HEADING NOWHERE

三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

category: スポンサー広告

tb: --   cm: --

カラダを媒体として、私達は何を行っているのか?  

フランスのキュートな悪ガキles Twinの、やんちゃなダンスパフォーマンスは、テクニックの巧みさや洗練さとは別のベクトルへスコーンと向かう感じが、妙に生意気なパンクで、結構お気に入り。



同じくフランスのイケイケ・カリオグラファーYanis Marshall氏の、はちきれんばかりのオネエパフォーマンス(しかもマッチョなハイヒール姿)と合わせて、最近ひそかに盛り上がっているのだ。

↓コレは4:52から見てくださいまし。


アサナはパフォーマンスではありません!とか、エゴを滅するための修行です!とか、不思議なストイックさで規制をかけながらも、ポーズのディテールにこだわり、アクロバティックな写真や動画が指導者の人気バロメータになるという、ダブルスタンダートなヨガ業界のウザさとは違って、ダンスパフォーマンスの面白いところは、ヘンテコなロジック抜きに、"エゴありき"で全然オッケーだし、むしろそれこそを源流として、ただ肉体で感じ表現する「その刹那」の奔流そのものがキモって事かな、なんて個人的にはそう思ってる。

だいたい、踊るってことは、ニンゲンの本能に刻まれている衝動みたいなもので、いわゆる「神がかり的なイタコ状態」なんて、ドラッグの力を借りずとも、ヨガの修行を極めなくても、祭りのエネルギーに後押しされてフツーにあっけなく「なっちゃう」もんだし、私達の脳はそういう風にできている。だから、それを解脱だ、ワンネスだ、スピリチュアルな体験だ、なんて後付けされても、「それは何かの宗教デスカ?」って気持ちになってくる。

ま、ともあれ、しがないサラリーマンのちょっとした楽しみとして、Youtubeでダンスパフォーマンスをアレコレ見ていたら、上述したLes Twinsの、こんな動画を見つけました。



相変わらずのヤンチャな悪ガキ然とした双子達が、何故かアシュタンガヨガの女性プラクティショナーと共演しております。ストイックなアシュタンガヨガのサードを猫のようにしなやかに流す女性達と、だらしない腰パン姿でカクカクヘコヘコとパフォーマンスする小僧達。なーんだ、カラダという媒体を使って何かをするということにおいては、結局なんの境界線も本当はないじゃん、って思った次第。

では、最高にハッピーなYanis氏の動画で〆ます。



スポンサーサイト

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

目的のための意図や意志、執拗な努力が、ますます私たちを的から遠ざけている  

最近の練習は、あんまり「マイレシピ」を持ち出さず、基本通りに、シンプルに。

調子が悪いと、どうしても、今日はハーフプライマリー、明日は1/4プライマリーにハーフセカンドを足して・・・といった「マイレシピ」で心身コンディショニングを優先しがち。でも、ここのところ、アチコチがガタピシはしていても、それなりに身体は動くし、心も荒んでない(笑)ので、決められたメニューをサクっと。

日曜はプライマリーを自宅で
月曜はフルセカンドをスタジオで
火曜~木曜はハーフセカンド&サードのガーラヴァーサナまでをスタジオで
金曜はプライマリーを自宅、もしくはスタジオで
(あら、伝統的には日曜はフルセカンドで、月曜~金曜がフルの練習でしょ?と言われそうですが、まぁ堅苦しいことはナシで。。。)

数年前の、おそらく肉体的にピークだった頃と比較したら、外側のカタチ的には「できなくなった」アレコレが沢山あるのが、いまのわたしの練習なのだけど。それをどうこう思うこともなく、いまのじぶんがしていること、できていること・・・それは単にサマスティティヒで立つとか、大きな呼吸を全身で感じるとか、ごくアタリマエのことが、まるで奇跡のように有難いコトなんだなー、と、心の奥底からじわりと沁みてくる感覚が面白い。

ekapadagalvasana.jpg



一番新しい最後のポーズガーラヴァーサナ。気が付いたら「頭上げて浮いたら、そこから手で床おして、肘を伸ばしながら、身体を上へと押し上げる」という一連の動きが、自分ではないパワーに突き動かされている感覚が生まれてきてる。個人的には、おっ ”そこ”に入った~!みたいな、感じ。

