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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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そのこだわりって、なに?への回答  

先日紹介した、ジャンプバック&スルーにフォーカスしている方のブログ。

http://grimmly2007.blogspot.com/2008/11/why-this-obsession-with-jump-back.html

ご本人から、私の疑問「そのこだわり、って、なに?」への回答がありました。

ちょっとびっくりしました、でも、うれしかったです。
内容を読んで、またまたびっくりしました。
とてもまじめな方です。
せっかくなので、日本語に訳してみました。
興味のあるかたは、ぜひ読んでみてください。






Friday, 28 November 2008
Why this obsession with Jump Back. Letter to Japan
そのこだわりって、なに?への回答

I've had a lot of visitors to this blog from Japan the last couple of days thanks to a link from miwamiwa's blog http://everydayashtanga.blog116.fc2.com/. Very happy about this as I lived in Japan for six years, in Osaka and Kyoto. I came back to the UK five years ago but still consider Japan a second home and still hope to return to live there again in the future. Nice to know there's a thriving Ashtanga scene.
ここ数日のことですが、「三昧までは何哩」からのリンクからやってきた、日本の訪問者がたくさん増えました。東京と大阪に6年間住んでいた者として、とてもうれしく思っています。5年前にイギリスへ戻ってきましたが、日本は私にとって第二の故郷であり、将来的にまた戻りたいとも思っています。そして、日本でもまたアシュタンガが活発であることを知ることができてよかったです。

On miwamiwa's blog I believe she was discussing the different perspective on Ashtanga from Japan in particular in this case and in the West. I don't think she was being critical, in a negative sense, when she commented on the apparent focus on the physical aspect in the west and on the meditative in Japan. Interesting, as this debate tends to come up a lot, more in the sense of the physical and/or spiritual focus in the west and in India, in particular, as representative of the East. I don't think the spiritual and meditative are necessarily interchangeable here.
MiwaMiwaのブログで彼女はアシュタンガヨガに対する日本と異文化、特に欧米との意識の違いについて語っています。日本では瞑想的な部分にフォーカスするのに対して、欧米では肉体的な部分にフォーカスしている、という彼女のコメントについて、私は彼女が否定的な批判を意図しているとは思いません。興味深いことに、この種の議論は、西洋とインドの間における「肉体的・または精神的な視点の差」として、頻繁に持ち上がります。(この「インド」を「東洋」の代名詞と置き換えて理解してもよいでしょう)私個人的には、肉体的/精神的というのは、ここでは交換可能なものだとは思いません。

Miwa uses blogs as indicators and my blog among others as an example of the focus on the physical and/or on asana and in my case a seeming obsession with the Jump Back in particular. Though she says she enjoys my blog and isn't critical of this I wanted to respond both for myself and for anyone who finds the Jump Back important aspect of practice to them.
MiwaMiwaはこの点につき、ブログを指針として、私やほかのたくさんの(西洋の)ブロガーは肉体的にアサナにフォーカスしており、私のブログをとりわけジャンプバックに執着している、と指摘しています。彼女は私のブログを楽しんでいると言っており、また、決して批判的ではありません。が、私自身そしてジャンプバックが練習の中で重要な意味を占めている他の皆さんのためにも、この場でレスポンスをしたいと思います。

I started this blog to focus on one aspect of ashtanga, the Jump back. I've had to resist the urge to comment on other aspects of practice or to get involved in other discussions surrounding Ashtanga (especially hard at times as I come from a philosophical background). I've started and deleted several blogs that went off topic. And perhaps it has become a bit of an obsession in the process of writing about my progress several times a week.
私はこのブログをアシュタンガヨガの、特にジャンプバックという側面にフォーカスして始めました。練習のほかの側面や、アシュタンガヨガにまつわる様々な議論についてコメントをしたい!という強い思いを押し殺さなければなりませんでした。(特に哲学的なバックグラウンドを持つ私にとっては、これはとても辛いことです)トピックから反れたことを書いては削除する、ということを繰り返してきました。そして、もしかすると週に何回か自身のプロセスを記録すること自体に、とりつかれてきたのかもしれません。

However, I focused on the Jump Back because I felt it was important despite what many teachers say. I still believe it's one of the most important aspects of practice if not the defining aspect of Ashtanga. The Jump Back and Jump Through link the Asana, it's what makes Ashtanga a flowing practice. When the practice flows we're able to focus more on the breath and on the meditative aspect Miwa mentions, rather than focusing on the breath in just the one asana as in other styles of yoga. The whole Ashtanga practice becomes one long meditation. I used to practice Vippasana meditation as well as Ashtanga, now my practice has become an extended Vipasanna meditation. An hour to an hour and a half rather than the 20-40 minutes I used to practice Vipasanna or indeed Zen in the past. As random thoughts enter my mind in practice I try to treat them as I would in Vipassana. This all becomes more effective with a flowing transition between asana.
さておき、私がジャンプバックにフォーカスするのは、沢山の指導者が言うことに反して、それがとても重要であると感じるからです。私は、ジャンプバックは練習において、ひいてはアシュタンガヨガを定義つける上で、最も重要なものであると信じています。ジャンプバックとジャンプスルーはアサナとアサナを繋げます。それこそが、アシュタンガを流れるような練習としているものです。練習が流れるようになれば、私たちはもっともっと呼吸や瞑想的な部分にフォーカスできるようになります。他のスタイルのヨガのように、ひとつのアサナと呼吸だけにフォーカスするのではなく。ひとつの流れとしてのアシュタンガヨガは、ひとつの長い瞑想となります。私は以前ヴィッパサナ瞑想も実践していましたが、現在の私のアシュタンガヨガの練習は、ヴィパッサナ瞑想の延長となっています。以前は20~40分ほどのヴィパッサナ瞑想、もしくは座禅瞑想でしたが、現在は1時間から1時間半にかけての瞑想となりました。(アシュタンガの)練習中に様々な「思い」が私の中にたち現れてくるたびに、私はあたかもヴィパッサナ瞑想をしているかのようにそれらを扱うのです。これは、すべて、アサナとアサナを繋ぐ流れるようなビンヤサが可能になって初めて、効果的になってきたのです。


