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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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久々のセルフ プラクティス  

今年に入ってから毎朝通っている九段下のヨガスタジオのD先生が、昨日でインドのマイソールへと旅立っていった。出発当日の朝ギリギリまでクラスの指導を行い、その足で空港へ向かう姿は、さり気なくカッコイイよなぁ、とか思った。ひとりのアシュタンギとして、そしてまた生徒を指導するイチ指導者として、沢山の素晴らしい経験と発見と気づきを得て、ひとまわりもふたまわりも成長してゆくんだな、と思ったら、私まで凄く嬉しくなってきた。

そして今朝からは、代行のS先生が私たちの練習を指導してくれてる。海外放浪暦の永い、ひとくせもふたくせもありそうな風貌の、しかし、とても純粋で真摯なヨギーで、マジむっちゃクール。これからちょっとの間、ヨロシクです。新しい先生、新しい視点、発見、気づき・・・風はいつでも吹いてるし、川の水はいつも流れてる。

出会いと別れを介して、ああ本当に私たちは常に変化しているのだな、いつも成長し続けているのだな、と実感する。

今朝は9時前の時点で、私が最後の生徒。先生も既にスタジオを去っていたので(急にじゃないよ、事前から予定されていた)、広いスタジオ独り占めで練習した。指導する先生も不在の、本当のセルフ・プラクティス。ガランとした、凛とした空間で、ただ自分の呼吸だけが聞こえる。窓から差し込む陽の光は、キラキラと眩く、体中に差し込む。周りの目を気にしなくていい自由さに、ココロとカラダが解放されてゆく。

これまでの、いろんなことがアタマの中で、フラッシュバック。特に、2006年初頭から半年間住んだフィリピンでの日々が、鮮明に蘇ってきた。そうだー、この頃って、私一人で黙々とコツコツと、ヨガのセルフ・プラクティスをしてたんだー。すっかり、忘れてたけど、久々に思い出した。

本当に転々としてたから、これこそ「出会いと別れ」の連続だったなぁ。ああ、あのときのアノ人コノ人、みんな元気なのかな?、と、ちょとおセンチな気分で、胸の奥が熱くなり、鼻の奥がツンと痛くなる感覚を味わった。

でも、シャバーサナから目覚めると、すっかり爽快な気分になっていた。

よーし、そろそろ私も動きだす頃だ~、ってことで・・・もうあと2週間足らずで、インドだよ、きゃー!
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雑記帳 (1/15-20)  

1/15 エサレン・ボディワーク

午後半休を取って、エサレン・ボディワーク(オイル・マッサージ)の中堅プラクティショナー、Sちゃんのトコロへセッションを受けに行った。

彼とは昨年のエサレン入門合宿で知り合って以来の、私のプチ師匠で(笑)、色々と癒されたり、先輩としてのありがたいオハナシを伺ったり、エサレンの練習台になったり、なにより私のスピリチュアルな部分の好奇心を満たしてくれる、稀有な方で、私は思いっきり懐いているのである:)

しかしながら、マッサージを受けて、自分がデロデロに緩んじゃうのも目的だったけど、半分は自分の勉強、って意味合いが強かったってのも確か。

エサレン・ボディワークというのは、実は、手順とかルールとか全然ない。セッションを通して、「いま」の自分を知り、「いま」の相手を知ってゆくその過程で、どんどんスポンティニアスに動きが、流れが、変わってゆく。

それは相手と極上のダンスを踊るようなもので、そこが、エサレンに惹かれた理由なのだけど、いざ実際に自分が施術するとなると・・・「はて?どこをどーしていいものやら?」って戸惑っちゃう。

すでにマッサージの経験がある人ならいざ知らず、私のような「まったく初心者」は、ある程度の「テクニック」や「流れ」を学んだ方がよいのではないか?というのが、目下の私のクエスチョンであり続けて数ヶ月。

そんなアレコレもあったので、セッションだけでなく、わたしの「なんで?なんで?なんで?」に辛抱強く対応してくれたSちゃん。決して回答は出してくれないけれど、私が自分で「ハッ!」と気づく手助けを沢山してもらった。

まずは、アタマで「なにがどーしてこーなるのー?」的論理思考をとっぱらって、たくさんの人達のカラダとココロに触れてゆく経験をつんでゆく。これしか、ない。ウンチクじゃないんだ、実践あるのみ。失敗も、学びも、痛みも、喜びも・・・あらゆる体験をして成長してゆくプロセス、これこそが醍醐味。うーん、私のエサレンは始まったばかりなのだなー。

さて、まだ私の練習台になってないマイミクの皆様、これからドンドン触らせていただきますので、よろしくね。



1/15 ロータスハウス

ところで、以前まで住んでいたロータスハウスに、まだ荷物を残したままだったので、ちょいと立ち寄った。

ここのオーナー夫婦は、mixiのソウルメイト・コミュでご存知の方もいるかもしれないけど、互いが「ソウルメイト」である日本&アメリカの国際結婚カップルだ。2人とも、気取りやエゴのない、とても暖かくてオープンな、最高に素晴らしい人達で、たった1ヶ月とはいえ、彼らと共に生活できて私はすっごくラッキーだった。

ひとつ、忘れないうちに書き留めておきたいことがある。

フィリピンのプエルト・プリンセサという地方都市の安宿で、私はEckhart Tolleの「The Power of Now」という本を偶然手にした。こういったバックパッカーが泊まる安宿には、宿泊者の置き土産や忘れ物の本を集め、滞在中はご自由にどうそ、みたいなミニ図書館コーナーがある。そこで、何の気なしに手に取ったのが、この本で、正直、「わわわわーどーしましょう!私の疑問の答えがここにあるー!!!」と、ショックを受けた。

実はこの頃、私はダンナとの関係に於いて、最低最悪のドン底にいて、「おいこら!人生敗者復活戦はどこやー!」と心で叫びまくっていた(ちょっと、意味不明)。いわゆる、ペインボディ(習慣的なリアクションパターン)とエゴ合戦でヘトヘトになっていた私とダンナだったのだ。

そんな状況下で、悶々と無為に日々を過ごす私に、ガツンと一撃を与えてくれ、かつ、それまで実践してきたヨガ(アシュタンガ)と瞑想(ヴィパッサナ)が、この本で見事に「クリック!」、かみ合わさったのだ。この本のお陰で、私はダンナとの関係性に「呑み込まれる」ことから、「ありのままを見つめる術」へと自分をシフトすることができた。だからこそ、ダンナから距離を置く決心もついたし、実行に移せた。

ま、話すと長くなっちゃうのだが、とにかく私の人生において、重要な意味合いを持つことになった、この「The Power of Now」ですが、もうすでに前の持ち主による書き込みもあり、ボロボロだったのだけど、私はこの本を、フィリピンの安宿からこっそり持ち出して、日本にも連れて帰ってきた。なんか、この本自体にパワーが宿っていたんだと思う。

ある日突然、私はロータスハウスのオーナー夫婦の奥さんの方に、この本をどうしても読んでもらいたくなった。理由はよく判らなかったけど、ただ、そういう衝動にかられたのだ。で、数日後、この奥さんではなく、彼女の旦那さんがこの本を読み、人が変わったように目覚めちゃったのだ!わお!

