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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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Enjoy your rest  

先週土曜から月曜にかけての3連休で、心身ともにいい感じにリセットできたことを実感。


「休めない、休めない、痛くても辛くても腐ってもプラクティスプラクティス~!!!!」
「おいおい、ワタシ、そんなに取り付かれたようにガツガツしてドースル?」

というひとり突っ込みをひとしきりした後
いつの間にか「練習を休むのが怖い」になってしまっていた自分を再確認。
こつこつと地道に築き上げたものが、休むことでチャラになってしまうのではないか?という不安。
失うことへの恐怖、捨てきれない執着、そこに取りすがる哀れな自分、うーん醜悪。

「アシュタンガは練習あるのみ~」を隠れ蓑に
その裏にある自身の弱さや恐れをヒタ隠しにして
ガムシャラに突っ走ったトコロで、それは滑稽なだけだな、と反省。

以前ケガと痛みと喪失感でグチャグチャ悩んでたドロドロ時代
自分に鞭打ってゼイゼイ練習に励むのがアタリマエだと思ってた私に
むっちゃハードコアなアシュタンギ(だと思ってた)現在の先生がサラリと言った

Don't be a Yoga Taliban
(タリバンみたいになりなさんな)


わはははは、そりゃそ-だ!
と一気にシリアスな気分が吹っ飛んだことがある。

夢中になりやすい性質ゆえ、たまに俯瞰図みたいに自身を眺めては
おっとイケネ!と軌道修正する必用アリアリ。

そういった意味で月に2回のムーンディは
ここの部分をサクッとリセットできる機会になっていいや。



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雑記帖・覚書きとして  

スキッドレスやヨガラグは毎日、もしくは2~3日に一回は洗うべし。3週間も放置し発酵させたラグを使って臭い思いをするのは自分だけじゃない。同じスタジオで練習している人から「こないだ、隣でスッゴク臭かった!」と指摘を受け、とても反省。その日のうちに銀座スーリアへヨガラグ買いに走りました。買うより洗え、というつっこみは言わぬもがな。





「私はアサナに執着などしていない!」と、ことさらに発言すること自体が、すでに囚われてる証拠。集中せねば!せねば!と、ガジガジになってやる瞑想とおんなじだ。理性と衝動と肉体とマインドと感情と魂それぞれが、不要な無理をすれば「ひずみ」が生じる。そしてこの「ひずみ」こそが生身のニンゲンとしての面白さというか、ニンゲンがニンゲンたるゆえんなのではないかと。





自分の了見の狭さと頑なさ具合に、相当落ち込むことが多々ある。要は、「こうありたい自身」と、「そうありえない(ときもある)自身」との乖離の度合いの問題。その差を目の当たりにする、隠蔽しておきたい自身を凝視する・・・都度ココロとカラダが雑巾のようにギューッっと絞られていくようだ。クソのような膿をたくさん出して、心身ともにカラカラになったら、善きもので充電するように心がける。慈悲の心。よきかんがえ、よきことば、そして、よきおこない。以上でも以下でもなく。





お坊さんによる精進料理教室へ参加して以来、食べ物に対する態度が変わった。減量目的や「せねば!」で規制・我慢をするのではなく(→それこそが私の摂食障害の原因)、ただ「おいしく、ありがたく、いただく」それだけ。感情で食べるのではなく。精神的渇望を満たすためもなく。過去の記憶や、喉越しの感覚、胃が膨張する感覚を求めるのではなく。Food is for your body.not for your mind or emotion・・・という、しごく簡単でシンプなことを、どれだけ理解せずにきたことか。食べ物が変わると、カラダがまず変わる。そして、ココロも自ずと整ってくる。それを、ヒシと実感するここ数週間。





練習の質が変わった、と自分でも気づいたのは1週間ほど前。空間との関係が向上したみたいで、重力と戦わない状態が増えてきた。そして、「粗さ」の肌理が整い始め、少しずつ「なめらかさ」が生まれてきている。最近ハマっている、「ゆっくりと長い呼吸で途切れずに繰り返す月の礼拝」で自身の中のなにかが目覚めたみたい(笑)。少しずつ減少していく過剰な体重、どんどんスローになっていくマインド、日に日に培われていく力強さ・・・一言で言うと、「とっても楽」になってきた。疲れない、息切れしない、汗の量も減り(季節のせいもあるけど)、練習時間がかなり短縮。





