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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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触れるということ、繋がるということ -ヨガのアジャストメント   

日曜はアシュタンガの練習はお休み、終日TTCの課題に明け暮れ、夕方からの授業に駆けつける。

課題のひとつである「自己記録」を書いてて、色んなことが自分の内から出てきて、またまたオンオン泣いてた。

そのなかでも、宙ぶらりんになったままの課題がクリアになってきてる予感が、じわじわとあって、変な感じだった。

授業はアサナの復習とアジャストの練習。かなりスピーディーにパンパンパンと進められて、エキサイティングだった。

クラスのほぼ全員とアジャストをし合い、私がいちばんビックリしたのは、生徒役の人の感情などがビンビンに伝わってくること。

外側は明るいスマイルであっても、内部に悲しみや怒りが脈打つように息づいている。

一番多く感じたのは、「混乱」。

ヨガによる変化がTTCの過程によって加速がかかり、それについてゆけず戸惑っている。ちょっとつついたら崩れ落ちちゃいそうな危うさとか。

なんか、みんなが子供のように見えてきた。多分私もきっと同じように写ってるのだろう。

講師がシェアしてくれたのは、彼が先生としての体験から得た「アジャストの心得」なんだけど、テクニカルな部分に留まらないあたり、Sun&Moonらしいなぁ、と思った。

瞑想であらゆるものにマインドフルになるように、アジャストをする時も繊細になって、今にフォーカスして、生徒と繋がる。

アジャストを受けてる生徒が、そのタッチをどのように受け止め感じているか、なにを必要としているか、に耳をすます。

生徒の神聖な身体に触れることを名誉と受け止め、尊重する。

といった、アジャストがどうの、っていう以前の根本的な最も大事なこと。

そうか、だから昔この人のアジャストを受ける生徒でもあった私は、あんなにも深く繋がり、愛と光を受け取って、安心して自己成長してこれたんだろうな。

なんか、またひとつスーっと腑におちた。

ナマステ。
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ハイパーセンシティブ  

寝坊して九段下のレッドクラスへは行けず。朝9時スタートの長谷公会堂でのレッドクラスに参加(・・・先週とまったく同じ流れだ・・!)

すっかり涼しくて汗もほとんどでない。内からの熱があまり感じられない。感情のUP~DOWNが希薄すぎて怖い。ワタシ生きてる?本当に?と思うことしばしば・・・の抑圧された練習。

帰りしな、この長谷クラスの主催者であるC先生に、とあるポーズの上達を褒められた。「え、なんで、そんなぜんぜんできてない私のトラウマな部分褒めるの?なんか無神経というか、トンチンカンだなぁ」と正直憤慨した。でも、この人は私のことは何も知らない訳だし、悪気はないんだろうな、と江ノ電に揺られながら気持ちを落ち着けてみた。すると、涙がポロポロ出てきた。やばいなー、また最近敏感になりすぎー!とか、焦りながら手ぬぐいで涙を拭い、ふと気がついた。「あ、私ヨガやってて褒められたのって初めてかも」って。

別に褒められたいからヨガやってるわけじゃないんだけど、いつも頑張って頑張って頑張り続けてるから、きっとココロのどこかで、誰かに認めて欲しい、って気持ちがあった。でも、その努力に反比例するかのように、思うような結果がぜんぜん出ないから、自分ですら呆れるというか、「とても褒められたもんじゃねぇよ」、とずっと自分を否定・拒絶・卑下し続けてた。ま、これも修行なんやね、と強がりながら。

だから、単純に私は嬉しかったんだ。でも、それを素直に受け止めるのに慣れてないから、ひねくれちゃったんだ。そうか、そういうことか、かわいいやつだな、ムギュ。

どんな小さな部分でも、形にならないことでも、変化や進歩を認めて褒めるのは、大事なことなんだな。結果や形に囚われない、っていうのは、こういうトコロでも体現化できる。

TTCが始まってから、なぜか仕事が忙しくなり始め、帰宅するのが12時近く。家事をやって、早起きして、3時間の通勤、早朝からの練習、これに加えてTTCの課題の山・・・!どうやっても、削るのは睡眠しかない。そこまでしてヨガをやりたいの?TTCで学びたいの?と、これは、私を試してるとしか思えない試練(笑)・・・でも答えは断然YESなのだ。キツイんだけど、辛くない。精神的な不満が出てこない。ただ、因幡の白兎みたいにあらゆるものに対して敏感になりすぎてる自分がちょっとシンドイ。早く、ここ抜けたい。だって、気がつくと泣いてるんだもん、これじゃ、日常生活が破綻しちゃうよ。

練習後、代々木公園のナマステインディアへ。インド人イッパイ!私の頭が自然と左右にユラユラし始める。あー、またインド行きたい!とか思いながら、マサラドーサをパクパク。カレーもパクパク。チャイをゴクゴク。あー、美味しかった、久々のまともな食事。

本日のTTCはチャンティング。みんなでキルタンを歌って、私はほぼ酩酊状態。クリシュナ・ダスのクリシュナでは、感極まって涙ポロロ(笑)、でもココロの奥底から熱くなるようなヴァイブレーションを感じて、幸せだなー、と。

明日からTTCでのデモクラスの練習です。あー、楽しみ、でも不安もイッパイ!

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身体に宿る記憶  

今日は、なんでか分かんないけど、朝練の後半で胸がつまってきて、ドロップバックの後のアジャストされて行う深い後屈で、自分の奥深いナニカに触れちゃったみたいで、涙がボロボロ出てきた。

フィニッシング~パドマーサナまで、はらはら流れる涙は止まらず、でも先生には見られたくない、って気持ちが強かったので、自分をごまかしごまかしポーズを続けた。

そういえば、今日は、スタンディングだけで止めようかなとか、ハーフで終わりにしちゃおうとか、パシャーサナは飛ばそうかなとか、ドロップバックは省こうかな、とか、本当にやたらとギブアップしたがってた。身体が痛いとか、重いとか、これといった理由もないのにですよ!

私達の身体は色んな経験、感情、反応を溜め込み、それらがふとしたきっかけで蘇ってくることがある。

匂いはダイレクトに記憶と繋がってるが、身体の微細な感覚にも、同様に記憶のトリガーが宿っている。

ヨガのポーズも、それらを呼び起こすことがあり、特に股関節を開いたり、バックベンドなどで胸を開くポーズに多い。

確かに、私は胸開くのが元々苦手だし、最近慣れてはきたけど、いつもどこかで何かを怖れてる。

でもきっとこれもどんどんと変わってゆくのだろうし、変に深読みしたり、難しい解釈をする必要もないわけで。

ま、そんなことがありました、という記録だけ留めておこうかと。


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可もなく不可もなく  

マリーチCが、ひょいと楽勝、あれれ?

