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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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おおそうじ  

12月の後半は有給消化でのんびり過ごし、久々に「おしりを気にしなくてよい」練習を再開。

身体全体に染み渡るように、やわらかなエネルギーを一呼吸ごとに充電していくような、自己ヒーリングっぽい感覚のプラクティス。心のありようで身体の状態なんて(ましてやアシュタンガヨガの練習なんて)ガラリと様変わりするものだとは判っていても、ここまで自分自身の中に、暖かでやわらかいパワーが源泉のように湧き上がってくるのを感じるのは、ちょっとした驚きでもあった。

あれだけシンドくて辛くて肉体的限界マックスで心が折れまくっていた、あのポーズやこの動きetc それらに対してとっても冷静に静謐に対峙する余裕が生まれていた。すごいなぁ、人間のパワーって。

アシュタンガヨガだけに限らず、ひとつの世界にどっぷりはまっていると、視野は当然狭くなる。その世界だけで通用する価値観に疑問を持たなくなり、“ワタシタチ“という内々での共通言語に寄り掛かった物事の捉え方に支配されていく。私自身がそうだったし、そういう人達を沢山目撃してきたけれど、いまの私にとってそれは要らないんだ、と、久々の開放感あふれるプラクティスの中、そんなことを感じていた。

「私の身体は固い」と、そう信じている沢山のアシュタンギ。エゴの指令で心と身体をコントロールしすぎて、ニンゲン本来の自然な柔らかさやパワーを失ってしまった、ギクシャクとした身体と動き。まぎれもなく、それは私であったし、私を取りかこむ小さな世界での“アタリマエ“みたいなもので。だけど、いまの自分が行っている「アシュタンガヨガのシーケンス」の練習の只中で、その固さがユルユルと解けていく体験を目の当たりにして、なんかちょっと気が抜けちゃった。

人間ってスゴイよなぁ、からだ全体がそのまんまで、まるっと自然そのもので、パワーと柔らかさに満ち満ちている。赦せばいくらでもやわらかくなるし、委ねればものすごいパワーを生み出す。

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なんてことをね、ぼんやり感じながら、ゆったりと毎日2時間ちかく練習する、至福の時を味わわせていただいた年末の2週間。こころとからだのおおそうじをして、風通しが随分と良くなったような、そんな気がしております。
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I feel so lost  

あと数日で、ようやく現在の仕事に一区切りつき、練習時間もしっかりと確保できるようになるんだな、と思いながら、昨日今日と練習をした。

ここ半年間、とても短い時間での練習を続けてきて、ある意味とても深遠な経験をした気がする。

毎朝毎朝くりかえし抱える、フラストレーション、行き場のない怒り、自分自身のふがいなさ、周囲への醜い嫉妬、指導者への不信感、衰えていく肉体への嫌悪感。諦めきれない忸怩たる思いを子供っぽい皮肉的な態度で誤魔化してみたり、なにもかもを「バカバカしいもの」として見下すことでかろうじて保てる自尊心。

アシュタンガヨガを始めて10年が過ぎたけれど、こんなにもインテンスに自分のココロの内の醜さと向き合うコトはなかった。

この半年間、自分の練習のすべてが嫌だったし、スタジオにいる全ての人達を羨んでいたし、先生に対する信頼をアタマから打ち消していたし、なによりも、このプラクティス自体を完全に否定していた。

にもかかわらず、毎日毎日3~4時間の睡眠でグラグラになって、長距離通期とフルタイムの仕事をしながら、スタジオへ通っていたのは、何故だろう?

こんなくだらない余興のようなアクロバティックな練習なんて、やめてしまえばいいのに、なんで、来る日も来る日も、居心地の悪い不愉快な思いをするために、体中の関節を酷使しボロボロになるまで、練習を続けていたのだろう?

一呼吸ごとの自分のカラダの動きが、たとえばエーカムインヘールで上げる両腕の描き軌道ですら、忌まわしい汚らしい嫌悪に満ちた思いというサムスカーラにまみれていることに、今朝ハッと気づいた。

ああ、やだやだ、ほんとうに100%ネガティブな気持ちで半年も毎日練習していたんだ、私は。

ここからいきなり、普通の練習に戻ったところで、なんだか全てのものが、空々しく感じるだけのような、そんな気がして、心はずっとブルーなまんまだ。

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