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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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シニア・ティーチャーとの1ヶ月  

【職人技】

毎朝50人近い生徒さんが練習をしている中
それぞれにほぼ満遍なく、無駄なくテキパキと
アジャストをして回るドミニク先生の姿は、まさに職人!

アッチへコッチへくるくる立ち回って
ノンストップで指導すること3時間
傍から見てるだけでも目が回りそうだ。


ある日、ふと尋ねてみた
「あんなに忙しくて、大変ですね、疲れませんか?」
そしたら
「いや全然、私はいつも忙しくしてるのが楽しいんだよ」
とウインクひとつ

・・・か、かっちぃ!



しかし、あれだね、ベテランの職人さんには、余分なものがない。
ポイントだけ的確に、パシッィ・・・っと、こう、無駄なくサクッっと

シゴト、させていだだきます

って感じで。

だけど決して、手を抜いてるとか
心ここにあらず、ではない。







【なんのためのアジャスト?】

ドミニク先生のアジャストは、ギュウギュウに完成形へ生徒を押し込めるのではなく
あくまで本人が自力で行うための「手助け」である、というのが根底にあるようだ。

That's not me to do it
You are the one to do it
これをやるのは私じゃないんだよ
キミ自身がやるんだ


特にカポターサナやカランダなど
アジャストに頼りすぎるきらいのあるアサナで
よくそう言っているのを耳にした。

私自身はパシャサナの右側が
どうしても踵が床に着かなくて(笑)
これまでアジャストを受けるときは
先生の支えに身体を委ねて寄りかかって

へへへ楽チ~ン、ねじられて気持ちいい~

とお気楽さんをかますのが常だった。

しかしドミニク先生のアジャストは
踵をつけさせた状態で自立させる。

その状態で身体を保つ為に必要な
しかしこれまで使ってこなかった筋肉を
シッカリと目覚めさせてくれた。

おかげで、脛の前脛骨筋(肉単チェックしました^^)
が初めての筋肉痛・・・!

そうだよ、忘れてたよ。
ポーズを行うのは自分自身だったんだ。





【弱点を師として】

恐らくドミニク先生はグルジの教えをそのまま伝える
正統派のオールドスタイル・アシュタンガ・ティーチャだ。


2週目あたりから
そこ(=弱点)が開拓不全な状態で先に進んだところで
自分のプラクティスのためにはならない

と、ポーズを戻されている生徒さんを
かなり目にするようになった。


カポタサナができないのなら、そこで止まる。
まずは苦手なポーズで自分の弱点を理解し
そこに働きかける努力をした方がいい


ピンチャが不安定な状態ではカランダへは進まない
まずはピンチャで強固な土台を築くことにフォーカスすべき
そこが固まってきてから、次を積み上げた方がいい


バックベンドからのカムアップができないのなら
セカンドシリーズには進まない。
まずは基盤となる柔軟性と強さをバランスよく養っていく
その礎をもってして安全に先へと進んだ方がいい



このあたりは徹底してたような気がするけれど
「・・・しなさい」ではなくて
「・・・した方がいい」というアドバイスのみ。

そのアドバイスに従うか、
これまでどおりの自分の練習をするか
それは本人の選択次第。

それで、いいんだと思う。
アドバイスやメッセージは強制するもんじゃない。
それをどう受け止めるかは、受け手次第。



苦手な、不得手なポーズというのは
自分の弱点を知る上で非常に重要。

発展の余地のある部分を探求し
コツコツと開墾していく。

結果として、芽が出るとか
花が咲くとがいうのは、二次的なもの。

アサナは、目的でもゴールでもない。

すべてはプロセス、過程であって
そのためにアサナがある。



と、私は受け取りました。






【伝えるもの・伝わるもの】


朝マイソールは慌しいし生徒さんも多いし
そんなに話をする機会もなかった。

それでも、スキを見ては相談したり質問したりして
的確なアドバイスを沢山いただいた。

だけど、そんな私個人の具体的な事柄よりも
ドミニク先生の普段の姿勢や言動によって
普遍的なメッセージを沢山受け取った。

こないだ練習後の受付で
複数の生徒さんに向かって
ドミニク先生が語っていたことが印象的だった。



私達はアシュタンガヨガをやっているのです。
汗だくになって、自分の「弱さ」に真剣に取り組みます。
簡単にできることを楽しむのではなく、できないことに挑戦し
自分の恐怖と対峙し、それを乗り越えていきます。

