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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

痛み  

「痛みというのはとても主観的なものです」

と、昨年末の陰ヨガTTCでポール・グリレイ氏が言った言葉が、ここのところずっと頭の中をグルグルしている。



痛みの閾値(しきいち)には個人差があり、とある人の激痛が、別のある人には単なる不快な刺激でしかないこともある。



私たちは概して、「痛み」や「苦痛」から遠ざかるように、無感覚になるように、無意識に努力をしている。



そこにある痛みを100%そのまま感じ取っていたら、日々の生活など破綻してしまうほど、私たちの心身はあらゆる外部からの刺激に晒され、常に反応し変化し続けている。







2週間前から始まった首、背中、胸の痛みは、ハートチャクラを中心にして激痛が広がり、もはやどんな身体の動きに対しても、神経が露出しているかのように電流が走っていた。



日常生活のなんでもない動きすらアタッ、ズキーン!状態で、ましてやヨガの練習なんて無謀というか、痛みの閾値が高め設定の私ですら、ある日突然、スリヤマナスカラで自らリタイヤした。



人に止められるのではなく、アタマで「ここでやめるべし」と戒めるのでもなく、私の本能がきっぱりとNO!と、そのとき初めて言った。びっくりした。







しかしヨガの練習をしていない時の方が、実は痛みが激しかったのも事実。



首を回すと激痛、背骨を曲げると激痛、振り向くことも、寝た状態からカラダを起こすこともできない。ウルトラマンのピコピコあたりから、毒がカラダ全体に放出されているようで、毎日が吐き気と、口の中に広がるニコチンの味で一杯だった。



それでも、毎日の生活は普通にこなさなければならない。満員電車で通勤して、オフィスで長時間働いて、家に帰って家事をして、週末は地元でヨガ教えて、出張レッスンもやって・・・。やりたいことをやってるはずなのに、心が荒むと、イライラも募る、胸が痛いとココロもざわつく、神経に響く痛みで心身への負担が大きく疲労困憊、いつも眉間に皺がある状態で、もういっそボルタレンの一気飲みでもしようかと(笑)





すがるように駆け込んだスポーツマッサージ、鍼、整体、霊気・・・と各方面に癒しのプロセスのお手伝いを願うも、いずれも対症療法でしかないのは了承済み。



これという「痛みの原因」は一向に出てこず、結局「自分」なのだな~、と、気付かざるを得ない。







おととしの冬、2回目のヴィパッサナ10日間コースに参加したときのこと。コース中盤くらいで生理が急にきた、しかも激しい生理痛を伴って。



ヴィパッサナは体中のあらゆる感覚を感じ取っていくことが基本なので、外部からの刺激を極力最小限に抑え、節制された菜食をほんの少し取り込むだけで、あとはコーヒーもお酒もタバコも麻薬も処方薬もご法度となっている。



ここ2年くらいは生理痛もなかったのに、このときばかりは激痛に泣いた。1日10時間以上ひたすら座って自分の感覚を感じ取り観察していく、その対象が子宮を中心とした激痛!痛み止めを飲むことを考えたが、これには意味があるのだと確信を持っていた私は、あえてカモミール茶とかホカロンで痛みをあやしながら、とりあえずは痛みをそのまんま、誤魔化しなしで観照し続けた。



普段なら、別の行為で脇に追いやってしまう感覚や自分の反応を、ありのままに感じる。それが痛みや苦しみであっても、疎んじたり、否定したり、ジャッジすることなしに、ただ、ありのままに、まず気づき、認め、受け入れる。



スケール50くらいだった痛みが、スケール120くらいまでにパワーアップし、圧倒されそうになりつつも、痛みのピークを迎える。極限までいくと無感覚になる、というか、手放すときがくる。痛みも苦しみも、自分の反応。身体の中の化学反応。来ては、去る。アニッチャ。全ては変化しつづけている・・・コースを終えることには、痛みも通り過ぎていた。







今回の、首と脊椎の激痛に泣き泣きデスクワークをしていたある日、もうこれが極限か?というくらいの痛みに耐えつつも、ふと気が付いたその瞬間、痛みがほぼ消滅していた。痛みが発生して3日目くらいのこと。まるで狐につままれたようで、なんだ、なんだ?とキョロキョロしてみたが、なにも見つからない。



昔ジョンスコットのWSで、「臨界点に達すると、そこから進化が始まる」というフレーズに、いろんな意味でガツーンと衝撃を受けたことを思い出したり。



何人の方から、たくさんのアドバイスやヒントをいただいたり。



自分で、「あれ、これかな?」と思う方向へ、本能を頼りにちょっと足を踏み入れたり。



そんなこんなをしながらも、以降、痛みは、発生したり引っ込んだりを繰り返している。今朝も、背中の激痛でベッドから出るのに難儀した。





アシュタンガヨガの練習は、現在、スリヤナマスカラとまりだ。たまに、調子がよければスタンディングまで。周囲がサクサクとセカンドをやっているのを見ると、取り残されたような気分で、ちょっと寂しい。でも、これも練習。決して嫌な感じはない、むしろ、すがすがしい気分。マイペース、一休さん、あわてない、あわてない。



思うに、きっと、いまはスローダウンすべき時だったんだろうな。地元で始めたヨガクラスで、ダンダサナからしてチャレンジングポーズな方達と一緒に、ヨガのエッセンスをシェアしている自分が、なんだか前よりもずっとずっとヨガを楽しんでいることに気がつく。



たまに行く鎌倉のアシュタンガクラスのインストラクターは、私のハートチャクラの痛み話を聞いては、嬉しそうに笑った。



ウチの旦那さんは、私のスローダウン振りを見ては、「やっと自分の声が聞こえてきたの?」とからかう。



なんとなく、暖かくなってきて、春もすぐそこまで来てる。もう少ししたら、この痛みも消えていくのだろうか?


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