スプタが、ここんトコかなり深く入る(もちろんアジャストされて、だけど)。たぶんそろそろ一人でいけそう。昨日くらいから、やっと頭に脚かけたままプッシュアップ、手で身体を持ち上げられるようになってきた。

ブジャピのジャンプインを2ヶ月かけてやっと制覇したかと思ったら、今度はブジャピそのものをキチンとやるようお達しが・・・毎回必ずしつこく(良い意味で)声がけされ、絶対見逃してくれなくなった。確かに、いつまでも、ま、いっかー、と「デコつけてのなんちゃって」の快適ゾーンに留まっている私(だって、楽なんだもん)。でも、そこにアグラをかいてちゃ、いつまでたっても停滞してるだけで、変化やチャレンジや克服などの経験はやってこない。必用なのは、うんしょ!と重い腰を上げてみる、その心意気なんだよな。結果じゃなくて、「対峙する」というちょっとした勇気が大事だ。最初はトライしてもできない、だから凹む、だからやらない・・・じゃなくて、ただひたすらトライし続ける、それだけ。うーん、先生というのは、意外とちゃんと生徒のことを見ているんだなぁ・・・と感心。

パシャサナは相も変わらず大難関。ひとりでは、とても手が回らず苦戦を強いられる。必ず何回が一人で奮闘した後にアジャストをしてもらうのだが、アジャストされての捻りが苦痛じゃなくなってきた。反対に気持ちイイかも?とか思った。マニピュラチャクラの弱い私にとって、ねじりは鬼門だけど、だからこそそういうポーズを避けずにやる意義がありそうだ。

バックベンドでの身体前面のストレッチもまた、気持ちよくなってきた。苦痛から快感へ、ちょっとだけシフトしてきてる。まだ、足の付け根が固いのでシンドイときもあるけど、以前と比べたら全然違う。ひとりドロップバックからのカムアップが、少しずつ安定してきてる。まだ、できない時や、バランス崩したり、つんのめったり、後ろに転んだり・・・と楽しいコトもやってますが(笑)、今朝はちょっとした安定感を感じた。でも、まだまだ、かかとが浮くので、これが課題。

アシュタンガをやってると、流れるようなフローを優先して、アライメントがおろそかになってしまう、というのが私の傾向。流れを止めない程度に、ちょっとだけアライメントを意識するようにしてみる。特に足や手の床との接点をおざなりにしないように。ただ締めているだけのバンダじゃなくて、体内にスペースを作り、エネルギーを流すための(またはロックするための)バンダを意識するように。ついついの悪癖で知らずと入っている余分な力みを抜くように。自分の身体にとって自然で正しい礎を築くための、両極へと働く力のバランスをとった状態を探るように・・・。

アタマ固いし、頑固だし、身体も硬いし、柔らかさに欠けて、極端に走りがちな自分が、ほんの一瞬でも「完全中性浮力」のようなSTILL POINTに留まることがある。そんな、可もなく不可もなく・・・の中庸ど真ん中でバランスをキープしている瞬間、ってのが堪らなく気持ち良く、視界が360度に開けた感じがする。

ま、そんな日でした。明日はムーンディで練習お休みです。

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ほんの少しだけ  

やっと朝練開始。昨日とはうって変わって、身体がガジガジのオモオモ。全然伸びな~い!まったく上がらな~い!で、なんか笑えてきた。

さらに肩、肘、手首に痛みが出てきて、腕に重心をかけるのは、ちょっとセーブ。スリヤのチャトランガで既に予備ポーズ。ジャンプバックもジャンプスルーも、やらない。この抜け具合、逃げ具合はTTC効果か。

以前なら、こういう「しっくりこない」感じに振り回されてたけど、今日は、このできなさ加減が=イコール本日のワタシ、という「しっくり感」を味わった。

「あれ?できない!→えー、なんでー?ヤダナー(焦)」じゃなくて、「あれ?できない!→そうかー、できないのかー、そうなのだー」になってきたから、なんかラクチンだ。うーん、そうかー、やっと、ここまで来れたか、時間かかったなぁ。

努力するのは好きだし、それを止めるつもりは毛頭ない、いや、これはヨガだけじゃなくて何事に対しても。でも、そのベクトルの行き先が、ちょっとだけシフトしたような気がする。

「ここから逃げ出す為の手段」としての努力はもういらないんだなー、とか。

TTCで主催者のリザが最初の日に言った言葉が、ものすごいリアルさでもって染み渡ってきた。

アクションの目的が「結果」であるなら、それはエゴ。

アクションそのものがヨガなのです。



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朝練ならぬ夜練  

朝の8時から夕方5時間でミッチリTTCのため、朝練はナシ。

代わりに先週同様TTC終了後、渋谷の夜マイソールへ参加。

練習は朝やるもんだと思ってたので、最初は「夜マイソール」に抵抗があった。

でも、実際に夜の7時・8時という時間帯に練習をしてみると、いつもやってる朝練とはまったく別のアクティビティをしているようで、すごく面白かった。

「こ、これは、私がいつもやっているアシュタンガの練習では、ない!」って感じ。

一言で言うと、キツイ感じがまったくなくて、ただただ「楽しい!」練習だった。



まず、身体が全然違う。信じられないくらい柔らかいし、すんごく軽い。

朝練以外に抵抗があったのは、胃や腸にモノが入ってる状態でアシュタンガなんてできないでしょ?という偏見があった。

でもそんなことは、まったくないんだー、とビックリ。

あんまり、軽くて柔らかいので、遊園地で遊んでるみたいで、ワー!楽しいー!



あとは週末土日で休息をとって、終日のTTCで浄化された後の状態だから、精神面での柔軟さがケタ違いに良い。

だから、「怖い」や「苦手」による制限が、ちょっと和らいでいるのがよく判った。

たとえばバカーサナでの前方への傾斜が、いつもより前に行けてて、結果的にお尻が上に持上がっている。



環境的に気温も下がり涼しかったし、なんとこのスタジオは窓を開けているので、ちょっと肌寒いくらい。

汗と熱気でゼーゼーになるという、余計な試練がなかったってのも要因のひとつ。




先生もやさしくて、「生徒に練習を楽しんでもらいたい」って姿勢があって、変に気張る必用もない。

他の生徒さんも明るくて優しくてオープンだし、久々の知人にも会ったりとか、生ヒカルさんにワーワー言ったりとかして(←ミーハー)。

そこに存在する人の作り出す空気が、柔らかい気がした。

なんか居心地いいなぁ、ここ。




基本的には朝練を続けていくけれど、ちょっとしたお遊び気分で週1回くらい、ここに通うのもいいかな、とか思った。

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TTC7日目  

ビンヤサについて・呼吸と動きの連動 byステイシー・クルメナカ

私にとっての重要なキーワード
「アナタが体験したものしか、本当に伝えることができません」
「生徒の体験したものをシェアするということも、先生として大事です」

本当は理解してないことや、自分で体験してないコトを「教える」先生が多すぎる。それはアタマやカラダの表面的な勉強。自身の内的体験をシェアすることがヨガを伝えることならば、つまり、シェアするに値する体験を自身のプラクティスの中で得ていることが前提となる。そこんとこ疎かにして、私ヨガ教えてるんです、もクソもないやね。キレイなポーズを得意がって見せるだけの先生なら、エアロビの延長線だ。

大好きなスリヤナマスカラの指導練習をした。実際に自分で体験しているスリヤナマスカラの素晴らしさを、他人に伝えるのがこんなに難儀だとは!アシュタンガの淡々としたサンスクリット語のカウントとは違って、「初心者に指導」するのが目的なので、あれもこれも伝えたい項目が多すぎる!しかし、一呼吸の時間の限られていること!ついつい押し付けがましくなる自分が見えてくる。うーん、難しいけど、面白い!

