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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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女性とアシュタンガヨガ・婦人科系の悩み  

ここのところの朝練におけるストレス反応として
精神的な揺れ幅が大きいのは勿論(笑)
不正出血が止まらず
腰痛と合わせて、うーん・・・と凹む日々。

最近練習後に必ず出血するんだけど
女性アシュタンギにはよくあることなのかな?
とアチコチに相談してみたところ
「NOそれは異常!」
との声多し。

え~、そうなの?そうなの?
と慌てて思い起こしてみれば・・・

そういえば、生理は1日~2日で終わっちゃうし
周期もこれまでムーンデイと同期を取ってたのに
最近はどんどん間隔が短くなってきてる・・・。

これって、生理異常になるのかな?

ネットでも色々と検索をしてみたけど
これというものは見つからず(日本語では皆無)

もともとアシュタンガヨガは男性のためのものだし。
日本での指導者の大半は男性だし。
どこで、誰に聞けばよいものやら・・・。

で、先日やっと、先生の知り合いのアシュタンギお医者さんに
女性の生理異常とアシュタンガヨガの係りを教えてもらった。




定期的に長い期間毎日の練習をしている女性の生理は
周期は変わらずとも、軽くて簡単になる傾向がある。

得に生理中でも練習をしていると
周期のリズムがくずれ、早いサイクルで生理になりやすい。

不正出血の要因としては
ホルモン異常、極度の疲労やストレス、流産・・・
その他異常発生時などである。

アシュタンガヨガの練習に関して言えば
もっともっと!と精力的すぎる練習は
身体のストレス反応を引き起こし
生理異常につながりやすい。

季節の変わり目、特に夏にかけての時期は
性ホルモンの減少など
ホルモンの変化が起こりやすい。

カポタサナとそれに続くアサナの強力さは
心の暗部やネガティブなエネルギーを
内側からひっくり返してオープンに表面化するため
この時期の過度な練習は悪夢をもたらしたり
1日のエネルギーのアンバランス(特に過剰)が発生しやすい。

一方、以降に続くバカーサナでは、
それまでのアサナでオープンになったサイクルを
一旦閉じる効果がある。




あ、私はとりあえず生理中でも練習しちゃってるなぁ・・・
だから周期が早いのか?

確かに1日のエネルギーの異常はスンゴイことになってるなぁ・・・
カポタ以降って当たってるかも。

精力的な練習って、それは私のことなんだろうなぁ・・・
身体的ストレスがあたりまえの日々。




病院嫌いの私だけど、
今日は、ついに婦人科へ行って検査をしてもらった。

結果、子宮筋腫とポリープ発見。
ポリープが出血の原因らしい。
多分カポターサナがストレスの引き金(笑)



とりあえずはそのあたりがクリアになってよかった、よかった。



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ま、ぼちぼちと  

今週はずっとカラダ中がギシギシ。
手首、膝、足首、肩関節と
全ての関節に油を差したいくらいで
オズの魔法使いに出てくるブリキのきこりみたい。

骨盤周りはバリバリにこわばってる。
やっと動き出した肩甲骨周りもガジガジ。
腰周りはずっといつもイタタタタ
アチコチが痛ムズ痒くてゾワゾワしっぱなし。

体の伸び・縮みの左右差がデカく感じられ
まったくもって左右非対称極まりなく
バランスがうまくとれない。





・・・そう、バランス。

ウティタ・ハスタやアルダバッダだけじゃなくて
精神的な部分がやばいくらいにグラグラに揺れてる。

バランスとらなきゃ、とらなきゃ。

・・・と思いながらも
今朝も今朝とて練習中に大噴火(笑)
いつまで、こんな、こころのお掃除しなきゃなんないんだ?
と、練習の帰り道でちょっと凹む。

マットの上で過ごすたかだか2時間あまり
とるにたらない小さなことが
大きな山となり、荒々しい波となり
悲しんだり、怒ったり
些細なことに過剰反応しては
八つ当たりしたりと
まったくもって大忙し。

こんなダダモレの困ったチャンを
いつも温かく見守ってくれている
家族、友人、先生、練習仲間、会社周りの方々
ごめんなさい
ごめんなさい
そして
ほんとうに、いつもありがとう。