で、明らかになったことが、ひとつ。

ポーズに入る前に、「できるかな?」「あがるかな?」と一瞬でも思ったら、もう”そこ”には至らないんだ、これが。肉体的なパーツがどうのこうのじゃなくて、心の在り方が、そのまんま現れるというか。本当に必要だったのは、ただもう無心に、呼吸に助けられるように、一貫してフローし続ける・・・それだけ。

一瞬たりとも止まったり、躊躇したり、呼吸を詰めて緊張したりといった、流れを妨げる要素が無意識レベルでも在ると、とたんに上がらない、持ちこたえられない、ドスンと落ちる、かろうじてホールドできても無呼吸でアウターマッスル大全開のプルップル。

こういう体験を実際にしちゃうと、肉単やDaily Bandhaの物質的な肉体ワールドで遊ぶように練習をしてはいても、時が満つると、自ずと、「弓と禅」やアカシックレコードの世界観が目の前に自然と広がってくるのかもしれないなぁ、なんて、妙に感心してしまう今日このごろ。







category: 未分類

tb: 0   cm: 2

何も見つからなくていいし、何も変わらなくていい  

朝5時に起きて身支度を整え、電車に揺られること1時間半。その大半は微睡みがちで、夢と現の間を行ったり来たりの不思議な時間。

渋谷のスタジオに着きドアを開けると、そこに満ちる熱気に今でも胸がドキドキする。何十人もの呼吸と想念が宿る肉体の生み出す振動。まるで静かな祭典のように、たわむ熱狂、歪む覚醒。

少し湿った自分のマットの感触が、裸足で踏みしめる土のようで、なんだかホッとする。呼吸にチューニングするまでのちょっとした間合いで、自分の邪念と折り合いをつけ、エーカム・インヘールで全身を伸ばす。呼吸のリズムは、心地よく安定したかと思えば、ぶっきらぼうに揺らいでは、不安になったり、神経質になったりもする。

ポーズができる・できない、が問題じゃなくなったのは、いつからだろう?身体が思うように動かなくても、できる範囲で、「やりたいことだけやる」のではなく、「やるべきことをやる」 以上! と、練習自体をトータルにとらえるようになってから、私の身体は随分と変化したようだ。

身体のパーツが、とどかない、落ちる、上がらない、回らない、動かない・・・とかいうのは、自分自身にとっての明白なリアリティなワケで、それを否定するのも、変えようとするのも、撤回するのも、乗り越えようとするのも、自分がどれだけ奢り高ぶっているか、の現れというか、そのリアリティを尊重し、優しく抱擁することで、自分の中に眠っている「限りないパワーを秘めた光」は、バッチリ目覚めてくれるんじゃないかな?

ここ1年くらい封印していたチクタクやヴリシュチカーサナ、全身から漲るエネルギーにつられて先週から再開。合わせてドロップバックのアジャストも、全身を細長くして足首まで両手を伸ばすようになり、また新たな部位が開いていく感覚を、久しぶりに味わった。結果として、チクタクで戻れた!とか、自力でヴリシュチカーサナ!とか、それは目標じゃないってことは、確かなんだけど、ただ単純にトライすること自体がワクワクする。

練習後は、バスに乗って代々木公園の緑を堪能しながら、15年勤めていた以前の会社のオフィスへ。7年前と同じように、遅刻しながら、汗でグッチョリのヨガウエアをこっそり干して、フルーツやスムージーを飲み食いしながら、同じ人達に囲まれながら、ワーワー仕事してる自分が、なんか面白くて。

988484_10202970738966065_2239232358328502352_n.jpg



長時間勤務で息が詰まると、窓の外に広がる東京の街並みと、遠くにそびえる富士山にホッと一息つきながら、そういえば、私は、この東京という都会や、この会社の文化や人種や、長い通勤時間や、シンドイだけのアシュタンがヨガや、自分をとりまく一切合財が嫌で疎ましくて、自分の不幸の原因として、戦うべき敵として、捉えていたんだなぁ、と苦笑い。

だってさ、これら一切合切を、ありのままに、心から慈しんでいる自分が、確かにここに在るんだから、なんとも不思議なもんです。

category: 未分類

tb: 0   cm: 0

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。