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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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先週の朝練(2008/2/18-22)  

ムーンディを除いて、とりあえず毎日ボチボチと、九段下と鎌倉の朝マイソールで練習。

首の痛みは相変わらず出たり引いたりを繰り返すが、付き合い方がちょっと判ってきたかも?

その要因も少しずつ解明されてきて、すべての事象には意味があり、それを教師として学んでゆく大切さを痛感。



先週はハーフまで、どんなに調子がよくてもハーフ+αに留めるように。

確かに、すんごく調子のよい日もあり、セカンドまでやったるでー!とハイパーテンションになるときもあったけど、自制、自制。

不完全燃焼にならないよう、ひとつひとつのアサナを深くていねいに、じっくりと行っていくよう心がける。

こうやって充実度100%でやっていくと、ハーフでぐったり!と力尽きてしまい、ナバーサナの辛いこと、辛いこと。




あ、でも、1日だけ悪魔のささやきが聞こえちゃったみたいで、スプタクルマーサナに挑んでみたら、首への負担がすごくて、しばらく床にうずくまってしまった。

ああ、また「ふりだしにもどる」なのか~(泣)、と、スタジオの中でひとり青ざめてた、阿呆や~。

その日は練習後、顔中に青タンができて、まるで虐待でも受けた婦女子みたいな形相。

こんなの初めてなったけど、青ざめすぎて顔がうっ血したってこと?

スタジオの他の生徒さんたちからも「ひえ~、だいじょうぶ~」とおののかれたけど、別に痛くも痒くもないし、お昼ごろになったら消えてたから、多分一過性の反応だったんだと思う。



あれ?と思ったのは、木曜日のムーンディを境に、ちょっと自分がスッキリと楽チンになりだしてること。

それは身体の体調だけではなく、心のありようも。

春の訪れという季節のせいもあるかもしれない。

スローダウンした余裕なのかもしれない。

会社でのCEO来日狂騒劇が終わったからかもしれない。

いつだって、いろんな物事が絡まりあって、互いに影響しあって、動いていくものだけど、それらすべての総合的な流れの方向性が、気持ちよく整っているような、そんな感じ。



多分、なんか、抜けだせた気がする。




今回の痛みが出てきた頃、首だけじゃなくて胸も痛くて痛くて、さらにいつもニコチンの味が口の中にあって、それが吐き気を催して、非常に不愉快な日々を過ごした。

喫煙をやめてから3年くらいが経つので、そろそろ肺に蓄積されてたニコチンが排出されてきてるのかな?と思った。

そしてしばらくしてから、この「ニコチンの味がする」気持ち悪さは、カプチーノやカフェラテなどを飲むと途端に悪化することが判った。

もともとコーヒーは飲まないけど、カプチーノとかカフェラテなどの豆乳で割ったものはよく飲んでいた。
「ひょっとして、コーヒーなのかな?」 という気がしたので、コーヒーを含む飲み物は一切止めた・・・というか、摂ると気持ち悪くなるから、取れなくなってきた。

そしたら、口の中のニコチンの味は、あっという間に消えていった。




そういえば、直接的にせよ、2次的にせよ、身体に取り込むものへの意識が高まり、生活自体が変わってから3年が経つ。

肉食、ジャンクフード、アル中、精神安定剤、タバコ、添加物だらけの食生活、合成活性剤や化学物質だらけの化粧品シャンプー石鹸歯磨き洗濯石鹸・・・そこから、「不必要なものはいらない」という生活に切り替わって3年。

体中に蓄積された「不必要なもの」(・・・しかし当時の私には必要であったもの)が、たった3年できれいにリセットできるとは思っていない。多分、やっと新しい状況に身体が慣れ始めた、そんな時期なんだと思う。