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手を変え品を変え  

昔イギリスでベビーシッターのアルバイトをしていた頃
面倒をみる子供(赤ちゃん)には、大きく2通りのタイプがいた。


A:人見知りしたり、すねたりはしても、結局は言うことをきく素直な子
B:なにがなんでもヤダヤダヤダーッ!と駄々をこね、最後まで我を通す頑固な子


やたら子供になつかれる(単に同類とみなされるだけ)せいか、
たいてい担当するのは前者タイプなのだが
ときおり後者の超ハードコアなダダッコに当たることもあった。


この場合、もうワタシは必死だ。
やれ絵本だ、ヌイグルミだ、お歌だ、ダンスだ、かくれんぼに、テレタビーズのビデオ・・・と
手を変え品を変え、ご機嫌をとりつつ
「いいか、泣くなよ、泣くなよ・・・」と丁重になりつつも
一応、それが仕事なわけだから
こちらの「指示」どおりに行動してもらう。
(ごはん、おふろ、はみがき、ねんね・・・などなど)


だけど、やっぱり、どこかで、なにかが
このチビッコ・モンスター共のなにかをクリックしてしまい
「ウギャー!」
と泣き騒がれて、こっちもトホホになること多々。


手を変え品を変え・・・
でも結局「ウギャー!」
ガックシ、ではまた別の手段で・・・
それでも「ウギャー!」


まあ、かれこれ10年以上まえのハナシですが。




さて、2008年の毎日の朝練にて。

相も変わらず私はカポタでウンショウンショやってて。
アジャストされると「ウギャー!」と大騒ぎな日々だ。


どうやっても、どーしてもダメダメなので
毎回おんなじアジャスト方法ではラチがあかん、と
毎日毎日懲りずに手を変え品を変え
色んなやり方で、色んなアドバイスや説明をしながら
カポタのアジャストをする先生、マジで偉い。


*オーソドクスに正面から両手をひっぱる

*しっかり安定するように片手ずつひっぱる

*後ろに座って足つかませて下まで歩かせる

*正面に1名立たせ、後ろで先生ガッツシ!の3P

*前に押しだす腰を反対に押し返し、反発する力をコントロールして下へ降ろす

*Bやって手で歩かせて、正面からちょっとずつ手をひっぱって、Bやって手で歩かせる

(書いてるとワケわかんねー)



だけど、辛いものはツライ。
どんなにナニをどうしようと
ツライものはツライ。

せっかくの新メニューも
無駄に終わっちゃ勿体無いし
なにはさておき大変申し訳ない。

だからできるだけフィードバックをすることに。



「ここで、足に力をいれて、腰を上にキープされると、腰の1点に力が凝縮されて、激痛です」

「後ろに降りてぶら下がってる時に、手をひっぱられてそんなに時間かけられると、痛みで持ちこたえません」

「手を一本ずつ引っ張られると、間が長すぎて、潰れちゃいます」

「両手いっぺんに引っ張るなんで、ムリです、壊れます」

「途中で沢山いろんなこと言ってくれてますけど、私パニックでわけわかんない状態ですから、耳に入りません」

「なんか、もう、すっごい痛いです、いやです」

「1人でやったほうが深くポーズに入れます!」

「なんで、できないんですか、私?」


フィードバックっていうか、単なる発散
・・・八つ当たりも入っている、当然。


ここまでウザイ生徒、よくも破門にならないもんだ(時間の問題か?)
それどころか、いちいち真摯に耳を傾けて、マジレスしてくれるあたり感服しきり。


「なんで、できないんですか、私?」
と、ヒステリカルにキーキーとブチ切れしてるところへ
「まだその準備ができてないからです」
と一言・・・はい、そのとおりです。

下手にここがどう、あそこがどう
っていう弱点指摘よりか、ずっと効果的というか
こっちにハッと考える余地を与えてくれる。



先日アジャスト後ブイブイと痛がっていたら
なんと掃除機のホースを取り出しては
「ジャバラ部を伸ばして曲げる」のと
「ジャバラ部を伸ばさずに曲げる」さまを見せては
私がなぜ腰の一点に負担をかけてるのかを理解させてた。
(私は小学生か?)


まさに、手を変え品を変え、である。



10数年前にハードコア・ダダッコに手を焼いたワタシが
現在超うざいダダッコぶりを発揮しているという構図が笑えるけど
しかし私もいい加減、こんなワガママし放題じゃイカンな、と
そんなことを感じるこのごろ。





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ジャンプスルー  

先週の木曜日に初めてジャンプスルーできた。



ズルしてバンダを使わずに、ササッっと、まっすぐにした脚を床すれすれにくぐらせる、オンナノコジャンプスルーじゃなくて

とりあえずケツ上げてジャンプした後、腕力で自重を持ちこたえ→足クロスして→一瞬ロラーサナになってから、脚を伸ばして床着地、のオトコノコジャンプスルーでもなくて

ちゃんとお尻上げてジャンプして、肩に重心乗せてから、脚をまっすぐにしたまま空中で前屈状態になって、両手の間をくぐらせ、ダンダサナ状態で一瞬浮いてから着地、の正しいジャンプスルー。


Petri-Raisanen-Jump-Through.jpg



ちょっとやそっとのデブじゃない私は、そのゴツイ肉体と、ちょっとばかりの腕力に物いわせて、案の定これまでずっとオトコノコジャンプスルーをやってた(ヤッパシ!)