ビンヤサの意味=ある地点から次の地点へ、特別な方法で、目的を持って、意識的に移動すること。つまり、ジャンプバック→チャトランガ→アッパードッグ→ダウンドッグ→ジャンプスルーだけを指してるんじゃなくて、ヨガを離れた広義的なものとしても捉えられて、つまり人生の側面でもある。ちょと、広がったなー。


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筋肉痛アタタタ  

ちょっとしたブランクの後の練習は、たいていとても身体が軽くて、おもいっきりやりがちになる。で、知らずと肉体的負荷をかけすぎて、翌日は筋肉痛を抱えてアタタタの練習。と、いうのがパターン化してる。

今日は、まさにその典型的な日。昨日が5日ぶりの朝練で、自分では中庸キープでやってるつもりが、やっぱり少しオーバー気味だったらしく、今朝はあちこちの筋肉がアタタタタ。
(月曜日に夜マイソールで練習したのだけど、朝と違ってカラダがグニャグニャだったので、これはいつもの練習には含めてません・・・)

あとは、先日のアジャストの練習と、アシュタンガ(で、今私がやっているハーフ~フルプライマリーの段階)以外のヨガのポーズの練習で、普段使わない筋肉が「お目覚め」になった模様。

でも、ヨガを始めてから筋肉痛が「嫌なもの」ではなくなって、むしろ、「この部位がこういう声を出している」っていう感じで、結構愛おしかったりする。

バリのリトリートから戻ってきたD先生が今日から復帰。空気がちょっとだけ違うのが判る。最近はTTCの影響か、先生を「観察」するようになってきた。どうやって生徒を捉え、読み、感じ取っているのか、とか、フィジカルな/言葉的なコンタクトの取り方、とかその「間」とか・・・一方通行ではなく、絶対的な「コレ」なんてルールもない、その場その場の生徒とのイタラクティヴなものだから、即興性と無限のクリエイティブさも必要で、そのためには先生自身の引き出しが多くなきゃいかんのだな、とか思った。

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代々木公園でアジャストの練習  

5日ぶりの朝練は、サクッと軽く、気持ちのよいところからあんまり脱線しないように、賢く身体を使うよう心がけてみる。ルーシー曰くのminimum effort で maximum resultなのだー。

呼吸が深くて気持ちよい。ここのところずっと息が詰まって苦しかったのが嘘のようだ。美味しい呼吸、ごちそうさま。

ここがいつもより硬いとか柔らかいとか、そういうのはどうでもよくなってきた。私という存在はいつも常に変化しつづけているのだから、今日の「いま」と過去の「あのとき」と比較したっても、仕方ないよな、と。

代行先生は「オイラガオイラが」というエゴ満載タイプではなく、むしろ、生徒さんが自分の練習をしてゆくのをキチンと見守り、必要であれば手を差し伸べてくれる。身体的にまだ準備のできてないポーズに挑むときには、「アシュタンガ的にはいけないのかも知れないけれど」、と前置きをして、アナトミー的には正しいアプローチで予備ポーズを進めてくれるので安心できる。

スプタで流れが滞っちゃったけど、それ以外は全体的に中庸キープの良いプラクティスだった。


そして、今日は夕方から代々木公園でTTCで一緒のHさんと、先週末に習ったポーズのアジャストの練習をした。本当は5人のグループで定期的に集まってアジャストの練習をしなきゃいけないのだけど、なかなか全員が揃う機会がないので、まずは時間の取れる者同志でスタート。


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習ったばかりのアジャストをやりたくてウズウズしてた私とHさんだったが、実際やろうとすると「あれ?こうだっけ?あれ?ナンカ違う?」と、とまどうことが沢山!しかし、ご意見番としてゲスト参加してもらった代行先生の、親身な指導をラッキーにも受けることが出来て、TTCでは習わなかったアジャストも含めて、「こうか?ああだ、そーだ、おおお!」などと、緑の匂いが気持ちのよい芝生の上で、くんずほぐれつの2時間あまり。

アジャストは受けても気持ちいいけど、する側も気持ちいいのだ。これは、マッサージと同じだね。相手の呼吸を見て、それと共に相手の向かいたい方向へ行く手助けをする。相手の身体に手を置くだけで、緊張、とまどい、信頼、リラックス・・・ぜんぶ掌で感じ取ることができるのだから、身体は本当に正直だ。

朝練は気持ちよかったし、天気もよくて爽やかだし、アジャスト大会は最高に楽しかったし、言うことなしの良い一日。ナマステでしたー。

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お目覚めヨガ  

目覚めたときに「あーあ、生理なので朝練にも行けないし・・・」って、いつもの不貞腐れた気持ちがなかった。

なので今朝は出勤前に自宅の和室で、自分が気持ちいいと思う方向へ、カラダを自由に動かしてゆくヨガをやってみた。伸びたい方向へ、エネルギーの流れるままに、自分を信じて、探るように動かしてみる。

これまで2年間毎日やってきたポーズは、いつのまにか身体にシッカリ刻まれてて、次になにやろうという戸惑いはない。アタマで、「次は前屈そして捻り・・・」なんて、考える必要はない。自分の身体に任せて、委ねてみる。可能性がまた広がる。身体の中のスペースが広がってゆく。これはまるでダンスだな、と思った。空気と空間とエネルギーと一緒に織り成すダンス。

ほんの20分足らずの時間だったけど、心底からスッキリとアクティブに目覚める、そんな感じだった。ルールや決まりに縛られない自分のヨガは、こんなに溢れんばかりのエネルギーに満ちるものなのかー、とびっくり。

ムーンディにはアシュタンガヨガの練習はできなくても、ヨガ自体をやっちゃいけないなんて誰も言ってない。変なこだわりはもういらないやー。


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TTC3~5日目  

2007/9/15~17

TTCのモジュール4・5・6はルーシー・ロバートによる「コア・アサナについて」。

約30の基本ポーズの意義と仕組み、それを踏まえた上での予備ポーズ、プロップの使い方、アジャストの仕方を学んだ。

これまで自分がどれだけ表面的にヨガのポーズをやってきたのか、はっきり分かるほど、ひとつひとつのディテールがとっても深かった。

今回のアサナのモジュールは週末3日間に集中的に行われ、トータルで16時間とミッチリ。

最初は「やっと実技!」とワクワクしていた私たち生徒だったが、時間を経るごとに、その奥深さと自身のあまりの無知さ加減に、どんどんみんなの顔つきが変わり、空気が緊迫してきたのが印象的だった。

単に技術的に難しいとか複雑だ、というのではない。その根底にある「ヨガってなに?」の大事な部分を、まず第一優先としたルーシーの方針だからこそ、形だけで収まる簡単な内容じゃなったからだ。

バンダやアライメントなんて、私たちは耳にタコなくらい聞いてきているし、実際に実践してきてる。そういう自負が最初はみんなあった。

だから、最初のころの質問の大半は「では、そのポーズでは、足は本来どこにもってゆくべきなのか?」「骨盤の位置はこれで間違ってないか?」「そこまで手がとどかない生徒へはどうやってアジャストするのか?」などなど、「ポーズの完成形」のルールと、それを目的としたアジャストの仕方といった、まさに表面的な部分に終始していた。

でも、ルーシーがこの3日間を通して私たちに伝え続けてくれらのは、ヨガのポーズをとることによってカラダとココロと魂を開いてゆくこと、knot(結び目)をほどいてゆくこと、体内エネルギーの流れを感じとること、チャレンジと無限の可能性、その素晴らしさを自分で体験して理解し、その上で自分のヨガをキチンと確立し、それを伝えてゆくためのガイドライン(=受け手の生徒が「自分でそれを体験できる」ための手助け)であった。

その人にとっての正しいアライメントは、個人個人の身体条件によって異なることを知る。絶対的な完成形なんて本当はないんだってことが見えてくる。その完成形へのこだわりが、どのように本来のヨガのアサナの意義をぶち壊してしまっているか、を自分の身体を使って体験してゆく。他人の身体を通してそれを目撃してゆく(=つまり、肉体を通して他人の心と魂を見てゆく)・・・こんな風に自然にどんどんと気付きが喚起されてくる、そんな流れの授業であった。そして、最終的にこんなクエスチョンが出てくる・・・自分の身体を酷使して、いわゆる絶対的な完成ポーズを「見せる」ヨガ教師に、それを生徒に強要するヨガ教師に、私達はなりたいのかな?