If you look back to my June and July videos this is when I latch on to a style of Jump Back that begins to flow more and allowed me to focus more on the practice as a whole. The developments since then have been to improve that flow and to achieve a lighter more, graceful practice. It's all abut the breath, the rhythm and flow. If we focus on the asana and we all do at times. isn't it because the asana we struggle with interrupt the flow. Yes there's the sense of triumph and achievement when we begin to get them but we're Ashtangi's, it's the practice as a whole we focus on and every morning (or afternoon) and never really the individual asana, though we might give one or another more attention for awhile. And the practice IS a meditation, what else could it be.
It still amazes me what we do. Getting up in the dark, cold winter mornings six days a week and going through our practice. Whether we practice at home or at a Shala, despite the occasional wandering drishti or monkey mind, for an hour and a half we absorb ourselves in the practice, in the breath. This is meditative and can't help but affect/effect us on a spiritual and indeed moral level. It's a discipline we impose on ourselves so of course it has those aspects. There is no essential difference between Ashtanga PRACTICE in the East and West, how could there be. The different perspectives we may have only surround the practice and dissolve when we step on the mat.
私の過去の記録、6月~7月のヴィデオを見ていただければ明らかですが、この時期から一定のスタイルでのジャンプバックが可能になり更なるフロー(流れ)が生まれました。これにより、私はもっと「全体」としてのプラクティスにフォーカスすることができるようになったのです。そして、それ以降、さらに流れるように、そして軽く優雅な練習へと、進化を始めてきています。これらはすべて、呼吸、リズム、そしてフロー(流れ)です。もし私たちがアサナにフォーカスして、それだけをやっていたら、手を焼いているアサナによって全体の流れが邪魔されてしまいませんか?アサナができるようになる、ということについて、確かに誇りや達成感というものはあります。しかし、私たちはアシュタンギです。毎朝(もしくは午後)の練習で、私たちがフォーカスするのは全体としてのプラクティス自身です、決して個々のアサナではありません。もちろん、しばらくの間は少しばかりの意識も必要ですが。そして、プラクティスは他のどんなものになりうるとしても、すなわちそれは「瞑想」なのです。

私たちがやっていることは、今でも私を驚かせます。朝まだ暗いうちから起き出して、寒い冬の朝、週に6日間。1時間から1時間半の間、自宅やシャラで練習をおこない、サルのように乱れる心や、揺れるドリスティを抱えながらも、プラクティスの中へ、呼吸の中へと自身を溶け込ませていきます。これはとても瞑想的であり、精神性へも強く働きかけていることは間違いありません。これらは、私たちが自身へ与えている規律そのものの現れなのです。こういった意味で、アシュタンガヨガのプラクティスにおいて、西洋と東洋の違いなとありません。いったい、どうやったら、そんな違いが現れるのでしょう?もし私たちが異なった視点を持ちうるのであれば、それは、プラクティスの周辺だけであって、それすらも一旦マットの上に立てば、すべて溶けていってしまうものなのです。




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やれやれ  

今朝は、なんか散々な練習。

というか、実に底の浅い練習。




寝坊して始発に乗り遅れ、この20分が命取り。
お尻が決まったスケジュールに合わせるため
呼吸もソコソコに表面だけの練習に終始。
70分でシャバーサナまで・・・。
結果自分の練習を犠牲してるなんてマジ阿呆だ。
なにがアシスタントだ、本末転倒・・・猛反省。


前も後ろも横も縦もゼーンブ硬い固い堅い!
カラダは重い重い、ビンヤサなんてズルズル。

とにかくなにもかもがデキナイ。
ビンヤサ飛べない、アームバランスすっかりナシ。
芯がブレてる、重心がどこにも収まらない。
肩ガチガチ、プラサリータC届かない、アルダバッダ系届かない。
股関節開かない、マリーチCD届かない、スプタもしっくり入らない。
四方八方へ暴れまくるガルバでは、ついに転げ周りながら笑いが出てきた。
バランス全滅でプライマリ後半がグラングランで途中でパタン。
胸開かない、ダヌラで息切れ、カポタは「痛い痛い」と嘘ついてアジャストから抜け出る。
バカーサナBで落ちる落ちる、ぜんぜん乗っからない・・・え?どこに乗るのだ、これ?
エカパダ、ドヴェィパダ、しっかり肩に脚が乗っからず、芯もブレブレでぐらんぐらん。
バックベンド、やっぱり胸開かず、「痛い痛い」と嘘ついて足首取るアジャストから抜け出る。

もうね、とっかかりから「間違ってる!」ルートを選択したゲームみたいで
全てがダメダメ、もうこれは笑える領域に達していた。




できないこと自体は、全然いいんだ。
だって、そういう時って、普通に、ある。

だけど問題は、そういう時に、自分がどう対峙するかってことで。

今朝の自分は
デキナサ加減を味わう、とか
今の自分にとってのベストを尽くす、とか
とりあえず自身を観照する、とか
そういう真摯な姿勢に欠落していて
ただ自分を嘲笑しては、ふざけて誤魔化してるだけ。

本当に反省。
こんな中途半端な練習するくらいなら
おうちでグッスリ寝てた方がよっぽどいい。

惰性や義務で
自分の自然な感覚を無視して
ゼンマイ仕掛けの人形みたいに
とりあえずスタジオ通っておけばオッケー
とりあえずポーズをこなしておけばオッケー

内から生起する練習ではなく
とりあえずの「フォーム」や「スタイル」や「定型ひながた」に
自分を当てはめては「やってる感」に浸ってる
それだけってことだ。

なんの苦労なしに、毎朝スタジオに通って、先生の下で練習ができる。
それがどれだけ恵まれていることなのか、私はちっとも解っていない。

スタジオに通う環境がなかったり
家庭や仕事やその他責務あってこその生活ゆえ
スタジオや先生に頼ることなく真摯に宅練に励み
時折参加するクラスを大切に大事にAppriciateしている方々

私は自分の環境にあぐらをかいているだけで
彼等彼女等の足もとにも及びません。
実に恥ずかしい限りです。




今朝は猛反省もこめて、思った。


ひとつひとつの練習を
もっともっと大事に大切にしていこう。

練習そのものを
ポーズのひとつひとつを
身体の動きそれぞれを
そして呼吸のひといきひといきを
ていねいに、ていねいに行っていきたい。

それがこの世で最後のひといきであっても後悔のないように。




明日はムーンディ、そして週末の休息へ
テンパリ気味ウィークだったので、ここで一旦リセット。

ちょうどいいタイミング




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フィジカル#1  

唐突でスミマセン

ヨガの精神性や哲学部分はおいといて

とりあえず肉体的な次元でアシュタンガヨガ~!

と、はまる人々って沢山いらっしゃる。



え~、そんなことないよ
私は「ヨガ」をやってるのよ
精神性を尊んでるのよ
ヤマニヤマは大切でしょ
スートラ勉強会だって出たし
One day will comeなんだから
ワンネスで繋がって皆とシェアしてるんだから
できないポーズには囚われてないんだから
オバアチャンになってもハンドスタンド~!