これはちょっとコツを掴むと結構楽チンなワリに、見た目はフンワリしててカッコイイ、というのが理由だ(基本エエカッコシイの見栄っ張り)





昨年インドのマイソールで、マイソール・マンダラというSheshadriのシャラで練習していたときに、「ジャンプスルーでは足を伸ばしてやりなさい」と言われたけど、それ以外は誰からもなにも言われず、ずっとずっと足をクロスしてやってきた。

マシューの本にも、「まずは足をクロスしてロラーサナになってから着地」という方法で初心者は鍛錬をつむべし、「足を伸ばすジャンプスルー」は、それができてからのハナシ、とあり、これに私は深ーく同意していた。

なんといっても、私がアシュタンガにはまったのは、そのビンヤサのフワンとした無重力な感じ、つまりアームバランス・ハンドスタンド・バンダ・バランスポイント・吸う息と吐く息の間の空間・・・という世界観だったわけで(笑)、一応フィジカルな目標としては

ふわんとケツ浮かす

であり、この足クロスのジャンプスルーは、そこへ至る絶好の鍛錬だったのだ。





この観点からすると、周囲のオンナノコジャンプスルーが、まったく無意味な「とりあえず無難に流す」だけのものにしか見えず(つか、ドリスティは、キミ?)
「それは、違う!ああいうやりかたで誤魔化してたら絶対進化しない!」と、意固地に反発していたという、ヤなヤツだったという、それだけのハナシでもあるのだが。






実は2ヶ月くらい前に一度だけ先生に「これからは足を伸ばしてジャンプスルーやって」と言われたけど、できたのは数回だけで、その後ぜんぜんできなくて、メンドイからそれきりやらなくなってた。別にそれだからどうだ、と言われることもなかったし。先生だって、いちいち自分の言ったこと覚えてないだろうし。何十回と繰り返すビンヤサは、慣れたやり方のほうが楽だし。ま、いっか、で誤魔化して、足クロスのジャンプスルーに安住。



そしたら突然、先週の木曜日にサクサクと気持ちよく練習してたら、「なんで足まっすぐにしてやらないの?」と聞かれ、ちょっとだけハッとした。言い訳以外の返答ができなかった(クソー)


先生:「はい、足伸ばしてやってみて」
私:ヨイショ、ヒュン、ドッスン(ケツ落下)

先生:「ドスンじゃなくて、コントロールして。もいっかい」
私:ヨイショ・あ、いけね、足クロスしちゃった、あわてて伸ばして、ドッスン

先生:「なんで足クロスするの?もいっかい」
私:ヨイショ・ヒュン・思いっきりドッスン!!!!

先生:「最後ちゃんと手で自分を支えてから、降りる」
私:ヨイショ・ズズッ、あ、足先ひっかかった、イテテ

先生、気がつくと立ち去ってる。
私、なんか、楽しい(笑)


うまくできないんだけど、でもなんか、コツがつかめてきたのよねー
肩に重心乗せるタイミングとか、角度とか、勢いとか、呼吸とか、バンダの入れ具合とか・・・。
などど言いつつ、この日はずっとジャンプスルーの度に足伸ばしてやっては

お、できた!

あらん、ズルルー

あ、またできた

えーん、勢いあまって、ドッスン

と、飽きないこと、飽きないこと・・・

気がついたら、ほぼマスターしてました、ヤリー!






先生はそれ以降、なにひとつ口を出さない。


私がやろうとやるまいと、できようとできまいと
これはあくまで私の練習であって
先生に見てもらうとか
他人に評価してもらうためにやってるんじゃない

ということを暗に伝えてくれてるのかもしれない。



できたからエライとか
できないからダメだとか

そんな次元で練習しているわけじゃない。



ただ、やる
そして、それを繰り返す

ってだけの単純なこと。



そしてその単純なことが
どれだけ大事なことか

そこに気づくということ。




先生に言われるでもなく
自分の行為や体験を通して
身をもって知る、ということ。

それが練習ってやつ。





最近ホラずっと、難関カポタで沈没してて、少なくともここ1年くらいは「ここ」でウンショウンショと留まるんだろうな、と、「わかっちゃいるけど結構ブルー」状態だったけど、こういうちょっとしたBreak throughがあると、張り合いがでてくる。ま、単純といっちゃ単純。