周囲のみなさんの懐の広さ、深さと比べたら
私の許容範囲のなんと狭いこと、浅いこと。

いろんなアレコレでグジャグジャになって
真っ黒な空気をまとっている私にさえ向けてくれる
周囲の皆さんのやさしい笑顔のその温かさに
涙が出る思いです。

練習が終わってシンドイ感に打ちひしがれてても
ちょっと皆とワイガヤキャーキャーとお喋りしちゃえば
結構ガス抜きできる・・・へへへ単純。

ちょっと前までは、練習後の精神的グッタリ感がキツくて
更衣室でも、誰とも口をきけない、ききたくない状態が続いてた。
誰かが気を使って話しかけてくれても
返答すらできないむっつり野郎だったから
「やーだ、感じ悪~い」
って、嫌な思いをさせてたかもしれない。
あー、ごめんなさい
やっぱり、いっぱいごめんなさい。








それにしても最近の練習はキツイ。
カポタだけが原因じゃないんだろうけど
カポタがキッカケ/引き金になっていることは確か。

今日は久々にアジャスト。
独りで2回練習した後に「アタタタ・・・」
と放心してるトコロで先生の足が見えて
「ああ、今日はアジャストされるんだ~><」
と思ったら冗談じゃないくらいに怖くて怖くて
ポーズに入る直前にカチーンと固まった。
 
もう覚悟をきめるしかない
屠殺直前の羊の心境。
コワイ・ヤダヤダ・イタイイタイのバリヤで
がんじがらめの自分を「えいやっ!」と投げ出す
サレンダー、前面降伏。

アジャストの手に全てを委ねる
疑いは放棄、信頼のみキープ
そして、力を抜く・・・いや、力むことを止める

すると、体中を支配していた緊張と痛みが溶けていく。
すると、それまでずっと痛かった腰の感覚がなくなる。
すると、呼吸が一瞬、楽に通るようになる。

アジャストの手で引っ張られる腕が
「私はここまでしか届かない」
という思い込みのラインをスルッと超える。

軽く「超えちゃう」がゆえに
反対に身体がビックリして
思わず大きな喘ぎ声が出て
その自分の反応に更にビックリして
身体がまたカチーンと固まる
だめじゃん、元に戻ってるじゃん(笑)

今日は「限界超え」が結構大きく
ドロップバックでも、ひっぱられた手が
スルスルと足首まで抵抗なく届いた。

だけど、その分、ココロは荒れ模様。

確かにカポタ効果というか
このポーズを始めてからの心身の変化が顕著。
色んな所で、色んなカタチで現れてくる。

その大半が、結構しんどくて
まだまだ戸惑ってばかりの初々しい自分(笑)
だけどこの相当シンドイ「いまのここ」だって
超えていく過程の単なる一場面でしかないわけで。

ま、ぼちぼちと、だな。

と、意味不明なことを自分に言い聞かせて
今日もまた、明日もまた。

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独りで行う練習  

The level of your yoga is particularly obvious when you practice alone. The reliance on a teacher to adjust you into difficult asana should be temporary. A teacher may often necessary, but your greatest teacher is your own awareness. From the teacher's perspective each student should be gradually weaned from receiving strong or continual adjustments and be encouraged to maximize their own ability.The test of self practice is when you can maintain it by yourself without external stimulation. Once you are beyond the beginning stage (usually the first two to three years of consistent practice) it is beneficial to practice for periods on your own. At other times seek a teacher or practice group as needed. Practicing under a teacher or in a group does have its benefits, such as motivation, concentration and increased energy. Practicing alone not only reveals your actual ability to do postures, but also highlights any psychological difficulty. Initially you may tend to be more distracted an unmotivated without the teachers watchful eye. Solitary self practice is a practice of inner contemplation, self discipline and self reliance. A sign of a true yogi is being comfortable in your own skin - the ability to be alone.

あなたのヨガのレベルは、独りで練習をしてみれば即、明らかになるでしょう。

先生のアジャストに頼って難しい課題アサナの形をとる、というのはあくまでも一時的なものであるべきです。

時には先生が必要かもしれません、しかし、あなたにとって最も偉大な先生は、あなた自身のアウェアネス(意識)そのものなのです。

指導者の見地からすると、すべての生徒は深いアジャストや頻繁なアジャストから次第に乳離れし、個々が自身の最大限の能力を出すよう勇気付けられるべきだ、と捉えられます。