人やアジャストに頼って「してもらう」のではなく
アナタ自身がそれを行うのだ
ということを忘れないでください。

私はチャレンジするのが好きです。
30年練習を続けてますが、未だにチャレンジすることが沢山ある!
そしてチャレンジする生徒を見るのが好きです。

生徒の弱い部分にフォーカスして、そこに働きかけて、チャレンジさせる。
グルジの教え方がそうでした。
(”You! Do it! グリグリグリ・・・”とグルジの真似をする)
とても厳しくて、でも、愛情に溢れてました。

見た目はカッコ悪くていい。
アシュタンガはキレイさ、強さを見せるものじゃない。
得意な部分を見せびらかすのは、あなたのエゴを満足させるでしょう。
でも自分のプラクティスのためにはならない。

ヨガ雑誌を手に取り、美しいポーズのモデルさんを指差しては
Is this Ashtanga?
これはアシュタンガだと思いますか?

転ぶことを恐れず、挑戦して何度でも転びなさい。
恐怖を超えて初めて見つかるものがあります。
そこから次に繋がっていくのです。



dominic.jpg



短い期間であれ
この先生の下で毎日の練習ができたのは
ものすごい幸運であったのだなー
とシミジミしつつも
あと2日、楽しみますよ^^




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リセット  

慣れ親しんだ生活パターンが変わり
なんやかやと、試練であったり、発見であったり
そんな日々が続く続く。

たくさんの慣れないこと
あれやこれやと新しい挑戦
都度気がつく自分の中の恐怖
それに試行錯誤でチャレンジ
アチャーと失敗もたくさん
そしてそこからの学び

今まで、どれだけ「習慣」に寄りかかって
惰性で漫然と生きてきたことか
と、しみじみ思う

いつもこうだから、今日もこう
大抵のことは、こうやってきたから、今度もこう

そんな感じで
長く生きれば生きるほど
経験からくる沢山の事例を元に
最も適切で心地よい対応手段を
瞬時にはじき出す能力に長けてくる

そして、それが気がつくと
一種の独善的な傲慢さと紙一重に

This is my way
This is the way it is
といった固定観念、自信、自負、プライド、ジャッジメント

あたかも
どれだけ自分が正しいかを確信するために
日々のアレコレを断罪するゲームに興ずるようになって

あれが、どうだ
これが、ああだ
あの人が、どうだ
この人が、ああだ

が延々と続いたりする
・・・でも、どうだっていいんだよね、実は。

自分が揺らいじゃいそうで不安だから
そういうツマンナイ御託をツラツラと並べては
とりあえず鎧をまとって安心したがるのが人の常。

「大人というのはそういうツマラナイものでできている」
とは、私の姪っ子の言葉(笑)


hands.jpg



自分の履歴書のように
培った価値観や判断基準を
一旦ブチ壊すくらいの度量をもてるか

自分の個性や「これがワタシ」という信条に
意固地になって執着せず
もっと柔軟にフレキシブルに
自分とは異なる視点や見解を
偏見やジャッジメントなしに
謙虚に受け入れられるか

それが目下の課題なのであります





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頚椎ヘルニア、さまさま  

頚椎ヘルニアの急性症状が出てから、はや2ヶ月以上が経つ。

最初のころはあまりの激痛にパニック起こし、これという治療が見つからず途方に暮れていた。
しかし痛みや不具合との共存を余儀なくされ、「これはもう観念するしかないのだな」と、戦いを止め、チカラを抜いた時点から、道が自然と開かれ、自然な治癒に向かう適合能力が発揮され始めた。



ここ2ヶ月間を振り返ると、肉体面のみならず、精神的な部分も合わせて、いろんな見直し作業をやってきたような気がする。

自分の心と身体の、傲慢な驕りと、謙虚さと思いやりのなさ。
その醜さを隠蔽して、とってつけたキレイゴトで取り繕った「いわゆるヨガ的な」偽善ぶり。

スローダウンすることで、挫折を受け入れることで、エゴ以外の部分に身を委ねることで、そういった自分の心と身体の破綻ぶりが、ハッキリ見えてきた。

そっか、ここがスタートラインなんなだぁ、と
こっから、もいっかい、はじめるんだなぁ、と

チンケなエゴとプライドでできてた自分の心を一度ブチ壊して
思い込みと習慣でガンジガラメになっていた自分の身体を一度ブチ壊して

外側だけの上っ面よりも、その下にある本来の肝心な部分を大切にして
身体も心も合わせて、素直にそのまんまで「いきる」ことを、改めて感じた。

頚椎ヘルニア、さまさまである。



run.jpg




2ヶ月前に突然急性症状が発生したが、ヨガの練習中に突然グキッ!と怪我をしたワケでもないし、ヘルニアの発生している箇所に(C5と6の間)に負担をかけるような特定のポーズで無理をした覚えもないのに、不思議だなぁ・・・というの疑問が常にあった。

