HEADING NOWHERE

三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

tb: --   cm: --

ゆるむ  

この1週間、これまでのアシュタンガ歴の中で、一番真面目に練習した(笑)

ちいさなコトひとつひとつを、誤魔化したり、失敗を恐れたり、手抜きしたりしないで、100%誠実に向き合ってみた。それは、朝起きる、スタジオへ行く、決まったシーケンスをやる、という基本的な部分からなんだけど。

それでも、滲み出す、ちょっとした癖や、怠惰な部分、ずるいトコロに、都度都度ハッとしながら、毎日、毎朝、アシュタンガ1年生くらいの初々しい気持ちで、マットに立った。

いままでは、日によって、キツイからやめとこ~、と逃げがちだった最後のドロップバックのアジャストも、「ほぼギックリ腰半日前」みたいなコンディションにも関わらず、覚悟を決めて、エゴはかなぐり捨てて、全てを委ねるように毎日受けてみた。

力づくのアジャストをされたら一発で壊れそうな腰まわりも、「ヨガはセラピーである」という信念が徹底している、このシニアティーチャーを信頼し、全面降伏することで、確実に回復してきた。しかも毎回足首をつかむチャクラバンダ―サナによって、である。

もしかして、いまの私に必要だったのは、これまで鎧のように纏っていた「猜疑」というバリアで、自分自身を守ろうとしていた努力そのものを手放すことだったのかな。

「私は自分の練習を、自分の力でコントロールしていきます!指導者の一方的な矯正は要りません!」と、肩肘張った自分の信念は、確かにそれが必要な時もあったけど、いまは、もう要らないんだ。信じるものは、自分の意思を超えたところにあっても、いいんだ、って、身体が納得し始めてるような、そんな気配。
スポンサーサイト

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

場をホールドする力  

ドミニク先生のマイソールが始まって、まず感じたのが、スタジオの空気感の変化。

凛としながらも、静かで、練習している生徒さん各々の中に、しっかりとした芯がある印象。

私たちはアシュタンガヨガの練習を介して、単純な肉体のポーズに取り組みながら、長年培ってきた「心の癖」や「身体の癖」と、真っ向から向かい合っているのだけど、時に凹みながら、迷いながら、揺れながら、歩んでいく、この道程そのものが「学び」なのだ、と、この先生は、その点においては揺るがない。

彼は、肉体的な動きやポーズにまつわる、私達練習生のアレコレを、それは目に見えない部分も含めて、キチンとしっかり繊細に観察、感受しているというか、多分、マットの上でカタチとられる物質的な肉体のポーズは、つまりは「アナタという存在の顕れそのもの」である、という前提で捉えているんだろう。

だからその指導も、とりあえずポーズのカタチだけを整え、鋳型へ押し込めるのではなく、「何故いまアナタはこうなのか?」の大元を気づかせ、もしココから動き始めるのなら、生み出すエネルギーの矛先はコッチだよ、と方向性をガイドしてくれる。

彼の静かなパワーは、決して外から押しつけられる矯正や強制ではなく、私達生徒が自分自身の内側から生まれる変化を促すのみに留まる。だから、私達は安心して、自分の練習の舵取りに責任を持ちながら、失敗する勇気も生まれてくるし、想像以上の自身のパワーに目覚めるハプニングにも出会える。

そんな驚きと、変化が、このスタジオの、あちらこちらで、毎日のマットの上で、静かに生起する。

このスタジオ全体を覆う、生徒さんたちの安定したグラウンディング感に支えらえて、私ものびのびと練習を行い、この場で循環するエネルギーの流れの一部となる不思議を味わう日々。

場をホールドする力とは、こういうものなのか、と感じ入りつつ。



category: 未分類

tb: 0   cm: 0

3度目のドミニク先生  

6年前に頸椎ヘルニアで倒れ、アシュタンガヨガでリハビリをしていた時期、ちょうど代行で日本に来ていたドミニク先生の元で、毎朝の練習をしていた。

典型的なアシュタンガヨガの「エゴトラップ」にまんまとハマり、起こるべくして起きた「ケガ」をキッカケに自分のココロとカラダの見直し作業を余儀なくされた、アシュタンギ4年生の初々しい足掻きぶりは、今となっては懐かしい想い出になっちゃったけど、その時の気持ちは、ちゃんといまでも自分の中にシッカリ生きてる。

