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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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いちばんの贈り物  

今日は私の誕生日だ。
でも、だからといって
特になにをする予定もなかった。
というか、これまでの人生で
誕生日を祝ってもらったコト自体が
殆どなかったので
どうやって過ごそうか途方にくれるのが
ずっと怖かった、ってのもある。

おとついはJeff Mills3夜目でハジけ飛び
昨日はChris Tianのバースディパーティにお邪魔し
暖かい人たちに囲まれて素敵な時を過ごした。

そして今朝は久しぶりの瞑想のクラスと
アシュタンガのレッドクラスに参加。
いつも自分の呼吸のペースで練習しているから
皆とリズムを合わせて一緒にやってゆくのが
とても新鮮だった。

いつもより動悸が早く、汗もしっかりかいて
久しぶりの全身爽快感を味わい
クラスに参加している全員で一斉に
終わりのチャンティング。
目を閉じて、お決まりのマントラを
となえようとした瞬間

ハッピーバースディ トゥ ユー
の大合唱!

首謀者はちょっとしたサプライズ 
って感じだったんだろうけど
これが、私には堪らなかったです・・・。
体中がふにゃふにゃになっちゃって
うれし涙が止まらなかった。
ココロが震えちゃって嗚咽まで出る始末。
参ったなぁ。

私これまでに
こんなに嬉しい誕生日ってなかった気がする。
みなさん、ありがとう、ほんとうに、ありがとう。
最高の誕生日ですよ、まじで、生きててよかったー。


そんなこんなで、心がホクホクに綻んで暖かくなって
明け方は雨模様だった天気も青空が広がり始め
なんとなーく、代々木公園のearth dayへ向かうことにした。
その道すがらの原宿駅前でなんと
「Free Hugs」のプラカートを掲げた数人の若者たちを発見。

前々回の日記でも触れたi-tubeの「Free Hugs」
というショート・フィルムにインスパイヤされた人達が
日本でもハグを!という活動を始めたのだそうだ。

私は、もう嬉しくて堪らなくなり、その場で飛び入り参加!
拾ったダンボールにマジックで

Free Hugs :)

と描き、いろんな人達がごった返す雑踏で
「ハグしませんかー」と(大声では言えませんでしたけど・・・)
道行く人達にアピールした。

実際に雑踏に立つと、意外と怖くなってくる。
誰からも相手にされないんじゃないか、という不安。
私は価値のない人間なんだという思い込み。

だけど、おずおずと近寄ってきては
両手を広げてくれる人がやってくる。
あのヴィデオじゃないけど
灰色だった自分の世界がカラーになる瞬間。
ああ、人って温かいなぁ、捨てたもんじゃないなぁ
って嬉しくなる、ココロ、ハート大全開!って感じ。

遠巻きにクスクス笑いする人
困惑した顔で素通りする人
目が会うと無視を決め込む人
オーッ!とハグをしに突進する人
カメラを向けて撮影する人
ニコニコと両手を広げてくれる人
照れながらソロソロとハグする人
なんの宗教ですか?と尋ねる人

いろんな人 いろんな人

ハートをオープンにして心から暖かさをシェアできる人が来るととても安心する。
心配で怖くて緊張している人とぎこちなくハグするのはこちらの心も揺れる。
遠くから眺めるだけで触れ合うことのない人達とだって、視線だけで分かち合うことはできる。
表面だけ「イェー、イェー」と威勢良くハグしても大きな壁を感じる人もいる。

結局私たちはこういう繋がりを本当は欲しているんだと思う。
利害関係ナシの、無条件の人類愛、隣人への愛、暖かさ、ハートのつながり。
そういうのに対して、馬鹿らしいとか、幼稚だとか、理想主義すぎるとか
そっぽをむく理由はいくらでも作り出せるし
そっちの方が誤魔化せる分、断然楽チンな生き方だ。
そして社会はまた、そういう風に私達を条件付けてしまっている。

本当に大事なものってなに?
本当の自分は今なにを感じているの?
私たちは一体いまここでなにを求めているの?

その答えを模索する人、拒絶する人、絶望する人、受容する人・・・
人の数だけその道程はあるけれど
ひとたびその答えの片鱗をハートで感じることができるなら
生きることの意味が変わってくるはずだと思う。
そりゃ、ハグのひとつやふたつで人生が変わるわけないけれど
でも、ほんの10秒間だけでも、ココロの底から愛と慈しみを感じ
それをシェアし、安心に身を委ねられるのなら
こんなすばらしいことはないよ。
だって、それこそが、人が人であり他人と共存する理由なんだから。

ともあれ、スゴイめぐり合わせというか
凄いタイミングでFree Hugsと遭遇
このキッカケを作り出した皆様に感謝。
あの場所で同じときを共有できたみんなにありがとう。
人生は素晴らしいです、捨てたもんじゃないよ。


