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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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知覚場を広げる  

体が痛い。

特定の部位が痛むのではなく、全身が満遍なく神経痛のように痛い。朝ベッドの中で目覚めると、体中が痛くて一瞬動けない自分がいる。ジンジンとするような重さと痛みにのしかかられ、「ジョニーは戦場へ行った」とか「ガープの世界」が頭の中にボンヤリと浮かぶ。

「筋肉が」というよりは、「細胞が」痛がっているような感じだ。ついつい眠りに引き戻されると、体中の痛み重みがズーンと重力を増し、布団の下の奈落へどこまでも落ちていきそうな、甘美な感覚が私を包み込む。

歳だし、冬だし、肉体的に無茶してるし、って認識は一応あるので、「しゃーないなー」と自分をなだめすかしながらの起床。

まだまだ夜は明けない寒空の下、ハーッと白い息を確かめながら、遠くから聞こえる寺の鐘の音とガタンゴトンの早朝列車の音、リンとしたシンとした空気の中、山の向こう側から昇ってくるであろう未だ見えぬ朝日の存在をしっかりと感じつつ、テクテクと駅へ向かう、てくてく。いつもの行動、いつもの日課、昨日も今日も、そして明日もきっと繰り返し、繰り返し、また繰り返す・・・?

そういえば過日、私同様に朝練が1日のメインイベントになっちゃった!(笑)友人と「果たして今のこの生活がこのままずっと続くのだろーか?」と、先日シミジミした。それは「いや~、いつかは終わっちゃうんだよね~」というこの世の真理が大前提にあった上てのシミジミだったわけで。言葉にはしなかったけれど、だからこそ、その時その時の練習を「これが最後」ってくらいの覚悟でやっていこう、って互いに背筋がシャンとしたのである。

昨日も今日もいつもとおんなじように日々はゆくけれど、だけど明日が昨日や今日と同じように、当たり前のようにあるんだ、って保障はない。こんな単純な事実を私達はついつい忘れちゃうね。今日の今が確かにここにある、って事実は、本当に奇跡のようなもので、私達はそれを「当たり前」だなんて思っちゃいけない。過去の全てが「今のこの瞬間に自分がある」ために回ってきたのだな、と思うと、どんなに感謝して、慈しんで、大事にしても、したりないくらいだ。

先週水曜日の「胸パカーン&クンルンネイゴン」体験以降、チャクラ・バンダーサナ(アジャストされたバックベンド)の深みが、これまでの限界値をどんどんはるかに上回ってきていて、新たなフェーズ突入。傍目からは「は?どこが辛いのですか?」というくらい全然曲がってないし、足首つかむなんてアリエナイ段階なんだけど、それでも「私の基準(=ちゃぶ台スタイル)」からするとスンゴイ進歩を更新中~。体裁とか我慢とかナシで悶絶しながらの大格闘・・・いや、格闘というかむしろ、「ここで死んじゃってもいいのよ~」ってくらいの突き抜け感スコーンの、ああ我れ全面降伏。

こうなってくると「あ、ここが限界です」って、自分のマインドが設定していた閾値が毎日変わってゆくのに驚かされる。これまでも、それなりの段階でカラダが開いていくプロセスを体験してきたけど、現在のカラダと心にかかる負荷と影響は、今までと全然違う。特に心にかかる方は、おろろー。

あまりにも不安なので各方面(笑)へ相談すると、「いわゆる浄化ってのは、そういうもんだから、あんまり気にしないで、起こるがままにしておくべし」というのが大半。ヨガの先生的には「カラダが、特に胸が開いてゆくプロセスとしては良くあること」なんだそーだ、ふーん。今のこの段階でこんな状態だったら、この先どうなっちゃうんでしょーね?