私はなんだか無性に嬉しくなり、この本は彼に譲ることに決めた。と、同時に、今後彼の周囲に必要な人が現れたら、この本を差し上げるよう、お願いした。これだけのパワーが宿った本だから、流れるようにアチコチの人達の手へ渡ってゆくんだ、そう思ったらワクワクしてきた。

たまたま、フィリピンの安宿で手にした本が、たまたま一ヶ月だけハウスシェアした相手に手渡った。そこから始まるチェーン・オブ・「The Power of Now」、さて、今度は誰の手元に届くんだろう?



1/16 カラダの痛み

アシュタンガ・ヨガをやるということは、カラダの痛みと付き合うということだ・・・いや、違うな。

ヨガを実践するということは、自分のカラダに繊細になるということだ。そして、このカラダの痛みと付き合うことで、学びや気づきを得てゆく、こうして、カラダを自分のものとして知ってゆくのだ。

毎朝の練習は相変わらず続けてるが、先生が変わったため、私の練習自体が変化してきているこの頃。スピリチュアルな部分やエネルギーのフロー重視の練習から、フィジカルな部分に重きをおいた練習にシフトしてきた。でも、これは、ある程度の「瞑想的な、流れるような」練習を積んできたから、「さて、ポーズの完成度をちょっとあげていこうか」っていう余裕が生まれてきたんだと思う。

今の先生の指導アプローチは、「できる」レベルより、ちょっと先を目指させる(しかし無理させない)、ことで、確実に上達させる、という印象。楽で気持ちのよい状態でずっといても、上達はしないよ、ってことだ。勿論ここで議論の余地があるのは、「さて、完璧なポーズを求めるのがヨガなのか?」って、永遠の質問があるってことで。うーん、この辺、堂々巡りになりかねないので割愛するけど、ことアシュタンガ・ヨガをまかりなりにも実践している人達にとっては、「上達したい!」って欲望が正直いって、ある。だって、ひとつのポーズができなきゃ、次のポーズに進めないんだから。そして、いつまでも挑戦し続けられるよう、6シリーズまであるし。「先へ、先へ」ってモチベーションがなかったら、アシュタンガじゃないヨガをしてるんじゃないかな、って思うときがある。

さておき、そんなフィジカル優先の練習を続けていたら、肩と腰を痛めてしまいました。これは、いい痛みなんかじゃなくて、無理して傷つけた痛み・・・うーん><。

肩に重心を乗せる動きはキツイので、ソロソロとしたジャンプバック&スルー(ならぬジャンプウォーク)。腰は、勢いをつけないように、全ての動きにゆっくりゆっくりを心がけてる。でも、練習を止めたりはしない。できる範囲でやる。なんだか、恥かしかったり、つまんなかったり、「本当はできるのにな、ちぇっ」みたいなコドモっぽい気持ちになったりもするけど、そういう感情と付き合ってゆくのも修行のひとつだな、と思っているので。

「あー!痛い!やだやだ!やめたー」ってパニック起こし、全てを投げ出しちゃうのは簡単だけど、もったいない。痛みを感じている中で、一体わたしの体のどの部分がどのような感覚を感じているの?それはどんな痛みなの?どこに力が入っているの?どこの力を抜くことかできるの?などなど、色々探ってゆく、こうして自分のカラダを知ってゆくのは、大事なプロセスなんじゃないかな?

そんなことを思い、今日も、明日も、自分の小さな変化を感じながら、毎日毎日スーハーしてます。人生、楽しいよ。



1/17 インドビザもらいました

朝マイソールで一緒のSさんと一緒に、練習の後インド大使館へ。九段下だからすぐ近くだし、楽チンだよねー、なんて思ってたら・・・意外と大混雑。ああ、そうか、そろそろ学生旅行のシーズンだもんねー、と納得。

朝10時から2時間待ちで申請書を提出。あとは当日の5時~5時半の間にビザを受け取りにくるだけ・・・ってさ、普通に仕事している人は、会社休まなきゃ絶対無理じゃん?だから普通の人は、旅行会社に委託してビザとってもらうしかないんだね。なんかひでーなー。

ところで、ビザの申請書には、「どんなタイプのビザ」を取得したいのかを選ぶ欄があって、観光とかビジネスとかジャーナリストとか色々ある中に、なんと、「YOGAビザ」なるものを発見!

えー、なにそれー?私たちマイソールにヨガやりに行くんだよねー?ってことは、「YOGAビザ」申請していいのー?って、妙に盛り上がったが、実際は、6ヶ月以内なら基本的に観光ビザ。それ以上でヨガ修行するなら、学校の受け入れ証明書を提出して「YOGAビザ」取得もアリらしいよ。イギリスやアメリカの「語学研修」にあたるのが、インドの場合は「ヨガ修行」なんだね、なんか面白い。

てなわけで、無事、6ヶ月のマルチビザ取得。いよいよ、行く実感が沸いてきたよ。次はエアチケットだね。



1/17 スポーツマッサージ

あまりにも肩と腰周りの筋肉が痛いので、D先生にスポーツマッサージを紹介してもらった。プロのスポーツ選手やダンサーご用達の場所らしい。深い筋肉までじっくりしっかりマッサージするから、かなり痛いし、もみ返しもスゴイけど、その後のカラダの軽さはもっとスゴイよ、との弁をマトモに受け、いざ行かん!と新宿にある某スポーツマッサージセンターの門を叩いた!