と、つい取り繕いたくなる気持ちは解る、私もそうだ。


基本的に精神性を尊ぶ我々ニッポンジンの文化という前提があるため
「ワークアウトとしてアシュタンガヨガやってます」
とキッパリ言い切れない空気が充満しているのは確かだ。


でもね、アシュタンガヨガにはまった時点で
ある程度の「肉体派」であることは間違いないと思う。


否定できるか、否か?
は個々の踏み絵ってことで。




しかしながら、欧米のアシュタンギは
これまた別の次元で生きているような気がする。

昨年マイソールでであった欧米アシュタンギの多くは超肉体派だったし。

一番仲良かったアメリカ人女性は

「瞑想?なにそれ、なにが楽しいの?
私にとってアシュタンガは純粋にワークアウトよ」


とキッパリ言い切ってくれた、カッチョエエー^^
しかし、その潔のよさは、ナンダ?



ブロクを読んでても
とりあえずアサナの獲得が第一目的で
やれ、リサーチポーズだ!
やれ、どこそこの身体部位がどうだこうだ!
と、フィジカル#1な姿勢は
日本勢より欧米勢に結構多い。

私も一応「目指せ肉体派!」なので
このブログでも
思いっきりアサナに執着している自分
をさらけ出してますが。
・・・いやいや、私なんざ、まだまだ甘食というか。


http://grimmly2007.blogspot.com/

http://jp.youtube.com/user/grimmly2007

・・・この方
ジャンプスルー・ジャンプバック・バックベンド
に相当フィジカルに命かけてます。

ある意味、すごいです、アッパレです。

私のバックベンドフェチとかビンヤサ浮遊ワナビーなんて
かわいいもんだ。


・・・しかし、そこまで?なんで?







ついでに、ほぼコントーショニストのアシュタンガヨガワークアウト!
もうこれ、バックベンドというか、なんというか。
しかし学ぶところ多々ありである。


http://jp.youtube.com/user/anakrousis



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"Ashtanga Yoga: Practice and Philosophy" Gregor Maehle  

コメント欄でも書いたけど
先週マイ友(マイソール盟友)に薦められて買ったアシュタンガ本。


01asyutangayogapractice.jpg


Gregor Maehleの「Ashtanga Yoga: Practice and Philosophy」

大抵のアシュタンガ本は
アサナ解説とヨガ周辺談義に終始しがちだが
この本はアサナ編とヨーガスートラ編の2部構成。

大抵のヨーガスートラ本は
一般的な枠内でのヨガ解説に終始しがちだが
この本のヨーガスートラ編は
アシュタンガヨガのプラクティスと絡めての解説。

大抵のアシュタンガ本のアサナ解説は
「見るお手本」と化しているのだが
この本のアサナ編は
解剖学的視点での図解説明に重きを置き
なおかつアレコレの薀蓄もあり、と
「人体図を見て、読んで、楽しい」のだ。

ジョンスコットもデビッドスウェンソンもマシューも読み尽くしちゃった~
という貴方、ぜひぜひどうぞ「見る」だけではなく「読んで」みてください。



http://www.amazon.co.jp/Ashtanga-Yoga-Philosophy-Gregor-Maehle/dp/1577316061/ref=sr_1_5?ie=UTF8&s=english-books&qid=1227764404&sr=8-5



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終わりのない道  

最近の胸まわりの重苦しさや違和感は

「息が詰まりそうな日々の積み重ねを
溜め込んだままのわが身に課す
日に日にエスカレートするバックベンドの深さ」


という

「脆弱な基盤の上に起爆剤ドッカン」

的構図のなせるわざなのではあるまいか?
などと、たわけたことをボンヤリ思っては、いた。




火曜は朝練後、ついにトンデモナイ胸の重さに行き倒れ。

視界が狭まり、自分の動悸に怖くなるも
とりあえず座ってジッと静かにできるとこ確保。

収まってしまえばケロリとしたもので
ちょっとこれはガス抜き必用かも?と
会社を休んで一路北の丸公園へ。




青空が目映い。
冬の澄み切った空は、どこまでも遠く
意味なく意識を飛ばすにはうってつけなバナナフィッシュ。



別にこれといったこともなく、あっという間に日々が過ぎ行く。
これすなわち、「しあわせ」というのだろうなぁ、と
落ち葉を踏みしめ、木洩れ日のキラキラに目を細め
ホテホテと散歩しながら、そう思ってみる。







セカンドシリーズはクランチアーサナ以外
全て超苦手なポーズばかりで
なんといっても後屈がダーッと続く無間地獄が
ずっとずっとキツかった。


それでも日々繰り返す練習というのはすごいもので
気がつけばカラダもココロもどんどん進化していき
信じがたい苦痛はめくるめく快感へ変わっていき(笑)
いつの間にかセカンドの後屈シリーズが
得意ではないけど、それなりの次元で
「気持ちよく」なってきていた。


salabhasana.jpgsalabhasana2.jpgbekasana.jpgdhanurasana.jpgushtrasana02.jpglagu.jpgkapota.jpgsuptavaju.jpg


最近に至ってはカポタでがっつしカカトつかんで
うわ~!こ、こ、こんなに胸ヒライタ~!
とワナワナと変態的に打ち震えるのが日課となり
その後のバックベンドで足首掴んでは
んまー!ベロンチョと深いわ~!
と、悦に入る、殆どこれアヤシイ遊戯in the morning

バックベンドはエロい!
と私をして言わしめるほどの豹変ぶり。





しかし、そんな楽しい毎朝の練習も
ここにきてまたまた変化のきざし。

先週にバカーサナABとネジリ2種が新たに加わったことで
その後のバックベンドが、反対にまたシンドクなってきた。

シャラバーサナからカポタを経てスプタバジュラーサナまで
この後屈の連続で、内から外へ外へと開いた身体を
バカーサナで一気に内側へ戻していくみたいで
きゅ~っつと、内側へ収斂収縮していく感じがする。

そしてその後のネジリ2種で
背骨をバキバキバキ~!っと自己整体してリセット。

プハ~!

これまで続いてきた長く険しいワインディングロードが
この4つのポーズで一旦終焉を迎える、って感じなのかも。


bakasana.jpgbharadvajasana.jpgardha matsyendrasana




そして今日またポーズが2つ増えた。
エカパダ・シルシアーサナとドヴェィパダ・シルシアーサナ
いわゆるアタマの後ろへ足を乗っけるポーズ。


eka padadwi pada



前屈は得意なのでポーズ自体はキツクないのだが
この後のバックベンドが、先週の比較ではないくらい
さらにキツ~くなって背骨ボキボキ・・・。

この先は前屈シリーズが始まるそうなんですが
そのプレリュード(笑)にて、すでにこんなにキツイの?
と、なんだか愕然としてきた。

うわ~、アシュタンガヨガってマジで終わらないんだ。
なにをいまさらだけど、マジこれ痛感。

・・・なんか楽しい。

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ペトリが呼んでる  

こんなにヨガ馬鹿ぶりを発揮しているにもかかわらず
海外からの著名なプラクティショナーの来日WS
とくにアシュタンガヨガという世界においては
なぜがとんと興味がない。

アシュタンガヨガを始めたばかりの頃
まだまだシッカリと吸収する準備ができてない時期に
マークダービーとジョンスコットの大規模なWSへ参列したことがあって
それに懲りてか、以降ほとんど行ったことがない。

高い
参加者多すぎ
通訳を介するため内容は時間の半分
(そして通訳の質がWSの質を左右する!)


