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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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Gradually but surely (ゆるやかに、しかし確実に)   

なんか久しぶりに5日間もヨガの、アサナ(ポーズ)のプラクティスをしなかった。最近足の甲に入れた刺青の痛みと、珍しく生理が凄かったってのが理由なんだけど。不思議なのは「あーさぼっちゃった!」という焦燥感や罪悪感に苛まれていないって事実。一昔は1日さぼっただけでも「ああああああ!」って感じだったのに。

あ、でも瞑想だけは時間を捻出して毎日続けてる。今は正直アサナのプラクティスより瞑想の方に傾倒しているかもしれない。

アサナのプラクティスったってその殆んどが自己練習だから、張り合いがなくなっちゃったのかな?でもヨガというのは基本的には「自分の為に自分の練習」をするものなのだと思っている。他人に自慢したりとか、褒められたい!認めてもらいたい!なんていう自己顕示欲の為にヨガやるのって本末転倒やん、アスレチック・クラブじゃあるまいし。

こないだ、シッティングのポーズからハーフ・ビンヤサへのジャンプバックで、足が腕の間をスルリと抜けたのにはビックリした。腕が短いから、腹筋が弱いから、足が太いから、から、から、から・・・と言い訳イッパイ抱えて「一生絶対できないもの」と諦めていた動きだったので、「え、マジっすか?」と拍子抜け。力まなくても、筋力に頼らなくても、ヒョイっとできた。

スゴイ。いや、私個人がスゴイってんじゃなくて、この事実がすごい。It will comeって本当だ。ウト・プルティやジャンプ・スルーやヘッド・スタンドと同じだ。できない、できない、できない、でもしつこく、しつこく、しつこく毎日繰り返す、そしてある日突然「できた!」事実に驚愕する!別にそれが3ヵ月後でも3年後でも来世でも良いわけで。Practice, all is coming!

ああ、そうなんだな、いつかは確実にくるんだから、今ここで必死こいて努力したり無理したり自分に鞭打つ必要はないのだな。と、自然と判ってきたので、少しくらいプラクティスさぼっても焦燥感に囚われたりしなくなったのかも。

プラクティスを始めて半年、毎日練習をするようになって3ヶ月、今頃になってこんな「当たり前のこと」を実感し始めてる。そしてそれが、ナカナカにいい感じで、思いっきりダントツに爽快なのだ。うーん。

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なんとなーくベジタリアーンとしての「あれこれ」  

特にこれといった信条も信念もなくベジタリアンになって1年以上経った。

最初はダイエット目的でマクロビオティックスを始めたのだが、結局よく理解できてないまま「玄米・野菜・果実・豆類などなど、できるだけ季節のもの・土地のものを無駄なくいただく」程度の日常食を続けている。目玉のある生物(肉類・魚介類・昆虫関連)は摂らない、が、出し汁としては知らずと摂ってるはずだが気にしてない。卵は無精卵でも摂らない。理由とか根拠はあんまり、ない。要はなんとなーくの似非ベジタリアンですってことだ。必要ないから摂らない、摂らない方がカラダが楽チンだし、感覚が鋭敏でいられる、ってそれだけ。

しかし選択に余地のない外食時にはルールを逸れることもしばしばだし、「なにがなんでも肉・魚は口にしないの!キーッ!」って程厳格でもないので、「基本的にはベジー路線、しかし臨機応変に対応」って感じで、要はなんとなーくの似非ベジタリアンですってことだ。

残念なことに、動物愛護の観点からベジタリアンになった、という厚顔無恥な偽善を振りかざす醜悪を演じる勇気は持ち合わせておりません。だって、だって、植物だって生きているんだトモダチなんだー、だし、「肉は喰わないけど牛革製品を身に付けるのには抵抗ありません」という矛盾抱えて、とても平静ではいられませんので。あと女性だったら化粧品や香水類の原料や研究開発過程、これらに無知でいることは罪悪だという認識持ってクダサイね。(と同時に関連企業に従事していたオノレを恥じるワタシです)

