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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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私がアシュタンガヨガ界から一定の距離をおく理由  

アシュタンガヨガは伝統的なヨガであり、その創始者パタビ・ジョイスからの教えをパランパラ(師から徒へ)に則り学ぶことができるのは、唯一インドのマイソールにあるKPJAYIだけである。つまり、このKPJAYIで正式に資格を与えられた指導者のみが、伝統的に正しいアシュタンガヨガを教えることができるということであり、KPJAYIの正式指導資格を持たない者からアシュタンガヨガを学ぶべきではない。ましてやTTCなんぞもってのほかだ。



といった趣旨のポストが某サーティファイドティーチャーのFBにアップされており、なぜヨガを伝える身でありながら、そんな了見の狭いジャッジメンタルことを平気で公表できるんだろう・・・と首をかしげていたら、なんととても多くの人々が「素晴らしい!」「よくぞ言ってくれた」「真実を伝える勇気を尊敬する」「シェアします!」等々、ベタ褒め状態なのに唖然とした。

アシュタンガヨガ界のコアな面々は、「我々」と「我々以外」の線引きを強調することで、「我々」の選民意識を増長させる傾向にあるけれど、それって、つまり、カルトの特徴なんじゃないかな。

KPJAYIに数回通うだけで発行される認定証という紙切れを持つコト=正式な指導者、なんて、みんな本気で信じているんだろうか?

つまり、ヨガを始めて3~4年でマイソールへ何回か通ってKPJAYIのお免状を取得した、いわゆるアシュタンガヨガ界でいう「正式指導者」と、普通に社会の中での役割を全うしながら20年30年とコツコツとヨガの実践を継続しているヨギーと、どちらからヨガを学びたいか、ってコトなんだけど、どうやらアシュタンガヨガ界では、前者を支持するコト=イコール・忠誠心の証らしい。

私個人的には、ヨガを学ぶということは、人生をどのように生きて、社会と人々とどのように関係性を持つか、ってことなんじゃないかと思うし、理不尽な環境の中でも、問題や対立する物事から逃げずに、好戦的にならずに、どのように双方の調和を保つか、そのためにどのように働きかけるか、を日々実践することが大切だと思っているので、KPJAYIの資格がどうとか、あんまり関係ない。

そして、なによりも、ヨガを伝える者のすべきことは、「○○○や△△△を具体的に手とり足とり教えてあげる」ということではなく、ヨガというツールを使って、生徒さん自身がヨガの学びを実際に体験していく環境つくりに徹することなのではないかな。

だいたいさ、私がヨガを教える、なんて、おこがましいでしょ。

ヨガはいつもそこにあって、ヨガは常に私達に働きかけてくれて、ヨガというシステム自体が先生なワケだからさ、それを「紹介する」PR担当者みたいなもんなんですよ、ヨガの指導者なんて。

そこにビジネスとか、カルト的傾向とか、個々のエゴとかが絡んでくると、途端に胡散臭くならざるを得なくなって。

だから、ブランドネームが必要になってくるのね、アシュタンガとか。
だから、ブランディング戦略が必要に会ってくるのね、伝統的とか。

冷静に見れば、アシュタンガヨガって、パタンジャリのヨーガスートラでしょ?エーカムインヘールのことじゃないよね?
冷静に見れば、伝統的って言葉は、たかだか半世紀程度の期間をたった2世代で受け継いできたコトには使わないよね。日本の伝統的な歌舞伎や能は何代続いてるか知ってる?

そのカラクリをわかった上であえてゲームを演じるのか、ただひたすら盲目的に全てを信じるのか、どちらもアリだけど、ただ私個人的には狂信的なカルトからは身を引いていたいな、というのか正直なところ。

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