくて仕方なかった。

もう遠回りはいいや、とりあえず顔をあげて歩こう、先生なんて無理に見つけなくてもいいから、まずは自分の練習をしよう、それがアシュタンガであれ、なんであれ。

と、久方にポジティブな決意を新たにしながら、ふとここ1年の自分を振り返って思った。

あら、私の探し物って、いったいなんだったんだろう?
(いつだってここにあったじゃないか)


6月のアタマくらいのことである。


スポンサーサイト

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://everydayashtanga.blog116.fc2.com/tb.php/517-54994c1b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。