あーあ、なんかこの冬は乗り越えるのがきつそうだー、なんてゴチながらクリシュナダスを聴きながらの電車の中、「あ、そうだ、今日は、こないだの気付きのとおり、”これで最後”の練習のごとく、一瞬一瞬を”意識して”感謝しながら練習しよう!」と、昨日は突然ひらめいた。

もうずーっと4ヶ月もパシャーサナできなくて悔しくて周りと比較しては羨んで自己嫌悪に陥って、うんうんエゴエゴしてたので、こういう自己中に陥った愚かな自分を発見したときには、自分を超える大きな存在に捧げものをする気持ちになるのがイチバン!と、思った次第。 自分の意識のベクトルが自分自分自分~!へ向かいすぎるのはよろしくないです。

先日のクラニオのイントロダクションコースで、瞑想的でマインドフルな意識状態のまま、自分の知覚場を内側にとどめるのではなく、接しているクライアントへ、部屋全体へ、町へ、国へ、地球へ、宇宙へ・・・と広げてゆく感覚を学んだ。自分の感覚に「気付いている」・・・つまりマインドフルで「いま」の瞬間に「いる」状態、つまりあくまで自分の内部にしがみついているのが今までの私の瞑想で、ささやかな、ちっぽけな世界だった。それをスコーンと外部へいきなり360度フルパノラマの世界へ広げてゆくことで、この世界の全てに鋭敏になり、マインドフルに「気付いて」いる状態へ、意外と簡単に転換できるのだという事実にビックリ。

ま、それはそれで置いといて、ともあれ、自分自分自分~って練習からはちょっと離れて、せっかく学んだ知覚場の広がりをアシュタンガヨガの練習に生かすのも、よろしいのではないかと・・・なんて思ったのが木曜日の朝。さっそく試してみると、これがまた思った以上に素晴らしい体験で、これまでのはナンダッタノ?って気がした。

自分がどーとか、こーとか、周りがあーとか、そーとか、そんなのは超えたところにフォーカスして、2時間というときを練習自体に、もしくは神とか真理とか大いなる存在、とか、そういったものへ捧げる。自分の為というエゴワールドからちょっとだけ外れる。それだけのことで、暖かさと自由が満ち満ちてくる。ここでもまた完全降伏、サレンダー。

そうか、ふーん、自分にしがみつくことから、ちょっと離れてみるだけで、こんなに違った形で世界が生起してくるのだな。

ああ、なんかインドに行きたくなっちゃったよ。
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いわゆる「スピリチュアル的」なものをめぐる冒険  

先週の日曜日からマイムーンディ明けの練習開始。特に可もなく不可もなく、ただ集中の度合いが日に日に高まっているのが感じられる。一時期苦しくて浅かった呼吸が、深く落ち着いた状態に戻りつつある。カラダの動きに無理して呼吸を合わせる辛さではなく、呼吸にカラダの動きをリードさせる楽しさ!最近スタンディングが非常に気持ちよい。特にトリコナーサナシリーズで感じられる四方へ流れバランスをとるエネルギーフローにメロメロ。生きる喜びと活力をリチャージしてゴー!(どこへだ?)


ところで21日の水曜日、バックベンドの練習中(チャクラ・バンダーサナ=アシストされたドロップバックから両手をどんどん足の方へ歩かせて、最終的には足首をつかむポーズ)でいまだかつてない深さへアジャストされて、ウガガガ~!四肢へ力を入れることも、呼吸をキープすることもできない極限の辛さの中で、そこに囚われないよう、この現象界はマヤカシなのよ~、反応への拘りはイラナイ~、抵抗しないで明け渡す~、と、とにかく「リリース」作業モードへマインドをシフトさせた瞬間・・・!→→→胸の奥底から搾り出すように嗚咽にも似た声と共に感情がドカンと噴出した。すごい怖くて、ずーーっと抵抗していたものがパカン!と開いちゃったみたい。まるで死から生還したかのように立ち上がったときには、体中が震えて涙がボロボロ出てて、失禁しててもおかしくないくらいのアワワワ状態。エーン、すごかった~><以前から少しずつ、こんな感じの「うわー!」って感覚があったけど、このときは自分の中心がパカーン!と開いたのが、はっきりと判った。バックベンドが苦手っていうのには、やっぱり意味があって、それが何なのかはどうでもいいけど、その何かがどんどん解放されてきているのを実感。アワワワワー、とビックらこいて現実世界に戻ってくるのに時間がかかったけど、先生がちゃんとサポートしてくれている安心感があったので怖くなかった。こんな風に、まるで生まれたての赤子のように、なんの保護も防衛もない、まっさらな素の状態に立ち返れる体験って、なかなかできるもんじゃない。その状態になる過程は、とても怖い。ずっと自分を守っていた鎧を脱ぎ捨てるようなものだ。でも、いったんこれまでに溜め込んだ拘り、囚われ、先入観、ジャッジメント、常識という規制、エゴなどを手放せたとき、同時にとても安らかにもなれるのを知った。これは、本当に先生の優しさと包容力へ信頼があってこその冒険!ありがとう!