このルーシーの授業を体験したら、答えはYESじゃないって解る。問題は、では自分はそれを体現できますか?というところだ。この部分での葛藤が私達のこれからの課題であり、学びなのだと思う。

あまりにも沢山のインプットがあって、アップアップ状態だけど、ルーシーが最後に言っていたとおり、彼女は私達の中にたくさんの種を蒔いてくれただけなんだ。今すぐ収穫は無理だけど、いつか時が熟せば芽がでて花が咲くんだ。それまで大事に水やりしておこう。

なんかTTC始まってから、私の中で嵐のようなすごいことが起きてるみたいで、土日は練習がまったくできなかった。トライしたけど、スリヤナマスカラで号泣しちゃってリタイア。さらに、この3日間の授業が終わると同時に予定より全然早く生理が始まった。うわーん、究極のデトックスだー。

でも、3日目が終了後、身体の中になんか熱いものがあって、それは多分授業で吸収したエネルギーそのものなんだけど、もー、いてもたってもいられなくなって、一番近い渋谷のスタジオで、いわゆる「夜マイソール」とやらへドロップイン。普段朝しか練習しないので、この時間帯はちょっと新鮮。先生も生徒さんも、スタジオの空気も匂いも、なにもかもが新鮮。

でも、一番新鮮だったのは、まったく違うポーズをやっているかのように、ワクワクドキドキ楽しんでいる自分自身。いや、実際ポーズのひとつひとつが、いままでとまったく違った顔で、私の前に現れたんだ。

ま、こんなんで、いいんだろうな、きっと。

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表面だけのヨガ?  

「ねえ、どっちの方が、もっとヨガ?」

天使のスマイルを満面にたたえて、ルーシーが私達生徒に尋ねる。

TTC3日目は、ルーシー・ロバートによる「リスクマネジメントとケガの予防」というモジュールだ。

色んなタイプの生徒さんたちと接してゆくんですよ。そしてそれは、肉体的だけのものじゃなくて、心と魂のレベルでも見て感じていくんですよ。という部分で、ルーシーが私達に見せてくれたのは、ひとつのポーズのやり方の2種類のありがちなアプローチ。

ひとつは、うんと頑張って、固い肩を縮こめて、首がつまったまま頭を無理矢理上に向けて、指で足先をとるために骨盤が前屈しちゃってる、パーツパーツでは完成形を達成してるものの、身体全体のバランスがバラバラで、緊張と収縮でガチガチのトリコナーサナ。

もうひとつは、しっかりと地に根付いた下半身の土台の上に、柔らかくリラックスして開かれた上半身を無理のないところまで横にストレッチして、指を無理に足先に持っていかず、肘を太ももに乗せ、身体全体にエネルギーをフローさせてる予備ポーズで行うトリコナーサナ。

私達生徒は誰も、その質問に答えない、いや、答えられない。

ヨガってなあに?と改めて尋ねた時に、みんな答えはちゃんと持ってる。だって、なによりもその答えとなる「素晴らしい経験」こそが、私達のヨガを始めるきっかけなんだから。

なのになんで、私はそこからこんなに遠いところに来ちゃってるんだろう?

ルーシーの具体例の「明らかにヨガ的でない」方に、私は自分自身を見つけた。

フンフンと鼻息荒く、ポーズの完成形を身体の外側だけで型どってるのが、今の私のアサナの練習だ。

中身は空っぽだし、深みなんてまったくない。

汚いエゴばっかりが沢山詰まってて、喜びも愛も光もへったくれもない。

こんな自分がTTC受けてるって事自体が、おかしくないか?



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金曜日の疲労感  

身体が痛い。

よくある筋肉痛じゃなくて、もっと奥の方、骨が痛いような感じ。

今日は身体がメタメタ固いし重いし、呼吸も詰まってて苦しいし、なにより「シンドイ・辛い」がずーっと続いてた。

ジャンプスルーは一回もできないし(やる意欲がない)、マリーチDできないし、パシャーサナに至っては、「これやったらパニック起こす!」という妄想に捕らわれ、トライすることすらできなかった。

久々の代行先生だから緊張してたのかもしれないし、単に私自身の体調なのかもしれないし、「そんな日もあるんだ」と、無理くり自分をなだめつつ、かろうじて終了。

練習を終えて会社に向かう道すがら、もうすでに疲労でグデグデになってた。

確かに最近の生活では、寝不足で疲労感がどんどん溜まってきてるのが明らか。だけど、それに気付いていながらも放置している自分が一番の原因。

いかんいかん、スローダウンしよう。今の私のガムシャラさは、単なるエゴトリップだ。

プラクティスが思うとおりにいかなくて、心の中でブーブーふてくされて、ついつい愚痴をたれるバカ者は私。

「じゃー、無理してやんなきゃ、いーじゃん」と、代行先生が言った台詞が、まだアタマの中でグルグルしてる。

やっばーい。


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「アタナがやっているのは、ヨガですか?」  

金曜日は、朝練以降1日中カラダの痛みと疲労でイッパイになってた。
私はよっぽど鈍感か阿呆の様で、その苦しい状態は「=カラダの問題」としてしか捉えてなかった。
その根源には「ココロの問題」がちゃんと引き金としてあるってことを、見落としていた。
というか、しっかり見据える勇気がなかったんだな、きっと。

7月から日本に帰ってきてるウチの旦那さんは、いわゆる「アンチ・スピリチュアリズム」の超現実主義者で、私が「前生が・・」とかタワけたことを口走ると、ムキになってお説教が始まるし、以前は「ヨガ」や「瞑想」をやることに対して猛反対していた。その頃、私の中には「アナタには話しても判らないだろうけど・・・」っていう枕詞が常にあったから、人並みはずれて鋭敏な旦那さんは、そこに反応していたというのも、あったと思う。で、「自分が変われば、相手も変わる」の見本のように、すっかり変わった私と旦那さんだが、最近では私のヨガ修行に関して概ね応援してくれてて、毎日の早朝練習にも反対しないし、現在受けているTTCも、お金はないけど熱意で頂戴した奨学金扱いに「スゴイねー、良い主催者だねー」って喜んでくれてるし、毎回授業から帰ると「今日は何をゲットしてきましたか?」と、尋ねてくれる。

で、金曜日、仕事を終えて9時半ごろ家に戻り、旦那さんの夕食を作って、洗濯して、シャワー浴びて、さ、寝ましょう、というトコロで旦那さんに尋ねられた。

「アタナがやっているのは、ヨガですか?」

はぁ?なに言ってるんだ、このジジィ、とか思った。もうワタシャ疲れてて眠いんだから勘弁してよー、と思い、とりつくろった優しいスマイルで思いっきり無視すると(←インドで習得した得意技)、容赦なくこう言われた。

「アナタが肉食を断ったのはなぜですか?」

そんなん、語りだしたら何時間もかかるようなこと、夜中に聞いてこないでよー、と思いつつ「一応ヨギとしてノンバイオレンスですから」と答えた。んで、答えた直後に「アチャ!」と思った。

「アナタは毎日毎日朝早くから練習して、いつも寝不足で疲れていて、そんなに自分を虐待しているのはノンバイオレンスですか?」

「逗子に住んで新宿で働くということを決断したのはアナタですから、それをいいわけにしてはいけません」

「毎日練習したいのなら、スタジオへ行くのは週3日くらいにして、あとは自宅でやるとか、もっとやさしいペースにしなさい」

「スタジオは東京じゃなきゃダメだのですか?鎌倉や横浜にはないのですか?」

「ヨガはアナタに恩恵を与えるものだと思ってましたが、今のアナタを見る限り、そうは思えません」

「自分がどんなだか、鏡で見てごらんなさい」

言われなくたって判っているんですよ、旦那さん。それが、現在の私が通り抜けようとしていることなの~(泣)だけど、そんなん旦那さんに相談したところで無駄だと思ってたから(←まだ抜けない悪い癖)、この悩みをシェアしてこなかったけど、なんでアンタに判っちゃうんだー?