にも関わらず
その場の空気やオーラを受けてのナントカ・マジックに感動したり
その方の一挙一動をありがたく拝聴拝見させていただく丁重な姿勢
舶来モノに弱い、というか
外タレに甘々な私達日本人気質が妙に違和感だらけで。

WSでドカンとナニカを一気に得るより
毎日の自分の練習の中で見つかっていくナニカの方が
今の私にはずっと大事なんだ、って気持ちの方が強かったり。

・・・と、正直、WSに対して変に否定的な自分がいた。








はてさて、ところで、もともとボディワーク・エネルギーワークへの興味から
エサレン・レイキ・クラニオの勉強を始めたのは3年ほど前。
こちらの分野は常に勉強会やWSに参加をしては
どちらかといえばアタマでのお勉強がメインで
アーダコーダと試行錯誤と発見の連続の時期があった。

・・・が、1年前にヨガを教え始めると同時に
そういう勉強会やWSへ傾けていたエネルギーが急に途絶えた。

実際にヨガを教える空間の中で得る経験
自分と他者と、私達を取り巻く場
エネルギーと心と身体のつながり。

たとえば触れるということ・・・粗雑な肉体のレベルで
そして微細なエネルギーのレベルで
その反応、内に息吹く生命力のパワーを感じとり
自然と活かされる方向へ流れるように
停滞部位のリリースを促す。

たとえば瞑想状態を自身の内から、部屋全体へ広げて
参加者と同調しつつも、場をホールドしていく。
おのずと開かれていく人々の変化を目の当たりにする。

ボディワーク・エネルギーワークへの探求心が
ヨガを伝える場における実践と経験で満たされていった。

アタマに詰め込んでいた色々な情報が
パチンパチンと、ジクソーパズルのピースがはまるように
これは陰ヨガ、これはタイ式ストレッチ、これはクラニオ、これはエサレン
といった境界線をどんどんと越えて、各々が繋がっていった。

ヨガはエネルギーワークだ
そして、根底には瞑想状態が。








しかしながら、自分の練習であるアシュタンガヨガがここに絡むと
なぜがとっても複雑になる・・・というか、私がそれを複雑にしてしまう。

私にとってアシュタンガヨガは
「かなり肉体的拘束が強い」という先入観がある。

これは元来柔軟性の「ジの字」もなかった自分が
難易度の高いポーズをとるために、
心よりも身体を重視して、
ガチゴチにポーズを外側からのチカラで
一方的に「あるべき形」へはめ込んでいった
そんな経験からきているのかもしれない。

実際に自分がアシュタンガヨガを教え始めてみて気がついたのだが
どうもアジャストを行う際に、「アシュタンガ的」アジャストができない。

それまで自分が行ってきた、ほとんど触れない程度の微細なアジャスト
そこから、ガッツシ「規定のフォーム」へ身体をはめ込んでいくアジャストへ
そのシフトがすんなりとできず、むしろ、徹底的に抵抗している自分。

そしてひいては、アシュタンガヨガを教えること自体が
どうもシックリこない状態が続いた。

なんだろう、なんだろう?
と、不思議だった。


だけど、この秋くらいから
毎日のアシュタンガヨガの練習中に
自身の中に生まれてきた「やわらかさ」を感じたとき
なんだか、どこかが、クリックしたようで、モヤモヤがクリアになってきて。

自分が固くギチギチの拘束感の中で窮屈に練習をしている限り
どんなにアタマで理性でオリコウサンなったつもりでいても
その窮屈な拘束感を持ったヨガしか伝えられない。

とってつけたミエミエの「体裁の良さ」で先生ぶるなんて
ヨガを練習している人達の瞳に、そんな低俗な嘘は通用しない。

ああ、私は、もっと自由であっていいのだ。

という実感が内から沸いてきたときに
アシュタンガヨガを教えることが
とても楽になってきた。

私が勝手に思い込んでいた
ガッツシ「規定のフォーム」へ身体をはめ込んでいく
アシュタンガヨガ独特のアジャスト
なんて、そんなものは幻想だった。

アシュタンガヨガは決して特別なヨガではない。
それが特別であると
ヘンな線引きしていたのは私自身に他ならなかった。

ヨガはエネルギーワークだ
そして、根底には瞑想状態が。
それがアシュタンガであれ、なんであれ。

という確信。

そんな経緯が、ひそかにありました。







で、ペトリ。
(やっと本題)



petri2.jpg





もともとヒーラーさんとして
エネルギーワークを生業としていた
フィンランド人のアシュタンガヨガ指導者
ペトリ・ライザネン

今の先生と深い親交があるからか
沢山色々と話を聞いていたのもあって
マイソールでもちょこっとだけ一緒だったして
なんかやたらと(勝手にこちらだけで)親近感がある方。

こないだ何気に彼のサイトをチェックしていたら
来年1月にタイの小島でリトリートが行われるらしい。

期間は4週間。
朝はマイソールクラス。
午後はテクニカルクラス、ディスカッション
プラナヤマ、ヴェーダンダとサンスクリットと盛りだくさん。

そしてオプショナルコースとして、なんと

Healing adjustment & body-mind-energy workshop

こ、これは~!

行かねば、呼んでる!

と即座に感じた、もうこれは運命としか思えない(笑)

しかし、壁は厚いぞ~。

4週間なんて会社休めない。
・・というか、現在クビになるかどうかの瀬戸際だったりもする。
メンドウみなければならないダンナはどうする?
お金はあるのか?
どうなんだ?




で、思ったのが、こないだバリ島リトリートへ行ったとき。
会社もあるし、ダンナやおうちのこともあるし、お金もないし・・・と
色々言い訳タップリで「行きたい」意思を抑えていた自分に気づき
そこを打破することが、自分の第一歩だな、と確信した。

山のようにそびえてた諸問題が、みるみる解決してゆき
自身の意思をクリアにすることも大切だけど
私ひとりじゃなくて、周囲に支えられて助けられて
だからこそ私がここにいられる、という事実。
深い感謝の念に、自分の変なコダワリが溶けていく実感があったり。

でも、それは、その時だったから有効であって
今回も同じ様にモノゴトがスムースに行くとは限らない。




ああ、でも
ペトリが呼んでる(笑)


本当に呼んでるのか?
はたまた、私のヘンテコな勘違いなのか?