んじゃ、次はジャンプバックね^^




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心地よい練習  

呼吸が深い


スリヤナマスカラの一連の動きが
全てスムースに繋がる


点から点へ
の練習ではなく

点と点を結ぶ線
をていねいに、じっくりと、ゆっくりと
の練習。


そこを呼吸に
やんわりと、やさしく、乗せていく。


スーッッッツ!!!
プハーッッッツ!!!
の意気込んだ呼吸じゃない


深くて大きな呼吸





ジャンプバックやジャンプスルーで
ほんとうに一瞬だけど
フワリ、と中世浮力に浮かぶ瞬間がある


そこから、じんわりと、
そのフワリを後に続けてつなげていく


床に脚が着地しても、そこで
「ヨシ!やった!ジャンプバック/スルー well done!」
と完結するわけじゃない


着地点は単なる通過点
そこから途切れず全ては続いていく

という実感



そんな感じの今日の練習

特にスリヤナマスカラは
外側の筋肉だけで形作っているんじゃなくて
内側から溢れてくるエネルギーを
コントロールしつつ流していく
まさに至福のとき

うーん







ところで昨日の満月の夜に
地元のビーチでヨガをやった。

なんと15人もの参加者が集まるも
残念ながら雨のため途中で中断

だけど、波の音、砂の感触、大地、空
そういった自然の大きさのなかで行う呼吸は
とてつもなく爽快だったし

見上げるドリスティのその先に広がるのは
ただただ無限の空
果てることなき水平線

・・・っていうスゴサに圧倒された。


セッションの内容は
普段のビンヤサやアシュタンガヨガとは違って

ゆっくりと呼吸を深く長くして
月の礼拝を何度か繰り返していった。


月の礼拝は、反り系のポーズがつづき
知らず知らずと「サレンダー」「捧げます~」の気分になってくる。

知らず知らずと、胸がじんわりと開いてくる。


太陽礼拝のようにチャトランガやジャンプバックでゼイゼイしちゃって
ぶつ切りのシーケンスで体育会系することもなく

ゆーっくり、ゆーっくり、途切れさせずに行うので
本当に呼吸と動きが一体化してくるのだ。

ほんとうに、
月の、陰の、夜の、イダの、女性の・・・そういったイメージ。

やわらかく、でも凛として静かな強さ。




その余韻が、まだ今朝も残っていて。

だからきっと、こんなに暖かくて柔らかな
心地よい練習ができたんじゃないかな。



ああ、今日もナマステだ

すべてのものにアリガトウだ

堪んないなぁ





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make it happen / let it happen  

今朝の練習では

いつもと違う気の抜け方が心地よくて

意図せず呼吸に深く集中




久しぶりに全身で感じる

スペース、空間、滞りのなさ




練習が終わってから、ふと思った。


ポーズにせよ、ビンヤサの流れにせよ
いやいや、ヨガだけに限らず求道なるものはつまり


Make it happen
(能動的に「私」が「それ」を生起させる)

ではなく

Let it happen
(「それ」がおのずと自然に生起するにまかせる)

へ向かっていくのだなぁ、と。



もちろん、それを可能とするに必要な土台や基盤
ここを固めていくのが、いわゆる修練・プラクティス

不必要に意思や意図でガツガツやってると
そこからドンドン遠ざかっていく

子供のようにシンプルに無心になるとき
邪魔なものを取っ払って無我、無私の境地に立つとき
必要なものはおのずとたち現るんじゃないか?






「弓と禅」より

大正時代に日本で弓道の修行をしたドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲルに向かい、師範がこう言い放つ。

「正しい弓の道には目的も、意図もありませんぞ! あなたがあくまでも執拗に、確実に的にあてるために弓の放れを習得しようと努力すればするほど、ますます放れに成功せず、いよいよ中りも遠のくでしょう。あなたがあまりにも意志的な意志を持っていることが、あなたの邪魔になっているのです。あなたは、意志の行わないものは何も起こらないと考えていられるのですね」




ある日私は師範に尋ねた
「いったい射というのはどうして放されることができましょうか、もし“私が”しなければ」と。
「“それ”が射るのです」と彼は答えた。
「そのことは今まですでに二、三回承りました。ですから問い方を変えねばなりません。いったい私がどうして自分を忘れ、 放れを待つことができましょうか。もしも“私が”もはや決してそこに在ってはならないならば。」
「“それ”が満を持しているのです。」
「ではこの“それ”とは誰ですか。何ですか。」
「ひとたびこれがお分かりになった暁には、あなたはもはや私を必要としません。そしてもし私が、あなた自身の経験を省いて、 これを探り出す助けを仕様と思うならば、私はあらゆる教師の中で最悪のものとなり、教師仲間から追放されるに値するでしょう。 ですからもうその話はやめて、稽古しましょう。」