「ちょっと、それスゴイ、私何も言わなかったのに、なんで判っちゃうの?まさしく、ここ数日私がグチャグチャ悩んでたことだよ。天からなにかコードが降りてきた?さらに今さっき、”鎌倉で平日週3回のマイソールクラス”が10月からある(かも)ってメール情報をもらったばかりで、おお、週3回鎌倉スタジオ・あとは自宅で練習、って選択肢もあるのかー、って思ってたとこ。ねぇねぇねぇ、透視能力出てきちゃったのー?」

と、ブッたまげながら尋ねると

「単なる常識でモノを言ってるだけです。私はそういう、天からの声とかサイキック能力とか・・・バカヤロー、大嫌いなのだー!口にするなー!」

と怒られたので、逃げるように寝室へ。ベッドに横になっても、カラダはグデグデに疲れているのに、全然寝付けなかった。




私がやっているのはヨガですか?




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ジャッジメント  

今日はしんどかったー!

起きた瞬間から、身体がイヤイヤしてた。
電車の中では極度の緊張で吐き気がしてきた。
スタジオについても意気消沈気味。
元気がぜんぜん出てこない!

最初のスリヤナマスカラからいきなり呼吸が苦しい。
なんでだろう、今朝は呼吸がぜんぜんできない。
苦しい苦しい苦しい・・・で、パニック過呼吸になりかけて
胸ではなくて肩で息してる自分発見。
息を吸っても吸っても、ちゃんと体内に酸素が取り込めてないかんじ。
ひと息ひと息が、喘ぐように必死で、死んじゃうかと思った。

しばらくすれば、呼吸も整ってくるだろう、と思いきや
深く落ち着いた、苦しくない呼吸に戻れたのは
シッティングも中盤にさしかかってから。
いやー、辛かった・・・><涙がちょちょぎれたよ、もー。

今日は股関節がやたら開いちゃってた。
昨日のウティタハスタに組みこんでいるTrivikrmasanaのアジャストで
股関節がメリメリっときて、それ以降変な痛み、というか疼きが続いてたんだけど
今日のウティタハスタはアジャストなしで、自己最高記録くらい肢が上がり
なんか、自分の身体じゃないみたいで気持ち悪かった。

ブジャピのジャンプインがすんなり軽く入れて
そのままポーズにも無理なく入りかけて(デコついちゃうけど)
あれ?あれれ?こんな楽チンだったー?そんなハズないでしょー?
と、ついついもう一回やり直してしまったよ(笑)
これまた股関節にかかる負担なのか、ちょっと前まで痛みがあったけど
今日はそれがなくなっていた、へー。

スプタはほんとに毎日「でき具合」というか、「はまり具合」が違うから不思議。
先生のアジャストが入れば100%ミッチリ完全形に収まるんだけど
自分ひとりでやると、右足がシックリ深く肩にかかるのに
「あともうちょい!」のもどかしさが、ここ3ヶ月くらい続いてる。
「ゴールでなく過程を味わえ」たって限度があるわよ、と毒づきたくなるけど(笑)
こんな風に、もんどりうってウンショウンショしてるのも、今のうちだけなんだろう。

D先生主催のバリ・リトリートがあるので、明日から代行の先生にバトンタッチ。
「自分の練習」をコツコツと続けてきてる人達と
「D先生のマイソール」を目的にしている人達とでは
代行時の出席率が変わってくるんだろうな、きっと。

それが良いとか悪いとかいうコトではなくって
ヨガというのは100人の生徒がいれば100通りの目的と意義があって
本来ならば、それに上下や貴賎はないはず。
だけど、私たちは結構無意識に簡単に他人をジャッジしたがるから
そのあたりは気をつけておきたい。

アシュタンガヨガだから、毎日朝練をしなければならない、とか
ヨガをやる以上ベジタリアンでなければならない、とか
自分の内からそれを希求する声が聞こえない限り
ルールに洗脳され鵜呑みにする必用はまったくないし
ましてやそれを基準に他人をジャッジするなんて
厚顔無恥もいいところだし
それはまったくヨガから遠いところにいるってことだ。

形じゃないでしょ?
その内側でしょ、大事なのは?
私は、このあたりどうなんだろう。
表層に囚われて、内面をおろそかにしてはいまいか?
ちゃんと気をつけていたい。

他人は反面教師。
他人に腹を立てることがあったら
他人をジャッジしている自分に気づき
その機会を与えてくれた相手に感謝する。
それを忘れないようにしよう。

今日も、どこかへ行くためではなくて、「ここ」にいるための練習ができたことに感謝。

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不要なものは手放せ手放せ  

いつもより早目に家を出たが、大雨で運行を見合わせた横須賀線をホームで延々待ち、ようやく電車に乗ってからもタラタラの徐行運転で、結局いつもより一時間以上遅れてスタジオへ。

今日は午前半休を取っていたから良かったものの、普段二時間以上かけてやってるペースを、一時間半で終わらすという効率25% アップはかなりハードだ。

今日は湿気が高いせいか、身体が柔らかい。でも、なんか重い。汗も沢山出て、内側からクレンジング~!

ブジャピへのジャンプインの成功率が上がってきた。やっぱ、これは回数こなして慣れていくもんなんだ。近道なんて、ないんだな。でもでも、せっかくジャンプインで入れても、汗で滑って、ひっかけた脚が腕の下の方へ落ちちゃう。だから、ポーズ自体にちゃんと入れない。どこをどうすればいいのかな?これまた、色々探ってゆくのか~、ワクワク。

ところで、例のヤマ・ニヤマ、ここ3日間ずっと、色んな関連文献読んだりして思いを巡らしてるからかもしれないけど、練習中の様々な局面で顔を出してくるようになってる。

だってさー、結局今の私にとって重要なキーになることが、殆んど全てここにあるんだもん、エーン。

ありのままの自分を認め、慈しむ。
今あるものに感謝し満足する。
過去への執着も、将来への逃避でもなく
「いま」の真実を生きる。
自分に対して、他人に対して、誠意をもって正直になる。
そうすれば世界はそのまま誠意をもって起ち現れてくる。
自分をとりつくろったり、他の誰かになろうとする必要はない。
他人と比較する必要もない。
嫉妬からくる欲望などいらない。
不必要なパワーやエゴへの希求もいらない。
なぜなら、いまのこの自分を正直に認め愛しているから。
今持っていないものを手に入れる必要もない。
なぜなら、必要なものは全て手に入れることができるのだから。
だから、他人から盗む必要はまったくない。
それは物質的なものだけじゃなくて、知識や精神的なものも全部含め、
他人から盗んだとしても、それは自分に見合っていないのは明らかだ。
他人に対するのと同じように、自分に対して優しくなろう。
自分にも、他人にも、愛と慈悲のこころで、柔らかいハートを保とう。
そうすれば行動や言葉や気持ちの中で、他人を傷つけたり貶めたりすることもなくなる。
愛と慈しみ、誠意と正直さをもって現在にフォーカスすれば、心からの平和を保ち生きてゆける。