ヨガもしかり。

ワークアウトとしてのヨガは昔からしてきたけれど、アシュタンガヨガと出会って、真剣に生き方としてのヨガを修行し始めて3年。

これっぽちの時間で、私という人間が簡単にリセットできるはずがない。

そう取り繕うことは簡単だけど、そして、今までそんなことをやってきたけれど、それは全然本物じゃない。

多分、やっと新しい状況に「私」が慣れ始めた、そんな時期なんだ。




きっと先日のムーンデイが、私の生き方グラフ(笑)の底辺部分。

この日を境に、ちょっとずつグラフが上向き加減に動きだしてきたんじゃないかな?と、なんかそんな気がしてしょうがないのだ。






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今日の朝練  

このところの朝練はスリアナマスカラからスタンディングまで。
今週後半からは、様子を見つつシッティングポーズを1~2個ずつ追加。
そして本日金曜日にはジャーヌシルシアーサナCまで到達。
フィニッシングはやらずに、スリーロータスをやって終了。



ゆっくりと、深く、ひとつひとつの動きを味わう。
スリヤナマスカラの楽しさを、忘れかけていたことに気付く。
呼吸に導かれるダンスに力はいらない。
力みが抜けて、シルクのようにスムースに身体が伸長する。
上へ向かうエネルギー、下に根を張るエネルギー。
その中間でバランスをとる自分を感じる。



ここ数ヶ月、朝練がキツかったのは事実。
毎日練習が終わると、爽快感よりも疲労感のほうが強く
喜びのエネルギーに満ち溢れる
という初心の楽しさから遠ざかっていた。



九段下は現在代行先生の下マイソールクラスが行われている。

やさしく、暖かく、惑わされずに自分のペースを保つ。

力で、意志で、努力で
無理やり自分を定められた方向へプッシュするのではなく
自分の内から自然とエネルギーが向かっていく方向へ自身を委ねる。

ルールに縛られるのではなくて
自分のヨガがあっていいんだよ、と
そんな先生の姿勢がスタジオ全体を包んでいて心地よい。

今の私にとって、無理せず安心して練習ができる
貴重な稀少な極上のスペースだ。



まだ首が回せないので
ほとんどのドリスティは正面を凝視にとどまる。
本来、上を向くはずのトリコナーサナ系で
隣の人をジッと見つめてしまってゴメンナサイ。

なんだか、無性にハンドスタンドとか
アームバランスをやりたい衝動が湧き上がったり。

バックベンド3回の後に
もっと胸をうんと開いて伸ばしたくなって
つい自然にドロップバックしてしまったり。

自分の身体が何を求めているのかに
前より繊細に敏感になっているのを感じた。



ここのところの朝練はスタートを1時間遅らせていて
ちょっとだけ朝寝坊の癖がついてきている。
火曜日は起きれなくて、お休みしちゃったし
それを許せるようになった自分が愛おしい。



週末は、ゆるゆると地元のヨガクラスで楽しみ
来週からまた少しづつ朝練を続けていく。
スタンディングまででも充分楽しいから
あえて、「ここまでやるぞ!」という目標は設定しないで。



今の私の状態を「後退」と捉える人達がいるけれど
私にとっては、えー?ちっとも後退してないよ!
というかこれって、すごい前進なのでは?



もしアシュタンガヨガをやっている人達が
「私たちの成長=アサナの前進」だと信じているのなら
それは、どうなのかな?



いずれ私たちの肉体は退化し滅んでいくのだから
いつかは肉体的なアサナのヨガから
精神的なヨガへ以降せざるを得なくなる。



アシュタンガヨガは思春期の男子のためのヨガとも言われています。

「おばあちゃんになってもハンドスタンドがフワリとできていたい」
というフレーズを、よく耳にします。

面白いですね?