専門家の意見・各種文献・インターネット・体験談などから沢山の情報を収集した上で、自分自身の状況を鑑みたところ、ある程度の輪郭が見えてきた。



私の場合、おそらく頚椎ヘルニア自体は昔から存在しており、自覚症状が出たり収まったりを繰り返していたようである。過去の記録を読み返すと、既に2004年には

◇首を回すと激痛が走る
◇首の痛みと凝りからくる眼痛と頭痛
◇肩周りの凝りが酷く腕があがらない
◇枕がしっくりせず眠れない


という症状に悩まされていたが、当時は過酷な労働がアタリマエの外資企業で、普通にワーカホリックだったので(笑)、単なる「肩こり」と軽視し、整形外科へ行くこともなく、週数回の鍼灸マッサージでお茶を濁していた。大抵3ヶ月から6ヶ月くらい症状が続いては去る、といったパターンであった。



その要因のひとつは「姿勢の悪さ」だろう。
昔から猫背で姿勢が非常に悪い子供だった、おかげで身長が全然伸びなかった。
趣味といえば、絵や漫画を描いたり、手芸をしたり、小説を書いたり・・・と、ずっと背中を丸めて作業に没頭することが多かった。
会社勤めをしてからは1日12時間以上会社でPCに向かい、昼食も取れない多忙な環境で、一息入れることもなく、休憩するくらいなら早く終わらせて帰りたい!とばかりに、ずーっと猫背で顎を突き出して画面を見上げる体勢でカチーンと身体を固定していた。



「荷物が重い」という生活もよくなかった。
学生時代から、余計なものを持ち歩くのが癖で、もってないと不安になる傾向があった。
読みもしない分厚い本を何冊も、化粧品やヘアスプレー(オイルだったりジェルだったりムースだったり)、ウォークマンやCDカセットテープ(最近はiPodひとつだけど)、ノートPC(&重たいバッテリー)、カメラ(デジカメとホルガ・・・とか)、お勉強用のバインダー、などなど大きなバッグに詰め込んで出歩いていた。
そして主婦となってからは、そんな重たいバッグを肩にかけたまま帰宅途中にスーパーで買い物。両手がずっしり重い荷物で千切れそうになりながら帰路につく・・・これがほぼ毎日。



そしてもちろん「ストレス」という付加で加速がかかる。
定期的に「肩こり」「首の痛み」「頭痛」「眼痛」の波が押し寄せていたが、それは生活ストレスの度合いともしっかりリンクしていた。
ああ逆境・・・辛い!→だから無理する、強がる、弱みを見せられない、頑張りすぎる
そういう私の「硬派系弱点」が発揮されると(笑)、とたんにアタタタ!である。



気なるのが「ヨガ」との関わり。
アシュタンガヨガの練習を始めた当初半年くらいで、肩こりや頭痛は一掃され肉体的にすこぶる快調となり、精神的落ち着きも取り戻し、タバコやお酒への依存が不要になり、健康そのものへと生き方自体が激変してしまった(笑)。
しかし、その状況が「あたりまえ化」すると、別の症状はちょっとしたストレスで小出しに勃発し始めてくる。身体も心も以前より敏感になっているため、ちょっとした変化も「出来事」になってしまうことも多々あったり。
また練習そのものが、ある意味ストレスになってきたことは否めない。練習が進むにつれ、肉体的な負荷との精神的対峙、ココロの膿がどんどん出てきては、その対応いかんでカラダへの影響がバッチリ出てくる・・・そんな繰り返しの浄化作業の中、ココロとカラダの関連を体験していく上で、「痛み」というのは私にとって相当深いキーワードであった。


これらを鑑み、改めて過去の症状を振り返ってみる。

2004年冬~2005年夏
仕事と私生活のストレスで首・肩の極度の凝りからくる頭痛・眼痛・腕があがらない・首が回せない・眠れないなどの症状が発生。半年ほど続く。

2006年春
移住したフィリピンのド田舎生活が超ストレスとなり、頭を下へむけると首の痛みが発生。ヨガの練習ではショルダースタンド系が全滅となる。やろうとすれば、ズキッ!アタタタ・・・と、現在とまったく同じ状況~!でも普段の生活をする分には支障がなかったので、あまり気にしなかった。

