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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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修練と離欲  

ハーフセカンド@神保町マイソール

身体が固い、重い、ギコチナイ、伸びない、関節がギシってる、というコンディションでの練習だが、なにかが決定的に違う。

そこで抗ってない、というか、ままならない現状を打ち消す意思が自分の中に、ない。だけど諦めて投げやりになってるわけでも、ない。

委ねつつも努力をしている状態

これが、ちょっとヤバイくらいに超越的な体験で、ドリステの外側にぼやける世界が、いつもより遠い気がして、瞑想的って言葉は安易すぎるけど、そんな感じが、あった。

アシュタンガが「動く瞑想」だなんて冗談じゃないよー!こちとら必死の形相でゼイゼイなんだからー!と、いつも思ってた。ジョンスコットのプライマリーならいざ知らず、40過ぎのババアのセカンドなんて、全部シンドイし、超タイヘンなんだからーっ!とワケわからん主張を振りかざしていた。

ところが、同じ全部シンドイセカンドでも、決められたビンヤサに乗せる努力をしつつ、「ああもうちょっとなのにっ」とか、「もう一呼吸いれてジックリポーズに入ろう」とか、「あ、いまの失敗、もういっかい!」とか、そういう余分なアレコレをどんどん捨てていくと、これは結局のところ自分の執着と折り合いをつける(抑圧する、ではないトコ大切よ♡)鍛錬となるからか、気がつくと練習の質がガラリと変わってきた。

別にサラリとセカンドのポーズができるワケじゃない。みんなシンドイし、ゼイハアする。ただ、確かに外側の肉体と格闘してポーズに取り組んではいるのだが、その内側では、長期の瞑想によってもたらされる「あの場所」に自分自身を見つけるような、そんな静けさが広がっているのだ。もっと分かりやすくいうと・・・

外はガヤガヤ、内はシーン

・・・(笑)

奇しくもヒマラヤ瞑想のサイトで、アビヤーサとバイラーギャの考察を深めていた矢先のプチ神秘体験だったので、なんか面白かった。
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