セルフ・プラクティス(自己練習)をテストするには、あなたが外部からの刺激なしに練習を維持できるときが最適です。

初心者の段階を越えた時点で(一般的には、継続的な練習を始めて2~3年経ったころ)一定期間あなた独りで行う練習はとても有益なものとなります。

必要に応じて、時には先生や共に練習する仲間を求めましょう。

先生の元で、または仲間と共に行う練習には得るべき利点が多々あります・・・例えばモチベーション、集中、そして高まった集団エネルギーなどです。

一方独りで行う練習では、ポーズをとる上での本来の実力が明らかになるだけでなく、精神的や困難や問題に光があてられることでしょう。

そして最初のうちは、先生の注意深い視線なしには、気が散ったり乱れたりしがちです。

たった独りで行う練習とは、つまり「内観(自分の内面を見つめること)」の練習であり、自己規律の訓練であり、そして自分への信頼を築くものです。

真のヨギの証は、自身の皮膚の内側で居心地良くいられる・・・つまり孤独でいられる能力なのです。

(Matthew Sweeny「Astanga Yoga As It Is」より/訳:三輪由美子)




少し前に、自分はそろそろ「独りの練習」をする時期なのではないか?と感じたことがあって。

そしたら、このマシューの文章がやけに迫ってきて、改めて、アシュタンガヨガの練習とは?ということを思うキッカケとなった。



そういえば、アシュタンガの練習を始めて半年くらいでフィリピンのド田舎へ移住したので、一番迷ってた試行錯誤の時期はずっと「独りの練習」だったなぁ、と懐かしく思ったり。

今は通えるスタジオが身近にあって(ったって2時間かかりますが・・・笑)、指導してくれる先生がいて、共に成長していく練習仲間がいる、という恵まれた環境に感謝しきり。



ここ最近は自身の練習が安定したこともあり、スタジオで練習していてもアジャストはほとんどなされなくなった。

最後のドロップバック以外は、週5日の間にパダハスタを1回だけ、とか。

最初の頃は「え、なんで?私だけスルー?」と驚き戸惑ったけど、次第にそれは私に対する指導そのものが「乳離れさせる」方向にシフトしてきてるんだ、と判ってきた。

アジャストに頼って肉体的ゴールを求めるのではなく、進歩や達成具合を認めてほしい!構ってほしい!と精神的に依存するのではなく、基本は「自分の練習」であるということ。

日々あたりまえのようにスタジオでアジャストを受け、注意されたり褒められたりアドバイスされたりしていると、それが「当たり前」と思ってしまうけれど、基本は「自分の練習」なんだってこと。

こういった当たり前のことが、スタジオ内ではあるけれど、放置状態の自主練に徹してみて、やっと再確認できた気がする。



そして以前よりも「自分の練習」に集中することで、自分の内に生まれる感覚が変化してきた

・・・なんて言ったらいいんだろう?「楽チンさ加減」というか、前述のマシューの言葉を借りれば「自分への信頼」というか、安心感みたいな。

うん、そう、なんか、どっしりしている自分がここに「ある・いる」って感じで、あったかい。




これまでは、どちらかというと自分よりも先生に対する信頼が大きかった気がする。

肉体的にも精神的にも、最初の頃は、かなり頼っていた、うん、当たり前のように

スプター、できないー、やってー(←待ってる^^)

バッダコナーサナー、好きなのー、やってー(←待ってる^^)


みたいなダダッコ状態(笑)



最近になって確かに身体的な依存率は減り、少しずつ自分自身への信頼も生まれてるとはいえ

やっぱりスタジオに居る限りは、指一本触れられなくても、言葉ひとつ交わさなくても精神的に「見守られてる」安心感に支配されてるんじゃないか?

なんだかんだ言っても、精神的にはまだまだ先生に頼っているんだ、と思う。




だからこそ、なんとなく、そろそろ自立してみる時期かな?と。




私がフィリピンのド田舎で自己練してたときは、まだまだできないポーズが沢山あった。

マリーチC・D、プジャビダ・スプタ・ガルバ・・・どれもこれも自分ひとりでは完成型はできなかった。

それどころか、できてるつもりのポーズであっても、外側の形だけが「それっぽい」だけで、肝心の内側がカラッポで芯がしっかりしてなかった。

だから結局、いつも迷いや疑問や悩みでイッパイで、それを相談する相手もおらず、独りでウーンウーンやっていて。

まだまだ心身ともに未熟な段階で「独り練習」に入っちゃったから、アシュタンガヨガではなく単なるハタヨガ、というか、ストレッチ体操になってしまった覚えがある。

安宿を転々をしていたから、練習場所はダンナさんがイビキをかいてる寝室の隅っこ、トイレの前、とか(笑)ちょっとでもドタン!バタン!など音を出そうものなら、怒鳴られ罵倒されモノを投げつけられ散々な目に(・・・だから、私の練習は自慢じゃないけど、ほぼ男子並みに無音です^^)

ヘッドスタンドの練習中にバランスを崩し、部屋の片隅に積んであったビール瓶の山に倒れ落ちて、脚をザックリ切って流血~!とか(・・・それ以降ヘッドスタンドが自分でできるようになりました^^)




あの頃の、グチャグチャとしてちっとも集中できないカオスとフラストレーションの渦に、また巻き込まれるのかと思うと、「独りで行う練習」はちょっと怖い。

でも、身体的にはアジャストなしでプライマリーは流せるようになっているのだから、以前とは状況も違うはず・・・なにを怖がっているんだろう?