2007年冬~2008年春
ドロップバックの練習で腰を痛めた後、なぜか突然首が痛くなった。首を動かすとズキッ!とする。両手を上にあげることもできない。胸骨(T1)の痛みが強く、口の中に苦味が広がっていた。周囲からは頚椎ヘルニアを指摘されるが、なぜか当時は西洋医学に対する反感が強く(アホ)、整形外科へは行かなかった。このときレントゲンなりMIRなりを撮ってみれば100%頚椎ヘルニアは発覚したと思う。整体とマッサージで調整をしながら、3ヶ月くらいで回復。復帰した仕事、湘南~東京通勤の毎日、どんどん進んでいく朝練、ヨガTTCでココロの大掃除、ヨガを教え始める・・・そんな新しいことに挑戦しはじめて色んなストレスがあったのかもしれない。

そして先日2009年の1月
首を動かすとまたまたズキッと激痛が走るように。今回は、頭~首~肩周辺だけでなく、右腕全体へ痛みが広がっていた。そして痛みの度合いが増し、神経を丸かじりしているような電撃痛が24時間ノンストップで続き、ついに観念して各種治療を受けるべく専門家へ足を運ぶ。MRIで初めて頚椎ヘルニアを確認した。ヘルニア自体はずっと私の身体の中にあって、それがついに爆発した。起爆剤となったのは、ヨガにとりつかれ夢中になって突っ走っていた毎日の極限生活そのもの。朝4時に起きて、朝練やって、アシストやって、会社でストレスに塗れて残業して、満員電車にゆられて帰宅して、家事やって、ベッドに潜り込むのが午前サマ・・・それでも疲れを感じない躁状態が続いてたから、これはかなりイッっちゃってた。

こうしてみると、過去5年にわたり人生の岐路ポイントで、しっかりと「サイン」を出してくれてたみたいですね、頚椎ヘルニアさん。



今現在はかなりの小康状態だが、損傷してしまった神経の修復には時間がかかるらしい。ビタミンB12をしっかり摂りましょう、とは、どの先生にも言われる。特に、動物性タンパクを取らないベジタリアンの場合はサプリメントで補充すべしとのアドバイスを受け、日々摂取を心がけている。

動物性タンパクといえば、ここ2ヶ月の間で、変なこだわりが溶けたのか、週に1回ほど白身の魚やササミ、ミミガー(なぜか大好物)などを食べるようになった。

あと、M先生に教わった「鶏がらスープ」でコラーゲンをいっぱい摂取。最初はケモノ臭さに抵抗があったけど、今では「ウマー」とガルルな気分で、ホクホク飲んでる。カラダも温まるし一石二鳥である。

重い荷物は一切持たないことにした。スーパーへの買出しはダンナ持参でまとめて行う。外出の際は財布とケータイ以外は持たない。極力手ぶらでブラブラすることにした。

電車での移動中は本を読んだりしない、PCやケータイでメール打ったりしない。何もしないリラックスの時間にした。

PCへ向かう時間は1日1時間を限度とした。姿勢が猫背にならないようスクリーンは自分の目の前に。

手芸は脳から手先への神経回路をつなげるためもあって、積極的に行っている。裁縫、編み物、糸つむぎ、織物・・・などなど。

ヨガの練習も積極的に行っている。ただし症状を悪化させるポーズは軽減しているが。

カラダを冷やさない。春めくと油断して薄着になりがちだが、まだまだ完全防備の冬装束である。特に首周りから肩にかけては隙間風など入らぬように。使い捨てカイロも、この冬は重宝した。知り合いに聞いた「仙骨と恥骨にカイロ」が、非常によい。痛みの酷い二の腕や肘、上腕などにも、カイロを活用して凌いできた。エコっぽくないけど、ホッカイロ、さまさま、である。

