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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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練習なんてしてません、したくもありません  

悪い意味でのナイーブさの現れなのかもしれないが、アシュタンガヨガに関わる色んなことに対する嫌悪感が生まれ始めて、ついにアシュタンガ・アレルギーまで併発し、ここ3日くらいボイコット状態。ふむ、我ながら判り易い性分である。

愛着と嫌悪に翻弄され、終わりのない欲望につき動かされ、すべて無知からくる哀れな小動物の茶番劇。自分の内にある獣性に気づくことなく、偽りのシャンティ気取りをしたところで、自分の内に、ましてや他者の内に神性など見えるものなのだろうか?

欲情の奴隷となり、怒り、敵意、うぬぼれ、利己心の支配をうけ、低い見せかけの自己が世界の中心だと信じて疑わない私たちは、そのちっぽけな世界の中で空騒ぎを続けるだけ。ああ、私たちの神聖な霊は、こんなにも濁った心によって曇らされているものなのか。
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コメント

No title

自分が愛するものが、他人の傍若無人な行いや解釈によって蹂躙されたような感覚。
気持ちは分かるけど、僕はそういうのは’便所の落書き’だと思うようにしました。ある時から。

だってそれはただ単にツールでしかないから。
包丁だって使う人によって使い方だ違うように。

ただ、あまりにも常識的な範疇からはみ出て、誇大解釈されている方を見て悲しくなったり、怒りが込み上げてくるのも理解できます。

被災地で詐欺をはたらくヤツ。
ボランティアに精を出す人。
たくましく思ったり、尊敬してみたり。

何事もそうですが、’接し方’で全てが決まると思っています。

話し方、
姿勢、

教わる、教えるの根本はそこです。
だから僕は舐められても全然気にしません。
そういうひとには、それなりの果しか結ばないから。

アシュタンガヨガを大切に思う人。
先生を尊く思う気持ち。

自分の中の’接し方’だけなんじゃないかと思ってます。

URL | ZEN #79D/WHSg
2011/06/17 21:12 | edit

No title

ありがとうございます。今回はよい勉強になり、私の未熟な弱い心が、少しだけ成長した気がします。

異なるものとの対立や嫌悪、はたまた完全なる無視や見下し、そういった単純な「反応」で保身を図るエゴの大奮闘が自分の中にあるからこそ、他者の中にも見いだしては反発を感じてるだけです。

人の中に自分を見ることで、自分の内の隠蔽された部分に焦点が当てられるのだから、それはある意味、貴重な、必要な経験なんだと思います。

URL | miwananda #79D/WHSg
2011/06/20 17:42 | edit

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