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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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こころしずかに  

なにものにもまどわされず
ただただじぶんの呼吸だけを感じて
世界との境界線をぼやかせながら
ねむるように、おどるように
練習をつづけていたい





なんでかここにきて
会社も私生活も練習も
やたらと試練が立ちはだかる

まわりのもの全てに
放っておいてくださーい!
と嘆願したい気分

周囲の思惑や下心
パワハラから搾取まで
いい加減にしてほしいことテンコモリ

そうか、人ってこんなにも無慈悲になれるのか
と、絶望的にとことん失望するとともに
自分のこれまでのナイーブさを心底悔いる日々

相当弱ってます、腐ってます
口開けば毒しか出てきません(笑)

こんな状態で練習したっても
ロクな練習になりやしない

先週後半はまったく練習できなかった。
生理でも休まない(コラ!)ワタシが
スタジオに行くこと自体に拒絶反応起こしてた。

目覚めなかったわけじゃない
身体が痛かったわけじゃない
ただ、私の「よわいこころ」が
すまん、ダメだ・・・!と主張してた

私はただ単純にバカみたいに
アサナの練習をしたかっただけなのに

プールでエンエンと泳ぎ続けて
無心になる、そんな感じで
世界が消える感覚に
溶けていたかっただけなのに

練習をしていると
普段押し殺して飲み込んでいた
色んな感情が沸き上がってくるから怖い。

なんだって、こんなアレコレとか
あんなアーダコーダとか
なんでもいい物事たちに心煩わされて
心臓をきゅーっと雑巾絞りするような
気持ちになんなきゃいけないんだ?

ってことが続いてて・・・。








こないだは、久々に鎌倉で練習した

紅葉が未だ残る山々に囲まれながら
早朝の透明な空気に包まれ
見上げる空は広く、そして高く青い。

いつもの都会の雑踏やコンクリや騒音に
急かされるように過ごす日常のストレス
そこから離れて初めて見える
自分のゆったりとした本来のリズム

なんか、よくわかんないけど
無性にホッとした気持ちで
少しだけ楽チンになりつつの練習。

ニコニコと微笑みながら
練習している自分に気がついた

シャバーサナが気持ちよかった








それから、おうちでも練習したんだ

壁一面のガラス窓から見やる
遠くの山々に映える
朝焼けのグラデーション

一呼吸ごとに、陽が昇ってゆき
一呼吸ごとに、暖かさが広がっていく

からだほころぶ
こころほころぶ

アシュタンガ・ビンヤサ・ヨガの
シーケンスから、どんどん離れていく自分

呼吸と肉体の感覚に任せて
気がついたら、てんで勝手なビンヤサヨガ(笑)

別にアシュタンガでなきゃ!ってワケじゃない
そこに縛られてしまう必用はまったくない
私はもっともっと自由であっていいはず

気ままなビンヤサヨガにも関わらず
最後にやりたい!と感じたポーズが
カポターサナ(笑)ってあたりが笑ける

胸、ひらいた
きもちよかった
キラキラの陽射しがまぶしかった






こころしずかに
こころしずかに

でも、そんなの
めったにあることじゃない






ヨガねぇ

なんだかなぁ

わたし、なにやってるんだろうか?





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練習をどのようにsplitするか?  

ポーズが増えるにつれ、毎朝の練習が時間との戦いになってきた。

4時に起きて始発に乗っても、スタジオに着く時間は限られてる。
そして練習を終わらせる時間も限られている。
現在は90分でシャバーサナまでだが、それでもちょっとキツイ。
始発に乗り遅れた日には、60分しか時間がない。

シャカシャカと息せき切って超高速での練習は疲れる。
練習後に控えている、その日の仕事やその他モロモロに支障をきたす。
朝練で1日が終わるわけじゃなくて
むしろ、そこからが1日のスタートなのだから、これはヤバイ。

現在の練習は、フルプライマリー+ヨガニドラーサナまで。
まだ、セカンドだけやるように指導はされていないし
パーシュボッタナーサナからいきなりセカンドに入る勇気もまだない。

よって、時間のお尻は決まってる現状では
プライマイリーだけの日か
プライマリー+セカンドの時間が許すとろこまでの日
(・・・この場合、せめてカポタまでできれば本望^^)
に分かれ、最後のポーズまでは、結局練習できずじまい。

そろそろ本当に練習をSplitするべき時なのかもしれない。




一般的には、セカンドシリーズがある程度まで進んできたら
プライマリーをスキップして、パシュボッタナーサナから直接パシャーサナへ。

では、セカンドのどこまでポーズが進んだら
プライマリーをスキップするのか?

というと、人それぞれ。

現在の先生はマイソールで、ヨガニドラーサナをやってるときに指示されたらしい。
リノは7ヘッドスタンドに入るまではプライマリ+セカンドを推奨するらしい(それってセカンドほぼ全部・・・!)
よく聞くのはカランダバーサナの練習を始めたら、体力が持たないからセカンドだけにする、とか。
ドヴェィパダくらいからでも、いいんじゃないの?って人もいる。

もちろん時間があまりあれば、それこそ7ヘッドスタンドまで、ぶっ続けで練習してもいいかもしれない。
でも、練習時間に限りがあれば、そのときが練習をSplitする時期なのかもしれない。

ってことは、私にとっては、今か。




となると、たくさんの疑問が。


私個人的には、ハーフプライマリか、少なくともマリーチC&Dをやってから、パシャサナに入りたい。
なぜなら、このパシャサナが非常に苦手だから、ちょっとでも準備的ポーズをやっておきたい。

もし、スプタクルマまでできたら、股関節も気持ちよく開くので、言うことない。

でも、やっぱりプライマリーはスキップすべき、であるのなら(その理由も知りたいが)
スタンディングは全部やりたいなぁ、とか。
特にウトゥカターサナからヴィラバドラーサナBまでの流れは
全身のあらゆる部分に効果があるし、ムチャクチャ開くし、エネルギーもいっぱいチャージできるし
最高にステキなパートじゃない?これ、失いたくない~^^

なんて、ワガママは沢山あるのですが
世の人々はどのようなSplitをしておられるのだろうか?