追記
Earth dayは、とてもピースフルな空気が蔓延(!)していて
いるだけでハッピーになりました。
人々の作り出す空気というのは、すごいね。
あ、そうそう、Fuji Rockの雰囲気を思い出しましたよ
特にHeavenあたりの。
ベジごはん食べて、買い物して、ポラリティ・セラピーを受けて
気持ちよーく、マッタリ感を満喫しました。
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Onenessそして愛  

金曜日は渋谷wombでデトロイトテクノのカリスマDJ

Jeff Millsのレジデント パーティーへ行き、

彼の織り成す最高にクールな宇宙空間で

Onenessと愛をイッパイに感じながら陶酔の極みを体験してきた。

まあ要は

「テクノ系のクラブでガンガン踊って楽しかった!!!」

ってだけの話ではあるのですが。



シャーマニックなトランスという手段を使い

こうやって私たち人類は昔から

意識を別次元へ放ってきたのだなぁ。

手段が違えど、これは現在私が修行している

「魂へ、光の存在へ、戻ってゆくこと」

とおんなじじゃないかー、なんだー。




宇宙からやってきた現代のシャーマン(Jeff Mills)による

集団トランス遊戯でだれもかれもがみんなハッピー。

太古の昔から連綿と繰り返される「消滅・再生・進化」のサイクルを

ここWomb(子宮)という小宇宙のコクーンで

新たなエネルギー・バイブレーションを生み出しつつ

Onenessと愛を共有したのでした

めでたし、めでたし。

という半分ふざけた感想のなかに

結構核心に触れる重要な気づきが私の中に芽生えたのは確かだ。





そして、昨日は以前にも書いたニュージーランドから来日中のチャネラーさん

Chris Tian RAの1日ワークショップへ参加してきた。




我々は魂であり、永遠の存在であり、光の存在である。

それは無条件の愛であり

時間や空間、生物種別、宇宙や次元といった

一切合切を超え全てを包括する

アルファでありオメガであるところの

絶対的な「全て」であるエネルギー体だ。



霊的意識の高い人なら「うんうん」とうなずくコンセプトだけど

それでも私たちはこの現世で様々な出来事や関係に

とまどい恐れ、苦悩を作り出しもんどりうったり

はたまた溢れんばかりの歓喜におののいたり

まったくもって忙しいもとこの上ない。



だからこそ、その覚醒の過程を歩む私たちに必要なのが

その過程の指針指標ガイドとなるツールなんだと思う。

それは人それぞれにとって必要なフォームをとり

まったくもって千差万別ではありけれど。



さて、このワークショップでは

この覚醒の過程を歩む我々子羊たち(!)へ

「知恵と瞑想方法」が紹介され

それを実際に実践・体感することで

目覚める「なにか」

気づく「なにか」・・・。

そして参加者同士の

暖かい愛に溢れる繋がりを

心の底から感じること。

・・・これは、すごいギフトだよ、マジで。



私は蓋が開きっぱなしになっちゃって

原因もわからず、混沌・困惑の中

感情が爆発しすぎて涙が止まらず

ちょっとシンドかった。

まずは自分が抱えていながら抑制している

痛みや問題を解決しないと、いかんな

と実感。



でも、胸が熱くなるほどヒシヒシと感じたOnenessと愛は

wombのフロアで両手イッパイに感じ取ったモノと同じだったなぁ。



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FEAR  

岡崎京子がその昔

「私たちは色んなことが怖いんだと思う」

みたいなことを

エッセイだか、あとがきだかに書いていて

そしてそれは、私の中でずーっと心に残っていた。



ここ最近になって

本当の自分を見つめるようになって

これまでの抑制や抑圧を

少しずつ剥がしていくようになって

「ああ、私は本当に色んなことが怖いんだなぁ」

と実感するようになった。



不安も、怒りも、悲しみも、執着も、嫉妬も

私を振り回すネガティブな感情はすべて

「恐怖」か根底にある。



でもいったいなにが怖いんだろう?

死?

失うこと?

変化?

ここのところ、こんな疑問が

私のアタマの中をグルグルしてた。





ところで先日

ニュージーランドから来日中の

Chris Tian RAというチャネラーさんの

リーディングとトークセッションを受けてきた。



リーディングでは

私が現在抱えている様々な問題をクリアにし

要因や進む方向性の示唆をいただき

そして現在の私が

成長の過程のどこに位置しているのかなど

興味深い指摘も頂戴した。

と同時に、成長を阻害する根本的な問題として

やはり「恐怖」がキーワードとして出てきた。



未知に対する「恐怖」

まずはそれを知ること

その上で、それを味方とし

教師とし、そこから学んでゆくこと

その大切さを教わった。



うーん、未知なるものへの「恐怖」か。





トークセッションでは

Mind(意識・アタマの世界)とSoul(魂・ココロの世界)

の本質についてが語られた。

その中で私がココロ動かされたのは

「私たちは

”魂を持った人間”ではなく

”人間の肉体を持った魂”である」

という彼の言葉だった。



たまたま、この世でこの肉体を持ち合わせて

そこを住家としているが

本来のあるじはこの魂である、と。



こういうことって、アタマでは理解できても体感することが難しい。

それでは、どのようにして、それを感じることができるのか?