そして修練ののち

その頃ある日のこと、私が一射すると、師範は丁重にお辞儀をして稽古を中断させた。私が面食らって彼をまじまじと見ていると「今し方 “それ”が射ました」と彼は叫んだのであった。やっと彼のいう意味がのみ込めた時、 私は急にこみ上げてくる嬉しさを抑えることができなかった。

 「私がいったことは」と師範はたしなめた
「賛辞ではなくて断定に過ぎんのです。それはあなたに関係があってはならぬものです。 また私はあなたに向かってお辞儀したのでもありません、というのはあなたはこの射に全く責任がないからです。 この射ではあなたは完全に自己を忘れ、無心になって一杯に引き絞り、満を持していました。 その時射は熟した果物のようにあなたから落ちたのです。さあ何でもなかったように稽古を続けなさい」






おおおー、鳥肌・・・!

よーし、たとえ明日カポタがフトできたとしても

何でもなかったように稽古を続けるどー!

(なにもわかってない模様)





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さて、今日も  

最近ハイテンション気味である。
いわゆる躁状態というやつだ。

ただでさえ睡眠時間が少ない生活パターンなのに
ベッドに入っても、目はランラン。
ほとんど寝ずとも、やたらと元気。

こーゆー時は、ある事ないこと
ダダダダダーっと大げさにして
有り余るエネルギーを消費しようと
なんとも無駄なことやっている模様。

昨日の日記を読み返して
あららららー、と、ちょっと苦笑。
迸る欲情に任せるがままに垂れ流し
まるで思春期のすっぱいパンツみたいです。

自分自身のの問題を目の当たりにして
キチンとまともに対応しきれず
とりあえずは安易に外部へ八つ当たりして
うわーっと発散・・・ああ、幼稚だ。

昨日の日記だけ読んだらきっと
なんてヒドイ先生だ!と誤解されそう。

ヤバイ、反省。
あれは、私の脳内劇場です。

実際は、非常に生徒のコンディションを気遣って
必要以上に無理をさせないこと徹底してる先生です。




反省をこめて、下記、書き直し。

アジャストは本来、生徒の練習を深める手助けであるべきなのに、
できないポーズの完成型へスポーンとショートカットで連れてってくれる
そんな魔法使いサリーちゃんを期待している愚かな自分がいることに気づいた。

今の私にとって、カポタは辛い、痛い。
精神的にも、肉体的にも、まだまだ準備ができていない。
今は、まさにその準備中の過程、真っ最中なのだ。
なのに私は、それが気に入らないらしい。

だから、アジャストを受けるたびに
「今日こそイキナリ完成型できちゃってヤリー!」
みたいなミラクルを期待して、それが適わないと
「それをするのが先生なんじゃないすかー?」
と、不貞腐れているという現状・・・恥かしい。

自分の「可能性を広げる」ことへの過剰な期待によって
自身の現状を無視した「無謀をカマしてる」のは、私だ。

昨日のアジャストの最中に
私は自分で自分のカラダを壊そうとしている?そんな恐怖に襲われた。

それは、先生の意思じゃない、私自身だ。
私は「私の練習」をしているだけに過ぎない。
もっとも愚かで軽薄でミットモナイやりかたで。


大事なところをすっ飛ばしちゃって、イキナリ完成型を目指してたのは私だ。

自分の現状を直視せずに、ポーズだけを先へ先へと急いでいたバカ者は私だ。

カラダがそこまで開いていないにも関わらず、
一気にカカトまで手を持っていこうなんて
極端で無謀で無理なことやろうとしていた私自身こそが
間違っている、オカシイ!

といった、自身に向けるべき批判を、
そのまんま先生に八つ当たりしてしまいました。
最低ですね、ごめんなさい。

あーあ、私の業は深いね(ちょっと意味不明)




エゴのためにリスクを背負うのは、もうやめよう。
ちゃんと自分のカラダを大事にして
一気にショートカットではなくて
コツコツと段階追って、少しずつカラダを開いていこう。



っていう自覚を持っての、今日の練習。

カポタのアジャストも受けた。

全然できなかった。

でも、それでいいと思った。



いまは、ここ。

何回も自分に言い聞かせる言葉。

さて、今日も。



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angry bear  

最近やたらと周囲に噛み付いてる自分発見、ガルル。

言葉には出さなくても、心の中で毒づいては、ガルル。

どーやら自分の中に angry bear が潜んでいるモヨウ。


angryBear.jpg


今朝も、んなミットモナイ事やってんじゃねーよー、と自分に唾棄しつつの朝練。

どれほど太陽礼拝でサッサと辞めようと思ったことか!