自分の心と身体の、傲慢な驕りと、謙虚さと思いやりのなさ。
その醜さを隠蔽して、とってつけたキレイゴトで取り繕った「いわゆるヨガ的な」偽善ぶり。

スローダウンすることで、挫折を受け入れることで、
エゴ以外の部分に身を委ねることで
そういった自分の心と身体の破綻ぶりが、ハッキリ見えてきた。

そっか、ここがスタートラインなんなだぁ、と
こっから、もいっかい、はじめるんだなぁ、と

チンケなエゴとプライドでできてた自分の心を一度ブチ壊して
思い込みと習慣でガンジガラメになっていた自分の身体を一度ブチ壊して

外側だけの上っ面よりも、その下にある本来の肝心な部分を大切にして
身体も心も合わせて、素直にそのまんまで「いきる」ことを、改めて感じた。



そんなコトを、誰に言うでもなく、マットの上で何度も思い巡らし、時に凹みかけては勇気を奮い起こし、やっぱり不安や不信に押しつぶされては、さらに凹んだり・・・。そんな繰り返しの中、それでも「この練習」をする覚悟と勇気を与えてくれたのは、ドミニク先生の元で練習を重ねた、あの「ひと月」だったんだと思う。

肉体のポーズのカタチを追い求めるコンディションではなかったからこそ、肉体を超えた部分で、「ヨガってなに?」「アシュタンガってなに?」「なんでこんなことやってるの?」の禅問答が、毎日のマットの上で繰り広げられていた当時。

心身共に、もんどりうって、のたうちまわる、みっともない姿に、余計なジャッジメントやチャチャを入れず、むしろ「それでよし!」と、でっかくあたたかく見守りながら、
Do your practice
Yoga will work for you

そう言って、しっかりと「進む方向性」を指し示してくれた。

あれからずい分と経って、色々と変化もあったけれど、それでも大事な本質の部分は、いまでのちゃんと心の奥底で、しっかりと光を灯している。どんなに揺れても、ブレても、戻ってこれる核心の部分。

来週から2か月間、ドミニク先生の代行マイソールが始まる。

また、しばらくぶりに、まっさらな子供の気持ちになって、練習を純粋に味わえるのは、なんだかとっても嬉しい。

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

としのはじめ  

年末年始は風邪でダウン。久々の寝正月状態で、ただひたすら眠る日々。今回はずいぶん長引いて、胃腸炎を併発し、咳もとまらず気管支炎みたい。

仕事に、練習に、その他諸々にドリャーっと取り組みたい気持ちも、ここまで身体が悲鳴を上げるものだから、おのずとセーブせざるを得ず、ま、ぼちぼちとスローな年の初め。

元来食いしん坊な自分が、胃炎や消化器系の不調を抱えるとは思わなかった。でも、おかげさまで、暴飲暴食に走らず、地味な粗食をゆっくり細々と食す習慣がついて、よかったかも。いままで、どんだけ負担をかけてきたことか、と、ここにきてやっと気づいたよ。

咳は体力を消耗するね。もう2週間くらいずっとコンコン咳ばかりしてるから、腹筋がすっかり割れて、病気なのにシックスパック(笑)

こう寒いと、生野菜とかスムージーとか、身体が素直に受け付けないので、最近はトリガラでとったスープに野菜と豆乳を加えて、栄養スープを飲んでるよ。身体が、こう、じわん、とね、温まってくるんだ。

練習は、スタジオへ行かなくても、おうちでスリアとスタンディング。身体の内側の巡りをよくするように、解毒やデトックス、排泄というより、循環するイメージで。

ある程度歳をとってくると、無茶がきかないというか。生きる上で必要なのは、食べるものと、心に思う事と、身体をつかうこと(休息も含む)、それぞれが極端にならないように、それぞれが上手い塩梅になるように、手綱をキチンとコントロールすることだなぁ、と、しみじみ感じ入る2015年の1月。

10852972_1529666990621319_878191826_n.jpg


きのう、久々にスタジオへ行って、フルセカンドを練習してみた。衰弱してるし、動きもポーズもガタピシしていたのだけど、なぜが自分のカラダが、とても神聖なものに感じられたのが、意外というか、なんか不思議な感動を味わいましたよ。

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。