先のエントリーとかぶりますが
「こうすべき」「こうあるべき」ルールの根拠とか知りたい。
そして、そこを離れた「こんなやりかたも」「あんなやりかたも」の有効性も知りたい。

うむむ・・・これは、人体実験ならぬ、自分の身体で早速チャレンジ!
ということになるのかな?

よーし。

category: 未分類

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セカンドシリーズにいつ進むか(2)  

先のエントリーが、ちょっと尻切トンボだったので・・・





で、ナニが言いたかったのかというと

アシュタンガヨガの練習を、どのように行うか
特に、いつセカンドを始めるか、とか
いつ先のポーズに進むか、とかいうのは
結局、個人次第なんだと。




コレができたらアレに進むべきだ、とか
アレができなきゃソレに進むべきじゃない、とかいう
いわゆる「伝統的」なやりかたに準じても良いし

自分の身体と心に基づいて
現在の自分にとって必用であるシリーズやポーズを
自ら選択するというやりかだってある。




宅レンジャーさんだったら
情報や知識をベースに賢く実践するのもありだし
情報や知識を鵜呑みにせず、自身の身体で実験したっていい。

スタジオに通って指導者の下で練習するのだったら
伝統的な指導者を選んでもよいし
自由でチャレンジングな指導者を選んでもいい。




要は、その選択は自分次第。

アシュタンガヨガだから、伝統に則る「べき」だなんて
そんな狭い視野でモノゴトを見ても、ちっともヨガっぽくない(笑)
アナタがそれを選択するのなら、それはOK
ただ、自分の信ずるものをモノサシにして
他人のやり方をジャッジすることほど
阿呆くさいものはない。



自分が「こういうやり方でやっているから」
他の人の「違ったやり方は認めたくない」
とか

特に長い時間と忍耐を要して
苦労して先へ進んだ者にとっては
(指導者が先に進ませてくれなかった、とも言う^^)
そこをスキップしてサクサクっと先へ進む人達を見ては
苦々しく思ってしまうというか、なんかシャクにさわり
「それはちょっと違うんじゃない?」と(笑)くる。

「本来は」とか「伝統的には」とか
そんな言葉を振りかざしては
”私のように”忍耐や努力を重ねていくのがあるべき姿でしょ!
・・・という根性論みたいなロジックは
あまりにも幼稚というか、見苦しいだけ。







だいたい、フルプライマリーをやってみれば判りそうなもんじゃない?

ポーズが完璧にできていなければ、次のポーズに進めない
なんてやってたら、最初の3年くらいは、
プライマリーのレッドクラスなんて出られないよ。

一体何人の人が
ウティタハスタでストップしなきゃいけなくなる?
それどころか
トリコナーサナすらアライメント的には「???」
な人沢山いるのが現状。

みんな、そこで、止まるの?
止まらないでしょ?

最初のころは、できないポーズも途中にあるけど
それも含めてトータルで練習していくでしょ?

ある程度の基盤ができるまでは、いたしかたない
トータルでシリーズが完成に近づいていく
っていうのが、練習の、土台作りの始まりなんじゃない?


コメントしてくださった、はなさんも書かれてましたが
宅レンジャーの方々は
サポートなしでドロップバックとカムアップの練習。
それを可能にするための準備ポーズとして
セカンドの最初の後屈シリーズを練習することに
誰が「それはイケナイ~!」なんて言う権利があるの?

インドのマイソールのシャラや
伝統的なやり方の指導者の下での練習を
自ら選択するのなら、従うべき「ルール」は確かにある。
それはルールというよりはむしろ
「礼儀」であり「尊重」する、という
人として最低限必要なマナーなんだけど。


私は伝統的なやり方に共感するし
そういう教え方をする指導者の下で
伝統的なルールに従って練習をする

って選択してもいいし


私はトータルにシリーズを通して練習することで
少しずつ培われる身体と心の変化を楽しんでいく。

って選択も、おんなじくらいいいんだと思います。





以上

とりあえず、いまは。




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セカンドシリーズへ、いつ進むか?  

愛読しているGrimmly氏のアシュタンガブログ。最近「宅レンジャーの場合、セカンドへはいつ進むべきか?」というエントリーがあって、それに対する色んな人のコメントが大層面白い。

http://grimmly2007.blogspot.com/2008/12/when-to-start-intermediate-if-your-home.html



で、私個人的にはどうだろ?と、改めて思った。



Q:セカンドシリーズへ、いつ進むか?


A:プライマリーシリーズを、ひとつの流れとして、滞ることなく練習ができるようになってから。

(means; 単に各ポーズが「できる」だけではなく、正しい呼吸のカウントと正しいドリスティ、そして各ポーズをビンヤサでスムースにつなぐ、ということ)



◆前屈シリーズで培われるハムストリングス、股関節、肩関節の柔軟性

◆ナバーサナ以降のバランスポーズで培われるコアの意識

◆これでもかと続くジャンプバック・スルーで培われるコアと上半身の筋力強化

◆ドリスティと呼吸でキープする集中力、一種のダーラナ/ディアーナ状態

◆シリーズ全体を通して培われるスタミナ、持久力

これらが確立された上で

◆ドロップバックとそこからのカムアップが可能な柔軟性と力強さが身についてから。






具体的には

◆コアアサナ(マリーチD・スプタクルマ・ガルバピンダ)ができる

◆ジャンプバック&スルーでドタンバンタンしない

◆途中で休憩や一休みすることなくプライマリーシリーズを通して行える

のが、最低限必要なんじゃないかと。






そして、なによりも、バランス。



いくら柔軟性があっても

スリヤマナスカラから既にドタバタ音たててやってる人が

セカンドシリーズをやっていても、うわ、恥ずかしいなぁと思うし。



いくら筋力やコアがしっかりしていても

ドロップバックやスプタクルマなどで柔軟性にまだ欠ける人が

セカンドシリーズをやっていても、ああ、無理してるなぁと思うし。



柔軟性と力強さのバランス

肉体面と精神面のバランス



これらのバランスがとれて初めて、次のステップ、セカンドシリーズへ進む。

というのが、私の理解でした。(過去形)