どれほスタンディングで・・・ハーフプライマリーで・・・・(以下略)




汗スゴイし、ラグ忘れるし、切った髪が中途半端でジャマだし、上腕痛いし、腰痛いし、左右のバランスがグラングランだし。

実はスタジオに置き忘れていた「2週間洗濯せずに使用した後1週間放置」のスキッドレスがあって、今日はついに禁を破って使ってしまい・・・犬のオシッコより臭くて、かなり凹む。





しかしカポタの進捗状況には、自分で言うのもなんだが、目を見張るものがあってビックリ。

今朝は非常に気持ちよーく、伸びてる実感をうーんと味わいながら、5回ひとりで繰り返し練習。

床に付けた手を歩かせるコツが、やっとつかめてきた。

一旦アタマを床につけてしまうと、そこでGame Overって感じで

どんなに頑張っても、それ以上深くポーズには入れないから

アタマを床に付けないまま、手で歩く!のがポイントなのだー!とは今朝の気づき。

回数重ねるごとにドンドン深く手が歩く、歩く。

多分あともう少しでカカトに届くはず。(指先が、ですよ^^)




だけどアジャストされると途端に痛くて辛くてダメダメで、足先にすら手が届きません(笑)

どーなってるんでしょうか?

私は基本Mなんですが、こんな痛くて苦痛なアジャストは、アリエマセン。



ねぇねぇ、アジャストって生徒の練習を深める手助けなんじゃないの?

完成形の鋳型へ、スポンと他人の身体をぶち込むような、そんな一発職人芸披露の場にしてドースル?




本日の私の中のAngry bearは、

ちょっと、やめてちょーだい!私のカラダを壊すつもり?

と、イキナリ怒涛のごとくウゴゴゴゴーとぶちきれてしまい

アジャスト受けてる最中に

全身全霊で一切合財を否定、拒絶、ミーンナ放棄

ダランと仰向けに潰れてGame Over、グシャッ。


radioheadbear03.jpg



なんで足腰固定されたまま、一気にカカトまで手を持っていかなきゃなんないんだ?

そんなに私のカラダはまだ開いてないんだから、それは極端すぎです、無理です。

絶対これ間違ってる、オカシイ!

「可能性を広げる」ってのと、「無謀をカマす」ってのは、別物だよ。




あーもー、当分アジャストはいらない、いらない。

独りでコツコツやって、自分ペースで、段階追ってカラダを開いていきます。

大事なところをすっ飛ばしちゃって、イキナリ完成型なんて

今の私にはいらない、いらない。


自分の現状を直視せずに

ポーズだけを先へ先へと急ぐなんて

それほど愚かでバカバカしいもんはない。



エゴのためにリスクを背負うのはごめんちゃい。

私は自分のカラダをちゃんと大事にしていきたいです。


angryBear.jpg


そんなこんなで、練習が終わってもangry bearはずっとガルル。

ジョナサンで、会社で、アチコチで周囲に噛み付きまくってます。

これから満月に向かって、エネルジーの向かい先に要注意ですね。おろろー。




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Sweet opening  

前回の「カポタで叫ぶ」は、実はちょっと時差があって、先週の前半~後半にかけての出来事についての考察。



さて、今週に入って、その後は?というと、これがまたまた、小さいながらも沢山の変化があってオロロー。



月火水・・・と、ココロの波風立てずに、あえてフラットに、大げさに騒ぎ立てず、ドラマを作り上げず。ただただ静謐に、己の反応や乱れや動揺を、一歩引いて見つめるに徹する。



ここ数ヶ月やたらと風通しのよい肩甲骨周りは、ここに来て感覚が鋭敏になりすぎの模様。意味無く動かしたり、物を挟んだりしたくなる。まるで歯が生えかけた赤ちゃんのムズムズ感みたいだ。プラサリータCで掌を床に着けるのが、1年前はあれだけ遠かったのに、もう既に余裕のヨッチャンでペタンとby自力(涙;)回る、回る、肩甲骨!動く、動く、肩甲骨!ベカーサナとダヌラーサナで、肩が後ろにスムースに回るようになったですよ、特にゴロンと横になるダヌラーサナ!肩甲骨を寄せ合うことができるから、胸もグーンと伸びてバチグー。