そんな感じで。

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Trust in practice  

最近、練習がとてもたのしい

グチャグチャしたものがまったくなくて
ただただ単純にすっごく爽快





腕の力は回復の兆しなし
麻痺と痺れでほとんど動かない

ヘルニアは大分引っ込んできて
激痛こそは減ってきたけど
首を下に向けるとまだまだ神経を噛む





できなくなったことは
それこそ数え切れないほど沢山あって
最初のころは、それが衝撃だった

あたりまえ、と思っていた身体感覚
それがある日突然なくなっている

あたりまえのように後ろを向いてた首が
ある日を境にただの邪魔くさい物体になる

あたりまえのようにプッシュアップしていた腕が
ある日を境に役立たずのただの棒っきれになる

あれ?あれ?
こんなはずじゃないのに・・・

・・・そんな風に
最初のころは自分自身が
あんまり上手に受け入れられなかった





だけど、突然やってきた「障害」があるからこそ
改めて見えてきた部分がかなりあって

たとえば、腕力や勢いに任せて
ちっともコントロールしてなかったドロップバックや

バンダよりもチカラで持ち上げていた
ジャンプバックやジャンプスルー

とりあえず「落ちて」から
力ずくでウンショウンショと歩いていたカポターサナ

柔軟性や肉体のコントロールに
まったく欠けていたこれまでの自分のプラクティス

私のやってきたことって
ヨガっていうよりも単なる「体操」「運動」だったんだな
って、痛感した





ところで先週からシニア・ティーチャーのドミニク氏の
マイソールクラスで毎朝練習している。

私の過去もまったく関係ない新しい空間で
今までと違う自分の身体を使って
「最初からやりなおし~」的プラクティスな日々

生徒さんの数が多いからか
反対に周囲に惑わされることなく
自分の練習にとても集中できる

ある程度放任された空間の
その自由さ加減がちょうどいい





最初はハーフプライマリーだけ
少しずつポーズを増やしていってプライマリー
今週からはセカンドもちょっとずつ加えて
本日カポターサナまでやってみた

数ヶ月ぶりのカポターサナでは
いったん床に落ちてから
以前は両手でウンショウンショと歩かせていたが
現在はもう右手は全然ダメで歩かせられない。
動かせる神経が通ってないみたいで
ただの棒切れみたいにダランとしたまま
・・・ちょっと凹んだ(涙)

でも、何回かやっているうちに
あ、そうか!
別に手を歩かせなくても済むように
両手が直接カカトに降りるくらいに
柔軟性を高めていけばいいんだ
と、気づいた。

もちろんアンチバックベンダーですから
遠い道のりだけど不可能ではないと
自分の先生の練習を見て既に確信済み

いつまでも、手抜きでチカラ技に頼らずに
ちょっくらまじめにトライしていこうかな
って、そう思ったカポターサナ





ところで、ドミニク先生には
現在の症状を最初に伝えておいた。

他のどのヨガよりもHands-onアジャストが多いアシュタンガの練習
ましてやマイソールスタイルの練習をスタジオでする以上
初めての先生に自分の怪我などのコンディションを
こちらからキチンと伝えるのは最低限の礼儀。

それは相手に対しても、そして自分自身に対しても。





ドミニク先生に自分の症状を伝えたとき

大丈夫大丈夫、ヘルニアなんでよくあること
できる範囲で練習をエンジョイして!
ブランケット使ってもいいし、予備ポーズでもいいから
気持ちよく存分練習しなさい


と、背中をパンパン叩きながら
(あれ、元気でますね^^)励ましてくれた。



怪我や痛みのあるときは西洋医学と東洋医学のよいところを
それぞれ上手くピックアップして活用することも大事
だけどなにより
Do your practice
Yoga will work for you


と、力強く、しかし暖かく伝えてくれた。





それまで結構な悲壮感を漂わせ練習を再開してたし
周囲も「大丈夫なの?」「無理しないで」「やめといたら?」
と沢山気を使ってくれてた。

前の先生も、「それはやらないで」「そこでストップ」
と、できることの半分くらいで自粛をするよう指示されてた。

だから、「練習」というよりは「リハビリ」
と言われても仕方ないかな、と思ってた。

だけど、ドミニク先生に
Do your practice, Yoga will work for you
と、あたりまえの単純なことなんだけど
それをあえて言葉で言われて、かなりガツーン。





目的とか効用とかテクニックとか展望とか言い訳はヌキにして
私は今の自分なりの練習をやればいいんだ。

ただ練習をすれば、それはおのずと立ち現れてくる

そしたらなんだか一気にモリモリと力が出てきて(ココロのね)
練習が悲壮なものから楽しいものへと変わっていった

単純だけど^^





アジャストも説明も、本当はそんなに要らない

私がどうの、じゃない
先生がどうの、じゃない
他の生徒さんがどうの、じゃない

練習自体を心から本当に信頼して
そうやって行っていけば
これすべてよし


Isshiki.jpg



そんな自信と、揺るぎのなさ

そういうものに包まれて

毎日練習して

ああ幸せだなぁ、と

本当にしみじみ思う今日この頃






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