グルジは「プライマリーを1000回おやりなさい」って言った。

昔のケンさんはプライマリーを4年~5年やってからセカンドへ進ませてた。

そんな情報がアタマの隅にあったりもしたし。











私自身、アシュタンガを始めて2ヶ月で、マリーチCもDもスプタクルマもできないのに、フルプライマリーをマイソールクラスで練習し始めた。そういう指導者のスタジオだった。途中半年ほどフィリピンに住んでたので宅レンジャー時代があったけど、10ヶ月目には、やっぱりまだマリーチCもDもスプタクルマも、ドロップバックもカムアップも、それどころは普通のバックベンドすらできない状態でセカンドシリーズの練習が始まった・・・そういう指導者のマイソールクラスだった。もちろん、セカンドをはじめる基盤などまったくないから、なにひとつ1人ではデキナイ、というか、サポートされてもカタチにならないポーズを、ラグバジュラーサナまで身体の外側だけでやっていた。そのスタジオでは、アシュタンガを始めて2・3ヶ月の方々が、セカンドの最後までポーズをもらっていた。当時はそういうものだと思っていた。ポーズができるできない、よりも、動きの流れと呼吸を楽しみ、エネルギーと戯れ、ココロと身体の開放が大事なんだ、と勝手に解釈してた。やってる本人は、「へへへー、セカンドやっちゃってるんだぜー」と有頂天だったが、ある程度のヨガの経験を持つ人が当時の私の練習を見たら、恐らく「ふざけるな」、「見苦しい」、「身体がちっともできてないのにセカンドをやるなんて間違ってる」と思ったはずだ。そのくらい当時の私の練習は、今から思うととても「恥ずかしい」ものだった。本人は「私ってば、ヨギーニ、うふっ」と阿呆な自負があったようだが、単ななるエアロビの延長みたいなドッタンバッタン「体操」をやってるだけだった。バカ丸出しである。で、結局、精神的恐慌に陥っていたこともあり、途中で「セカンドシリーズは精神面での影響が大きすぎる、プライマリーにもどりなさい」と指示された。今から思うと、賢明な選択であった。



その後、現在の先生の下で練習をするようになり、やっと身の程を知った上で、基礎を作ってから着実に積み上げていく練習を始めた。まずはマリーチCでストップ。自分ひとりでできるようになってから、次のポーズへ。マリーチDで、またストップ。できないポーズで止まると、そこにフォーカスする時間が生まれる。その次のポーズへ移らなきゃってスルーすることがなくなる。指導者のアジャスト任せではなく、自分でニジニジと少しずつ「できるように」していく忍耐力を学んだ。「できないポーズ=指導者のアジャストを待って、やってもらって、スルーするもの」という認識がなくなった。やるのは自分なんだ、という意識が生まれた。身体に対する意識が変わった。どこをどうするとどこがどうなるのか?を検証するように練習を始めた・・・そんな風にして、ブジャピダでストップ。スプタクルマでストップ。ガルバピンダでストップ・・・。マリーチC以降ガルバピンダまでは、ナヴァーサナを抜かしてすべてまったくできず、かなりの時間そこに留まっていた。そこで周囲を見回して、「できる人は進む、できない人は進めない」というアシュタンガヒエラルキーの中で、やっと自分が落ちこぼれなのだと気がついた。同時に、それがどれだけバカバカしいゲームなのか、も感じていた。そしてさらに、そのゲームに夢中になっている自分も、しっかりと解っていた。なぜなのか?は、いまだ謎ではあるが。



その後セカンドに進んだのは、プライマリーがひととおり流せるようになって、ドロップバックからのカムアップが1人でできるようになり、それが安定してしばらく経ってからだ。アシュタンガを始めて3年目に「もらった」セカンドの最初のポーズ、パシャーサナ。もちろん私の体型では非常に無理がある。ここで半年ストップ。その間に「こんなフィジカルなエクササイズに終始してるアシュタンガって、ちっともヨガっぽくないじゃん」とヒネクレて、アシュタンガではないTTCを受けたり陰ヨガに傾倒した。今から思うと素晴らしい寄り道をした。同時に怪我のリハビリで、毎朝の練習がスリヤナマスカラだけ、というところからやり直しを始めた。今から思うと素晴らしい寄り道をした。エゴの延長線上で、「オレってすごいでしょ?オレってなかなかやるじゃん?オレって捨てたもんじゃないでしょ?」とオナニーするように日々アシュタンガヨガの練習をしたところで、最終的には「行き止まり」にぶち当たることを、身を持って知った。「ドーダの人」のツールとしてのアシュタンガヨガ、それが今までの自分のプラクティスだった。すました顔してエラそうなコト言っているけど、所詮エゴの塊が脂肪の服着てブザマなアサナをしているだけだったんだ、と、その事実に気づくのにこの半年を要した。随分と時間がかかったものだ。しかし、「プライマリーだけでないが、セカンドをやっているとも言えない」という、トランジットみたいな中途半端な状態で過ごしたこの期間は、確かに私に沢山の種を蒔いてくれた。



リハビリも終わり、パシャーサナ以降の練習が始まったのは今年の春から。しかし、後屈苦手派としては、その進み具合も非常にゆっくりとしたペースで、一歩ずつ、いや半歩ずつか。ベカーサナ、ダヌラーサナと、なにが悪いのかも解らず、そこに留まっていた。ラグバジュラからのカムアップは、まるっきし歯が立たなかった。カポターサナでは「相当な虐待」を毎日味わった。それまでにない身体の痛みや不具合がずーっと続いてた。自分の身体が、奇妙なワケのわからないものに感じられてきた。それゆえか、ことさらに自称「肉体派」と銘打って、とりあえずはカラダをアーダコーダと探索し始めた。痛みや辛さは、自分のカラダを「適切に使えてない」からだ、とハッキリ判った。これまでの自分の練習が、根底から覆されたのは、この時からだった。自分の練習の方向性が「やっているポーズがどう見えるか?」のみに終始していたら、その先はナイと解った。とりあえず外側だけが「完成形」っぽく見えてればオッケー!で完結しても、エゴは満足するでしょうが、それってなんの意味もない。たとえば、ドロップバックからのカムアップ。本来の基盤となるべき部分を誤魔化して、「とりあえず、どんなやり方であれ、自力で立ち上がれば合格なんでしょ?」とばかりに、力仕事でウンショ!っと勢い使ってガニマタで踵浮かせて立ち上がっても、それは単なるパフォーマンス。そんなやり方で留まっていても、先に繋がる基盤を築いていかなければ、不可能なポーズがちゃんと後に控えている・・・アチャー!なんだなんだ、いままでなにやってたんだ、リセットだ、やり直しだ。