ところで火曜日に「うわっ!」と思ったのが、首。何の抵抗も無くアタマを後ろに倒して真上を見上げることが初めてできた。試しに前後だけでなく、左右へ首を回すと・・・おおおお、軽ーく動く!これまでは首や肩に滞りがあり、周辺の緊張やピキピキ感なしにはできなかったのに。喉元がのびのびしている感覚、新鮮。そうか、首が回る、っていうのは、こういうことを言うのだな。これまでの、ガチガチ感は、なんだったのだろう?以降のセツバンダーサナの深いこと、深いこと!鼻が床に着きそうだよ。



そういえばプールボッタナーサナも。確かにずっと苦手なはずが、ちょっと気持ちよさが感じられてきた。胸をグーンと開いて持ち上げる感覚が芽生えてきた。アタマを後ろへダラ~ンと楽チンに倒せるからかな?今まではアゴが一番天井に近かったのが、アゴが下へダランと落ちて、代わりに胸が天井に向かって頂点になってきた。



最近やたらと入るアジャストに、ダヌラーサナの足を上から引っ張られて、ブランとぶらさがってる感じになるヤツがある。これ、身体の前面がジンワリ伸びて非常に気持ちよい。これまではこのアジャスト時には「みぞおち~胸」のストレッチにフォーカスしてたけど、今朝はなんか自然と「胸~喉~アゴ」のラインに意識が向きました。ちょっとした変化ですね。



そして肝心のカポタサナ。



月曜はまだまだギャーギャー騒いで緊張バリバリで抵抗イッパイで腰に沢山負担かけてアイタタで終日ヨロヨロのおばーちゃん状態。

火曜はアジャスト直前躊躇しまくりの私にDon't think, just do it! (ぐちゃぐちゃ考えずに、とっととやる~!)と一喝が入り、観念して委ねるも、まだまだ抵抗して悶絶して緊張と痛みでアイタタは残る。



さて本日水曜日・・・アレ?おとなしいじゃんワタシ?ドーシタ?

後ろへ反っていくときの、身体の動きの向かい先が、自然と変わった。

これまで

「腰→前」「みぞおち→伸ばす」

を意識しすぎて
アタマが後方へ向かいすぎ
腰を曲げすぎて負担がかかり
バランスとるためにアゴを引いてる状態になって

胸が縮こまっていた!

ということに、気がついた。



今日は不思議と自然と

「胸→上」

が最初にきた。それから

自由になった喉元を開いて伸ばす

アゴを後ろへダランと倒す・・・



そしたら、プールボッタナーサナとおんなじで

胸が一番天井に近い感覚で

「胸~喉~アゴ」を開いていく意識が


しっかりと身体に染込んできた。




いままでの
「足の付け根~みぞおちを伸ばす」=「腰→前」
への過剰なフォーカスから
「胸→上」~「喉元→開く」~「アゴ→落とす」への変化。


そしたら、ちょっとだけ、楽に呼吸ができた。

だから、うんうん呻らずにいられた。

引っ張られた手がかかとに届いても、逃げる必用がなかった。

先生はポカンとしていた。

自分でもビックリしすぎて声も出なかった。



私の中には「腰が曲がらないから、ココ柔軟にしなきゃ~」って強迫観念がずっとあったけど、ひょっとしてカポタって

「腰を曲げる」ではなくて、「Chest Open(胸を開く)」のポーズなんじゃないか?

だから、クルックックーの鳩の名がついてるのか?
これって、ナニヲイマサラなのだろうか?




ということで、今週はなんかすごいです。

Sweet Opening 甘美な解放のプロセス

が、ワタシの身体とココロで起きている真っ最中なのかもしれないですよ。
うわー。







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カポタのアジャストで私が叫ぶ理由  

毎度お騒がせしております、「またか!」のカポタネタでごめんなさい




改めて自身の練習を振り返ると、やっぱりどう考えても
「別にそんなに痛いわけじゃないのに、アジャストされるとパニック起こしてウガー!」
となっちゃうのが不思議で仕方ない。

反射的にとりあえず「イタイイタイ!」って言っちゃうから
「そうか、私は痛いのか!」と思ってたけど、
終わったらケロリとしている自分がいて、アレ?



冷静に思い起こせば
足先に手が届かない状態からイキナリ踵をつかまされるような
そんな無理を強いられているわけじゃない。

このポーズにも随分慣れてきて
自力で足裏のまんなかまでは手が届くようになったし
変なハナシ一人でやったほうがずっと深くポーズに入れる。

なのにアジャストされると途端に
ダメダメのメタメタになること自体が変だ
doesn't make any senseだ。
神様一体なにがナンナンダ?
アーナンダってナンナンダ?