なんて朝っぱらから清清しくパコーンと開いた状態で、この日はクンルンネイゴンのセミナーへ参加した。
は?クンルンネイゴンってナニ?というと、7世紀の中国に発祥した道教に伝わる「覚醒のための実践法」で、近年になってアメリカ人のマックス・クリスチャンセン氏(氏のHP:http://www.kunlunbliss.com/subjects.html)によって日本・アメリカで布教され始めている。ちなみに氏の唯一の著「クンルンネイゴン」の帯は「呼吸法でも気功法でも瞑想法でもない。再覚醒のための特殊技法であるクンルンネイゴンの実践法を完全解説。崑崙山脈に伝わる一子相伝の秘法。あなたを未知の領域に導く…。 」と、トンデモ路線まっしぐらワールドである(amazon:http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%82%B4%E3%83%B3-%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3/dp/4899760841)

このSHORTCUT TO NIVERNA(ショートカット・トゥ・ニルバーナ)ともいえる究極の秘儀を実践すると、体内のナディ(神経)が整えられ、心身が浄化され、自己のマグネティック(磁気)レベルに目覚め、体内エネルギーのフロー活性化による更なる浄化、至福の体験を通し開かれてゆき、すでに覚醒した存在である自己の本質へ向かうという・・・ミワユミコさんが「おおおおー!」と引き付けられるキーワード満載のエネルギーワーク。そして実は最近、このクンルンネイゴンの実践者と知り合い、その方のお話を聞くうちに「今、これを知っておかなきゃ」という衝動にかられていた、というのが事の顛末。

しかしワタクシ、昨年末にヒマラヤ聖者ヨグマタ(=相川圭子)のダルシャンを受けに行き、(そのときの日記:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=305174771&owner_id=2035075)彼女自身のオーラーやパワーには感動したが、それを取り巻く組織の「クイック悟り」を売りにしたビジネス・ビジネスにはゲロゲロとなった経験があり、正直こういった「お金払えば、即=悟れます!」なんていうのは信じてない・・・とゆーか、それを目指して日々修行している身としては、フザケンナヨ!なのだ。なのに、なにゆえに、このクンルンネイゴンがひっかかったのか?というと、最近ヨガをやっていると自分の中のエネルギーのバランスがスッゴク乱れている!ことが多く、瞑想をすると、それこそ基底のチャクラから上へ上へ噴出するエネルギーがスンゴイことになっていて、それこそ「ドッカン!」って感じでセックスもマスターベーションもしてないのに絶頂感じてどーするワタシ?ってくらいで、ここここれは、なんとかしないとヤバイ!という背景があったからなのかもしれないです、多分。

で、スピ系癒し系の「楽天」みたいなVOICE(http://www.voice-inc.co.jp/)のHPで、マックス氏の愛弟子による「クンルン伝授」のセミナーがあることを知り、即申し込みをクリックしてしまった・・・おおお、インターネットの罠!しかし、申し込みをした後にセミナー参加者の体験談(http://www.voice-inc.co.jp/documents/workshop_page/kunlun/kunlun_lv1.html)を読んで、ちょっと引いた・・・うわー、しまったー!これはヤバイです~!でも、まずは自分のこの身で体験してから物申そう、と思い、変な先入観は持たないよう自分を律し、また事前にマックス氏の本を読むことをせず、まっさらな状態でセミナーに挑むことにした。だって、私たちはあまりにも沢山の偏見や先入観や植え付けられた価値観で自分の眼を曇らせちゃってるじゃん?そういうものから自由でありたい、という希求が、ワタシの冒険の原動力でもあるんだから。

