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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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ボラカイな日々・ヘッドスタンドで足ザックリ  

現在住んでいるのは素朴なバンガロー15棟ほどが裏庭を囲むように建っている典型的なタイプのアコモデーションだ。裏庭にはカラフルな洗濯物がはためき、犬猫ニワトリが寛ぎ、お喋りの合間に庭仕事をこなすオーナーの娘達、中央に置かれたテーブルではワイワイとスタッフやローカル客が食卓を囲む。ああ、物質的豊かさとは無縁だけど、すこぶるのどかだねぇ。

サクサクと庭を掃く音で目を覚まし、瞑想をしてココロをアチラ側に遊ばせた後、たいていベランダでヨガ練習をする。アシュタンガ・ヨガのプライマリーシリーズだ。スーリャナマスカーラ(太陽礼拝)で早速汗が噴き出し、スタンディングを始める頃には近所の子供達がやってくる。

3~7歳くらいのちっちゃな彼等彼女等は「フィリピン人じゃなさそうなオネーチャンがなんか変な格好してる!!!」と好奇心を隠しもせず、私のヨガマットの上にまでワイワイ乗り込んでくる。ワクワクした瞳、大きな笑顔、ポーズを真似しては笑い転げる、ちっちゃな天使達。多分彼等彼女等は、学校へ行く余裕もない家庭に生まれ育ち、家業の手伝いやら、物乞いすらもしているだろうことが明らかだ。この女の子はあと5年もすればミニスカートで観光客を挑発してはシュガーダディに身を委ねるシタタカサを学ぶのだろう。

でも私にはそういう現実に対してジャッジする資格などないし、そんなことにココロを悩ますより、「いま・ここ」で楽しく心の繋がった時を共有する幸せを堪能するのが先決っつーか、そういうのが本当はホントウに大事なことなんじゃないかな?とキラキラする彼等彼女等の眼差しを見ながら、心底そう思った。

一緒になってトライアングルのポーズやら勇者のポーズをやる。子供のカラダは怖いくらい柔軟だ。そんでもって子供達というのは全世界共通で「相手を写す鏡」なんだね。同じ目線・同じ立場に降りていって対等なポジションで忘れかけていたオノレの純真な部分を曝け出せば、コドモ・ワールドに仲間入りできます、楽しいなあ。変な日本人のオネーチャンと地元のミニミニキッズがキャイキャイ言いながらヨガやってますよーの図、本当楽しいなあ。

なんて調子のってたら、ヘッドスタンドでバランスを崩し、隅っこに積まれていたサンミゲル(地元ビール)の空き瓶の山へ下半身突っ込んじゃいました。げー、足パックリ切れたけど、それだけで済んでよかったー。教訓、いくらなんでも周囲に気を配りましょう。ンガトト。
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ボラカイにて、やっぱりヨガ クレイトン・ホートンWS  

何を血迷ったか、これまでの日本での安定した生活を投げ捨てて、フィリピンはボラカイという島に住み着き始めて1週間が経った。

本当はパラワンにあるエルニドという場所が着地点なのだが、とりあえずは観光化されてウハウハのボラカイでツーリスト・ビジネスの修行を積んでみようかな、と、ま、テキトーでイイカゲンな動機により来ちゃいましたぜ。

10年前に来たときはチャーミングでスポイルされていない素朴な島だったんだけどね、とボヤくのは年のせいか。今じゃバシバシに観光化されて、昼間の客引きやビーチスポーツの喧騒に眩暈がするし、夜はネオンライトが眩いばかりだ。

バックパッカーのオアシス的赴きはもう一切ございませんね、韓国人ツーリストを中心にシュガーダディ&フッカー系カップル、ローカルファミリーがビーチロードを闊歩する、健全なんだか退廃なんだか・・・

「そんなんどーでもいいからとりあえずはGive us money」のモットーが浸透しつくしているアッパレな、観光で食い繋ぐしか術のない貧しい国の典型がここにあるわけだ。いや、別にそれがドーシタなんですけどね。