動物愛護派でグリーンピースな論理的に正しい「オツムでベジー」な皆さん、そんな偽善に磨きをかけるヒマがあったら、是非精進して一切の食物を録ることを辞め、プラーナだけで生きていってください、オーム。大体「人間様vsそれ以外の生物」の支配関係は歴然と確立されているのだから、ここで今更アナタが「血の流れる動物を殺傷し栄養源として摂取する」ことを拒否したところで、人類共有の壮大なカルマが消え去るわけじゃーなかろーに。ねぇ?ナニヲイマサラ、アナタナニサマ。

宗教的理由を別にすると、「肉を食べちゃいけない!」ってルールを自分に課し無理してる悲壮な「自称ベジタリアン」って、端から見ると相当にインチキ臭い。喰いたきゃ喰えよ、って、それだけのことじゃん。肉の感触を味わいたいから大豆製品でできた「肉もどき」を食するのも、バカみたいだ。誘惑に負けて肉食して後悔の念に駆られるなんて、なにそれ?アタマやカラダがそれを欲しているんだったら、いいじゃん喰えば。「アタマでっかちのインテリがカラダを無理やりコントロールしている相当に不自然の図」という副題でもいかがですか?あ、またイジワル言っちゃった。でも、そうだよ、無理してドースル?「われ良識人であるぞよ」という自己プレゼンのツールとして「ベジタリアン」を演じ、自分のエゴの奴隷となるのは辞めようよ、疲れちゃうじゃん。

ほんじゃ、キミはどーなのさ?どれほどのもんなのさ?と問われれば、スミマセンへなちょこでなんとなーくの似非ベジタリアンです、って答えとく。その証拠にここフィリピンでは「ベジタリアン」などという概念は存在せず、食事の基本は「米といくばくかの肉もしくは魚」の世界で、食は道楽ではなく「生きるための手段」だ。野菜は殆んど捕らないし、マーケットへ行っても野菜の種類は驚くほど限られている。

そんな中で「あ、私チャプスイ、肉抜きで」なんてオーダーをしようものなら「何故だ!?」と詰め寄られちゃうし、「それはワタシがヴェジタリアンだからである」と答えても「何故だ!?」と詰め寄られちゃうし、んじゃ、しゃーないな、「私シュリンプ・シニガン&ライス」ってなっちゃう。

また、ピリピン人はみんな面倒見がいいので、ワタシが界隈を徘徊し「これなに?」「あれなに?」と他人の台所まで入り込んで遊んでいると、「おー、これ喰え、あれ喰え」の大合戦で、こういう見返りナシの好意は拒否できないじゃん?てんで、魚の頭のから揚げバリバリ、カリカリに焼いた豚の皮ポリポリ、ってなっちゃう。

ま、少なくともここフィリピンの田舎では、勝ち誇ったように「あ、ワタシってヴェジタリアンなもので・・・」と言えるような、そんな環境ではござらぬのだ、殿!ご乱心あそばしたかっ?

とりあえず食物を摂取しないと生きてゆけない我が身としては、選択の余地があるのなら、確かにベジーな方がカラダの調子がすこぶる良い。これは本当。たまに肉や魚や卵の摂取すると、タバコやお酒と同じように、体にスゲー負担がかかるんだなと、実感する。その証拠にわが身は結果として「別種のウンコ」を生産することになる。では野菜の摂取は体に負担がかからないのか?というと、そんなことはなく、程度の差があるってだけ。実際、絶食をした後の食事は超ベジーであっても、かなり体に負担となるしね、ベイビー。

要は、なんだね、変な固定観念にガンジガラメになって、無理やり「ベジタリアン」という型に自分を押し込めるんじゃなく、自分のハートが本当に欲していることを認め、自分を取り巻く環境への考慮を忘れず、その上で本来の意味でのNo harm to the others を心がければよいのでは?

自分自身すら幸せにできず、結果的に他人を傷つけてばかりの哀れな人物が「動物愛護の観点からヴェジタリアンになりました」って言っても、ちっとも説得力ないし、それは滑稽なだけだよ。

May all beings be happy, peaceful and liberated! (Metta-bhavana)

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