で、しつこいけど、朝っぱらから清清しくパコーンと開いた状態でセミナー会場へ向かう。天気も良いし、なんか会場に入るなり「やたら躁状態」というかハッピーで、楽しくて仕方なく、「オープンであるにもほどがあるのでは?」というくらいの開きっぷりに自分でも愕然。通常こういう場では緊張しがちなのに、誰にでもやたら馴れ馴れしい私~、しかも素のまま(笑)。呼吸ワークでリラックス、気功をやってグラウンディングをしてから実際のクンルンの実践。実践の方法は公開厳禁なので、ここでは割愛。他にもいくつかエネルギーワークをやったりして結構楽しめたのと、講師のYさんのオーラがはっきりくっきり見えたのが印象的。クンルンの実践中、周囲では他の参加者さんたちがモノスゴイことになっていたけれど、ワタシ個人に劇的な反応はなく、いつもの瞑想と同じレベルに、ちょっと「楽チンさ」が加味され解放感があったくらい。周囲の反応・・・泣いたり笑ったり踊ったり震えたり異言を唱えたり・・・というのが、狐憑きというかシャーマニズムぽいなぁ、なんて感動したりして、ちょっとマインドが外部へ向かっちゃったというのもあるかも。ただ、会場内のエネルギーレベルも、伝授されたエネルギーも期待していたほどではなかった。正直、朝のマイソールクラスのスタジオの方がずっとずっとクリアでクリーンなエネルギーに満ち満ちているし、私の体内エネルギーもアシュタンガヨガや瞑想をしているときより低かった。多分、これは推測だけど、アシュタンガヨガとヴィパッサナ瞑想を日々の実践として行っていれば、このパート1で得られる浄化のプロセスとかエネルギーの高さといったレベルは十分クリアできるんじゃないか?と思った。でも、そういう実践を継続できない、または鍛錬はシンドイしな~という人達には、こういった伝授でバコーンと開くことが可能、それにはお金がかかる、というのが現実なだけで、どっちもアリですよ。

正直言うともっともっとパワフルなものを期待してたので、ちょっと拍子抜けの感は否めず、セミナー会場を出たときには「う~ん、なんだかな~」と、ついつい思ってしまったクンルン初体験。しかししかし驚きべき事に、このセミナー効果はじわじわと後からやってきて、今現在やたら全ての面で自分の中の「楽チン」加減が桁違いに高い!私の中でいつも自分を制限していたrestrictionが、セミナーのあの空間に入ったとたんにパーンと解けて、それがまた続いている。その証拠なのか、なんなのか、今朝の朝練は史上最高ぶっちぎりの至福感!いままでで一番気持ちよかった~、って涙ぐむ始末(って結局いつも泣いてるってことですね) いやー、ついこの間まで精神的クソ溜めに居た自分が、なんでこんなに明るくて元気なの~?と自分で突っ込みいれたくなるけれど、人生ってのはそーゆー風にできてるんだから、あんまり深く考えないでおくことにする。

そして、明日から2日間クラニオ・セイクラルの入門ワークショップへ参加です。どんなかな?