ともあれ、「なんかどっかにビジネスチャンスは落っこちてないかね?」とキョロキョロすること1週間、あ、先にこの地に来ていたダンナにとっては2ヶ月間。現状どうか?というと、やー、別にこれといってないっすね、ははは。

胡散臭い儲け話や、「アナタお金出す人、ワタシ協力するビジネスパートナー。我々のビスネスはこうしようではないか!」というふざけた輩がハイエナのようにたかってくるのには辟易。いや、別にそれがドーシタなんですけどね。

んで、ま、そんな急にチャンスが巡ってくるわけでもなかろうし、どちらかというと今回はダンナに主導権を握ってもらうことにしてるので、私は呑気にここでの生活のルーティンを確立しようと決めた。私の最近の日記をご存知の方は「あ・・・よもや、またヨガネタに戻るんすか?」と慄いていらっしゃるかもしれませんね。「日本での生活を投げ打って南の島に移住」というシチュエーションに相応しい話題で挑む予定だったのですが、ごめん、やっぱりヨガネタでスタートだす。

ボラカイでヨガ!なんて誰も期待してないし、私も「基本は自己練習」となるのだろーな、と覚悟していました。しかし、ボラカイ到着日にはこの島のヨガコミュニティ主催者のコンタクト先を知ることになり、翌日には彼女のアシュタンガ・レッドクラスに参加。

場所はボラカイのメインビーチとは反対側のBolabogビーチにあるBamboo Laungeというバーレストラン・ハットの2階。壁や窓なんてないので、外の空気や潮風に包まれて行うヨガは気持よかったっすよ、マジで。

参加者はローカル3名&ワタシ、もっと観光客がメインかと思っていたので意外。ハットの床はデコボコでギシギシなので、ヘッドスタンドは省略されましたが、ゆっくりとしたペースでハーフプライマリー。先生、Mo女史はアシュタンガオンリーではなくアイアンガーやシバナンダも深く学んできた方なので、かなりアライメントに厳しい!

これまで私が習ってきた師匠はウルサイこと言わず自由に楽しんでやらせてくれたので、それに慣れてしまった私は最初「ウザイな、もー」とか思った。でも、アシュタンガってパン・パン・パンと割とスピーディに進んでいってしまうので、テキトーなポーズで誤魔化してるのって多いしな、という面からとらえると、これは新たなアプローチたりえるぞ、とフムフム。やっぱり、色んな先生に習うのは利点多しですね。

この先生は他にもシバナンダやハタヨガのクラスを3ヶ所にて行っており、1回ドロップインで350ペソ(=700円)です。回数券を買うと1回あたり150ペソ(=300円)だ。日本の半額以下ですが、現地の物価を考えると、フツーのローカルには通えない金額。ツーリストか金持ちローカル対象、って構図がよく判りましたぜ、ふふふ。もしボラカイに行く予定があり、ヨガもやりたいなー、なんて方いらっしゃったら是非どうぞ。スケジュールはちょくちょく変わるみたいだけど、基本的に毎日1~2レッスンはあります。興味のあるかたはメールください。詳細をお知らせしますし、必要であれば通訳とかしますので。

そして、なんか私ってツイてるな、と思ったのは、この先生の紹介で翌日急遽行われることになった、アシュタンガ公認インストラクターのClaiton Horton氏のWSに参加することができたってことだ。

サンフランシスコベースで活躍するCH氏の目的はマニラでのWS、どっか忘れたがナントカ島でのリトリートだそうだが、フラリとプライベートで立ち寄ることになったボラカイ(それも3日間だけ!)で特別に行われることになったミニWSにタイミングよく参加できたってのはスゴイ偶然だ。

WSそのものはとてもピースフルかつエネルギーのフローを感じさせてくれる素晴らしいもので、CH氏の静かで落ち着いた佇まいは、あたかも崇高なヨギが神との対話という至福の時を貪っているかのようなオーラをバシバシ発散してました。それを昔からの知り合いMo女史に話すと「そうでしょ?でもこれってビックリよ!以前はもっとマッチョでヤンチャなアシュタンギ!って感じだったんだからー」とのこと。へー、面白いね。