しっかり2時間、無駄のないマッサージをしていただきました。そそそそんなところの筋肉まで揉むアルですかー?と、普段意識してない筋肉やら、そんなマッサージあるんだー?と初めての体験ばかりでビックリ。やってもらってる時は「痛い」って感じはなかった。むしろ、「深いなぁー」って感じ。

私は骨周りの筋肉が非常に硬く緊張してる、と指摘された。というか、生まれてからずっと、カラダはずっと緊張しっぱなしなんだから仕方ないよ、先生。気がつくと、寝ているときでも、くつろいでいるときでも、カラダはキュ~っと縮こまって収斂している。これは虐待されてた経験からきてるんだろうなぁ、(あ、カムアウトしちゃった!)、いつでも、なにされても、自分を守れるように準備してるんだよね、カラダが。これは、ちょっとやそっとじゃ直んないよなぁ。

エサレンを経験してから、「てもみん」とか、アロマとか、指圧系マッサージとか、マニュアル式に機械的に行われるマッサージが苦痛になってきた。もちろん経験豊富なプロの方なら違うんだろうけど、手軽に受けられるコンビニ的マッサージ業界では、大抵が「とりあえずカタチだけはマッサージのマニュアルを覚えました」って人に当たる可能性が高い。

よいマッサージを受けてるときは、カラダが、マッサージの刺激を受け入れ、和らぎ、やわらかくリラックスしてゆく。しかし、こういったコンビニマッサージでは、私のカラダは反対に、どんどん萎縮して、収縮して、硬くなって、マッサージの刺激を拒絶してゆく。

今回のスポーツマッサージも、「強いよ!痛いよ!」と聞いていたので、最初は不安があった。私のこの繊細な(!)カラダが拒絶反応を起こしたらどうしよう・・・って。

ところが、そんな杞憂も吹き飛ぶくらい、このスポーツマッサージ師さん、すごいプロでした。さすが。プロのアスリートの体と付き合ってるくらいだもんね、あたりまえか。受けてのカラダを読む、見る、知る、関わる、反応を見る、知る、深く理解してゆく、そして変わってゆく、変えてゆく・・・そういう当たり前のことをしてもらえると、ものすごい安心感に包まれる。深い知識と経験に裏づけされた先生の自信を感じる、だから委ねられる。

すべてのボディワークにおいて、実際に扱っているのは確かに「肉体」という物質だけど、向き合っているのはそこに宿る「精神」なんだよね。コインを入れて動き出すマッサージチェアーで代用できちゃうものじゃ、ない。



1/18 体中痛いよー

朝目覚めると、全身が筋肉痛でした。バリバリのゴリゴリでんがな、ダンナ。これが揉み返しってやつですか?それにしちゃ、ちょいと酷すぎやしまいか?というくらい、スゴイのー、あーん。

それでも、ちゃんとヨガの朝練へ行くあたり、私ってエライなぁ、と思った。(本当は明日新月、&マイムーンディが始まるので、やれるうちに練習はしておきたい、というセコイ考えなのだ><)正直、フツーの練習はムリムリな「全身筋肉痛」状態だったので、その旨は最初に先生に告げておいた。でないと、思いっきりシゴかれてしまいますので・・・。というか、告げておいても、ちゃんとできる範囲でシゴかれました。スゴイな、D先生、甘やかさないなー。限度や節度を判ってるなー。絶妙だよなー。

おかげで、変に甘えることなく、手を抜くこともなく、フツーに練習をすることができた。ジャンプ・バック&スルーだけは、半分くらい歩いたけどね。ガルバ・ピンダーサナで両手が耳に・・・・耳に・・・・着きそう・・・・で、着かない・・・ううううううー(←もがいている)、というのが、目下の私のチャレンジ事項。



1/19 ムーンディ

新月です!
アシュタンガ・ヨガの練習はお休みです!
久々にゆっくり起きる朝。久々に食べる朝食。うーん、新鮮!
ついでにマイムーンディもスタートです。思いっきりデトックスです :)



1/20 エサれんしゅう

千石空房つながり&momoさんのエサレンWSつながりで知り合ったサエちゃんと「エサれんしゅう」をする。
(エサれんしゅう=エサレン・ボディワークの練習をすること by サエちゃん)

前回彼女とヘミシンクのワークショップで合ったときに、「ヨガやろうぜー」って盛り上がってたので、「エサれんしゅう」の前に彼女をSun&MoonのLezaのクラスへ誘った。私の「絶対この人ヨガにはまるだろうなぁ」という印象は、外れることがないんだけど、彼女もしかり。絶対ヨガをやっているべき人だと思っていた。Lezaのクラス自体が物凄く素晴らしいし、ココロにジーンと触れるせいもあるけど、案の定、サエちゃん、ものすごく気に入ってくれて、よかったよかった。「なんか涙出そうになっちゃったよ」と言われたときには、私のほうが嬉しくて泣きそうになっちゃったよ。

Lezaのクラスでは、今はなきS&Mマイソールでご一緒してたHさんとも再会!ハグハグ:) ココロが暖かくなる瞬間、うーん、堪んないなぁ!ヨガやってて良かった。ヨガを通して出会える沢山のステキな人達と、互いの人生のほんの一瞬だけでも関われることが、とてつもなく素晴らしいことだと気づく。もうこの先一生会わないかもしれないんだけど、それでも大丈夫って思えるほど、今しっかり繋がっているっていう、この満足感!

さて、エサれんしゅう。
お互いに、ボディワークの経験ゼロ。でもエサレンの魅力にどっぷりin Love、背丈が一緒、レイキをやってる(彼女は3rdまでちゃんとやってる。私はファーストのみ)、キーワードは「いま・ここ」(笑!)、といった共通事項がかなりあり、(探ればもっともっと出てくるはず)、互いに気兼ねせず「エサれんしゅう」するには、もってこいな感じだ。

妙齢の乙女ふたりがマッパでボディオイルを滴らせ、ああ、そこの肩甲骨がどーの、股関節がどーの、カラダを裏返したり、ひねったり・・・なかなかに楽しいときを過ごしたのだ。ああ、ほんとうにカラダって面白いね。もっともっと探求したーい!あっと言う間に時間が過ぎちゃったよ。




【今週の私の気づき】

己の限界にチャレンジせよ!

その限界は何によって作り上げられているのか?を見極めよ!

勇気と節度そしてバランスを友として。

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Art of living  

やー、実は、ちょっと最近かなり落ち込んでました。
しかし、こういう精神的Up&Downって
人生のスパイスだと思う。

何事もない平坦な人生を歩んだところで
悲しみも苦しみも葛藤も恐れも不安も経験しない人生なんて
そんなんクソ面白くもないというか、意味ないやんね。

こういう起伏の激しい感情との付き合い方は、結構肝心だ。
むやみに抑制することが、心の作用を止めるわけではない。
それに下手に巻き込まれず
しかし誤魔化すことなく受け入れ、見つめ
その上で「平静さ」をキープすることで
絶妙のバランスをとる、これに限る。

自分の中に宿る凛としたクリアなおももち
これはあたかもヨガの難易度の高いポーズで
ココロを集中しバランスをキープしている時に起こる
「深い瞑想状態」と似ている。

悲しい、せつない、悔しい、辛い、妬ましい、怒り、不安、恐怖
圧倒されそうな感情の波をとらえ、バランスをとる
それは「いま」にある、ってことにほかならない。
ふーん、つまりこれって「波乗り」じゃん。
サーフィンとの共通項ってここなんだね、きっと。