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山あり谷あり  

もともと心のリハビリで太極拳やヨガを始めたのが3年前。

今ではすっかり健康優良児なので、精神を病んでいた昔の自分などすっかり忘れていた。しかし、冷静に自分を観察してみれば、こんなに縋るようにヨガに夢中になっていること自体、どう見たって「病んで」いる証拠なわけで、あんまりタカをくくっていてはいけませんよ、という教訓をここ最近得たところだ。

先々週に鼻腔の傷が細菌感染して、七転八倒の痛みを味わい、脳にちょっとした刺激が加わったのか、先週のヨガ朝練は史上最悪のトンデモナイものだった。

朝の練習の最中に、自分の中に渦巻く想念がすごいパワーで大旋回、達観するとかそんなレベルではなくて、超大型台風のように荒れに荒れてる只中へ呑まれて揉まれて、ああコントロール不可能!に陥った。

肉体的にはまったく不具合はないがココロがキツイ、というか、ほぼ電波状態、ははは。あ、私の想念!と、追いかける→あれ、追いかけてたはずの自分が台風の目→どっちがどっち?本当のワタシは、こっちか?あっちか?あるのか?ないのか?どーなんだ?がーっ!・・・

自分の中心が怖いくらいキリリと針の目のように凝縮されているのが判る、と同時に、その中心が自分の外側の遠いところにあるゾワゾワ感・・・なんか変なスイッチ入っちゃったんだろうなー、と今となっては思うけど、そのときはワケ分かんなくて、ウワー!って感じ。いや、マジでこのまま基地外になっちゃうんだー、と思った。怖かった、けど、どこかで冷静な自分もいた。

練習中にワンワン泣くわ、もうあたちダメでちゅ~!と大騒ぎするわ、のお恥ずかしい日が数日続き、他の生徒さんや先生にトテツモナイ迷惑をかけてしまい、恥ずかしくてたまりません。自分のなかにあんなに膿があるなんて、思いもしなかった。あったとしても、自己コントロールでなんとかできる自信があった。おーい、なにが、イッタイどーした? 私の中のエネルギーが、変!暴走してる!

・・・という、暴風雨警報発令中の週を経て、感染症も治り始め、可もなく、不可もなく、淡々と、黙々と、いつもの練習をする日々に戻り、活火山は小休止。

毎日の朝練のたった2時間のうちに、プラナや感情やマインドの波が、幾度も、何層にもなって、押し寄せては引いてゆく。スーハーの呼吸が、世界を包み、私と外部の境界線がボヤけてくる。この私は、はたして、このカラダの内側にいるのか、外側にいるのか。

私は、私という物体に確証が持てない怖さから、自分の肉体を制御する欲望に囚われていたのかもしれない。だけど結局、その線引きすらが、無意味であるという実感・・・制御できましたか?制御する必要などありませんか? というか、それ以前に、私はいったいどこに在るのでしょうか?

などとホザキながら、今朝もまたスーハーの波に乗り、呑まれぬようバランスをとり、限りない針の目のような集中のその先を垣間見ようとしている。

うーん、なんかねー、変な感じなのよね~、最近。瞑想してても、かなり怖いし・・・そわそわしちゃう。こんな状態でクンルンネイゴンとか受けちゃってダイジョウブなのかな?それとも、反対にナニカの突破口になるのかな?怖いけど知りたい・・・今、ここで見えてる遮断機を越えたい。

山アリ谷あり、私の冒険はまだまだ終わらない~。


来週の予定
クンルンネイゴンの初!のセミナー参加
クラニオセイクラルのワークショップ2日間

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ダイエット大作戦  

やはりアレコレありまして、ちょっとした悟りが私の中でかなりクリアに鎮座しております。いや、なんのことはない、「わたしダイエットします!」ってだけのことなんだけど。


アシュタンガヨガをキチンと真面目に突き詰めたい、と思うのなら、私のこの体型って・・・「その資格ないでしょう?」って事実があって。認めたくない、認められない、でもどんなに蓋をして隠していても、ふとしたはずみに「歪み」が表出してくるわけで。ついにとうとう、「そろそろ潮時ですよ~」とばかりに、ダイエットする方向へ、いろんな形で押し流されてる自分を発見。

デブなままの自分に胡座をかいた状態で、「スプタができない~!」って悩んだところで、それは豚が「空を飛べない~」、って言ってるのとおんなじだと、これまで周囲の失笑を買っていたことに、なかなか気づかなかった。

この体脂肪30%+、太ももに隙間ナシ、二重ならぬ三重腹抱えて、なにがアシュタンギだ~、がーっ!!!昔から周囲にデブ過ぎると指摘されるたびに、傷ついてたけど、それがいやなら痩せなさいよ、ってコトだ。Simple as that!