翌日にはMandala Spaというリゾートスパにあるシャラにて、Mo女史と、もうひとりのヨガ先生によるアシュタンガのセルフプラクティスにお邪魔することにした。これは無料。マイソールスタイルなのかな?と思ったが、先生がいるわけじゃなくて本当に自己練習。たまにお互いにアジャストをし合うって感じ。私は他人へのアジャストはできないけど、2人の先生からはガンガンとアジャストしてもらい、なんか得してます。ははは。でも、鬱蒼と茂る緑に囲まれた丘の高台で、窓を開け放ち行うヨガは清々しいことこの上ないです。東京の灰色の町中でコンクリの壁に囲まれて行うヨガが悪いわけじゃないけれど、まったく別物みたいな感じがした。

ということで、あ、ここでもヨガは続けていけるんじゃん、スゲー、と結構感動。そんなこんなを東京のC先生に興奮気味にメールしたら、「おー!マジカルがついてまわっとるやん、スゲーなー」とコメントされ、ああ本当にマジカルだ、と素直にそう思った。

人生ちっとも悪くないやん、ワタシャ幸せもんだ。

さ、私の人生のルーティン確立だ、in Boracay 朝目覚めてカラダを清め、部屋で瞑想を1時間。ヨガクラスでアシュタンガのない日はベランダでアシュタンガ自己練習。

水浴びをして汗を流し、フルーツやナッツを買い込みポリポリ喰いながら近所を散策。

お昼にはダンナが起きてくるので、共に「今日はナニシヨウ?」会議後、2人の1日が始まる。

贅沢もなにもないんだけど、青い空と海と落ち着いたココロがあれば、ま、他になにがいりましょう?

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シバナンダ・ヨガ  

前から興味があったのだが、ナカナカ機会のなかったシバナンダ・ヨガのレッスンをYogajaya代官山で受けてきた。瞑想的なアプローチと、時間をかけて深ーくポーズに入るペースが「うあー、これは現在の私には堪らんなぁ」という感じ。普段練習しているアシュタンガのダイナミックさとは異なり、ゆるやかな、それでいてシッカリ内部までジワジワと効く様が新鮮で、終わった後に、ジンワリと爽快な活力がココロとカラダ双方に生じてくるのが良く判った。アーサナ(ポーズ)と呼吸のもたらす心身への効能をシカリと丁寧に感じたのは初めてかもしれない。

まずシャバーサナ(屍のポーズ)でリラックスし、チャンティングの後、プラナヤーマ(呼吸法)&瞑想、そしてポーズをゆっくりと長くとってゆき、ひとつのポーズが終わるごとにシャバーサナで覚醒したリラックス状態でカラダとココロの影響・様子を深く感じ取る・・・淡々とした流れの中で、静かで確実な変化を自分の中に見出すのは大変興味深く、かつ大変「癒し効果」のある体験だ。

かといってポーズが簡単で退屈なのか?というと、まったくそんなことはなく、ヘッドスタンドからスコーピオンへ移行するとか、ピーコックのポーズMayurasanaだとか、「えええええ?それが基本なのでありますか???」というような難易度高しのポーズが基本の12ポーズだったりするのだ、スゲー。

いいよ、これ。これからはシバナンダだよ、ちょっとー。

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まだこんななの?  

昨晩寝付けなかったので、今日の朝練は遅めのスタート。スタジオに着いた時にはもうガランとしていて、常連のYさんしかいなかったけど、広々としたスペースで窓から差し込む朝日を感じながら、鼻腔の奥をくすぐるお香の匂いに安心感を抱きながら、ゆっくりカラダを動かしてゆくのは心地よい。