ブラフマチャリア以外のヤマだけでも、こんなに沢山のメッセージがあるんだから堪んないです><
でもまだまだ私の中での消化が済んでないので、かなり中途半端だけど、現在はこんな過程ですってことで。




今朝の一番の変化は、ポーズに対する執着が、かなり薄れてきたってこと。「この前はあんなにできたのにー」と過去にしがみつくんじゃなくて、「いつかはきっと、もっとちゃんとできるように!」と現実現状から逃げだそうとするのでもない。ただ、「いま・ここ」のありのままの自分に集中して堪能して感謝する。

手が届かなくたって、いいの、いいの。「effortless effort=頑張りすぎない努力」を地道に続けてれば、変化は絶対起こるし、それはポーズの完成形には至らないのかもしれないけど、大事なのは「結果」じゃなくて「その過程」そのものなんだもん。

なにを今頃言ってんの?って、言わそうだな(笑)でも、やっとそれが、ちゃんと体験をとおして心の底から溢れるように解ってきたよ。いままでみたいに上っ面だけの優等生的アタマじゃなくて、ハートでね。

だから今朝のパシャーサナは、相変わらずデキナイんだけど、ココロも身体も全然苦しくなかった。もう「くそ~、いつかは~!」でも、「できない今の私が大嫌い」でもないのだ。先生のアジャストで体幹部をギュウギュウに捻るんだけど、これまでみたいに先生のアジャストをサポートするかのように力んでウンウンするのは、もうやめた。ただ、なすがままに委ねちゃうことにした。自分をもう苛めるのはやめた。今の、こーんな自分を、そのまんま味わって慈しんで愛するのだー、おー。とかいってたら、左側結構スンナリできちゃったよ、えええええ?

ヨガは心の科学である。



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淡々と  

抜歯の肉体的ショックは治まったが、飲み続けてる抗生剤と鎮痛剤の副作用がちょっとキツイ。抗生剤で体内の微生物バランスが崩れ、鎮痛剤で諸感覚は朦朧としている。ケミカルな薬は摂らないに越したことはない。

さて今朝は、おとつい昨日とTTCを受けて、いろんなインプットを抱えた状態でのプラクティス。

初日のヨガ哲学では、ヤマ・ニヤマに焦点が置かれ、それをアタマの知識として詰め込むのではなく、日々の生活やヨガの練習の中に、具体的にどのように生かしてゆくのかを学んだ。「マットの上でヤマ・ニヤマのプリズムを通して練習し、何を発見してゆくのか」という課題が与えられた。

ヤマ・ニヤマは「文字面」だけで捉えてると、各々が独立してるけど、その各々を深く掘り下げて探求し、自分のものにしてゆくと、それぞれの境界線がなくなり、互いに統合してくるから不思議だ。つまり、本来のヤマ・ニヤマってそういうことなんだろう。試験前の丸暗記みたいに「アヒムサー、サティアー、アステヤー・・・」とアタマに詰め込んだところで、それは空回りするだけだ。

2日目の「からだのしくみ」では、私たちのこの肉体が、どこでどのようにポーズを制限してるのか?の基礎的視点を学んだ。生まれ持った骨格的な条件によるCompression(=圧縮)と、筋肉レベルでのTension(=緊張)が、身体のどの部位にあらわれ、それらがどのように影響し合っているのか、などを具体的なポーズと共に検証していった。

どんなに頑張ったところで、骨格的に「絶対できないアサナ」というのがある。反対に、どんな不可能に思えても、筋肉レベルの変化によって「できる可能性のあるアサナ」というのがある。この基本的な、物理的な大前提を踏まえると、アレコレとポーズの完成形に執着することが、本当に無意味だと分かる。実はこの「ポーズに執着しない」っていうのも、言葉だけが独り歩きして、本当は「いつかは、きっと・・」と捨てきれない執着があったりするものなんだけど、そこんとこがお陰でスコーンとクリアになったかも。

そんなアレコレを詰め込んで、ちょっと混み始めたスタジオで、2日振りの練習。色んなアレコレが自分の中で渦巻いちゃうのかと思いきや、意外と拍子抜けするほどフラットだ~。終始淡々としてて山も谷もない。ヤマもニヤマも出てこない。鎮痛剤の影響もあるんだろうけど、喜びも苦しみもない、ちょうどド真ん中の中道をキープして、ただただフラットな自分が、淡々といつもの練習をやるだけ。

えー、なんだか、あんまり面白くないやー(←ヨガのなんたるかを、まだよく判ってないらしい・・・)

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教えるということ  

この台風の中びしょぬれになって、遅れまくりの電車を乗りついで、早朝からヨガをやりにスタジオへ向かう物好きは、どれだけいるのかー?うーん、意外と結構いると思うぞー!などと思いながら、1時間遅れでスタジオに着くと、ガラガラに空いており、私がシッティングを始める頃には皆さん練習をほぼ終えられていて、気がつくと私ひとりがポツンと残された。

2時間足らずのプラクティスの間に、窓の外の様子がみるみる変わっていった。最初は不穏で物々しい荒れ模様で、時折の突風の音にビクッとしてたのが、少しずつ風も治まり、どんどん明るくなってゆき、練習を終えた頃には、「あ、嵐が去った」というすがすがしさが窓の外に広がっていた。

ガランとしたスタジオで、他者の存在を感じない状態での練習。他人がいるの、といないのとでは、スタジオの空気が全然違う。こういうとき先生は、いつもより距離を置いてくれる。生徒を自分の「教える対象」としてコントロール下に置くのではなく、生徒が自身の練習を深く進めてゆくスペースを与える・・・これって、なかなかできるイントラっていない。大抵は、過剰なアジャスト、過剰な押し付け・・・結局イントラ自身の「良い指導者でありたい」というエゴが表出していることが多い。

その点、日本人よりも日本的な機微や礼節を重んじているD先生は、「わきまえる」ということを知っている。アプローチが「足し算」じゃなくて「引き算」なのだ。そしてなによりも、私たちがこの肉体という神殿を使ってヨガの修行をしているのと同じように、「教える」ことを通して自分もまた「ヨガの修行をしている」という意識がキチンとしっかりあるから、安心して信頼できるし、イントラのエゴに振り回されちゃうような練習に終わることは、まずない。

「教える」ってことは、なんだろう?多分「教える=与える」「教える=主導する」じゃなくて、受け手も与え手も共に時と場を共有して、とても大事な「ハプニング」を一緒にシェアし合っている同志みたいなものだと、私は思う。受け手である生徒が「その場」で経験している自己探求のプロセスと同じものを、与え手である先生もまた同じ「その場」で経験しているのだ。だから、もうすでにそれは「受け手vs与え手」というくくりは超えている。

もちろん、生徒を「導く」ことも必要だけど、よっぽど道を外した生徒じゃない限り(笑)、ちょっとした軌道修正で充分なはず。だって、結局自分のマインドによる失敗から、私たちは多くのものを学んでゆくんだし、超過保護の温室みたいな環境でヨガをやっても、それは成長には繋がらない。手取り足取り赤ちゃんをあやす様な、ハートを開いてゆくヒーリング的なヨガもアリだけど、今の私はもうそこを卒業していることが、最近ハッキリと自覚できてきた。