Ride on the moment of NOW

現在の私は当然「過去の経験」から成り立っていて
現在の私が、「ここ」から切り開いてゆく死へ至る過程が、「将来」というものだ。
つまり私は、ゆけどもゆけども「永遠の現在」にとどまっているってわけで。

過去に囚われ苦悩する自分がいる現在。
将来への不安や恐れや絶望が払拭できない自分がいる現在。
この現在、この瞬間にバランスをとったところで
過去は変えられないし、将来が思い通りになるでもない。

だけど、なんだろうね
そのへんの折り合いが、結構すんなりできてきてるよ、最近。

最近また、色んな人達と出会い
かけがえのない時を共有するたびに
私のココロは熱くジーンとしっぱなし。

「今・現在」に集中することで
目の前で共に時を、ココロを、エネルギーをシェアし合う相手に
もっともっと深く深く係って絡まってゆく自分がいる。

親密さを確立するのに、余分な条件付けはいらない。
あなたがここにいて、わたしがここにいて
いっしょに時をココロをエネルギーをシェアし合う、それだけ。

それは、「言葉」や「会話」だけで作り上げるものじゃないんだよね。
ましてや、作り上げた「自己イメージ」を守るためのゲームでもない。
つきあいの時間や年月なんかも、実はあんまり関係ない。

オープンなハート、それから思いやりと寛容
そして「ジャッジしない」というルール、それだけ。

要は、かけがえのない相手と共にいるときに
どれだけ「そのとき」に集中できているか
自分の中にどれだけ暖かさがあるかどうか
ってことが一番重要なんじゃないかな?

人生って結局「コンニチハ」と「サヨナラ」の繰り返しで
ずっと同じ状態が続くわけじゃない。
でもそこに空しさを見るか
もしくは、奇跡のようなめぐり合わせを慈しむのか
それは他でもない私たち自身の選択次第だ。

その瞬間に「ただある」って事を
全身全霊で経験することができれば
わたしはあなたになることだってできるんだよ。

多分ね、生きるって、人と繋がってゆくって
そういうことだと思う。
なんか、とっても、いとおしいよね。

そんなこんなを、最近なんとなくずっと考えてた。
そしたらなんだか妙に元気が出てきた。

冬場のキーンとクリアな青空を見上げ、視界が涙で曇っても
とりあえずは、歩をゆるめず、ゴーゴーと胸張って歩き続けようかな、と。
けっこう、けなけにも、そう思ってみる自分がいたりして
なんか、頼もしいじゃん、とか思った。

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マイソール  

いきなりですが、私の中でマイソール熱が発生してます。

現在のいわゆるアシュタンガ・ヴィンヤサ。システムを確立し、それを通して最古のヨガ(=アシュタンガ=八肢則・・・アシュタンガ=プライマリー・セカンド・・・のポーズのシリーズのみを指すのではないトコロ強調しておきます)を西洋へ紹介した、パッタビ・ジョイス師(=グルジ)のアシュラムが、インド南部のマイソールという場所にある。

そして、このマイソールには、世界中のアシュタンギ(アシュタンガヨガを実践している人を指す)が、グルジの元で修行すべく、集まってくる。その様子は、"Guru"というドキュメンタリーDVDに詳しいので、興味のあるかたは是非(もしくはお貸ししますー)!


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アシュタンガ・ヨガを始めてほんの1年半の私は、言ってみれば「ひよこちゃんアシュタンギ」だ。「フィジカルな面では」思いっきりslow learnerで、なかなか上達しないので(アチャ><)、まだまだハーフ・プライマリー(6段階あるシリーズの初級の半分まで)もままならない段階。

こんな「ピヨピヨ・アシュタンギ」が本場インド・マイソールのアシュラムの門を「たのもー!」なんて、10年早いよ!っていうか、恐れ多い気がずっとしてた。そして実際、過去数名に(ほぼ全員インストラクター)キッパリ「アナタのレベルでは、まだ早い。行くのはもったいない。太陽礼拝でストップかけられる人もいるんだよ」などなど、否定的なことを沢山言われた。

今回2月にインドへ3ヶ月行き、ゴアを拠点にアチコチ放浪する予定なのだが、「マイソール行き」というのは「行きたいけどまだ行っちゃイカン!」という条件付けをして、封印していた。

ところが、ここ1週間ちょっとの間に、時を同じくしてインド行き(しかもアシュタンギなのでマイソール入り)する人達と知り合い、色々話をするうちに、とある気づきが芽生えた。

自分が現在どんな段階であれ、「グルジの元で神聖な空気に触れ、世界中から集まったアシュタンギのエネルギーの中で、自分の修行を続ける」ってことは、誰がなんと言おうが、やっていいことなんだ!って勇気がでてきた。

こう思えるようになったのは、私にとっての初めてのアシュタンガの先生で、最近再び教えてもらってるD先生が、こんなレベルの私であっても、実際にマイソールへ行き、触れることで、どれだけの有意義な体験ができるか、を説いてくれたからかもしれない。決して押し付けがましくはなく、気がついたら「おお、いつのまにか励まされてるよ、私、その気になってるよ!」って感じで(笑)

とりあえず明日は、さっそくインド大使館へビザ申請に行ってきますが、行くわよ、マイソール。いいじゃん、太陽礼拝しかできなくたって、ねぇ?というか、私太陽礼拝フェチなんだから、本望だよ。

うーん、自分を囚われの身にしているのは、相も変わらず他ならぬ自分自身なのだなぁ。悪いけど、私はそこから出てゆくよ。

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雑記帳 (1/8~1/14)  

1/8 またまた引越し

ジプシーinトーキョーな私です。1ヶ月過ごした表参道のロータス・ハウスを後にして、今度は目黒界隈で独り暮らしだ。山手線のターミナル駅から郊外へ延びる私鉄沿線に住むのは初めて。引越しったって、荷物ほとんどないから、楽チンなもんだ。家族と同居→知人とハウスシェア→自分ひとりの空間・・・それぞれに良いトコロ・不便なトコロが当然あって、それをこんな短期間で体験できるのは面白い。



1/10 再会

前回のヴィパッサナで出会ったM君と再会。

ヴィパッサナの帰り道で、たまたまバスで隣同士だったから話しかけて、たまたま駅で1時間以上待ち時間があったからアレコレ話しこんで、そして偶然にも似たような嗜好(瞑想の感覚ゲーム、テクノやハウス、ダンス、トランス、ドラッグ、意識変容、エネルギーやプラーナの認識などに於いて)を持ち合わせていた。そしてなにより、とってもハートがオープンで感動屋なあたりに、すごい親近感を感じた。