自分の身体を知る、使い方をやり直す、変化を認める、思い込みの枠から抜け出す・・・そんな風にして、カポターサナのデッカイ壁を越えたのはつい最近、10月のこと。アシュタンガを始めて4年目、セカンドを始めてから1年以上が経っていた。すっごいスローペースに見えるが、私にとっては必用な時間であった。最初のうちに小ざかしく端折っちゃった部分は、後からちゃんと帳尻があってくるものだ。アシュタンガヨガのプラクティスというものは個人差があるようでいて、しかし10年20年といった長い目で見れば、みんな同じなんじゃないかと思う。もし差が生まれるとすれば、それは「やるか、やらないか」というだけの問題。それ以上でもなく、以下でもない。生まれながらの柔軟性も筋力も関係ない。性別も年齢も国籍も関係ない。あ、この台詞はキノ・マクレガーのDVDのパクリだけど、本当にそうだと思う。



そして、現在、やっとスタートラインに立ったかな?って気がする。普通に、真面目に、惑わされることなく、バランスをもって、自分の練習に取り組む日々。問題は「できる・できない」って次元じゃ、もうない。目的は「ナニカを自分のものにする」っていうコトだけでも、もうない。待つんじゃない、探すのでもない、ただ「やる」・・・All is coming のAll に過剰な期待をする必用もない。だって、「それ」は、くるんだから(笑)。別に一気にドカンとサマディがやってくるんじゃなくて、今までにもう既に「それ」は自身の中に生起していて、今現在も実はゆっくりと進行中で、多分これからも同じように生まれてくるんだろうし。「それ」に気付くか否か、なんてことすらも、別にどーでもいいことだし。見えなくたって、そこに在るってことが、腑に落ちてれば、いいのかな、と。そう、ここがスタートライン。アサナをツールにして、ゲーム再開。単純にシリーズの流れから推測すると、これから先は自分のコアや筋力やバンダを鍛えて、アームバランス、ハンドスタンドの領域へ踏みこむのだろう。セカンド前半の「後屈→前屈」を終えたあとに控える、カランダバーサナ以降のバランスポーズ。Zenさんが前にブログでも書いてたけど、ここからがサードシリーズの準備段階なのかもしれない。ジャンプバックすらできない「か弱い(笑)」私にとって、新たな肉体的試行錯誤が待っているのかと思うと、今からワクワクだ。






そうだそうだ、タイトルの「セカンドシリーズへ、いつ進むか?」に、戻ろう。

以前は教科書みたいに、最初に書いたようなことを考えてたが、こうやってダラダラと書き連ねながら自身を振り返ったときに、

あ、結局は
本人がやるべきときに、やるようになっている
んだ、と思った。


指導者の指示も、他者の意見も、いわゆる「ルール」とやらも、あくまでガイドライン。
そこから、どういう練習をしていくか、は、個人次第。
どんな経路をたどろうと、直線、曲線、ヨレヨレ線・・・どんな線を描こうと
やってることは一緒、最終的に向かう先は同じ、次元もレベルもクソもない。

なのではないかな、と。



どうでもいいけど、長いね。





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ポーズを「もらう」?  

アシュタンガヨガ
特にマイソールスタイルの練習をしていると
「ポーズをもらう」
というフレーズが普通に飛び交う。

ポーズをもらう
・・・って、なんだそりゃ?

と、初めて聞いたときに思った。

ポーズって、あげたり、もらったりするものなの?
すでに在るものを「自分が行う」んじゃないの?
誰がどうやってくれるの?
もらったら、それ、どうするの?
それって、グルからのイニシエーションみたいなやつ?
シャクティパット、シャクティパット?

と、アタマの中が
クエスチョンマークでイッパイになった覚えがある。

が、慣れというのは恐ろしいもので
しばらくすると、それが普通の日常言語として
シニフェ・フィニファンの共有化があっという間に浸透する。

私も現在は普通に「ポーズをもらう」って使ってる。





アシュタンガは自分の練習が基本。

流れのシーケンスが決まっていて
できないポーズでストップする。

だから、毎回毎回同じ流れで練習して
最後のできないポーズに
都度チャレンジすることになる。

その最後のできないポーズが、
少しずつ変化進化していき、
なんとなーく形になっていく。

間違ったり、修正したり、
遠回りしたり、いろんなやり方で。

で、1週間後か、3カ月後か、
1年後か、3年後くらいに
できなかったポーズが、
しっくりとするようになる。

別にパーフェクトに完成形である必要はなくて、
そのポーズの主要なポイントが
心身で経験できればよいわけで。

現在の最終ポーズができてきたら
次へ進む準備ができているということ。
新たなポーズに挑戦して
さらなるチャレンジへとまた一歩。

全てのポーズがすなわち
後に控えるポーズの準備ポーズであるなら、
これは大変理にかなったシステムだ。





で、この次のポーズに進むタイミングは
指導者が生徒へ指示を与えることになっている。

「キミはここまでよ」のライン引きは
指導者による判断に委ねられ
練習を行う自分自身の判断によるものではない。

では、その基準って、なんなの?って話になる。





複数の指導者に習っている場合
指導者ごとに「ここまで」のラインが異なってしまう。

なんてことや

レッドクラスでずっとフルプライマリーをやってるが
マイソールの指導者からはスプタクルマでストップされている。

ということや

自分の練習ではセカンドを終了しているが
先日訪れたマイソールでは
シャラートからセカンドのポーズはもらっていない。

ってこともあって

練習するスタジオを、たまに変えるので
そこの先生によって、どこまでポーズをやるかが違う。

ってわけで

このスタジオでは、本当にできるまで次のポーズがもらえないから
つまづいてしまったら、ポーズを沢山くれる別のスタジオへ通って
とりあえず次のポーズをもらってくる(笑)