その意味、意図をよくかみ締めると
いろんな洞察が生まれてきます。




だから、止められないのかもしれないのかな、とか思いながら。



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痛み  

「痛みというのはとても主観的なものです」

と、昨年末の陰ヨガTTCでポール・グリレイ氏が言った言葉が、ここのところずっと頭の中をグルグルしている。



痛みの閾値(しきいち)には個人差があり、とある人の激痛が、別のある人には単なる不快な刺激でしかないこともある。



私たちは概して、「痛み」や「苦痛」から遠ざかるように、無感覚になるように、無意識に努力をしている。



そこにある痛みを100%そのまま感じ取っていたら、日々の生活など破綻してしまうほど、私たちの心身はあらゆる外部からの刺激に晒され、常に反応し変化し続けている。







2週間前から始まった首、背中、胸の痛みは、ハートチャクラを中心にして激痛が広がり、もはやどんな身体の動きに対しても、神経が露出しているかのように電流が走っていた。



日常生活のなんでもない動きすらアタッ、ズキーン!状態で、ましてやヨガの練習なんて無謀というか、痛みの閾値が高め設定の私ですら、ある日突然、スリヤマナスカラで自らリタイヤした。



人に止められるのではなく、アタマで「ここでやめるべし」と戒めるのでもなく、私の本能がきっぱりとNO!と、そのとき初めて言った。びっくりした。







しかしヨガの練習をしていない時の方が、実は痛みが激しかったのも事実。



首を回すと激痛、背骨を曲げると激痛、振り向くことも、寝た状態からカラダを起こすこともできない。ウルトラマンのピコピコあたりから、毒がカラダ全体に放出されているようで、毎日が吐き気と、口の中に広がるニコチンの味で一杯だった。



それでも、毎日の生活は普通にこなさなければならない。満員電車で通勤して、オフィスで長時間働いて、家に帰って家事をして、週末は地元でヨガ教えて、出張レッスンもやって・・・。やりたいことをやってるはずなのに、心が荒むと、イライラも募る、胸が痛いとココロもざわつく、神経に響く痛みで心身への負担が大きく疲労困憊、いつも眉間に皺がある状態で、もういっそボルタレンの一気飲みでもしようかと(笑)





すがるように駆け込んだスポーツマッサージ、鍼、整体、霊気・・・と各方面に癒しのプロセスのお手伝いを願うも、いずれも対症療法でしかないのは了承済み。



これという「痛みの原因」は一向に出てこず、結局「自分」なのだな~、と、気付かざるを得ない。







おととしの冬、2回目のヴィパッサナ10日間コースに参加したときのこと。コース中盤くらいで生理が急にきた、しかも激しい生理痛を伴って。



ヴィパッサナは体中のあらゆる感覚を感じ取っていくことが基本なので、外部からの刺激を極力最小限に抑え、節制された菜食をほんの少し取り込むだけで、あとはコーヒーもお酒もタバコも麻薬も処方薬もご法度となっている。



ここ2年くらいは生理痛もなかったのに、このときばかりは激痛に泣いた。1日10時間以上ひたすら座って自分の感覚を感じ取り観察していく、その対象が子宮を中心とした激痛!痛み止めを飲むことを考えたが、これには意味があるのだと確信を持っていた私は、あえてカモミール茶とかホカロンで痛みをあやしながら、とりあえずは痛みをそのまんま、誤魔化しなしで観照し続けた。



普段なら、別の行為で脇に追いやってしまう感覚や自分の反応を、ありのままに感じる。それが痛みや苦しみであっても、疎んじたり、否定したり、ジャッジすることなしに、ただ、ありのままに、まず気づき、認め、受け入れる。



スケール50くらいだった痛みが、スケール120くらいまでにパワーアップし、圧倒されそうになりつつも、痛みのピークを迎える。極限までいくと無感覚になる、というか、手放すときがくる。痛みも苦しみも、自分の反応。身体の中の化学反応。来ては、去る。アニッチャ。全ては変化しつづけている・・・コースを終えることには、痛みも通り過ぎていた。







今回の、首と脊椎の激痛に泣き泣きデスクワークをしていたある日、もうこれが極限か?というくらいの痛みに耐えつつも、ふと気が付いたその瞬間、痛みがほぼ消滅していた。痛みが発生して3日目くらいのこと。まるで狐につままれたようで、なんだ、なんだ?とキョロキョロしてみたが、なにも見つからない。