その「怖い」を乗り越えることが、今の私に必用なんだと、妙な確信が自分の中に宿っているのは確か。

そして近いうちに、また日本を離れることになる予定なので(涙)、今のうちに自立の練習もしておかないと、って焦りも、実はあるのかな?

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必殺カポタ固め  

バックベンドのアジャストは
どんなにキツくても
どこかで逃げられるスペースというか
「遊び」の部分がある。

踵を浮かせたり、膝や肘を曲げたりして
身体への負担を軽減したり
いざとなれば
床に崩れ落ちゃえば解放~、とか(笑)

しかし、カポターサナ

一人でやる場合
手で床をニジニジ歩いて
やっとこ足先に指先が・・・届く?届く?あれ?
・・・ちょっとだけ触れてる?かも?
と、かなり呑気ではある。

が、
アジャストが入ると
それはそれは。

有無を言わさず、ガッツリと
両手を一気に踵へ。

うががが

そして、そこでガッシリと思いっきり体勢固定
微動だにできないスプタ羽交い絞め
圧倒的な拘束間に怖くなる

正直、呼吸すらできない。

アジャスト直前になると
痛い・・・(だろう)、怖い・・・(だろう)
で固く萎縮する自分のカラダモヨウがよく判る。

これは自分で作り出してる痛みと恐怖だ!
と理解していても、ダメ。
降参、堪忍してや~。


今日もアジャストの後
カラダもアタマもぶっ飛びすぎて

「ああ、ショルダースタンドしなきゃ・・・」
とヨロヨロとヨガラグを敷き始め横になりモゾモゾ。


「あ?違うよ、ドロップバックしなきゃ」
と気づき、ヨロヨロと立ち上がって、ドロップバック・・・・
・・・あれ、できない?
腰が痛い(気がして)、ぜんぜん後ろに反れない。


「あ、そうか、まず、ブリッジでバックベンドしなきゃ」
と気づき、ノソノソと仰向けになって、プッシュー・・・
・・・あれ、固い、痛い、腰伸びない。
3回やった後のカムアップ・・・できない~(涙)

なんだ、これ、ボケボケのヘロヘロもいいところ。
こんなヤワになっちまっていいのか、おまいさん?

これって・・・

必殺するめ固め

ならぬ

必殺カポタ固め?

うーむ、強力である、強烈である、脊髄ガツーンの刺激である。

私の日記は、この先しばらく、カポタ日記になりそうな予感である(笑)

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カポターサナ  

やっとラグ・バジュラーサナからのカムアップできた!

と思ったら間髪入れずに即効で

「はい、カポターサナ」

と、新たな難関をポンと手渡される。






カポターサナ

うーん・・・



kapotasana.jpg




どう見ても、痛そうで辛そう
胸がポキッと鳴りそう
アリエナイ後屈ぶり
そんなに身体をコンパクトにしちゃって
身体に悪くないのか?

これは昔から、やりたくないポーズNO1
色んな人から色んな話を聞くたびに
ああああー、やっぱヤダヤダ・・・!と身震いしていた。

ラグ・バジュラーサナからのカムアップがずっとできなかったのも
実はその次のカポターサナがやりたくないからじゃないか?
と勘ぐった時期もあったくらいで。

私、前屈派なのよね~、後屈は苦手なのよね~
という、おきまりの言い訳でイッパイではありますが
ついに観念しました、あーあ。








挑戦・初カポターサナ

・・・・プッ(笑) 




無理だよ、こりゃ~
なんか、ダメダメどころか
ある意味、無謀(笑)

この遠さ加減に・・・あのー
ビックリしました!