なんていうのもでてくる。





ケンさんはやりたい人へはセカンドのポーズをどんどん出す

と、こないだ誰かが話していて
それを聞いたときに、面白いなぁ、と思った。


「ポーズは指導者からもらうもの」
というアシュタンガワールドの大前提はキープしたまま

「でもアナタの練習だから、アナタ次第にするけどね」
と、ある意味大逆転してくる。

日本人の大好きな「受身」から
己で責任をもって選択する「能動」へ

サレンダー、手放しましょ~、と
他力本願的に責任放棄することを
イコール、ヨガだ、スピルチュアルだ
なんてトンチンカンな誤解は本末転倒とばかりに。




となると

なかなかポーズがもらえない
とか

どんどんポーズがふえすぎる
とか

幼稚に愚痴ってブータレるという
安易な逃げ道がなくなる、ヤバイ。

つまり、今の自分の現状を見極める
ということが必須となってくる、ヤバイ。

そこに必用なチャレンジと安定を
ガツガツしすぎず
甘やかしすぎず
どうやってバランスをとっていくかが
課題となってくる、ヤバイ。





となると、エゴも当然表出するだろう

幼少時から刷り込まれた競争意識
アシュタンガ・ビンヤサ・ヨガ・システムのヒエラルキー
自己研磨アディクション
「もっと、もっと」のnever enoughメンタリティ

一方、変化を拒み、可能性を閉ざし
停滞や閉塞に陥ることもある
「それは、無理」
「私の骨構造がそれを可能にしない」
「わたしはここに留まりたい」

とか、ま、いろいろと。





でもさ
やたらがつがつと
ポーズ、ポーズ、とにかく先へ進みたい~!
のだったら、いくらでも、ポーズもらえるのって
なんか、スゴイ滑稽で楽しくない?
ワケわかんない状態で、ウゴゴゴーと
シャチホコみたいなカッコしてる、とか。
そんで、ハッと我に返るとか^^





ポーズを「もらう」という観点を
いまの自分に必用なプラクティスのために
行うポーズを「選択する」
に変換するだけで
ずいぶんと意識が変わってくる
・・・ような、気がする。





だってさ、それ、誰の練習なの?






もらった、やった、できた
なんてのは、それが全てじゃない気がする。

大事なのは
そこから、なにを見るか
なんじゃないかな、って。

そのあたりが
私達を突き動かしてるんじゃないかと。

ま、そんな気が。





という意味において、やはり
宅レンジャーさん、自己レンジャーさんは
自立の度合いが違うし
非常にバランスがとれている。

いやいや、先生につかないと
ポーズが上達しないんですよ~

という声も聞くけど、
ポーズの技術だけが先へ先へ進んでいて
精神的な部分が未熟なまんまで付いていかない
という状態よりずっと成熟していると思います。


なんか、まとまりないですけど。





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けさのれんしゅう  

諸事情により
時間が1時間と限られていて
本日の朝練、ハーフまで。


慌ててガツガツと疾走して
最後のポーズまでやる選択肢もあったが
というかスタート当初は
モチロンそうする気でいたけど(笑)


え?私って、そんなに飢えてるの?
って自問したときに

別に、それほどでも
って気分だったから
よし、今日はノンビリと。


いつもは3回ずつのスリヤマナスカラを
AB各5回づつ、ゆっくりていねいに行う。


気持ちいい。


スタンディングもシッティングも
ことさらに身体の各パーツを意識して
緩める方向性で、じんわりと、リリース。


ここのとこ食欲不振でカラダが軽く
いつもよりもビンヤサが楽チンで
いつまでも続けていたいな、とか思った。
(こういう日に限り時間ギレ!、そんなもん~^^)


身体全体がとっても柔らかくて
しなやかで軽くて
ほんとうに気持ちいい。


ナバーサナを終えてからバックベンド
(・・・これ、ちょっとツラ~イ!)


ドロップバックも、いつもより時間をかけて
ゆっくり、ゆっくり、じんわり、じんわり。


ドロップバックも含め
アジャストは全てお断りして
フィニッシングへ。


ああ、今日の身体と心のコンディションで
最後のポーズまで練習したら
ずいぶんと深くポーズに入れただろうなぁ・・・。


ひょっとしてカポタなんて
余裕かませたんじゃないか?

ドヴェイパダもしっかり脚が掛かって、
5呼吸バランスとれてたりして~^^

などなど、妄想(笑)しながらのフィニッシング。
(なぜか、フィニッシングは、「妄想タイム」と化す傾向アリ)


シャバーサナから出てきたときには
ツルピカになった気分でありました。


プハー、今朝もヤったで~、くーっ、チカレター!
と、ドーパミンぶっちぎりのガルルな練習も好きだけど
おんなじ脳内麻薬遊戯のユーフォリアするのなら
たまにはこんなふうに、オームでシャンティに
まったりセロトニン放出するのもヨガっぽくてステキです。




スタジオの窓から差し込む陽光が
暖かくて、気持ちがよくて
今日は本当によい天気。


よい練習ができました

よい呼吸でありました

よい笑顔でありました

ありがとうございます




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なにかが動きだした?  

自分の怒りがフツフツと湧き出していた昨日のこと。

なんとなんと、夕方近くに、会社をクビになった。




色々背景はありますが

要は、簡潔に言うと

キミはもういらないよ、っていう宣告。




裏切られたり、はめられたり

相当エグイこと沢山あったけど

一旦クビになりかけたときに

それでも怒りを飲み込んで

自分を正当化したいエゴを抑えて

kiss their assならぬ、土下座までして

「ここで働かせてください、お願いします」

とまで言った(この私が・・・!)のだが。




そこまでして留まりたい理由はナンダ?

そう聞かれたら、お給料です、としか答えられない自分。

労働をしないダンナさんを養うため

今までの生活水準をキープしたいがため

・・・つまりね、わかってたんだけど、要はエクスキューズ。




そしてなにより、「自分の居場所」としての会社。

自分は、どんな小さなことであれ、必用とされている

自分は決して、「なにものでもない」「価値のない」人間ではない

そう思いたかった、信じたかった、自負していたかった。

自分の存在意義を感じていたかった。

つまり、そういう、それだけのこと。




あー、ついに見捨てられちゃったんだー

と、まず、思った。




で、悲しかったか?というと、そんなことはなかった。

悔しかった?怒りが沸いてきた?・・・答えは全部、No!