昔ジョンスコットのWSで、「臨界点に達すると、そこから進化が始まる」というフレーズに、いろんな意味でガツーンと衝撃を受けたことを思い出したり。



何人の方から、たくさんのアドバイスやヒントをいただいたり。



自分で、「あれ、これかな?」と思う方向へ、本能を頼りにちょっと足を踏み入れたり。



そんなこんなをしながらも、以降、痛みは、発生したり引っ込んだりを繰り返している。今朝も、背中の激痛でベッドから出るのに難儀した。





アシュタンガヨガの練習は、現在、スリヤナマスカラとまりだ。たまに、調子がよければスタンディングまで。周囲がサクサクとセカンドをやっているのを見ると、取り残されたような気分で、ちょっと寂しい。でも、これも練習。決して嫌な感じはない、むしろ、すがすがしい気分。マイペース、一休さん、あわてない、あわてない。



思うに、きっと、いまはスローダウンすべき時だったんだろうな。地元で始めたヨガクラスで、ダンダサナからしてチャレンジングポーズな方達と一緒に、ヨガのエッセンスをシェアしている自分が、なんだか前よりもずっとずっとヨガを楽しんでいることに気がつく。



たまに行く鎌倉のアシュタンガクラスのインストラクターは、私のハートチャクラの痛み話を聞いては、嬉しそうに笑った。



ウチの旦那さんは、私のスローダウン振りを見ては、「やっと自分の声が聞こえてきたの?」とからかう。



なんとなく、暖かくなってきて、春もすぐそこまで来てる。もう少ししたら、この痛みも消えていくのだろうか?


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精魂つきて  

先週の木曜日に
何をしたわけでもないのに
首と背中を痛めた。

スポーツマッサージの先生もヨガの先生も整体の先生も
この季節、日ごろの無理が積みかさなったんでしょう
と口を揃えて言う。

以降アシュタンガの練習はお休みして
週末のやさしいハタヨガとインヨガのクラスを行うに留めた。

首~胸にかけての脊椎周りがバリバリ。
その周辺の筋肉がガチンゴチン。
どんな動きをしても神経に響きアタタタタ。
まったくもって、障害者のごとき生活でトホホ。

それでも、少しずつ痛みは治まってきて
今朝は久々にアシュタンガの練習をやりにスタジオへ行った。

予定としてはスリアナマスカラ~スタンディングだけ
さくっとやって帰るつもりで。

久々にマットに立ち
サマスティィヒで深くウジャイ呼吸と共に両手を上へ・・・

ギャー!

すっごく、辛い・・・
体中が引き裂かれそうな痛み

先生からは
「動きに呼吸が付いていくんじゃなくて、
呼吸が動きを導いていることを意識して」
と、私がヨガクラスで生徒さんに言っていることを
そのまんまアドバイスされる(笑)

それくらい力が入っちゃってるってことだ。
痛みをかばって、余計な力みがカラダにかかってる。

トリコナーサナでは四肢がバラバラになりそうで
申し訳ないけど、ブロックを使わせてもらった。

パーシュボッタナーサナでストップがかかる。
ほっと一安心、でも、ちょっと寂しい気分。

そのままスリーロータスへ移り
ウトプルティは持ち上がらずに終了。

ここまでで1時間・・・

そういえば、この前遅刻してきたとき
1時間でセカンドのベカーサナまでやってたなぁ(笑)

終了後、痛みが再発
胸にまで痛みが広がり吐き気がする

首周りは、ちょっと動かすだけで神経に響き
ヘルニアじゃないの?と周囲に心配される

今回の痛みは相当にキツイ
骨折も我慢できる私ですらくじけそうになる。

痛みと共に練習・・・なんて
いくらなんでもこれじゃ不可能だ。

しばらく安静にして過ごそう。
当面復活はなさそうだ。

春くらいまで冬眠しときます。

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