だから今は、過保護じゃない、押し付けがましくない、エゴに振り回されてない、生徒にちゃんと自己成長のスペースを与えられる・・・といった自分にとって一番最適な先生の元で、安心して信頼して日々の練習を続けられる状況に、自分がちゃんと存在してる。必要なものは、ちゃんと必要なときに現れて来るって本当だ。

でも思い返せば、ヨガを始めて1年以上は「親にすがる幼子のような危うい必死さ」が自分の中にあった。ヨガを教えてくれる人=イコール「与えてくれる」「育んでくれる」「慈しんでくれる」「勇気付けてくれる」「ハートに明かりを灯してくれる」「愛と光をシェアしてくれる」のだと思い、それを過剰に求めていた。それが私のヨガのスタート地点で、当時破綻せずに生きながらえてゆくには、自己ヒーリングが必要なときだった。

だから、ヨガを始めた最初のころは、知らずと自分を内側から出して解放しては、オンオン泣いてた。それは、自分の内から沸き起こるセルフヒーリングと自己浄化のプロセスだったんだけど、その時の私はなんにも知らなかったから、すべてはヨガを教えてくれる人のおかげだと思ってた。だから、いつまでたっても、ヨガをやっているときだけは「自分が自由で正直で愛に溢れ光の中にいる」ことができて、スタジオを出て現実社会へ戻ると、それをキープできないで苦しんでばかりいた。通勤中の電車の中で、突然嵐のように感情が昂り噴出して、人目をはばかりつつもワンワン泣いて手ぬぐいで涙をぬぐいながら、「ああ、私はこのままキチガイになっちゃうんだー」と本気で覚悟していた。

でも、面白いもので、気がつくとそのトンネルはいつの間にか潜り抜けていて、今では当時のあの繊細さが懐かしかったりする。と、同時に最近では、ヨガの修行を通して色んなものがハッキリと見えてきているので、日々これ発見と学びの毎日であり、この成長の過程そのものを味わう余裕が生まれてきた。たとえ、感情が溢れだしても、それを観照している自分がちゃんと土に根を張って存在している。

だから、毎日のプラクティスも変わってきた。ちゃんと、ここに、揺るがない自分が気持ちよく開き直って(笑)、いる、って実感。私が自分のプラクティスを先導してゆく、その時のいちばん必要な方向へエネルギーを送りながら、呼吸とバンダとドリスティと共に、決められたシークエンスのポーズをとってゆく。周りで同じように、同じものを経験し練習している生徒さんたちのエネルギーを感じとり、先生から送られてくる暖かいエネルギーを感じ取り、自分から溢れてくるエネルギーを感じ取る、素晴らしい空間。

このあたりの実感を持ち始めて、まだ日は浅いけど、ある意味、次の新しい一歩を踏み出す準備ができた気がする。囲いが必要だった幼い苗が、ちゃんと根を張り独りでシッカリ立ち始めたって感じで、もちろん、まだまだ「水ヤリちゃんとやってよー」の駄々っ子ではあるのだけど。

だからこのタイミングでTTCなのかな?

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台風  

おー、台風であったか!
昨日のザワザワは台風のせいにしておこう。

身体がこわばっているけど、ココロが妙に静謐。
なんか、なんだか、自分のプラクティスの質が変わってきたという実感。
自分の内にアレやコレやの揺らぎは沢山あるし
ヨガを通して、それがどんどん明らかになってきているんだけど
でも、そこから一歩引いてシンとしていられることが多くなった。
ヴィパッサナー瞑想合宿の後半にさしかかると
ワーワーワーと精神の膿が噴出した後の静けさがやってきて
それに、なんか近い感じだなー、とか思う。

確かに、かなり変化した自分を感じるここ数日。
ちょっとだけ、肉体的アサナと精神的葛藤の狭間での悶々から自由になったかも。




むかし九段下で一緒に練習していたSちゃんとは、インドのマイソールでも一緒だった。
そこにはD先生もやっぱり一緒にいて、この3人組(チーム九段下)でいると妙な連帯感があった。
でも、私がインドからもどるとSちゃんは名古屋で新しい道を歩みはじめていて、九段下で会うことはなくなった。

そのSちゃんが今週アタマから4日間東京へ遊びに来てて、九段下での練習にも毎朝出ていた。
彼女がそこにいる、ってだけで、私はなんだか胸の奥が暖かくなっちゃう、ここ数日の朝練@九段下。

Sちゃんのまっすぐで揺らがないヨガへの情熱には、いつもドキドキさせられるし、自分のプラクティスに対しても、ヨガを伝えるという仕事に対しても、本当にとても真面目で決して取り繕うことがないから、一緒にいて気持ちいい。

今朝の朝練の後、「これからも月1回くらは東京へ来るよ!」と笑顔を残して、彼女はまた名古屋へ戻っていった。

ヨガを通じて出会う人達とは、いつも「コンニチハとサヨウナラ」の連続だなぁ、と、ちょっと寂しく思ったけど、「出会えてよかった、また会えてよかった」の気持ちのほうがずっとずっと大きい。


あー、今週私が良い状態で練習できたのは、きっと、彼女のお陰だ、ありがとう:)

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ぞわぞわ  

始まりのマントラを唱えるときに、なんでかわかんないんだけど涙がポロポロでてきた。
目から涙、っていうよりも、胸からの嗚咽、って感じで。

カラダは硬いけど軽くて、でもココロがちょっと動揺してる。
なんか、ちょっとした感情で「わーっ」ってなっちゃう。
後半になって、ちょっとだけ落ち着いてきたけど。

だいたい最近、呼吸が浅くて短いんだから
バランスがとれてないのは明らかー。

変に振れまくりだな、自分。

私の内側の部分が、大きくうごめいてる。
ほんとに、すんごい勢いで、嵐みたいにゴロゴロいってる。
そのうち、収まるんだろうけどなんか、おちつかない。
朝練の最中だけじゃなくて、終わってからもずっと、こんな感じが続いてる。

大きな変化のような予感。

ところで、面白いなと思ったのは
一緒に練習している人たちのコンディションが結構一致すること。
今日はみんな重くてだるいという意見多し。
先生ですらカラダが重くてぜんぜんポーズができなかった、っていうくらいだから。
私たちみんな今日は何か同じものに影響をに受けてたのかもしれない。
いやいや、単なる湿気かな?