ポーズができないのを体型のせいにして逃げ回るのは、もうウンザリだし、なによりも卑屈なデブほど醜いものはない。デブはデブなりに、特に私のような摂食障害を持つ人間にはそれなりの「理由」があったりするけれど、それらはいわゆる「言い訳」以上のなにものでもない。

こういう腐った精神を抱えてる私などは、いくら体型が変わったところで、何にも変わりはしないんだ、ということを実際に身にしみて経験しなきゃならない。ダイエットして体重を落として、その結果どうなる?単にポーズができるようになる?それとも、全然変わらない?大事なものは外側だけだったのか?

「それ見たことか!」と、きっと思うんだろうけど、でも、とりあえずは、やっとかないと気がすまないので、日曜日からダイエット開始。とりあえず目標マイナス10kgで、先は長いんだけど、これは10代の頃からクリアにしなきゃなんなかった課題なので、仕方ないか。

どなたか、有効なダイエット方法ありましたら、お知恵を拝借プリーズです。

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感染症でイタイイタイ  

先週半ば頃、鼻毛をシャープなハサミで切ってたときに鼻腔内を傷つけたらしい・・・ アタタ。



そのときはあんまり気にならなくて、でもこういうのって、後からじわ~っつと来る。水曜くらいに「なんかヤだな、ムズイな、痛痒いな~」って感触があって、でも、そのまんま放っておいたら、むちゃくちゃ化膿してスンゴイことになってしまった!



まず、傷が化膿して腫れまくり肥大の果てに鼻腔自体が塞がった。それから、この右鼻腔を中心とした顔の右半分が腫れて熱を持ち、ひいては頭痛、目の痛み、歯痛、咽喉の痛み・・・と、周辺の神経を刺激しているもよう。とにかく痛い痛い痛い!が度を越して、放心状態。「痛くない状態って、どんなのよ~?」とヤサグレる。更には、痛みを遮断しようと肉体が感覚を放棄している感じで、脳内エンドルフィン大放出で、ナチュラル・ラリラリ状態である。



木曜日は仕事をそんな煉獄の中グダグダと片付け、通勤地獄に揺られヨロヨロと倒れこむように帰宅し、そして着替えもせずにベッドになだれ込みそのまま朝まで爆睡。ダンナさんは、私がバリバリのサラリーマンだった頃を思い出したようだ・・・ゴメンちゃい。



翌朝、目覚めると、痛みと腫れは悪化していて、口をあけてしゃべろうとしても痛い、目をシッカリ開けることもできない、まるで虫歯が5~6本あるかのような痛みに始終貫かれる・・・!えーん。



私もダンナも医者嫌いで、なにかあっても「自己治療」してしまう傾向がある。「医者へ行ったら最後、悪化する!」というヘンテコな先入観があるのは、子供のときからの経験がお互いに似通っているからみたいだ。私も彼も、家族が病院へ入院したら2度と帰ってこなかった、っていうトラウマが数回ある。さらに、ちょっとした怪我で病院へ行って、とてつもなく辛い思いをした、という経験もある。ウンコに虫が沸こうと、指の骨を骨折しようと、放っておけば自己治癒力でなんとかなるんだ、と、結構真面目に信じてきるのかもしれない。



ここ2年くらいケミカルな薬を摂らないようにしてきたので、本当は鎮痛剤も飲みたくないのだけど、さすがの痛みに根をあげて、バファリンを摂取。が、全然きかない・・・大昔の「バファリン12錠イッキ飲みすら効かない生理痛」時代を思い起こして気分悪くなった。ボルタレンとかレキソ、デパスなんかをワンシートとか飲んだら楽だろうなぁ、とか遠くを見やりながら、いやいや、私は薬物摂取は卒業したんだもんね、と一喝。傷口には、なんとかマイシン系の抗生物質軟膏を綿棒でやっとこ塗りつける(鼻腔が塞がっちゃてるから、捻じ込むようにして・・・痛かったー!)もう、頭痛と歯痛と目の痛みでグワングワンだけど、一応会社へは向かい、ひととおりの仕事を片付ける。朝練はさすがに休んだ。



痛みがない状態って、どんなのよー?
私はここでずっとココロの中で「イタイイタイイタイー!」って叫んでいるんだよー!