スーリャナマスカーラの途中で何の気なしにC先生からかけられた優しい言葉に、なぜか私とってもココロが締め付けられる思いがしてきて、ダウンドッグのポーズで5呼吸するのだけど、呼吸の代わりに出てくるのは涙ばかりがボロボロ。ああ、私本当に日本を離れるのだな、この通い慣れた心地よいオアシスのような朝練スタジオともお別れなんだな、C先生も他の生徒さんたちもみんな大好きだったな、人生はコンニチワとサヨウナラの繰り返しだと誰かが言ってたけど本当そうだな、昨日といい今日といい、ああ私は確実にここを去っていく身なのだな、という実感にウワーっと圧倒されてしまい、すまん、練習を中座してオンオン泣いてしまいました。

しかしなんでこんなに涙ばっかり出てくるんだろう?これまで私は東京・イギリス・大阪・東京と転々としつつ「一定の場所に留まるような停滞はお断り!変化あるのみ!」という強気の人生だったんですけどね。割と「去ること」が楽しみであったし、つまりそれは「新しい出会い」を意味するからに他ならないのだけど。もう既に停滞や安定を求める年頃になったのか、はたまた若い頃は持ち得なかった周囲や環境への愛着・執着を持ち始めてしまったのか、もしくは単純にココロがオープンになっただけなのか・・・ま、色々推測やら分析やらできそうだけど、ここはとりあえず「だってそうなんだからそうなの!」って開き直るだけにしておく。

だって来週の今ごろは私、機上の人ですよ、ねえ!

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こうやって少しずつ  

朝練の後、ひとつふたつの野暮用を片付けてから以前勤めていた会社の新オフィスへ遊びに行く。オフィス移転前に辞めたので、新オフィスは初めてだ。見慣れた顔、顔、顔、懐かしく、慣れ親しんだ人達、軽口、冗談、クスクス笑い、古巣に戻ったようで心地良かった。でも、たかだか1ヶ月半の間に皆は私を置いてどんどん先へ前進していってるんだなぁ、あーそうか、つまり私はここから随分と遠く離れてしまったんだな、とひしひし感じた。哀しいというより一歩離れて達観してるみたいなんだけど。

でも良かった、辞める前にお会いできなかった人達と挨拶ができて本当によかった。勤めてる時はテンパリ・ヒステリー大全快のクソババァな私だったので、どれだけ周囲の人達を傷つけてきたか懺悔が必要なくらいなんですが、そのあたり実は結構ココロにわだかまりがあったので、今日はそういった部分で和解ができたのが良かった。つまり、結局敵を作り上げていたのは私自身であったのだという気づきに対する、現実的な後処理みたいなものができたってことです。みんなゴメンね、あの時は、でも笑ってサヨナラが云えて良かった、元気でね、また会えるといいね、会えなくたって共に過ごした時期があった事実は素晴らしい出来事だったんだよね、出会えてよかった、ありがとう、これからもChin-up胸を張って元気に行こーね、お互いに。

帰り道、新宿副都心の高層ビルを見上げ、青く高く透明な冬の青空との距離感になんかもう、ただならぬ爽快感がこみ上げてきて、思わず耳に流し込んでいたウォークマンのヴォリュームをイッパイに上げてみた。

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本日のヨガ Yogajaya アシュタンガ1  

本当はゴビンダ・カイ氏WSへ行くつもりでいたのに、朝起きたら体調悪しの為、午前の部・アーサナ練習(中級~上級)はパスを決め込み、午後の部・ヨーガスートラ座学に行くことにした。が、ダラダラ過ごしていたらみるみる元気になり、座学っていうか「カラダ動かしたい!」って感じよねーという気分イッパイになり、急遽Yogajayaのアシュタンガ1のクラスに向う。

Yogajayaでは「アシュタンガ2」がハーフプライマリーだから「アシュタンガ1」はひょっとするとスタンディングまでなのか?それでは物足りないでござる、と事前に担当のC先生に確認したところ、「途中のビンヤサやマリーチBDはすっ飛ばすけど、なんちゃってブジャビダーサナまでしっかりやるし、フィニッシングもちゃんとやるよー」とのコトなので安心して参加する。

日曜2時スタートなので混んでいるだろーな、と思いきや多すぎず少なすぎずのイイカンジの集まり具合。そしたらナント、嗚呼、世界は狭いねー、バッタリ昔の同僚と遭遇しましたよ。スッゴク嬉しい再会でありました、いやー日本を離れる前のすっごい偶然に感謝!