たかだか1時間あまりの会話をしただけで、あとはメールアドレスだけ交換して、お互いの家路についた。住んでる都市も別々だし、この2月に私はインドへ、彼はオーストラリアへ長期で行く予定。ただ、たまたま先日彼が東京へ出てきて、たまたま時間があったから、今回再会となった。

「偶然」でも「必然」でも、どーでもいいけど、ま、そういう巡り合わせになっていた、って事だけは確かだ。

彼は、数日前までヴィパッサナ10日間合宿のサーバーさん(無料奉仕で参加者のサポートをすること。料理を作ったり、掃除をしたり、鐘を鳴らしたり・・・)をしてきたせいか、とてもココロが澄んでいて、まるで純粋な瞳と感受性を持つ子供と一緒にいるような気になった。すごいよ、人ってここまで、美しく純粋にオープンになれるんだー。私は感動で思わず泣きそうになったね。

ほんの2・3時間だったけど、また会えてよかった。元気をたくさんもらった。言葉じゃなくて、互いのエネルギーが繋がりあう瞬間が、そこにはあった。ネオン眩い新宿での別れは名残惜しかったけど、でも悲しくなんかはない、清々しい気分。

お互いまったく別の世界で生きてゆくけど、頑張ってゆける気がしたし、頑張ってもらいたい気持ちでイッパイにもなった。



1/11 ついにスプタ・クルマーナ

ずっと体型を言い訳にして、できない!とハナから諦めていたヨガのポーズ「スプタ・クルマーサナ」、これが初めてちゃんと足を頭の後ろで組んだ「完全ポーズ」を5呼吸キープできた!あ、勿論このポーズに入るには、思いっきり強めのアジャストをしてもらってで・・・一人じゃまだまだ。

想定外の事態に「ちょっとー、もー、ビックリしたよー!」と文句を言ったら、先生もありゃりゃ、とビックリしてたそうだ、なんか笑える。

このポーズって、一見「ありえない」んだけど、実際できるとすごく落ち着く、というか安心できるポーズなんだなぁ、と思った。このままでいたいのー、ってワガママ言いたくなるタイプだね。やー、ほんとビックリした。でも、嬉しい :)



1/11 今週末で会社を去るSさんとランチ

以前私が、バリバリに虚勢はって働いていた頃は、互いにツンケンしてるようで、折が会わないんだな、苦手だな、って思ってた人だった。

でもそれは、私がトゲトゲのバリア戦闘服を着込んでいたから、それがそっくりそのまま自分に跳ね返っていただけで、その証拠に、私がまっさらなハートオープン状態で接すれば、相手も同じようにココロ開いてくることに、今回この会社に舞い戻ってきたときに知った。

彼はすごくマットウなことを、当たり前に言える人で、私はいつも尊敬していたし、頼もしく感じていた。反対に言えば社内ポリティクスに合わなければ、敵を作っちゃうかな、というような、ちょっとアンチヒーローっぽいカッコよさもあった。

残念ながら、新たな世界でのスタートに向け、この会社を辞めてゆくけれど、彼のことだからどこにいても、ちゃんと自分をキープしてゆけるんだろうな、と思ってる。欧州の某国での重要なポジション、結構プレッシャーありそうだけど、大丈夫だよ、頑張れ。本当、この会社はイイ奴がどんどん外に出ていっちゃうなぁ(笑)





1/13 ループとスパイラル・・・アヌサラヨガWS

Sun&Moonでアヌサラのクラスを受け持っているブライアンのワークショップに出てきた。

テーマはずばり、ループとスパイラル。

アヌサラヨガのアライメントは、カラダの内部に持つエネルギーの動き・方向性によって、道具や他人の力を借りずに、自分自身で自然に整えてゆく。

もともとアライメント軽視の(笑)アシュタンギですゆえ、このあたり新鮮な学びとなった。

カラダを7つのパートに分け、それぞれの部位がエネルギーのループ(円を描く動き)を持ち、それぞれがギアのように反対方向に動いている。

たとえば、足先からくるぶしまでの部位は
くるぶしからかかとへ下向きの力
かかとからつま先へ地面と水平の力
つま先からくるぶしへ甲を伝わる水平の力・・・これでひとつのループ。

これを意識することで、おのずと足の裏は地面にしっかりと根ざし、かかとは下へ押し付けられ、甲は高く、あたかも足裏で地面をつかむかのようなイメージ・・・スタンディングポーズならグラウンディングがびしっ!と決まる。逆転系なら空へ引っ張られる感じがグッ!とつかめる。

くるぶしから膝までの部位は
膝から脛を辿ってくるぶし前面へ下向きの力
くるぶし裏面からふくらばぎを辿って膝の裏へ上向きの力・・・これでひとつのループ。

これを意識すると、膝が前面へ出る。かかとを押し付けた動きと、この膝が前面へ出る動きとのバランスでふくらはぎがストレッチされる。

膝から足の付け根・・・太ももを内転させ、股関節を開く。

骨盤エリア・・・仙骨を内側へ下ろす。骨盤をニュートラルに戻す。ムーラバンダをエンゲージする。

下腹部・・・横隔膜を内側へ引きこむ。ウディアナバンダをエンゲージする。背筋をシャンと上に伸ばす。

胸・・・ハートを開く。肩を開き、下ろす。センタリングをいちばん感じる(私個人的に)。

頭・・・上口蓋部を中心に、カラダの上にランスよく頭部を乗っける。あごを引く。頭頂が上に引っ張られる感じ。首筋が気持ちよく伸びる。

これらを全てエンゲージしてみると・・・あら不思議、どんなポーズでも「自分でアジャスト」状態になるし、なにより、「両極の力を感じてバランスを取っている」ことを強く感じる。凄いよ、これ。私の文章では、きっと判りずらいと思うけど・・・ヨガをやているみなさんには是非トライしてもらいらいです!