その為の瞑想法を学び実践してみた。



なんとなく自分と外部の境界線がぼやけてきて

カラダが固体ではなくグニャグニャな存在になった感覚に襲われた。

カラダという容器からはみ出した私=Soulといったイメージか?



こじつけや解釈は、なんか、もういい。

まずは感じること

アタマはとりあえずそっちに置いといて。

しかしこれがなかなか難しい。

本当に私たちは

アタマで概念的な世界を作り出して

安心したがってるなぁ。



でもなんだか、なんでだか分からないけど

リーディングとトークッセション後の気分が

とっても軽い。

なんか、安心してリラックスしているような感じで。

いつも硬直している胃のあたりが

柔らかく弛緩していて、呼吸が楽チン。



「恐怖」はやっぱり、いつだってそこにあるけれど

私たちは“人間の体を持った魂”
なんだという感触を、手ごたえを感じてしまえば

結構どんなことも、なんとかなるような気がしてきた。



ちょっとだけ、0.5歩くらい前進した気分。

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愛といつくしみと、そして繋がるということ エサレン・ボディワークWS  

10月6~9日の4日間、伊豆熱川で行われたブリータ・オストロム女史によるエサレン・ボディワーク入門の合宿へ行ってきた。

エサレンとの関わりのきっかけは、ほんのつい最近。このmixiのコミュで知った千石空房での「エサレン・ヘミシンクWS」に、突然キャンセル空きによる飛び入り参加をしたのが9月の半ばのこと。その3週間後には、エサレン研究所で35年の指導経歴を持つ方から、こんな風に指導を受けようとは、夢にも思わなかった。巡り合わせというのは、ほんと不思議だ。

この合宿の参加者は私を含め7名、半数以上がマッサージやリフレなどのボディワーク経験者。他の方々も自己成長やヒーリングを目的とされていて、皆とっても真摯に挑まれているなぁ、というのが第一印象。「なんかよく分からないけど導かれるように参加しました(笑)、ところで皆さん、朝一緒にヨガやりませんか?」なんて輩は私くらいなもので、ちょっとだけ「私、場違い?」って気分になった。

コースはブリータ女史によるデモンストレーションの後、ペアワークでそれを練習する、という形式で進められたエサレン・ボディワークは「テクニカルなマッサージ・マシーン養成」を目的とはしておらず、ココロの安らぎと自己ヒーリングを肉体を介して促す、極めてスピリチュアルなエネルギーワークだ。。(形式としては、全身を流れるように優しく触れていくオイルマッサージ)私たちが練習する場合も、「こういう手順でおこなう」といったルールは一切与えられない。全てが自由であり、個々の状況に委ねられるのだ。そしてブリータ女史は「Follow your hand (貴方の手に導かせなさい)」「trust your instinct(直感を大事にしなさい)」と、常に私達を力づける。

デモでインプットされた知識と、インスパイアされたアイディアをベースに行う練習セッション、その瞬間瞬間に生じるパートナーとのハプニング、つまりスポンティニアスな関係性との戯れ、「触れる・触れられる」ことによる、言葉を介さないコミュニケーション。

例えば、マッサージをすることに慣れていない私のココロは不安でいっぱいで、それが私の掌を介してパートナーに伝わる。そしてパートナーは私の不安に反応する。そのパートナーの反応が私の掌に伝わる。つまり、私のココロのありかたが結局は自分にはね返ってくる。

私のココロが安らかでバランスがとれていると、パートナーもリラックスして呼吸が落ち着いてくる。そんなパートナーの反応を感じて「ああ、受け入れてもらっているんだな」と感動する。そして、私のハートがもっともっとオープンになってくる。ありがとう、と、心の奥底から沸きおこる愛情は、相互の信頼の上に成り立っている。美しい瞬間。こうやって、人と繋がってゆく。

受け手の時に強く感じたのは、触れあっている皮膚と皮膚の境界線が解けてゆく感覚。どこからが私でどこからがパートナーなのかが曖昧になってゆく。ココロを開いて、委ねて、明け渡して、受け入れられた時に、そんな瞬間が発生する。こうやって、人と繋がってゆく。

考えてみると、私は自分の人生で、他人の体をこんなに慈しみながら触れたことはなかったなぁ。「愛すること、慈しむこと、触れること」って、実は私が現在抱えている人間関係の問題の根源じゃん、とか思ったりもした。