あー、わかんない。
でも、すんごく行きたい。

こんな気持ち、生まれて初めて~!





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本日の洞察  

単純に練習を楽しんでいるときと
やたらとポーズに執着するときと
入れ替わり立ち代りあったりして
そのブレ加減が結構面白いのだ


ポーズがきでなくて悔しく思うときや
できなさ加減が興味深いときもある
反対に出来ない事自体を意識せず
ただただシリーズを楽しむこともある


最近の練習のテーマは「テンポ良く」
途中で気を抜いたり、余所見をしたり
余分な動きや呼吸を一切組み込まず
正しいカウントで動いていくようにして
吸って吐いての長さが一定になるよう
呼吸も動きも自分のコントロール下へ


最後のアルダマツエンドラーサナまで
今朝は1時間20分でサクッと終了なり


例えば何回もウシュトラーサナをやって
カポタに向けての柔軟練習をしないで


カポタ自体も最初の1発目でガッツシ
カカトを掴む深いアジャストを受けて


シリーズのビンヤサにはない動き
特に「ポーズに入るための準備」
みたいな余分なモノをどんどん排除


マリーチCDの事前ウンショねじり
ガルバピンダーサナのシュッシュ
セツバンダサナの髪の毛結わき
パシャサナの事前ウンショねじり
3回ジックリとやるウシュトラーサナ
自力で2回繰り返すカポタサナ
カポタ後のヘロヘロ放心状態


この辺が私の習慣化した余分なモノ
こんなもの誰もやれとは言ってない


ポーズの準備は、それ以前のポーズ
それを意識してシッカリやっていれば
本来はそれだけでよいはずなのだ


ただ、そんなこと考えずにノホホンと
その独立したポーズを流してるだけ
だからまったく土台作りになってない


だから別途に準備運動なんかしている
そんな情けない練習はもういらないや


そんな風に集中力120%で練習すると
余計なこともアタマの中には生起せず
ただただ明晰に超クリアなマインドで
本当に気持ちよく練習がサクサク進む


できない部分も勿論たくさんあるけど
それこそ、そこに拘って執することなく
逃げずに自分のベストは尽くすけれど
不要にアーダコーダ、ウーンウーンと
やらなくていい余分な悩みを作らずに


ネッチリとディープでヘビーな練習ばかり
これまで3年間もずっとやってきたから
これからは、こんなサクっとシンプルな
練習方法で視点や質を変えていくのも
結構おもしろいのではないかな?とか
そんなことを思っているこのごろなのだ


なんて軽~くサクサクと練習してたら
こないだの月曜日にポーズが4つ増えた


そうかそうか、スプタバジュラーサナは
足先を掴めないままでも別にいいんだ?


「掴めない~」と悲壮感を辺りに漂わせ
私自身が勝手にプロブレムを作り上げ
落ち込んだりヒガんだりやっかんだりと
まぁまぁ、いらぬコトよくやってたもんだ


問題を作り上げているのは自分自身
よくわかっていることではあるけれど
こうやって何度も何度も実感していく


その繰り返し






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ジャンプバック  

ジャンプバックは難しいです。



両足クロスして、両手を床
息吸って~、で、おしり持ち上げて
クロスした足先を後ろへ通す・・・・

ここまでは、なんとかマスターした。
ケツでかいけど、お尻重いけど、頑張った。

しかし、そこからが、遠い。

そのクロスした足先を
どうやったら後方上にあげられるのか?
が、わかんない。
わかんない。
なんかいやっても
ぜんぜん、わかんない。




先生や男子は、決まってこう言うのだ。

「バンダで上げる」
「呼吸で上げる」
「ふりこで上げる」


なんだよそれ、わけわかんない~。
ニンゲンの言葉で説明してよ。




そして、なんでか先生や男子は
「バンダ」だか「呼吸」だか「ふりこ」だか
ワケわかんないものでケツ上げたあと決まって

フワン

と、一瞬空中で溜める




なんなの、それ?
気持ちイイの?
ムダに空中浮遊
なんでそんなことやるの?
単なるデモンストレーション?




ぐぞ~、わたしもやりたい~!

と思うこと苦節ウン年。







ふふふふ





ここにきて、身体も軽くなってきたことだし
やたら身体開いてきて絶好調だし
朝練に費やす時間が倍になって
会社が急に忙しくなって
睡眠3時間ない毎日が続いて
多分過労なんだとは思うけど
異様なナチュラルハイ状態が止まらない~
って、色んな意味でヤバい最近なんですが





先週の半ばくらいからジャンプバックで
スルンと足が後方へ抜けることが、数回。

後方上じゃなくて、単なる後方。
エネルギーは、まだ、上に向かってないのだ。
真後ろ床と平行に脚が伸びて、一気にチャトランガって感じ。

何十回とやるジャンプバックのうち
2・3回とか、そのくらいで。

都度、え?あれれ?なんだ?
と思いつつ、立ち止まるのもアレなので
とりあえずスルーしているけど
どうやら、日に日に、その頻度が上がってきている。


も、も、もしや?
そろそろ、ジャンプバック制覇?


ワクワク



こ、これ制覇した暁には、早く誰かに

「バンダ」と「呼吸」だよ~

って言って、相手をウンザリさせたい。


ワクワク




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I'm not worth it 私にはその価値がない   

なんか思いっきりネガティブなエントリーになりそうですが・・・




私の腕の短さは目を見張るものがある。


まず、ダンダーサナで掌が床に着かない。
・・・ホント、マジです。


ウトプルティやジャンプスルーは
相当バンダを効かせられるようになるまで
まったく歯が立たなかった。


マリーチC&Dやパシャーサナが苦手な要因も
太もも&腹回り=ムッチリなデブ体型を差し引いても
この腕の短さが加担しているのは明らかだ。


現在止まっているポーズはスプタバジュラーサナ。
ロータス組んだ足先を手で掴んだ状態で
マツヤサナみたいに胸反らして後ろへ降りるには
いくらなんでも腕が短すぎて
どうしても手が離れてしまう。


最近ではかなり胸が開いてきたけれど
いかんせんムチャクチャ腕が短い分だけ
もっともっと胸開いて持ち上げていかないと
多分このポーズは無理なんだろうなー
というのが私の見解。


このポーズに限りスタジオでは
基本は生徒さん同士による相互援助で
先生によるアジャストは週1くらい、みたいだ。


・・・みたいだ、っていうのは
私は先生のアジャスト対象外なので
周囲の様子を見る限りは、そんな感じかなと。


普通に手の長さがあって
足先を掴んだままでいられれば
ちょっとヒザに脚を置いてあげるだけでOKだけど
私のこの身障者並みの身体の場合
ごめんね、ちょっとやそっとじゃ無理なのよ~と
補助してくれる他の生徒さん達に恐縮しきり(グッスン)