このWSは2回シリーズになっていて、次回27日のWSに出るつもりはなかったけど、ちょっとスケジュール調整してぜひ出席しよう!と思った。



1/14 ハコミ・セラピーWS・・・キャンセル

*アシュタンガ・ヨガ
*ヴィパッサナ瞑想
*エサレン・ボディワーク
*ハコミ・セラピー

というのが、私の中でそれぞれかなり強く結びついている。今後それぞれに深く係っていくことになるはずだ。

この中で、一番馴染みの薄いハコミ・セラピーのワークショップにやっと出れる!と思っていたのだが、なぜかこの日は体調(というか、ココロの調子)が思わしくなかった。

色々なことが、ここ6ヶ月の間に立ち起こり、また私自身も貪欲に色んなことに挑戦し続けてしまい、結果「なんか、すっごーく消化不良!」ってことに気がついた。

自分のペースをキープするのって、むづかしい。でも、気づいたときにリセットしておかないと、あとで破綻しそうだしなぁ、と、いうことで、この日のワークショップはキャンセル。

この日は一日、なんの予定も入れず独りの時間をのんびり堪能した・・・あ、こんな日は日本に帰国してから初めてだよ・・・あちゃー。

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美しいひとびと  

毎朝のマイソールクラスで指導をしてもらっていたC先生が先日、一時帰国した。たっての希望もあり、彼のSun&Moonでの最後のクラス、アシュタンガ・ハーフプライマリー・レッドクラスの写真をパチパチ撮った。


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最初は10分かそこら撮ったら切り上げよう、と気軽に考えていた。が、実際にクラスの中で皆の練習を見ていると、どんどん、どんどん、キレイなエネルギーがその空間を埋め尽くしはじめ、その圧倒的なパワーに、ショックを受け、感動し、結局最後のシャバーサナまで撮り続けちゃった。

肉体的なレベルからすれば、まだまだ未熟なのに、精神的なクオリティの高さは、もはや「崇高」という言葉が似つかわしいくらい。皆の顔が生き生きと高揚し、体中からポジティブなプラナが放出され、それが一団となって、ポジティブ・スパイラルのごとく影響を受けあって、更に加速してゆく、圧巻!

「ポーズができる、できない、は二の次だよ」ってよく言うけど、私もそうアタマでは判っているけど、でも、まだまだ「ポーズができるようになりたい」欲望と現実のハザマで悶々することがある。だけど、この感動的な、美しい光景の只中で、ヨガってこんなに素晴らしいものなんだ!という実感をアリアリと体で感じちゃうと、なんか、自分の中で何かがスコーンと抜けた気がした。

とある女性のことを思い出した。彼女は「中国雑技団ですか?」というくらい、カラダがやわらかく、どんなポーズもパーフェクトにこなしていた。でも、彼女のプラクティスは本当に表面的で、形はパーフェクトでも、何も感じさせるものがなかった。

そうか、そうだよね、ここなんだ、ポイントは。いまだに「あああああマリーチDができなああああい!」とか苦悶してる私って、ホントまだまだ狭いなー、浅いなー、と反省。

もう、ほんとう、みんなみんな美しかった。泣けた。この感動が伝わるかは「?」だけど、一応Flickrにupしてみたので、もし発見したら見てね。

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深い瞑想状態の脳  

ところで私が本格的にヨガを始めよう!と思ったのは、とあるスポーツクラブで参加した「ハタヨガ」のクラスの、最後のシャバーサナ(屍のポーズ)で「アッチ側の世界」へ逝っちゃった経験がキッカケだった。

今思えば、それは瞑想などで到達する「とても集中した状態=深い瞑想の状態」・・・つまり、肉体はリラックスしきって弛緩し殆ど眠っているが、ココロは限りなくクリアで鋭敏で覚醒しきっている、という、ヨガや瞑想をしている方ならお馴染みの「アノ」状態だ。しかし当時そんな知識などないまま、これを体験したため、その衝撃は大きく、「え?ナニコレ?なにが起きたの?私はどうなっちゃったの?」とアワワワしたのを覚えてる。

当時のブログなどを読み返すと、けっこう臨場感あふれながらも、無知でカワイイ・・・

>ともあれ「まったりヨガ」でひとり大汗をかき、最後のシャバーサナ(屍のポーズ)で、ワタクシ生まれて初めて「無になる」体験をしました。胡散臭いハナシじゃないですよ、マジマジ。シャバーサナというのはヨガの最後に行う「横たわって全身を弛緩させリラックスする」ポーズです。大抵ワタシは「あー腰痛い」「となりのイビキうるさい」「今夜の夕飯なににしよう」などの雑念がグルグルするか、もしくは爆睡するかがお決まりなのですが、今日は「なにも感じない」「カラダになにも触れてなくて宙に浮いてるみたい」「なにも考えていないが明晰である」「とてつもなく静か」「すんごい覚醒」「無であり全てである」というような感覚に全身が包まれたのです。インストラクターの声がちゃんと聞こえているし、アタマ(なのかなココロなのかな)がとてつもなくクリアで、眠る直前の感覚とも異なる状態。わーワタシあっち側へ行っちゃったのかしらん、と後で怖くなってダンナに報告したら、「あー、それはTranscendentalな体験をしたんだねー。よく瞑想なんかで得られる感覚だよ。State of Serenity or Tranquilityって感じでしょ?」と事も無げ。そういや彼は昔ストレス時代に瞑想を学んだ人でした、今頃思い出しましたぜ、師匠。えー、ひょっとすると、こういう感覚を人々はフツーに日常で手にいれてたりするのか?なんかワタシ人生の遅れをとっているわね、知らなかったのはワタシだけー?愕然。あーでも、初めての至高体験モドキ、ちょっと「もう後には戻れない」って感じじゃん、クール。

この体験以降、「ヨガってなに?瞑想ってなに?意識の変革って、脳内ケミカルのナニガドウシテコウナルノ?」と、興味深々のクエスチョンマークを抱えてアチコチ放浪した挙句、ぶつかったのがアシュタンガ・ヨガと(ゴエンカ)ヴィパッサナー瞑想。とっかかりが「救い」や「癒し」を求めて・・・っていうんじゃなかったあたり、なんか不真面目だけど、それでもこの2つは今でもずっと毎日続けている。そして、毎日続けてきたがゆえに、思いもしなかった「トンデモナイ自己変容」をも経験することになるのだから、うーん、人生って面白い。

アシュタンガは相当に深いヨガだ。バンダとドリスティでチャクラを活性化しつつも、呼吸と集中により脳内を瞑想状態に持っていってくれる。そして身体は重力に逆らうがごとく空を飛び、意識のリミテーションを超越したポーズへと、あたかも全てを明け渡すがごとく入ってゆく。

そしていつのまにか、厚いベールに覆われ抑圧してきた本来の自分がどんどん姿を現し、数十年の月日を経て改めて「それ」との対峙を余儀なくされる。ココロがハートが開いてくる。愛と慈悲が自分の内から自然と沸きあがってくる。世界が喜びと光で満ちていることを目の当たりにする。すべてはひとつであり、じぶんはすべてであることを体感する。生活も変わる、食生活も変わる、環境も変わる、人間関係も変わる。必要なものが必要なときに現れてくる。人生はミラクルの連続だと、初めて知る。自分の変容を知る。自分がどんどんといちばん大事な部分へと立ち返ってることに気づく。