与える側としてのボディワークの最中はすこぶる瞑想的で、私はかなりトランス的に入り込んでいたみたいだ。と、最終日にブリーダ女史からご指摘があった。と同時に、更なる勉強をぜひエサレンでやるべきです、と強く勧めていただいたのが嬉しかった。というか、私、その気かなりアリアリです、先生!もう、これは天職としか思えません。

この合宿の素晴らしかった点は、単なるボディワークのスキルの練習に終始せず、参加者全員のメンタルな成長を促しインスパイヤすることにも重点を置いている部分だ。エサレン研究所自体の成り立ちやエサレン・ボディワークの本質を思えば、ごくごくあたりまえのことではあるのだが。ほんとうに毎日が瞬間瞬間が「気づき」「発見」の連続で、参加者の一人が「まるで3週間くらいいた気分です」と言ったが、まさにそのとおり。短い期間だったけど、ものすごく凝縮されていた。

みんなもがいてる、みんな悩んでる、だからみんな他人に対してとっても優しくなれる。誰かの小さな進歩が自分のことのように嬉しくなる。プライベートな問題をみんなとシェアするオープンさ、思わず溢れる感動や葛藤の涙に対して感謝の気持ちを持てる寛大さ、人生ってなに?私たちはどこに向かっているの?アタマばかりが先走ってココロが置き去りだよ、夢が示唆する過去のわだかまりに対する問題提起への気づき、本当にやりたい事と仕事の間の葛藤、自分自身を感じることの戸惑い・・・いろんなアレコレがみんなの中で、嵐のように(実際初日は台風でしたね!)たち現れてたなぁ、こんな沢山の愛情と共感をシェアできたのって、スゴイよね。みんなに本当にココロからありがとう、の気持ちでいっぱい。感極まって、毎日泣いてました、私(笑)

いずれにせよ、偶然出会ったエサレン、ですが、今回の合宿でその巣晴らしさと奥深さと、なによりそのスピリチュアリティにぶっ飛ばされました。ちょっと、これからの私の人生に深く関わっていくと思います。

ブリータ先生、オーガナイザーのSちゃん、主催のAカンパニーさん、そして一緒に愛をシェアしたみんな、ほんとうにありがとう、ラブです :)

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いきてゆく  

よく「偶然ではなく必然だ」とか、「導かれている」とか耳にするけど、それは私達のモノゴト(物質的なものも、霊的なものも)に対する識別センサーの、チューニング次第なんだと思う。

私個人的には、ここ1年ほどずっと劇的な「出会い」と「変容」の連続で、なんだかもの凄い渦の中、気付きと種蒔き作業に明け暮れてる。偶然出会ったモノゴトもあれば、意識して選択した(つもり)のモノゴトもあり、試行錯誤もいいところだけど、「何か」が確実に起きている。でも、それが何なのだか確証がもてない不安でいっぱいだ。

それは、瞑想であったり、アシュタンガ・ヨガの毎朝の練習であったり、最近始めたレイキであったり、チャクラやクリスタルパワーの勉強であったり、これから始めるエサレン・マッサージであろうし、既に出会った、もしくはこれから出会う人々であろうし、ダンナとの関係との対峙であり、家族の絆や死別であり、立ち返った過去との決済であり、こういった日常の中でなされる霊的成長の過程で、時にはっきりと、時にモヤモヤと現れてくる、つかみどころのない「何か」だ。

物質的なものの見方から、霊的なものの見方へ、自分の視点がシフトしたのはいつ頃からだろう?いつのまにか、自分の内面へ向かうと同時に、全てを内包する世界や宇宙へ意識を拡大させ、様々な発見や驚きに日々身を慄かせたり心高鳴らせ、えもいわれぬ高揚感と、押し寄せる底なしの悲しみや恐怖に翻弄されることが増えた。

そして事ある毎に「わー、怖いくらいの偶然、これは仕組まれてるとしか思えなーい」と感嘆することしきり。あのときのアレは、ここに繋がっている。このときのコレはあすこへ繋がってゆく。

そんな折、ある日とある女性にこう言われた。
「突然そういった偶然が発生し始めた訳じゃない。それは昔から常にあって、アナタがそれに気付き始めたってだけ」


ほんとうにそうだ。


人生に対して、大きなクエスチョンマークを額にかざし、陳腐なドラマを作り上げるのは簡単だ。後ろ向きで自己憐憫的なドラマでカタルシスを得るのは悪趣味だ。それでも尋ねずにいられない、たったひとつの質問。


「神様、私の人生に起こる、これらに一体どのような意味があるのでしょうか?」


答えなんてない。

ショートカットなんてない。

あるのは、その過程を歩む自分だけだ。

そして、それを見つめる視点しだいで、こんなにも世界は変わってくる。



ああ、人生って、なんてエキサイティングなゲームなんだろう!

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