こういう「まったくできないお手上げポーズ」は
やっぱり先生にアジャストしてもらいたいなぁ、
と思ってはいるのだが・・・
放置されることハヤ1ヶ月半。


あまりにもデキなさすぎて
手を出す気にもならない(プッ)
・・・という先生の気持ちも分かる。


アジャストの基本は
「できそうな人にだけ施す」
というのも知っている。


だけど、ここまで放置されると
私のワタクシたる基本反応パターンに

すぐヒガむ

というのがあって
ここのとこずっとヒガみまくり(笑)


せめてマトモなアジャストが受けられるくらいの水準までは
努力していきたいんだけど・・・
いかんせん、この腕の短さでは
(また体型を言い訳にしてます)
頑張りどころがつかめず
どこをどう努力してもダメじゃん~!
というか、その努力自体ができない次元・・・トホホ。


キャッチ22


できないものはできない。
それはキチンと認めるべし。
それはよくわかってる。

これまでも、そうやってきたし。
これからも、おなじことを繰り返すんだろうし。

できないことにチャレンジするのが
アシュタンガヨガの練習なんだし。

だけど、このポーズみたいに
なにをどうしていいのかわかんない~!
っていうのは、なんか困っちゃう。

今までつまずいたポーズは
何が問題でどこをどうすればよいのか
がわりかし明確だったけど
このポーズはねぇ・・・
どうしたらいいのかな?
ベルト使ってみる?

うーん


ま、そんな肉体的攻略法よりも

I'm not worth it
私にはその価値がない


とか

どうせ私なんか
の、ひがみモードに陥って、
やる気喪失、投げやり~



とかいう思考パターン陥りがちな
私のこの腐った精神的な問題を
クリアにしていくことが先決かな?
とも思ったりする。



うわ、なんか急に、かなりブルー。


これ以上悪化する前に
とりあえず、早く寝とこ。





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バランスをとる、そして自立する  

昨日の練習のこと。



アジャストされたバックベンドで足首をつかんだ後、
あまりパニックを起こさないように
意識して深くて長い呼吸を心がけてみた。



「脚もっと伸ばして!」

という先生の声に、身体が自然と反応し
自分の吐く息に合わせて
脚全体にスッと力がみなぎった瞬間・・・

上半身の力みが一気に抜けた。



重心が上半身側から脚側へ
フッと移動した瞬間・・・

自分の脚にぶらさがっているような感覚。



腕も胸も首も顔もどこも緊張していない。
ベースは、基盤は、よりどころは、私の脚。

その脚の付け根は心地よくストレッチされ
太ももの前面が無理なく伸ばされエネルギーが満ちている。
足の裏全体から均等にエネルギーが下へ降りて
とても力強くどっしりとグラウンディングしている。



脚全体が「ひとつのまとまった全体」として感じられた。



初めての感覚・・・びっくりした
と同時に、とても安心した
心地よかった。




アジャストで支えてくれる先生に頼るのではなく
自分自身がしっかりと大地に根を下ろして自立する。



私が自分自身を信頼して、委ねる
と同時にその私が
自分自身を支えて、受け入れる。



そのバランスが、とれた瞬間。



たかだか5呼吸の出来事だったのに
あまりの圧倒されるような出来事に放心。

感動。





いままでは、一旦足首を掴んでしまうと
ついつい上半身側に傾きすぎて
アジャストの支えがなかったら、頭から倒れてしまう状態。
(・・・実際、私の重すぎる体重を先生が支えきれず
アタマからドスンと落ちたことがある)

アタマはパニック
顔の筋肉はすべて緊張
首も肩も腕も必死に踏ん張っている
そんな上半身の「重さ」が
下半身よりも優勢だった。

つまり
上半身側 vs 下半身側
のバランスが取れてなかったってこと。

下半身の強さが培われたから
上半身の力を抜くことができたのか?
はたまた
上半身の不要な力が抜けたから
下半身の既にあった力を感じることができたのか?

多分どっちも、だと思うけど。





・・・こうやって、誰に教わるでもなく
自分の身体を使ってアーダコーダしているうちに
色んなものが見つかってくる
色んなものが出てくる
おのずと、しかも不意に。


なんかすごい


Ninjinsan.jpg



ところでモノゴトはいつも色んなところでリンクしている。

この「自立しているバックベンド状態」で沸き起こってきた
胸の奥から突き上げられるような感動は
私が最近ウダウダと悩んでいた事柄への洞察を深めてくれた。



自分は昔からとても他力本願なところがあって
そうすることで、なにか失敗した場合に
自分の責任を放棄し、頼っていた相手を非難する、という
とてもとても恥ずかしいことをし続けてきた。

家庭でも、学校でも、会社でも、知人友人の間でも・・・。

ヨガの練習も、そう。




私はメンタル面で必要以上に周囲に寄りかかってるなぁ

というのがここのところ結構よく見えてきて
そんな自分の弱さが嫌で嫌で嫌で


どうして私は自分ひとりでキチンと自立できないんだろう?

どうして私は他人に頼って自分の責任放棄しちゃうんだろう?



と、思いつつも、制御不可能な自分自身がそこにはあって
八つ当たりしては自己嫌悪に陥り
行き場のないモヤモヤをもてあます日々。





だから、アジャストされたバックベンドでバランスがとれたとき



あ、私は自立できるんだ、してるんだ。
頼る相手は、自分自身であっていいんだ。
自分の足で立つ、というのは、こういうことなんだ。




そんなことも感じていたのかもしれない。






いや、これは、後からとってつけた
調子の良いモノガタリなのかもしれない。



ま、どっちでもいいや。


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Rest in Asana アサナに抱かれ安らぐ  

一昔前にAco先生のブログで紹介されていた
舞踏ダンサーMaureen Flemingのパフォーマンス画像。




ヨガを始めて以来ずっとバックベンドコンプレックスを抱える私にとって
この動画を初めて見たときはショックで(笑)
自分の中の反応をどう処理していいか分からず
「うわー、スゲー、カッコイイ!こんな身体があったらイイナー」
「ハハハハ、私には絶対ありえない~。別次元の世界です」
と単純に安易に誤魔化し茶化した記憶がある。

だけど、また最近になって、改めて見直してみたときに
妙にシックリとくるものがあって・・・

身体の限りない可能性、その広がりは
内から発せられるエネルギーの流れから生み出される。
肉体という自分の外側で制限を作る世界ではなく
自分を内側へ押し込めて閉じ込めていく作業の対極。
つまりリリース、明け渡しの妙技。