そんな嬉しい気分も手伝ってか、レッスンはとっても楽しくてカラダも軽くて、なによりC先生のガイドがすこぶるピースフルでジェントリーで思いやりに溢れるスバラシイものだったがゆえ、「頑張る!アシュタンガ」ではなく「楽しむ!アシュタンガ」を堪能することができました。うーん、満足。

いや、でもヴィパッサナー瞑想以降、本当に私のカラダむちゃくちゃ柔らかくなって気持悪い。長期集中瞑想の効果なんですかね・・・?股関節がパックリ開くわ、前屈がベロンちょだわ、なんか自分が軟体動物みたいで笑えます。ねぇねぇねぇ、こんなんでセックスしたら、どーなっちゃうのー?

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ゴビンダ・カイWS@lotus8   

午前:マントラの復唱・アーサナの練習
午後:ヨーガスートラ座学



どんどんと繊細になっていくことを
自分に許してあげなさい。
ヨガの実践によって
恐怖やストレスから解放され
無条件の愛を体現し
そして、偏見やジャッジから自由になるのです。




ゴビ氏のヨガに対する真摯な姿勢は相変わらずスゴイ。前回WSに参加して以来ワタシャ尊敬してやまぬゆえ、午前と午後それぞれ終了後に質問をしにいった時、やたら緊張しました。英語もシドロモドロなんて・・・私って可愛いヤツだな。

それにしてもマントラ復唱の効果は実際にカラダで感じて始めて判るのですね。ヴァイブレーション身体に染み渡り、ジーンときます、かなりトランス状態入ります、これか、これなんだね、宗教ってヤツの正体は!プリミティブな儀式の陶酔とか、キメキメのフルムーンパーティの高揚と、要は同じってこと?

ゴビ氏は今後日本をベースとして「ヨガを真剣に探求したい人達」のためのコミュニティを展開していくそうだ。面白そうだね。今日本ではヨガブームで本来の意義が見落とされているからこそ、こういう「改めて真面目に真摯にとりくむ」姿勢は必要だと思う。

あ、そうそう、S&Mでたまにご一緒するK子さんも参加されてたので、一緒にランチ。わざわざ神保町まで出てMothersにてヴェジタリアン・バッフェとお喋りを堪能。

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本日のヨガ IYC九段下ハーフプライマリー  

あーっ!そういえば、ヨガスタジオの回数券チケットとやらが沢山あるのだが、日本を発つ前までに消化しないとモッタイナイデハナイデスカ!と突然思い、本日はIYC九段下へ行った。とっても久しぶりなので何階にあるのかもすっかり忘れてしまい、管理人さんに尋ねる始末。8月から10月まではガシガシ通っておりましたのに・・・。

そういえばIYCって最近クラス表記が判りやすくなりましたね。以前は「ベーシック1」と「ベーシック2」はどう違うのか?それでは「ベーシック1・2」や「ベーシック1-2」というのはナンナノカ?とか、なにゆえ先生によって同じ「ベーシック2」でもフィニッシングをやったりやらなかったりするのか?などなどムカツクことありましたが、もう単純に「入門=>ビギナー=>ハーフプライマリー=>フルプライマリー」とすこぶるシンプルで大変よろしい。

ともあれIYC九段下の「ハーフプライマリー」、参加者は私を含め4人。初めて教わるI先生でしたが、これがまた大層良かったのでありますよ。カタチだけのポーズをとることに囚われず、本来の大事な部分(それは呼吸でありバンダであり流れであり心の平静さであるわけなのだが、頭で判っていても実際動き出すと抜け落ちちゃうんだよね・・・)をちゃんと意識するよう誘導され、それが90分キープ。特にバンダコントロールと、その為のグラウンディングの重要性、ああそれって本当に大事なコトだよね、って痛感しました。バンダねぇ、基本なんだけどポーズによっては、まるで無視してますね私・・・。