・・・なんか、スッキリした。

重苦しい背中の荷物が一気になくなった。




今後の生活の経済面での物理的な不安はあっても

精神的には、スコーン!と、クリアな感じで。




なんだ、ちっともヨガネタじゃないやん

とか、思ってるでしょ?

ふふふふ





これって、私と仕事(会社)との関係についての話だけど

実は、これ全部そっくりそのまま

私とパートナー

もしくは

私とヨガ

にも当てはまっているあたり、うわー!なのだ。







クビになった話をしたときのパートナーの反応が

そんなキミは意味がない(笑)

あ、この人からも、見捨てられたー!

なんか、爽快な気分になった。

今まで無理して頑張ってたけど

もう、そんなことしなくていいんだ。









今朝の練習でも、そう。

現在は先生に見てもらうこともなく

セルフプラクティスなので気楽なのだけど

最後のドロップバックはアジャストしてもらう。

(あ、あと、カポタもね^^)




1ヶ月前から自分の足首を掴むのが基本形になってから

これが「やらねばならぬ」責任と義務と化していた。

毎日無理してたのは、自分のためだけじゃない。

その証拠に、辛さや痛みがピークになると

ロキソかボルタレン摂取でドーピングまでしてた。

(そ、そこまでして・・・唖然)




しかしついに、今週(月)に、身体がイヤイヤを始めた。

それでも、ムリヤリ手を引っ張って足首へ持っていかれる。

一旦できたんだから、できるはず。

できないのは、努力が足りないから、意気地がないから・・・?

期待に添えない自分が恥ずかしい、認められない。

そんないつもの阿呆な私がぐるぐるして、混乱。





だけど自然と動きを拒絶し始めた身体が

日を追うごとにどんどんエスカレートしてきた。

足首掴んだとたんに、全身の力が抜けて床に崩れ落ちたり。

今朝は、ついに、足首へ伸ばされた手を

自分の意思で元に戻して

自分の意思ですっくと立ち上がった。

明日は、きっと、「やりません」って、言うんだろうな。





だって、ガニマタでヒザがウンと曲がってて

バックベンドの基本ができてない身体なのに

ムリヤリ自分の足首掴んだって

ちっともエラくないし、嬉しくない。

そんな所をゴールにする感覚自体が滑稽だ。





と、現在の私は思っている。

先生がどう考えていようと、それとこれは別。

まずは、自分のプラクティス、ありき。

試行錯誤、五里霧中、誰かに手を引いてもらわなきゃ~

という時期はとうに過ぎた。






会社にも、パートナーにも、先生にも

ずいぶんと寄りかかりすぎてたけど

私はもっと自由でいいはずだし

そのために手放すものは

おのずと明らかになってくる。

・・・きている!






今朝、練習の帰りに

おんなじマイソールで練習している方から

何気なく言われたコトバ






終わりは、始まり。

始めるためには、終わらせるものがある。

何が始まるかは、アタナの中にある。






ありがと。




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ぐるぐると  

なんか、今日は、ずっと怒ってる。

なに見ても、聞いても、ムカムカしてて。

突然、過去の出来事が蘇ってきては

当時イイ子ちゃんぶって飲み込んだ怒りが

いまさらながらフツフツと湧き上がってきてる。



瞑想をやっていると

それまで無意識に取り繕ってた

「人としての鎧」

というか、バリアというか、常識というか

そういったものが、ポロポロはがれてくずれて

なかったことにしていた感情や反応の原石が

ゴロンと目の前に晒されることがある。




最近は毎朝のアサナの練習がトリガーとなり

この原石ゴロンがたまーにあって

その都度、やだなー、とか

わー、修行だー、とか

結構大騒ぎするのが、大好きで(笑)

ま、結局ヒマなんですね、私。




怒るのって、すごいパワー要る。

だから、かなり疲れる。

行き場がないと、どうしていいか分からない。

八つ当たり、たくさんしたくなる。

することも、たくさんある。

で、あとで後悔ばかりする。

だから、メンドイのヤダ!とばかりに

飲み込んじゃう。

とりあえず我慢しとけば、いっかー、と。

そういうパターンを何度も繰り返し、くりかえし。




ここんとこずっと、わりかし余裕で

フラットな精神状態が続いてたから

久々の波風に、ううう。




練習中も

何度も喉元に出掛かってたモノを飲み込んでたから

ウジャイ呼吸が辛くて、空咳ばかり。



何度も握りこぶしをギューっと

爪の跡が残るくらいギューっと

握り締めて、渇を入れてみる。



グリーンマイルみたいに

黒いモノを吐き出すかのように

口から大きく息を吐く吐く吐く。

おー、でてくる、でてくる

なんだかわかんないけど沢山でてくる。




目をつぶりたくなって

逃げたくなって

それじゃダメ~!と打ち消してくる

「~べき」思考がアタマをもたげる。




なんか、ぐるぐる。




とりあえずは、任せる。

波に、渦に、のまれてみる。

なんもしないで、そのまんまで。





早くこないかな

マイムーンディ・・・



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いわゆる「慣れ親しんだ」ものから離れて  

週末はたっぷり休息をとるからか
週明けの練習は大抵カラダが軽くて柔軟で
すこぶる気持ちがよい
というのが、いつものパターンであった。


しかしここ最近は
週明けの練習が非常にツライ。

今朝も身体全体がピキピキでオモオモ。
厚さ5cmの着グルミまとっているような感じ。

練習が進むにつれ
温まって、ほぐれて、軽くなっていくだろう
という期待もすっかり裏切られ
いつまでたってもダルダルのオモオモのアタタタ。


加うるに
生理前のヒステリカルに過敏な精神状態。

今朝家を出る前にも小さな癇癪起こして
玄関前で泣き崩れたばかり。
コートのポケットから鍵が出てこなかった
っていう、それだけの理由で
(・・・なんかヤバー)

そんなこんなもあってか
もー、やだやだ、止めたい、帰りたい
と心の中でずっとダダッコしながら
ついにスプタクルマで本気で半泣きになった。
なんで、こんな格好しているんだろう?
っていう、それだけの理由で

心の状態がこんなにもアサナの練習に直結する?
そんなことはないでしょ、と否定はするも
結局、毎度のごとくPMSにひきづられ・・・というのが
昔ながらの、いつものパターンであった。



ところでセカンドの最近一気に増えたポーズ達は
まったく、自分の身体に染み渡ってない
というか、ちっとも馴染んでない居心地の悪さがある。

それも、なんかしっくりこない原因のひとつ?