なんてことをシミジミと感じるようになっていた。

と同時に、自分の練習における最近の変化への
ちょっとした洞察にも繋がってきている。






最近、拘束感の強いアサナで奇妙な自由と広がりを感じる。

たとえばスプタクルマーサナ
たとえはカポータサナ

これまでは内側の精神による強い抵抗がその基盤となり
全身を貫く緊張と抵抗、苦痛、苦悶、荒く激しい呼吸、そして恐怖・・・と
外側の肉体が長いことそのアサナ自体を拒絶してきた。

しかし、現在私がこれらのアサナで体感するのは
純粋なる自由さ、解放感、リリース、安堵感なのだ

自分の中に抵抗しているモノが何もない状態。
かつて確かにそこにあり
ものすごいパワーで私を拘束していた
ナニカが消え去っている。


Rest in Asana
アサナに抱かれ安らいでいる自分を感じる


そんな感じ。






どれだけバックベンドが怖かったか
(無防備に胸と喉を開いて降伏する勇気が持てなかった)
どれだけの痛みと抵抗で心身をスタボロにしてきたか
(内も外も夢も現実も嘘も真実も境界がなくなりワケわかんなかった)

そんなこんなが嘘のように
ただ今は、ただ心地よく
内からの強いエネルギーを押さえ込まずに
広がっていく感覚に自分を委ねているだけ。

抵抗という力を抜くことによって
息を吹き返す本来のパワー
それは力強さというよりはむしろ
しなやかさとして現るのかもしれない。




そんなことを思いながら
今日はムーンディ
アサナの練習はお休み。



Enjoy your rest




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やりたくないこと  

1:他人の練習をジャッジすること

批判も羨望もふくめて
あの人はアアダ、この人はコウダ・・・

だからナンナンダ?

あの人はアノヒト、この人はコノヒト
それぞれの事情、それぞれの条件

それが他人の目にどう映ろうと
いまその人にとって必要なやり方で
やるべきことを行っている
それだけのこと。

なにが良くて、なにが悪いのか
なにが正しくて、なにが間違っているのか
知らずと固執している自分のモノサシや基準値
まずはそこをブチ壊すことが先決

そして何よりも
気に障ったり、嫌悪すら抱く事象は
結局自分自身の内にあるものなんだと
自覚する勇気を持つこと

そこを隠蔽してイイ子ぶってる限り
絶対にそこから自由にはなれない






2:苦手ポーズ自慢をすること

特にマリーチDがドウダとか
カポタがアアダとか・・・あ、それは私か。

ドーダの人々(@東海林ショージ)
の「忙しい自慢」や「病気自慢」みたいに
アシュタンギが集まれば始まる「苦手ポーズ自慢」

自分だけがこんなに苦労している
努力がまったく実らないこの悔しさ
努力しなくてもできる人達のなかで
私だけがみんなと違う・・・
嗚呼、黄昏のスプタブルース

なんてショーモナイ自己主張で
ささやかな憂さ晴らしするくらいなら
陰ヨガのポール・グリレイ氏が
TTCで教えてくれたマントラを唱えよう。

I am the only one
I am insufficient in some way
There is something wrong with me
Om shanti

(完全に自信喪失するまでリピートすること)





3:どこまでポーズが進んでいるかで
その人を評価すること


どう考えても、違うでしょ?

セカンドシリーズやってる人が
ハーフプライマリーやってる人よりエライの?

どのポーズをやっているかじゃなくて
どのように練習をしているか
練習に対する姿勢がどうなのか
ってコトじゃないの、大事なのは?

ヨガをやってるの?
体操をやってるの?

自分がちょっと揺れてきたら
何度でも自問したい






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いまさらながらのマリーチD  

アシュタンガヨガを始めて一番最初にぶち当たった壁は
マリーチアーサナのCとDだった。


胴長
太くて短い四肢
脂肪タップリの腹回り

という三重苦抱えて
エッチラオッチラやるマリーチC&Dは
苦行以外のなにものでもなく

こんな無理な姿勢で
ゼイハァ言ってヒーコラするのが
果たしてヨガなのか?


と、非常にアグレッシブに疑問を周囲に叩きつけていた覚えがある(笑)

あー、もー、デキナイ!デキナイ!
こんなに人の体型を選ぶポーズなんてフェアじゃない!

ねじりのポーズなのに
細くて手足が長ければ
ねじりが深くなくても
かんたんにできちゃう
それって不公平じゃない?


と、あまりにしょっちゅうギャーギャー騒いでたからか

え?こんな簡単なことが、なんでできないの?
と驚愕されたり

プッ・・・それじゃぁ、できないでしょ?
と侮蔑されたり

グチャグチャ言わず、痩せればいいじゃん?
と諭されたり

カラダじゃなくてココロが固いんじゃないの?
と「いわゆるヨガっぽい」説教されたり(笑)

エトセトラ、エトセトラ。




・・・ま、その頃は
ナニ言われても腹が立つ時期だったから
どんな周囲のご意見アドバイスも
ロバに念仏、豚に真珠、のれんに腕押しで
ちっとも有効活用できなかった。

簡単に超えられない壁にぶつかったとき
結局問題は自分なんだよな
ということは解っていたはずなのに

その肝心な自分自身が

「ココに留まってギャーギャー愚痴ってる不幸な状態」

を選択していたみたいで
なかなかそこから抜け出せなかった。

できるわけないじゃん、私デブだもん。
このヒガミこそが当時の私のレーゾンデトワールだった

と、今なら冷静に振りかえることができる(笑)




はてさて





ガチゴチとかたくなな精神性を持ちあわせていようと
タップリムチムチの肉体を抱えていようと
それでも毎日毎日飽きもせず練習していると
大抵のポーズはできるようになるらしい。

一生できないはずだったマリーチDは
2年半かかって、ようやく自分ひとりで指先が触るようになった。
3年半かかって、自分ひとりで手首がつかめるようになった・・・
・・・なんと、これが今週のこと。

ポーズの進歩具合を、他人と比較するのは意味ないけど
多分ここまで時間かかる人って少数派なんだろうな、と思いながら。

どれだけ馬鹿にされようと、笑われようと、憐憫されようと
周囲はそんなこた思っちゃねーよ、とひとりツッコミしながらも
とりあえずは真摯に自分の現実と向き合って練習する。
言い訳や逃げ道を作ってる自分をも、ちゃんと受け入れてあげる。
そして、ゆっくりと、自分に必用な時間をかけて
氷が少しずつ溶けていくように
カラダとココロの自然な変化に委ねる。
気がつくと、そのポーズが「あれ?」ってカンジで
スンナリと自分にパチンとはまってくる。
多分そのころにはガジガジのココロも溶けている。

体型的に不利な人ならではの変容のプロセス。
これぞヨガの醍醐味であって
フィジカルなエクササイズの楽しみとはまったく別のもの。

今まであれほど嫌悪していた自分自身の体型が
やっと愛おしいものに感じられるようになってきたのは本当に最近。




デブにも関わらずアシュタンガヨガを始めてしまい
時間をかけてマリーチDができるようになったから
ゆがんだ自己イメージを整えることができて
それに伴う摂食障害も治りました!