ここで、また、当分の間
あーだこーだと楽しめるワケか・・・ぐっすん。

あー、終わりのない道程やー
だれぞやの気魄をワタクシに充たせよ
(高村光太郎)

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シンプルに・ミニマムに  

つまりポイントは
どれだけシンプルに、ミニマム/ミニマルになれるか
なんじゃないか、と、今朝の練習でそう思った。

アサナの練習をしていると
いらない余分な知識や感情や思い込みや反応で
グチャグチャしている自身の内面が
スーッっと静かになる瞬間がある。

深い瞑想の状態とおんなじで
「足さない・引かない」
「追わない・逃げない」
「噴出しない・抑制しない」
そんな感じの、中庸、中道にスコーンと入り込む。

アシュタンガヨガの練習は
決められたシーケンスを順番に行い
できないポーズでストップする。
つまり、できないポーズに毎回毎回チャレンジすることになる。

その最後の「いま」できないポーズへ
どのようにアプローチするか?
が、アシュタンガヨガの練習のキーになるのではないか?

がむしゃらに突進するのか
否定と諦念でおざなりにするのか
その間のバランスをどうとっていくのか・・・?

目の前の「自身で作り上げた限界」へ
どう立ち向かっていくのか・・・
そこには、人生に対する姿勢が、そのまんま現れる。

そして、私は、ここが非常に弱い。
せっかくの平静さも、落ち着きも、明晰さも
最後のできないポーズでイキナリ
頭も身体も「アーデモナイ・コーデモナイ」
と騒がしくなるのが常である。

だから、昔からポーズでつまづくと
なかなか出て来れない(笑)

身体がどうの、というよりは
ココロがぐちゃぐちゃになってきちゃうのだ。
これはヨガの練習に限ったことではない
私の昔からの悪い習性である。

マリーチDもスプタもパシャサナもみーんな
「難しいポーズで留まる平均値」というものが仮にあれば
当社比プラス150%くらいだった気がする。
(つまり人並みの2・5倍は時間がかかる!)

静まれ!私のココロ!
考えるな、ただやることをやれ!
と、思えば思うほど、焦る、焦る・・・ああ、悪循環。

現在はラグバジュラーサナからのカムアップで止まったまんま。
ここに来ると、ココロも身体もガチゴチになって、もんどりうってる。

あーあ、来ちゃったよ、ラグ
今日もできないんだろうなぁ、やだなー、ユーウツだなー。
いや、今日こそ、頑張って力入れて行こう!
あーん、ぜんぜんダメダメ、フニャフニャだよ~
よし、もう一回チャレンジ~!あれ~、やっぱダメだ~。
今度こそ、今度こそ・・・あれ、どこに力入れるんだっけ?
頭は、腰は、太ももは、ふくらはぎは・・・どうするんだっけ?
ひえー、ありえないよ、これ、起きれるワケないやん。
はー、疲れた・・・ゼイゼイ、もういいや、オシマイ、ちゃんちゃん。
(私のココロモヨウ@ラグバジュラーサナEVERYDAY!)



・・・・・



ところで今朝は早めの出勤のため
サクサクと軽ーく進めて
トットと終わらせてスタジオ出よう!
という感じでちょっと早めに練習を始めた。

いつもより、スッキリ・サッパリとした心持ちで
なーんにも余分なものがない状態での練習。
おかげで、順番を間違えること度々のオバカさん。
こーゆーふーに、頭カラッポなのはむっちゃええでー!

難関ラグバジュラーサナも
できる、とか、できない、とか
なーんにも思わずに
ただ単にやることやってみたら
フツーにすーっとカムアップできた。

試しに3回やってみたら
3回ともアタリマエのようにできた。

できたことに対しても
「へーそうなの?フーン」
って感じで感動はなし。

先生が見てたわけでもないから
おー!できたね、オメデトウ!と大事にもならず
フツーのできごとのようで、それも良かった。

身体にも、ココロにも、どこにも何の力も入ってない状態。
期待や諦念や焦りや・・・そしてなにより
「おーし!コントロールしたるで!」
という意気込みがなかったから
フツーにやれたんだと、今になっては思う。

いままで、どんだけ余分なものを身体とココロに抱えて力んでいたか?
それがよーく判った・・・だって、そんな力は必用なかったんだもん。

冒頭に書いたとおり
できる/できない の境界線は
どれだけシンプルに、ミニマム/ミニマルになれるか
それだけのことなんじゃないか?
今朝はつくづくそう思った。

そしてまた
アシュタンガヨガの練習というのは
”「できる・できない」じゃなくて「やる・やらない」の問題だと思う”
と誰かが言ってたけど、本当にそうなのかもしれない。


できても、できなくても
自分はそれをやる、それだけ。
それ以外は、単なる雑音だ。




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