今までは、ひとつポーズが増えたら
最低1ヶ月はそれが最終ポーズ。
だからその最終ポーズは
真剣にみっちりやることになる。

できないポーズであっても
繰り返し繰り返しやっていくうちに
安心するような「慣れ」の状態となり
少しずつ、そのポーズが自分の身体に馴染んでくる。

その「馴染んだ」過程を経た上で
初めて次のポーズが増える、というのが
これまでのパターンであった


ところが最近の一気に増えたポーズ達は
すべてがタドタドしくも初々しいライカヴァージン状態。

それがいくつもいくつも続くものだから
なんか変に疲れちゃう、落ち着かない、居心地悪い。

新しくてなれないポーズは
何回か繰り返したいんだけど
次のポーズが控えてるし、時間もないし、で
サササッと流して一丁あがり。

なんかさ、ベルトコンベアーで
目の前に流れてくる「アサナ」というブツを
ほい、いっちょうデキアガリっ!
よっしゃ、次っ!
と、かたっぱしからやっつけてるみたい。





まずは土台をしっかりと堅固にしておいて
その上に次のものを乗せていく

というのが、あるべき進み方だと思ってたし
そういう練習をずっとしてきた

その「慣れ親しんだ」状態から離れると
とたんに不安になる、グラグラと揺らぐ揺らぐ。





・・・あららら
慣れ親しんだもの、とか
いつものパターン、とかいうものに
意外とガンジガラメになっている自分発見!


いつもは、こう
大抵は、こう
だから本来なら、こうあるべき


という、無自覚な思い込みは
己の視野の狭量さにすら気づかない
想像力に欠けた愚鈍で怠惰な精神の表れ
・・・つまり、それが現在の自分。



うわー、ゲロゲロだ。



新たなものに挑戦を続けているつもりで
結局昔ながらの楽チンで慣れ親しんだ
自分のパターンに必死でしがみついてるだけ。




そんな怖いか?


変化が?





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なんでもないことの記録  

あっ、という間に一週間が終わった。


練習はすこぶるフラットで
あんまり起伏がない一週間
それは肉体的にも精神的にも。


ラグバジュラーサナからのビンヤサアウト
突然まるっきりできなくなるときが、たまにある。
いつものようにウンショ、っと起き上がろうとしても
神様にオデコを押さえつけられてるみたいで
まるっきり上がって来れない・・・
なんなんだろう?これ?
結構ツボ入って、笑いをかみ殺すのに必死。
「神様、その手をのけてください、プリーズ」


バカーサナBのビンヤサイン
これも、軽く入れるときと
何度やっても落ちちゃうときと
その落差のデカさが楽しい。
勢い余ると頭から床へオットット。
なんか、人生「賭けだぜ!」って気になってくる。


マリーチAからのビンヤサアウト
以前このコツを掴みかけながらも
ナマケゴコロでずっと本気出さずじまい。
そのツケが回ってきたのか
エカパダからのビンヤサアウトが
へなちょこ太郎でヨレヨレでダサイ
もっと真面目にやっておくべしでしたっ。
というか、こうやって手を抜いた分だけ
ちゃんと後になってシッペガエシがくる。
神様やっぱしちゃんと見てらっしゃる。


ドヴェイパダ・シルシアーサナ
両手ナマステで5呼吸のバランスが難しく
グラグラが止まらない。
静まれ私の身体!落ち着け私の心!
意識は上に?それとも下へグラウンディング?
ドリステはなんで鼻先なの?
これじゃ猫背になって、よけいにグラグラする。
こっそりドリステを第三の目か真上に持ってくと
バランスとりやすいのだけど・・・
これはイカンのだろーな、きっと。


マリーチD
なぜかここにきて、このポーズの深みが見えてきた。
単なるねじりだけのポーズじゃない。
股関節を開く、肩を開く、みぞおちのリリース、胸を開く
こういう部分こそが肝心だったんだ。
そして、もう絶対的に股関節、股関節、股関節!
マリーチDに至るための準備ポーズは沢山あって
というか、これ以前のポーズは全て準備ポーズ。
現在の私がやっと解ったアレコレ
3年前の自分に伝えてあげたい(笑)
クソー、あんなに遠回りする必要はなかったのかー。


ジャンプバック
お尻浮かせて後ろへ抜くところまではできてて
そこからケツを上に上げていくのができない
という所で停滞中であるが
先日マイ友(男子)から
「お尻が抜けたら、バカーサナに入ろうとしてみてごらん」
と、ヒントをもらった。
んで、やってみると・・・・
できないんだけど、ケツを後ろへあげる感覚が解った!
おお、これだ、これ、絶対これだ~!
ちょっと方向性が見えてきた気がするかも。


ここ数週間で一気にポーズが増えたせいか
現在けっこう身体アチコチにキてます。
首と肘と手首と臀部といった
今までにない種類や場所の筋肉痛や違和感が
随分と時間差おいて発生中。
アタタタ、湿布、湿布・・・。


さて、明日からまた新たな一週間。
おやすみなさい。

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ちょっと気になる  

たとえばブログをやっていると

そこに現る言葉には、自分が宿っていることに気づく。

すなわち、言霊、自分の分身みたいなものだ。



しかしなにゆえ、その魂の宿った言葉を

わざわざ公の場に晒すのか?といえば

不特定多数の他者と共有したいナニカがあって

自己顕示欲というエゴもあって

ま、ニンゲンですから、いろいろと。



いろんな人のブログを読んで

ま、ニンゲンですから
ほんとみなさんいろいろとありますわね

とフムフムするのも一興。




ただ、自分の書いた文章が

そっくりそのまま他人のブログの中にあるのを見ると

ちょっと、複雑な気分になる。

いや、かなり。




個人的なブログの中で他者の文章を引用するのは問題ない。

そこに自分がシェアしたいナニカを見つけたわけだから。

ただ、その引用元は明らかにしておくのがルールなんじゃないかと。

そんな風に思ってしまうのは、私の了見が狭いからなのか?