満員電車の中で顔をしかめつつ周囲の他人の群れにココロで毒づく。そして、たかがオデキひとつでこんなにヤサグレてる自分が愚かしくて笑えてきた。



病気や後遺症、老化、生まれつきの障害、さまざまな被害・公害・毒害・天災・事故・・・身体に障害を持ち苦痛を共に生きるのがデフォルトな人達が沢山いる。五体満足で健康優良児な「当たりクジ」を引いてこの世に生まれてきた私など、想像すらできない状態が「当たり前」の人達が、フツーにいるのだ。



私は、通勤時間が長いから・・・と、電車の優先席に平気に座って眠りこけたりしてるけど、その横でその席を必要としている人がいるかもしれない、など想像すらできない無神経な奴です。



私は、「なんでもやればできる。できないのは努力が足りないだけだ」と平気で思い、口にしてきたけど、その「努力」自体が不可能である、という状態を想像することすらできない、独善的なバカヤロウです。



なんだかわかんないけど、激しくごめんなさい、って気持ちでいっぱいになってきた。いつもの状態が「当たり前」と思う傲慢さ、愚かさ・・・そんなもんに慣れちゃいけない。当たり前だからこそ、慈しみ、感謝する気持ちを失わないことがどれだけ大事かことか。



ちょうど10年前に他界した父の死の直前の数週間、「生きていたカラダが少しずつ壊れて行く」というのを目の当たりにした。先週まではトイレなんて普通に行けていたのに、今週は母の肩を借りてヨロヨロと5分も10分もかけて行くようになり、ついに昨日には排泄活動そのものすら自分ではできなくなった・・・中身の魂はそのまんまなのに、入れ物の肉体がぶっ壊れてるチグハグさ、でもそれが人生ってもんだ、確かなものなどありっこないい、永遠なんてクソだ、ないよそんなもん!と心に深く刻んだのを覚えている、はずなのに・・・こうやって、何度も何度も忘れちゃー、あっイケネー、とかやってるあたり・・・私はちっとも学ばないなぁ。





で、週末はドンドン腫れがひどくなり、イタタタターと泣きながら秋の青空の下、長谷のマイソールクラスへ参加して「ウジャイ呼吸が・・・できない!」と後悔したり、近所の山々でのんびりと過ごしたりした。



週が空けて、本日月曜日の朝練には行ったものの、頭痛・眼痛・歯痛・鼻の痛みでグワングワンもさることながら、ここのところ荒んでいたココロがバリバリに毒を持っていて、最低最悪の練習をして不快感に加速がついた。やー、アシュタンガってすごいね、no matter whatそのときのココロの表れがそのまんまパワーアップしちゃうんだもんなぁ、今日みたいに最悪のクソみたいな気分の時は、紙上最強の性悪野郎となり、なんでもかかってこい!くらいの勢いだ。



あー、なんだって、こんなバッカみたいにヨガの練習してるんだろー?アホクサくて、やってられなーい!と全てをチャラにしちゃいたいぞー、もー!



で、あまりにいたたまれなくて、スタジオに居ることすら恥ずかしくて、逃げるように会社へ向かい、近所の耳鼻科へやっとこ行く。



「いやー、これは・・・。 ずいぶん辛かってでしょう・・・(慈悲の目) これね、海馬とか(違ったかな)その辺に繋がってるんで、放っておくと死に至ることもありますからね、来てくれて嬉しいですよ。」



マジですか?先生、こんな鼻毛切りに失敗して付けた傷が元で死んじゃうなんてアルの?そんな人生って、フザケてないかい?



でも、ま、お薬一式もらったことだし、これで5日ぶりに痛みからの解放、うれしい。

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