ヨガをやっていると「アジャスト」って言葉が頻繁に使用されますが、これはポーズを完成型にもっていったり、もっともっと深くポーズへ入れるように、先生が生徒の体に直接触れて手助けすることです。複数の生徒が参加している場合、このフィジカルなアジャストは当然「運」のように順繰りに回ってきたときしかその恩恵を享受できません。しかし、先生の声かけによる「言葉によるアジャスト」は決して直接私達の体をグイグイ捻ったり捩ったりしないけれど、全ての参加生徒に対し平等に有効なのですね。あるポーズで「お腹を薄―くして、お臍上に持ち上げてー」と具体的に判りやすーく言ってくれると自然とバンダに意識が向うし、単純な「吸ってー、吐いてー」だってオーケストラの指揮者のごとく素晴らしいリードをしてくれれば、特にアシュタンガのビンヤサなんて立派な瞑想状態に入れるし。この「言葉のアジャスト」の上手な先生ってけっこう稀ですが、今日の先生はこのタイプだったのでラッキーでした。なんかもう毎週通いたいくらいなんだけど、ああ私は日本を離れてしまう身なのだわ、とちょっと哀しい。来週(木)は朝練の後即効で来てみるか?それは無謀か?うーむ。

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本日のヨガ イシュタヨガとアシュタンガヨガ  

Yogajayaにてishta yoga と アシュタンガ(ハーフプライマリー・レッド)の2レッスン受ける。

ishta yogaはプライベートレッスン状態だったせいか、とても良かった。いろいろな発見、気づき、心とカラダのバランス、調和、平静さ、そういった本来大事なものをキチンと意識させてくれました。いつも何気なくこなしているつもりのポーズも、意識の持ちかた次第でまるっきり別モノに変わってしまったかのような衝撃!特にアシュタンガはポーズをキープする時間が短いので(5呼吸だけ)私のような初心者はカタチだけで終わってるんだな、と痛感。また先生のソフトタッチなアジャストが的確で、「無理やりカラダを調整されている」のではなく、呼吸と共に筋肉や背骨の緊張を弛緩させ「自然と伸びていく」手助けをしてくれているようでした。ココロの平静さがとても重要だなと思わせる、精神面でのプラクティス性をとても感じました。

アシュタンガ(ハーフプライマリー・レッド)はいつも通ってるマイソールの代行で以前1回だけお世話になった大好きな先生のクラス。レッドクラスだとどうしても「勝気・負けず嫌い」傾向気味の私だが、とってもマイペースでリラックスできたのだ。きっと先生の「気」というかオーラみたいなものと、「気張らず・あせらず・落ち着いて」自分の呼吸と共に深く進めていけるカウントのペースが良かったんだと思う。

なんたって12日ぶりのヨガですから、カラダがうれしがっているのがよく分かりました。うーん、気持ちいい。ヨガっていいにゃー。またyogajayaの先生はステキな方ばかりです、本当に。他のスタジオもよく行きますが、ここの先生達って「エゴで生きてる」って感じがまったくしないのだ。まっさらで自然体でピュアで、なによりそこに愛があるよね(!)といったところか。たいていのインストラクター、特にアシュタンガの先生って「エゴ・エゴ・エゴ」の自己顕示欲丸出しの人が多い。そういうクラスで教わるのは無意識に気を使っちゃうから疲れるし、なによりクラスの雰囲気がピリピリしてるよね。それってどうかな?と思います。