だったら、ブログなどに公表するな

ってことなんだけど・・・

このあたり、微妙。





ま、あんまり神経質になりなさんな

そんなものに執着されるな

ってこと?



というか、このブログ自体がダダ漏れなくせに

いまさらなに言っとんじゃー?

と一喝されそう(笑)



でも、いい機会なので

ちょっと再検討してみます。



なにを?

うん、まぁ、いろいろと。



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リセット後  

なに私あせってるんだろう?

と、先週木曜日の練習でハッとしたことは、先の日記でも記したとおり。


時間制限一本勝負みたいに、カツカツの時間内で
とりあえず与えられたポーズをこなすだけの自分。

身体も心もガチガチのまま、ワッセワッセと無謀な努力。
これじゃ、固いし重いし散々なのもアタリマエ。

何事もしなやかにたわますためには
つなぎ部に遊びが必用なはず。

なのに、こんなに余裕をなくして不要にギチギチな状態では
どう頑張って捻じろうと突っ伏そうと反りかえろうと
てんでダメダメ、そりゃそーだ。

しかし、その場で足掻いているときには
すっかり呑み込まれちゃってるから
こういうことにちっとも気づかないもんなのだなー。






金曜日ムーンディから土日の週末にかけて3日間
自分の練習はお休みして、ヨガクラスでの指導に専念。

普通のハタヨガクラスもリラックスヨガもアシュタンガも
フォーカスは呼吸と、それに伴う身体の感覚に繊細になること。

呼吸のひとつひとつで、こわばりや緊張を溶かしていく。

力と意思で能動的に肉体を制御するというよりは
むしろ、受動的にゆるめて無抵抗になり手放していくように。

最近のクラスでの場のホールドの仕方が
どんどんクラニオ的になってきてる気がする。

自身のセンタリング、グラウンディング
安定した瞑想状態をどっしりと根ざして。

ハイパーテンションコンキチ野郎モードから
ゆったりモードへやっとこシフトできたというか
そんな感じのよい休息でした。






さて本日、休み明けの練習。

身体中はギシギシのメリメリ。
仙骨周りの腰痛というかモゾモゾ感が気になる。

本日は焦らず、まずは自分の練習ありき。
ていねいな呼吸、ていねいな動きと流れ。

スリヤナマスカラからスタンディングが最近のお気に入り。
大事なものは大抵ここに詰まっている!

ここのところ
「ぜんぜん汗かかないよ~」
というのが悩みだったのだけど
それは練習のやりかた次第だ、今朝は程よく汗かいた。


あら、ジャンプバックが、かなりの回数、後ろへ脚が抜けてきた。
練習が進むほどに、どんどんビンヤサが軽くなってくる。
ジャンプスルーも、いつもより0.5秒くらい長く空中へ留まる感じで
(いわゆる「無駄に空中浮遊」)
着地の衝撃が少なくて楽チンだ。


前回、股関節が全然開いてないうちに
ムリヤリねじ込んだエカパタとドヴェイパダ・・・
こんなムチャやってるなんてアホや~
と、ひとしきり自己嫌悪した記憶が新しいので
今朝は最初から股関節のリリースにフォーカスしてみた。


そしたら、スプタクルマーサナからして全然違う。
これまで、どれだけ適当にポーズをやってきたか。

苦手なポーズには執着するくせに
できてる「つもり」のポーズには無頓着


・・・またまた反省。



苦手なバックベンドにしたって
アップワードドッグをひとつづつ
本当に丁寧にシッカリと胸ひらいていけば
「さて、2ndの後屈シリーズだ!」
ってときに、別に殊更に気合をいれる必用はないのだ。


すべてのポーズはそれ以降のポーズの準備である
というのは本当だと思う。

本当に真摯にひとつひとつのポーズをやっていけば間違いはない。

問題は、そこを疎かにする私達の慢心、それだけ。




カポタは事前練習なし
1回こっきりで本番勝負のがっつしアジャスト。
カカトを掴むだけではなく、肘もしっかり内側へ入れていく
ヒー!これはキツイ・・・が、そのうち慣れていくんだと思う。


バカーサナも気持ちよくフンワリと乗れたし
エカパダ&ドヴェィパダもシッカリと深く脚が組めた
股関節開いてるとこんなに違うのか~!
やっぱり事前のポーズを真面目にやっておく、これに限る。


今日も新しいポーズをもらった。ヨガニドラーサナ。
このポーズは生まれて初めてトライしたのだけど
ひとりで充分気持ちよく深くポーズに入れた。
見た目の奇抜さよりも、ずっとずっと安心するポーズ。


yoganidrasana.jpg



あれ?なんか最近ポーズの進み方早くない?



と、思ったけど、よく考えたら、これまでの私にとっては

「新しいポーズ=できない」

だったから、それができるようになるまでは
次のポーズがもらえなかった、ってだけのこと。


先生は、ポーズを出し惜しみしているわけじゃなく

できないポーズで留まる
そのポーズができたら次のポーズへ進む


というルールを徹底しているだけだったのか?


しつこいけど(笑)マリーチDで2年半
スプタクルマで3年
セカンドに入ってからは
ひとつのポーズに最低1ヶ月から6ヶ月・・・
ここまでデキナイのもどうかと思いますが^^
しかし、私にとってはそれがデフォルトだったわけで。


だから、ここにきて

新しいポーズ=無理なくできる

だから、それじゃぁ次に進みましょう
と矢継ぎ早にポーズが増える。
そういう状態がは初めてだから
ちょっと戸惑ってるのも事実。


新しいポーズが即できるからといって
まだまだ身体には馴染んでない不安定な状態。
そこへ、さらに新たなポーズが加わると
脆弱な基盤の上にムリヤリ乗っけてるみたいで
少し怖い、というか、なんか不安。


でも、常に出来ないことへチャレンジするのが
アシュタンガヨガの練習なのだから
私にとっては、今までとは違った意味で
新たな挑戦ってことか。



よーし。



よーし?



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