それまでの自分の生き方があまりに酷かったから、この変容に驚愕する・・・ヨガはPath of purificationであると、ゴヴィンダ・カイ先生が言っていたが、本当にそうだ。こういった色々な変化に「気づく」ことができるほど繊細になれたのは、ヨガによる浄化のおかげだと思う。

(ゴエンカ)ヴィパッサナーも相当に深い瞑想法だ。なによりも、moment to moment 「今この瞬間」にいることを体験することから始まるのがすごい。過去でもなく未来でもない「いま・ここ」・・・Eckhart Tolleの”Power of Now”の世界ですね、というか、”Power of Now”はまるまるヴィパッサナーだよ。

そしてヴィパッサナー瞑想では、概念をアタマで理解するのではなく、経験することで、カラダで感覚で真理を理解するのだ。ヨガというものが、チッタのヴリッティをニローダハすることであるなら、チッタのヴリッティがまさに生まれだすその瞬間を、自分の肉体という宇宙、「微細な感覚」というバイオケミカル的次元で、まず捉える。つまり、自分の外部からの刺激を、自分の感覚機能(聴覚・視覚・触覚etc・・・)によって受け取る、その瞬間だ。

たとえば、誰かが何かを言った・・・それにを聞いた自分が反応する以前の、「聴覚で受け取る=>体内の微細な感覚に変化が起こる」、ここを捕らえる。そんなことができるのか?というと、できるのだ。10日間コースを取り、集中して瞑想を続けていると信じられないくらい感覚が鋭敏になり、自分の身体がとてつもないマシーンのように感じられ、皮膚、筋肉、骨、臓器、細胞、血液、リンパ・・・あらゆる機能のフル稼働なさまがアリアリと圧倒的な物凄さでガツーンとくる。これはこれで、すごい発見だし、ちょっと感覚的にヤヴぁくなり、セックスやドラッグと同レベルで依存しかねない(私は、した)あたり、要注意。

んで、大事なのは、それから起こる「反応」・・・たとえば、「愛している」という言葉を受けたときの「もっともっと」というcraving「渇望」、「大嫌い」という言葉を受けたときの悲しみや怒りなどのaversion「嫌悪」、そういった「習慣的な反応」が立ち表れてくる様を、しかと見届ける、それに「気づいて」いる、ということだ。”Power of Now”で言うところのPain BodyをObserveせよ!ですね。それもこれも、すべてのsuffering「苦しみ」の元凶は、己が作り上げている世界=すなわち、この「習慣的な反応」(craving「渇望」・aversion「嫌悪」)の因果であり、そしてここ重要!それらを含むすべてのものはアニッチャ=always changing「移ろい変わってゆくものだ」という真理と共に、自分の体験で知り、悟り、これ以上のサンカーラ=mental conditioning「ココロの反応」を生み出さず、これまでのサンカーラを滅してゆくのが、(ゴエンカ)ヴィパッサナーの主旨なのだ。いやいや、これが「生きる技」と呼ばれるゆえんです。

ほんとうは、もっともっと深い意味のある瞑想なんですが、ワタシ的には、いまの段階ではここどまり。自分の呼吸を見つめるアーナーパーナー瞑想でサマディ=concentration, mastery of the mind「深い瞑想状態・集中・ココロのコントロール」に入る術を会得したし、体中の感覚をアニッチャと共に感じ取るヴィパッサナー瞑想で「いま・ここ」にあることを学んだ。そして、ワタシにとって一番重要なのが、メッター瞑想で、これにより「すべての生きとし生けるものへの愛と慈悲」でココロを満たすことになる。

単なる「とても集中した状態=深い瞑想の状態」を得るために始めたヨガと瞑想だけど、実践を始めたら予想以上の広がりを持った展開となり、自分でも驚いている。先日、音響効果で脳内を「深い瞑想状態」へ持って行く「ヘミシンク」というものにトライした。寝そべってヘッドフォンでCDを聴いてるだけで、脳内遊戯ができ、あっというまに、脳が「深い瞑想状態」になる。これはすごいなぁ、と思った。でも、この「クイック・サマディ」は、どうなのかな?そこから先への広がりはありえるのかな?ちょっと、その辺が疑問。なので、ちょっとこれからヘミシンク、どんどん挑戦してみますよ。だって、やってみなきゃ、わかんないもんね。

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あけまして  

おめでとうございます。

さて、本日はフルムーンのため、アシュタンガの朝練はお休み。

代わりにアヌサラ・ヨガのコミュニティ・クラスへ参加してきた。(Sun & Moonは週1回のコミュニティ・クラスがあり、通常のチケットやパスやドロップイン料金ではなく、たったの千円で誰でも参加できるのだ!こういう姿勢が好きだなぁ・・・)

正月三が日の最終日というのもあって、なんとクラスは満員御礼。25人くらいでスペース的にギッチリとなり、何人かの遅めにやって来た人達は入場を断られてた・・・こんなの初めて見たよ。いつも1~6人、多くて10人くらいのクラスしか参加してないからねー。

さて、クラスそのものは、相変わらずすごく暖かくて、フレンドリーで、笑いに満ちてて、良かった。参加者がみんな笑顔を浮かべてやってる、ってのが感動的。ヨガって、楽しいものであっていいんだよねー、ってメッセージがそこにはあって、「そーだよな、無理して、ココロをガシガシにしてヨガやってて、どーするの?」って・・・これは私の私に対するクエスチョンなんだけど、これからその答えを見つけてゆこうと思った。

帰りにクラスでお隣になったオーストラリア女性とスタバで話して、彼女はずっとアイエンガーをやっていて、今日のアヌサラのリラックスしたフレンドリーさ具合には、かなりビックリしたそうだ。

「アイエンガーのクラスでは、みんなもっと真剣で、冗談なんてとても言えないわよ」
「あー、アシュタンガも同じ同じ!先生はエーカム・インヘールって、カウントとるだけで、あーゆー楽しいなコメントは言わないもんね」
そんな会話でちょっとだけ盛り上がった。

アイエンガーもアシュタンガもアプローチは異なれど、strict「真面目さ」の部分では似ているみたいだ。ま、実際クリシュナマチャリアからパタビ・ジョイスのアシュタンガ/アイエンガーさんのアイエンガーが育ったわけですから・・・って、あんまり関係ないか><

そんなこんなで、やっぱりヨガで新年が始まった~!




