HEADING NOWHERE

三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

tb: --   cm: --

萌芽のとき  

しばらく座骨神経痛でした、およそ3週間ほど。

きっかけは、何だったのか忘れちゃったけど。その原因はずっと前からそこにあって、無意識に気づかないふりをしてたのに、いつのまにか表面に現れてきたみたい。

神経の痛みは、結構心理的にシンドイ。筋肉や靭帯の損傷といったケガではないから、治癒を待つという希望ナシに、ただただ日々淡々と自分のカラダとココロに向き合わなきゃなんない。

でも、こんなときだからこそ、朝の練習をしていてよかったな、と思った。

普段は気にもかけない、肉体のうんと奥の方に潜む微細な存在を探りながら、だけどそこに無意味なドラマや情けない言い訳を見出さず、一歩引いてフラットに、揺れる心の弱さすべてを赦すような、自身との対話を、毎朝マットの上で繰り返す。

そこにあったのは、多分、大きな意味での、セルフヒーリングのプロセスそのものだったのかな、って。

わたしたちが、この世界に生まれて、生きていくうえで、身に着けてきた鎧や、刻みつづける傷痕は、心は勿論、この肉体もがんじがらめにしているけれど、それらは決して、取り除いたり修理したりする、「排除」すべき存在じゃないよね。

ボディワークにせよ、ヨガにせよ、自由と解放を求めるあまり、癖や緊張といった結び目を解くことばかり気にして、なんだか、肝心なコトが置いてきぼり。

私達はあまりにも、理想的すぎて、より良きものを求めすぎて、自身が抱えているネガティブな負の部分や闇の存在を、ずい分と簡単に否定し投げ出し排斥しようとしているみたいだ。

それ(カラダやココロの結び目)がそこに在る、という事実は、認識した方がいいけれど、それをどうこうしようとかいう意図は、本当はあんまり必要ないんじゃないかな。

私は虐待経験ゆえか、身体の特定の部位の緊張や、心の特定の動きの癖がある。普段は気づかなくても、ふとしたキッカケで、それは顕在化するけれど、それは、ただ単にそういうものだからという、ま、それだけのこと。しかるべきときに傷は自ずと癒えるかもしれないし、そのままかもしれない、who knows?

10979653_357557571110698_1329616562_n.jpg



そういえば、この2か月間の代行先生は、目に見えないナニカを生徒から感受し、必要な気づきを促す繊細なワークを生業とするヒーラーさん的な存在だった。そこに認識はあっても、ジャッジすることなく、問題を解決したり矯正することのナンセンスさを知っていたからか、私達生徒には「直すべきものなど何もない(=Nothing to fix)」のだと、その姿勢は一貫していた。

この2か月の間で、私個人の身体に宿る「とある問題スポット」を、まっさきに気づかせ、そこから派生する様々なコンセクエンスと対峙する機会を与えてくれたのは、彼によって「そう意図された」というより、私の存在自体が、それを呼び寄せ引き起こしたんじゃないかな、と今となってはそう思う。

そしてね、なんか、モワモワとしていたものが、クリアになってきたんだ。

マットの上でポーズや動きを行う、まったくもってフィジカルな習慣をとおして、自身の本質や、生きることの意味、他者や世界との関わりを、勇気を持って見つめなおす、「学び」という名のヒーリングプロセスが、今の私にとってのアシュタンガヨガの練習なのだな、と。

ヨガと名の付くプラクティスはしているけれど、私は決して「ヨガ」を学んでいるのではない。その思想哲学信仰的側面は、知的好奇心を満たし、心に拠り所を与えてくれるけれど、私自身のもっと深いところで、(それを魂と呼んでもいいけれど)、希求しているのは、そんなチッポケなくくりの中には納まらない。

良い意味で、アシュタンガヨガに対して、ヨガというものに対して、適切な距離感が生まれてきたような、そんな感じで。

アサナや動きがどうだとか、アシュタンガヨガやヨガ哲学がどうだとか、そんな戯言をやめにして、弱さも脆さも衝動や激昂も抱えた「生身の人間」として、ただしっかりと生きる。

そこに、「生き方そのものがヨガです」とか、「ヨガを生きる」とか、そんな枕詞を持ち込まず、勇気と謙虚さを持って、自分の足で動き、自分の魂で見つめ、自身と、他者と、世界と向き合う時が、いまから始まるのかもしれないな、と。

なんか相も変わらずの大げさ振りですけど、そんなことを、感じていたこの頃です。
スポンサーサイト

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。