単純に書くと、こういうこと?

・・・なんか、深みにかけるなぁ。





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変化とサイン  

ここにきて、急速な変化に戸惑い気味な日々

会う人、会う人に
「どうしたの?やつれてるよ!」
「なんかゲッソリしてる」
と心配される。

残念ながら
「お、痩せたね!」
みたいな嬉しいお言葉ではないのが悲しい。

2ヶ月前に参加したお坊さんによるマクロビ&精進料理の教室。
それを境に、食べ物に対する意識が180度変わり
不要なものはいらない、というのが、カラダで解るようになった。
そして気がついたら、過食という摂食障害に縋って生きる理由がなくなっていた。

食事の頻度と絶対量がガクンと減り
それまで食べることに費やしてた時間とお金が減り
ココロにもカラダにも少しずつスペースが生まれてきた。

以降、体型が劇的に変わり
その変化に伴う反応のように全身に痛みと違和感が発生。
その痛みと違和感が消えたと思ったら、アサナの深みが増していた。
同じポーズをやっていても、まったく別のポーズのような感覚。
なによりも、「必死で頑張ってる感」よりも
「自由な解放感」が、全身を貫くようになってきた。

ここ2ヶ月くらいの話。

先週くらいから、あれだけトラウマ化していたカポタが気持ちよくカカトを掴むようになり
今週に入って、バックベンドで足首を掴むのがデフォルト化。
先週くらいから、ガルバでデコに手をつけたままでのゴロンゴロンができてきて
おとついくらいから、マリーチDでもやっと手首がつかめるようになった。
1ヶ月前から正しいやり方でのジャンプスルーがあたりまえになってきて
今週に入って、ティティバーサナ→バカーサナ→ジャンプバックが空中で気張らずにできるようにもなった。
3週間くらい前から、ウティタハスタで骨盤を傾けることなく脚を上げられるようになり
なんとチャクラーサナが今朝気がついたら、ほぼ100%の成功率へ。

ここ2ヶ月でのアサナの変化。


久々に体重計に乗ってみたら
昨年春にインドへ行ってたときから12kg減っていた。
多分そのうち半分は、ここ2ヶ月での変化と推測。
アシュタンガヨガを始めた頃と比べると15kg減。
とはいえ、まだまだ一般的には小太りさんだし
アシュタンガヨガをやるにはかなりのオデブちゃんだけど
自身の変化という点では、これは相当急激すぎ。

ココロが変わるとカラダが変わるのか
カラダが変わったからココロも変わってきたのか

ここ2ヶ月での新たな疑問


そういえば、やたら感染症にかかるようになって
先日は単なる虫刺されがデッカク化膿して大変な目に。
相当免疫力が落ちてるに違いない、と血液検査。
そしたら意外な結果がでてビックリ。
総蛋白、コレステロールが基準値の半分にも満たないそうで。
「え、それって絶対メタボらないってことですね^^」
と喜んだらお医者さんに怒られた。

肉を食べろとは言いませんが
もう少し積極的にたんぱく質を摂ってください。
とのアドバイスをいただいて、ハッとした。

そういえば、ここ2ヶ月で乳製品と砂糖を一切断ってきたにも関わらず
得に意識して豆腐や納豆を食べよう、とは思いもしなかった。
ニンゲンって玄米と少々の野菜だけで生きていけるのかと思ってた。
むやみに禁欲的になることが正しいとは限らない。
自分をちゃんと知る、見極める、そして選択する・・・その方が大事。

ここ2ヶ月の変化による気づき


生活パターンもこれ以上睡眠を削れないほどパンパンな状態
ヨガも仕事も家庭も、みんなパーフェクトにこなしたい
そんな欲張りな自分を発見。

新たなチャレンジとして、朝練に更なる1時間半を追加。
会社勤務時間が上司の意向でさらに延長。
やれどもやれども終わりのない家事。
自分で決めたこととはいえ、1日4時間の通勤時間。

さて・・・

どこでなにを切り捨てるか
どこまで余分なものをそぎ落として
自身をミニマムにしていけるのか?
私が、エゴや囚われとは別に
本当に求めているモノ・コトはなんなのか?

これがきっと現在のわたしの課題なのかも
と気づいたのも今週に入ってからのこと。

いろんな変化があって、なんだか面白いんだけど
実は自分がちゃんとついていってない感じがする。


変化はサインだ
見逃しちゃいけない

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tb: 0   cm: 5

身体の変化  

なんか身体が柔らかい

いつもはガチガチに固まっているお尻のお肉が
あれ?ふにゃふにゃだー!と気づいたときには、
こ数ヶ月続いてたハムストリングスの痛みも
いつのまにか消えてなくなっていた。

ふしぎ、ふしぎ。

ポーズはずっと停滞しているにも関わらず
なんで今頃こんなところが痛くなるんでしょう?
と疑問だったハムストリングス

アシュタンガヨガを始めたころ
前屈前屈前屈、とにかく前屈・・・!の連続で
初めて体験した身体の痛みがここだった。

ヨガって身体にイイものではなかったのか?
と非常に不安になったことを覚えてる。

結局その痛みは半年くらいで消えていき
その頃には前屈ポーズが苦痛でなくなっていた。

先週からの練習は化膿したふくらはぎをかばって
かなりソロリソロリとプライマリーをやっているが
セカンドに入ってからは(スプタバジュラまでなので)
クランチアーサナとスプタバジュラーサナ以外
ふくらはぎに負担がかからず普通に練習ができてうれしい。

最近はウシュトラ→ラグ→カポタの三つ巴が
妙に気持ちよくて(=キレイにできてるではない)
胸ばっかりパカーンと開いて変な感じだ。

カポタもやっと「痛い」「怖い」の呪縛から逃れたようで(笑)
カカトを掴むのがデフォルトになってきてバンザイ。
今朝はプラスαで「掌はカカト・指先は足首」まで伸張。
しかし、まだまだ肘は内側に入ってないし
足も膝が外側を向いているあたりが改善すべき点。

ドロップバック後のアジャストされたバックベンドでは
今朝初めて足首をガッシリ掴みきってしっかりキープ。
これまで足首に触れることはあっても
掴んだことはなかっただけに、ちょっとビックリ。
しっかり掴んじゃえば意外と安定するんだな、と思った。
しかも全然頑張ってる感じもなくて、痛くもなかった。

へー、ふしぎ、ふしぎ。

なんて思ってたら、
お尻ふにゃふにゃ&ハムストリングスの痛み解消!
にも気づいた、今朝の朝練でした。


私達は常に変化を続けているのだなぁ。


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