さては・・・
これは肉体的なものじゃないのではないか?

と、先の練習時(の大騒ぎ)で確信を深めた翌日、
ここは一発ヴィパッサナ実践者たらんと、
自分観察@カポタのアジャスト



まずは独りで、ゆっくりじんわりとカラダの前面を
「伸ばして、伸ばして、ぶら下がって、降りる~」
のカポタ様を2~3回。

足裏の真ん中くらいまでは手が届くが、
いかんせん汗で滑ってばかりで焦る。
(焦りで緊張の土台を作っている模様)

気がつくとシッカリ待機中の先生の足元が視界に入り、
ここでまず緊張がピーンと内に宿る。

先生、足の爪がデカイ・・・とか、
ほかの事で気を紛らわせようとしても、ダメだ。

もうこの状態では、独りでやるのと同じように、
ゆっくりじんわりカラダの前面を「伸ばして、伸ばして・・・」
が、まったくデキナイ。

メデューサの眼光に射てやられたか、
カチーン!と全身が石化、
ここまでカラダの硬い人はまずヨガなどやらないだろう
(すでに意味不明)

先生、大抵この辺で見かねてとりあえずカラダを降ろしにかかる。
(後ろではドロップバックを待ちわびる方々複数名・・・スマぬ!)

とりあえずの私、両手を合わせて後ろへ反っていき、
頭と手の重みでぶら下がる、
腰椎にかかる負荷が相当キツイ。

「目で足探して~」
ったって、んなもん見えやしねーよー。

なんか他にも色々言ってくれてるけど、
頭の中で爆音が鳴っているから聞こえねーんだよー
(@ゆら帝)

つかこちとら全身ババババリバリーで、てやんでー、ぎゃー!

・・・なんて余裕なくしてるところへ、
手を捕まれてグイと引っ張られる拘束感を感じたら最後、ここで来る!

胸のど真ん中の奥のほうに、
野蛮で力強くて原始的で動物的なナニカが潜んでいて、
それがなんかの拍子にウガー!っと飛び出してくる。

慟哭のような野太いアニマル声が溢れるように洩れて、
それを抑えようとする理性が、
自分のカラダをさらにギューっと束縛緊縛
ガンジガラメで固める固めるカチンコチン。


そこへアジャストという物理的な力が加わっても、
カチカチに凍ったゴムを伸ばそうとしてるだけで、
溶けるのを待たない限り無理というか無謀というか。

今にもパリンとカラダが粉々に割れちゃいそうで、
とてつもない恐怖が全身を貫く・・・ぎゃー!

怖い、怖い、怖い、ダメ、ダメ、ダメ、やだ、やだ、やだ
もー、1ミリも動きませんっ!



ここで、腰を下に落とすか、カラダを左右に振って、
ポーズから逃げようと必死こく、
先生あわてて押さえつける、
私逃げる。

なんだ、これ?
サリバン先生vsヘレンケラー?

結果、足先にすら手が届かない中途半端なカポタサナができあがる。

結果、非常に中途半端で痛い辛いシンドイの5呼吸

こんなん、毎回やるんかい?





なんか、きっと、なにかを押さえ込んでるのかな?って、それだけは感じる。

出てこようとしているナニカを出してあげない限り、私は肉体を解放できない気がするぞ。

恐怖の源はナンダ?トラウマか?前生の傷か?

なんてタワケゴトはどーでもいい。

とりあえずは、あんまりグチャグチャ考えず、やることだけやっていこう。

ギャーギャー、ワーワーうるさいのは恐縮だけど

檻からトラを出すような気持ちで、ちょっとずづ、ちょっとづつ

自分の中のナニかを、let it go していきたいもんです。

「よし、とりあえず、やる」

っていう決意とちょっとだけの勇気があれば

いつまでも、ここに留ることもないんじゃないかな、と。



たとえば芯にある真な部分(なんだそりゃ?)にキリリと集中しておくと
大抵の騒音や雑音は消えていく、とか。

自分の体はもはや自分のものではない、
という意識がスコンときた時の無重力さ、とか。

「この私」がこの肉体を制御しコントロールしているのではなく、
大いなる存在というか力というかエネルギーというか(始まったよ)
そーゆーものに委ねるがごとく、
同調チューニングばっちり状態で起きる「アノ感じ」とか
(単にラリってるだけともいう)。

そんなこんなの日々の練習で得た紙一重な気づきは、
甘々の楽チンな状況で遊ばしとくんじゃなくて、
このどでかいカポタの壁をぶち破るためにこそ
応用すべき時がきたのかもしれない、
いやマジですよ。




と、鼻息、荒い

夏も、もう終わる、9月。





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