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ヤマ・ニヤマ  

ここのとこフォーカスしてたブジャピダーサナの繰り返し練習のため股関節が急に痛み出す。
これまで問題なくやってきたポーズがいきなりキツクなる。
やっとできかけてきたポーズが、またどんどん遠くなる。
なかなかできないポーズが絶望的になってくる。

身体が固い、そして重い。
呼吸が浅くて短い。
そん練習の日でした。


季節も私も周囲のみんなも、常に変化し続けてるんだな、とか。

なんだかんだと、すべてはみんな自分に返ってくるんだな、とか。

そんなことを感じたりした。


マットの上に立つときに、ヤマとニヤマを意識するようにしてみる。

ポーズをとることだけが目的になりがちの、毎朝のこの2時間半。

このフィジカルな練習の中で生起するあらゆる感覚やマインドを、ヤマ・ニヤマのフィルターを通して、捕らえてみる。

このなかなか届かない両手をなんとか掴もうと、自分の肉体にとても暴力的なアプローチをしているのだなぁ、というパシャーサナの練習で、アヒムサ(非暴力)というフィルターをかけてみる。

あそこの彼女はなんていとも簡単にあんな難しいポーズができるのだろう、と羨望と嫉妬の感情を抱く自分を、アスティヤ(不盗)というフィルターをかけて眺めてみる。

あれができるようになりたい、これがああなるようにしたい、もっと先へ、もっともっと・・・と終わりのない渇望に囚われるエゴを、サントーシャ(知足)というフィルターを通して観察してみる。

ふつふつと沸き起こる自分の醜い感情を隠蔽しては、やたらと良い子ぶる欺瞞に満ちた自分をサティア(正直)というフィルターで律してみる。

研ぎ澄まされた集中に没頭し、無になる至福の瞬間を感じては、それが消えてゆく次の瞬間を恐れる時を、アパリグラハ(非所有)のフィルターでやり過ごしてみる。

ちょっとした実験。

いつもと同じ床の色、いつもの汗とお香の匂い、いつもの先生と生徒から発せられるエネルギーといった自分をとりまく外部の世界が、いつもとまったく違って見えてくる。

外部が、どんなものであれ、私を傷つけるものですら、かけがえのない愛おしいものたちに見えてくる。

自分の中の不要な力みが溶け出してゆく。

不思議な効果。


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ウディアナバンダだー!  

今朝は懐かしい顔が何人もあって、ココロが暖かくなりながらの練習。
寝坊しちゃったので30分以上遅れてのスタート。
なんかやたらと咳き込む、首筋が痛くて動かせない、腰がジンワリと痛い。
左膝はかなり回復して、ロータスを組むのに痛みほとんどなし!わーい。

おとついナウリの練習をして、お腹の妙な真空状態が気に入って(笑)
これぞ究極のウディアナバンダやー!と一人盛り上がっていたのだが
今日は練習中についついこれを意識してしまい
ウディアナバンダをキュウキュウ締めてやってたら
「おおおお、これまでのウディアナバンダってなんだったんだ?」
と思うくらいの違いを発見!!!ぜんっぜんっ違うー!
ポーズへの影響が、かなりあるのだなー、ひゃー。

ポーズによっては、ぜんぜんウディアナバンダがエンゲージできないものもあって
これまで「できてる」つもりだったがゆえ、ちょっとビックリ、かなり衝撃。

は、初めてウディアナバンダがなんたるか、をカラダの感覚で捕らえられたよ、うわー。

ブジャピダーサナへのジャンプインは結構快調で、5回くらい練習してみた。
やればやるほど、どんどんコツがカラダで分かってくる、面白い。
でも、これまでよりも浅くしか脚がかからないので、肝心のポーズに深く入れない。
もっと、高い部位へジャンプするよう、イメトレイメトレ。
ジャンプインはできても相変わらずデコつけてるナンチャッテなので
「ちゃんとアゴつけてください」と注意が入る。
これも課題だな、なんか、いろいろあってたいへーん、でもオモシローイ。

スプタがまた遠いポーズになってきた。
やっぱり酷暑の暑ーい時期はカラダがかなり軟らかかったんだ。
最近涼しくなってきてから、このポーズに挑戦している自分のカラダがかなり違う。

「以前までできていたのに、今はなんでできないの?」
って葛藤とふがいなさでイッパイイッパイになって
そんなはずはないっ、って必死こいて頑張りすぎる自分。
でも、やっぱりできない事実に愕然とする。

後退ほど屈辱的で怖いものはない。
それとどう対峙して受容してゆくか
その過程こそがヨガの練習だ。

アシュタンガというアサナの追求に傾倒しがちなヨガだからこその修行。
戦う敵も、ともに歩む味方も、それは外部にいる/あるものではなくて、結局自分。

毎日毎日、痛い思いして、辛い思いして、自分を叱咤し檄を飛ばして、なにやってるんだろう?
ふと、そんな風に思ったとき、ゴール(目的)ではなく、この現在の過程にフォーカスすることにしてる。

たかだかヨガのポーズを練習しているだけなのに、内面に向かってゆくと、どんどん自分が出てくる。
弱い自分、浅はかな自分、動揺している自分、嫉妬している自分、安らいでいる自分、絶望している自分、なにかに縋っている自分・・・
みんな正直なまっさらの自分だ、なにも恥ずかしいもんじゃない。
むしろ、ここまで曝け出せてすがすがしいくらいだ。

たしかに、「ヨガは心の作用を止滅すること」であり、サマディへ至る道程である。

単に諸感覚の放棄解放、内面への集中、stillness、超覚醒で静謐な中世浮力、そういった瞑想的状態になるのなら、黙ってじっと座って瞑想してればいい。
もっと簡単にショートカットしたければ、ヘミシンクの脳内遊戯をしたり、ドラッグでお手軽な「禅モード」を楽しめばいい。
実際、このどれをも試した私としては、瞑想が一番ぶっ飛んでたしインパクトあるし、今でも暇さえあればマスターべションのように瞑想している。

なのに、なんで私は、こんな身体を酷使して、体と心の膿を出してはヒーヒー言う道を選んだんだろう?
アシュタンガの練習中に瞑想的な状態になるのなんて、たかが知れてる。
まだまだ未熟だから、フィジカルな部分で「あーだ。こーだ」やってる段階だ。

うーん、たぶん、ここがキーになってるんだよなー。
目的じゃなくて、その過程をじっくりゆっくり歩むことが、今の私には何よりも大事で重要だからなのかなー。
きっと、そうなんだろうーな。
うんうん。

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ナウリ  

昨夜から身体のアチコチが筋肉痛。
特に肩胛骨周りと首。首は左右に回すとズキッとくる。アタタタタ・・・.

朝目覚めても身体中の痛みと重さは消えない。
というか 、目覚めた直後は身体動かないくらい痛くて重いんだなぁ、涼しくなると。

今朝はきちんと九段下のレッドクラスへ行く。
総勢たった6人の、こじんまりとして、やたら和やかなクラスだ。
先生も生徒もスタジオも、みんなやたらとピースフル。
スマイルは無条件で伝染るものだ、よいことだ。

このクラスでは、先生は生徒に「今日はなにをしてほしいのか、なにをしてほしくないのか」を、最初に必ず確認する。今日の私のフォーカスは、後半のアサナの正しいビンヤサ、呼吸とタイミングと動きなので、その辺をクリアにリードしてください、と伝えておく。

今日はバランスがグラつくのが楽しかった。
いきなりプラサリータAでコロンと倒れ、ウッティタハスタでグラングランに揺れまくり、ウルドゥバムカパーチュモッタナーサナでもアジャストの手が離れるやいなやコロローン・・・なんか可笑しい:)

身体中が変な筋肉痛なので、全体的にガチゴチしてぎこちない。
でもレッドだと、軽くサクッと進めてゆけるので、負担が少ないというか、いい感じがキープできる。
割と淡白に、ちょっと物足りないかなくらいの感じで、今日は終了。

クラス終了後、なぜか盛り上がったのが「ナウリ」
先生も含めてみんなで、突然「ナウリ」の練習ごっこ・・・!
以前トライしたときは、「は?なにそれ?」とアタマから拒絶。
でも今日ちょっとやってみたら、「少し練習したらできそう」な感じがした。
きっとバンダが発達してきたからだろう。
ほんの2回、お腹を真空状態にしただけなのに、汗が出てきて、その効果にビックリ。
涼しくなってきたことだし、これからちょっとトライです。
目指せ、「ナウリ」でお腹グルグル!

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