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呼吸とともに  

本日は2007年のヨガはじめ。

普段よりちょっと遅めにスタートした早朝マイソールクラスで、アシュタンガ・ヨガのフル・プライマリー・シリーズを行った。12月29日を最後にアシュタンガの練習はストップしていたので、実に3日ぶりのフル・プライマリー。

ところで私がいつも練習している目黒のSun & Moonは、都会にありながら、なんともシャンティでピースフルな空気が満ち溢れ、オアシスのようなヨガ・スタジオだ。円形の窓から差し込む朝の光が、キラキラと輝き、練習しているみんなの生き生きとしたプラーナと共に、みんなのハートから愛と喜びとが溢れ出て、スタジオが美しさで充満する。また、ここは先生と生徒の境界線が希薄で、「教える側・教わる側」の関係ではなく、「共にシェアする」って感覚が当たり前のようにあるんだから、すごいよ。この空間が堪らなく好きで、私はずーっと通っている。

前述のとおり、今日は久々のフル・プライマリーだったせいか、なんだかカラダが「怠け者さん」になったなぁ、と感じた。3日間くらいのブランクというのは、月経時や旅行や瞑想合宿などでよくあることなので、これほどの違和感はちょっと意外。アーサナ(ポーズ)から次のアーサナへの移行はビンヤーサという「流れるような動きの連続」でつなぐのだが、そして私はこのビンヤーサが大好きで、それに恋をしてアシュタンガにのめり込んだワケなんですが、今日は「このビンヤーサが面倒なのー」「ここにこのまま横になってたいのー」とワガママさんになってました。ジャンプバックしてチャトランガで着地・・・そのまま床へへたばり、ふぅぅ・・・と怠ける。後半チャクラーサナでビンヤーサへ入る・・・はずが床に横たわったまま目を閉じ、あぁぁ・・・と気持ちよくなってる。これじゃ猫の日光浴です。実際、あえて陽だまりのある場所にマット敷いてましたから。(笑)

で、年末からひいていた風邪の名残りで、まだ鼻がズルズル状態。ウジャイ呼吸も咽喉が乾燥していてザラザラとした感触が辛かった。そのせいか、「辛い呼吸&怠惰なカラダ」がチグハグして、てんでバラバラ。呼吸とともに流れるようにカラダを動かしてゆくことで、いつしかあたかも呼吸が、プラーナが、エネルギーが肉体の御者となり、ポラリティ、イン&ヤンのバランス、超越した平静さをもって一種のトランス・・・もとい、瞑想状態へ誘ってゆくのが、アシュタンガ・ヨガの醍醐味なのですが、こういう日は、もうとっかかりからダメダメです。ギクシャク・ドタバタ・ズルズルスーハーな練習に終始。

ココロが緊張でギシギシしてるときは、それがまず呼吸に現れる。深くリラックスした呼吸が自然とできなくなる。呼吸が落ちつかず浅く荒いままだと、カラダが弛緩してゆかない。ヨガの動きは緊張も大事だが、弛緩すること=受け渡す・手放す・Surrenderもとても大事だ。アシュタンガ・ヨガはアーサナ(ポーズ)をキープする時間を「5呼吸」としている。だから、浅くで短い呼吸だと、体中がカチコチに緊張したまま、十分にそのアーサナに深く入れないまま、あっというまに次のアーサナへ移らなきゃなんない。ヨガの醍醐味が、緊張を解いて、リラックスして、カラダを開いて、ココロも開いてゆくことにあるとしたら、呼吸とともにいられないアシュタンガ・ヨガなんて、筋肉を痛めつけて頑張るマシントレーニングとおんなじだ。

だから、今日はきつかった。アジャストが拷問のように感じられて、特に不得手なマリーチDやスプタ・クルマーサナなんて殆ど虐待。ある意味怖かった。「ちょっとー、カラダが開くまで待ってよ!そんな風に力でどうこうするってゆうのは、どーかと思うよ!」と、まったくもって理不尽な怒りを投げつけそうな自分がいた。あー、アシュタンガって、やもするととても暴力的になりうるなぁ、って実感した。これって、エサレン・マッサージを受けた後に、指圧系ゴリゴリマッサージを受けた時に感じたものに近いかも。

あ、そーか。

実はアシュタンガをお休みしていた3日間、アヌサラ・ヨガを受けてたんだ。正式には「アヌサラ風味のビンヤーサ・フロー・クラス」なので、そんなに「まったりヨガ」ではなかったんだけど。「日々これアシュタンガ」が普通になっちゃってた私には、「あららら、ふふーん、結構和むわねー」と、ぬくぬくの気分でかなりリラックスできた。(アシュタンガと比べると)肉体的にはちょっと物足りないけど、これが一般的なヨガの良さなのかな?なんて思ったりもして。そんな「脱アシュタンガ」な傾向が、このところ芽生えてきているのは事実だ。

ちなみにアヌサラ・ヨガに関して言えば、とてもハートに来るヨガだな、と。ポーズの難易度とか完成度は重要ではなくて、ヨガを通して、流れを感じ取り、ハートに忠実となり、なによりも「いま・このとき」を楽しみ、感謝し、年とともに忘れ去っていった純粋な部分を呼び覚まし、世界は愛であふれていることを実感する・・・・いやいや、もう書いてるだけで涙ウルウルなんですが、相当にピュアで愛に満ちた精神的癒しをもたらすヨガです。

ポーズをとってる間中、先生が沢山の言葉をシェアしてくれるんだけど、(有名なヨギの言葉とか)、そのひとつひとつがハートにダイレクトにきちゃって、ずーっと感動しっぱなし。最後のシャバーサナではオンオン泣いちゃったよ、コドモみたいに。でも悲しい涙ではなくて、もう嬉しくてしかたないのね。世界は美しいなぁ、ありがとう。私たちはこんなにも愛で繋がれるし、慈しみ会えるんだ、ありがとう・・・そんな感動で溢れちゃってねー、てへへ。これはひとえに先生の人柄とパッションの賜物だと思う。

そんなこんなで、ここ最近の気づきとしては、私はアーサナ(ポーズ)を肉体で行うためにヨガをしているわけではなくて、ヨガの実践を通してココロとハートとカラダにもたらされる変容を体験してゆきたいんだな、ということ。アシュタンガ・ヨガは確かにとても深いヨガで、その変容が急激に実践者にたち現れてくる。そしてなにより、本来の意味でのアシュタンガ・ヨガ=八肢則は、パタンジャリのヨーガスートラから連綿と続く「本来のヨガ」を体現している。つまり、ここを押さえといたら「本来のヨガ」にショートカットで近づいてゆけるよ、って魅力もある。でも、「なにがなんでもアシュタンガやー!」ってこだわりは、視野を狭めてるだけなのかもしれないなぁ。

アシュタンガ・ヨガにはまって1年半、毎朝の練習を習慣にして1年、そろそろ幅を広げていってもいい時期かな、って、そんなことを思った、本日のヨガはじめ。

明日はフルムーンでマイソールクラスはお休みなので、またまたアヌサラ・ヨガで、ハートを開いてきます。呼吸とともに、ゆるやかにね :)

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