ま、ともあれ2006年のヨガ始めはこんなトコロで。

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ヴィパッサナー10日間コース終了日  

早朝の瞑想後朝食をとり、掃除をしてセンターを後にする。


センターから京都駅、そして東京駅、自宅までの道程、

この世は様々な刺激に満ち満ちているなぁ、

と眩暈をおこした。

でも、ここが私の生きる世界だ、

キチンと足を踏みしめてゆこう

と、私にしては結構前向きな爽快な気分で

正月のクリアな空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


これが私の2006年の始まりだった。

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ただいま  

12/23~1/3の京都は丹波の山奥にあるダンマバーヌにての10日間のヴィパッサナー瞑想合宿から本日戻ってきました。

あ、年は明けていたのか!・・・と朧に思いながら通り抜けた帰路、下界は刺激が強すぎて眩暈がした。10日間の沈黙、あらゆる刺激から遮断された環境、非日常の極みで行う1日10時間の瞑想は否が応でも我々の感覚を鋭敏にし様々な体験気づきをもらたすものなのですね。詳細は後日追って記するとして、とりあえずは、ただいま。良かったよヴィパッサナ、行ってきてよかった。薦めてくれた皆さんありがとう。合宿で出会えたみんなもありがとう、I love you all!

なんだかまだ体のアチコチがジンジンしている感じが残ってて、耳の奥で木霊するゴエンカ氏の詠唱の独特なヴァイブレーションとこの体の感覚が同期を取り、全身これ歓喜に打ち震える精神的オーガスムスの余韻が心地よい。これってあたかもLSD(いいのか?こんな「まんま」の表記で?)摂取の効果と同じやん、なんて不謹慎なコトを平気で思ったワタシですが、結局瞑想とは我々の脳内ケミカル遊戯のテクニカルなトレーニングに他ならない、との結論に至りました、それも知識としてではなく体験として、というのがポイントです。

ただしここで強調しておきたいのは、ではその脳内ケミカル遊戯の結果オノレに、または他人へ還元できるのは何か?これが肝心であるということ。単に「うひゃ、サマーディだよ、恍惚の瞬間だよ、集中の極みだよ」なんて段階で満足するんだったら、それは本屋で買える「1日10分できる!瞑想マニュアル」で手に入れられる安易な嗜好品みたいなもんです。そこで完結してるんだったらサルのマスターベションとなんら変わりませんて。そして大抵の瞑想法はここ止まりなのではないかと。

今回体験したヴィパッサナーは「そこから先」の方向をきちんと指し示します、決して強制ではなくてね。ヴィパッサナー瞑想法は「生きる技・Art of living」とも呼ばれてますが、ワタシはあえて「サバイバルのテクニック」とでも呼んでおきたいです。この部分のとっかかりが自分の中で生まれたのが最大の収穫でした。おのれの心の平安と調和そして真の解放、そこで初めてスタートできる他者との分かち合い、他者への限りない不変の愛と慈しみ。全ての生きとし生けるものが幸せでありますように。

May all beings be happy!

世界中に愛を(@ハラサトシ)

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DAY10 メッタ・バーバナ瞑想  

メッタ・バーバナ瞑想の指示テープが流れる。アーナーパーナー瞑想で「集中」を手に入れ、ヴィッパサナー瞑想で全てのサンカーラを滅し、ありのままのオノレをあるがままに見つめ、受け入れ、自分を解放し幸福を得る。そして、最後に、自分が手に入れた自由と幸福が、世界中の他者へもたらされるよう、愛と慈悲を持って祈り瞑想する、メッタ・バーバナ、愛と慈悲の瞑想。ゴエンカ氏の言葉がテープで流される。


わたしは、知ってか知らずか

意識してか意識しないでか

その思いや言葉

あるいは行動で

わたしを傷つけた人々を許します。


わたしは、知ってか知らずか

意識してか意識しないでか

わたしの思いや言葉

あるいは行動で

わたしが傷つけた人々に許しを請います。




私は「偽善」というものが最も嫌いだ。チャリティとか他者への施しも、なぜか居心地が悪くなるタイプだ。多分、自分を最も優先するあまり、他者へ対する愛情や慈悲に思い切り欠けた、「冷たい」と評価される人間なんだと思う。そして、そんな私がですよ、このメッタ・バーバナ瞑想の、このフレーズを耳にした時に、本当に胸が熱くなり、痛くなり、号泣しました。オツムで泣いているのでもなく、身体が泣いているのでもなく、ハートが打ち震えるように泣いている、って感じで、それはもう・・・(絶句)。

過去のアレコレや、こだわりや、悩みや、ストレスや、心の傷や、それこそサンカーラなんてのは、結局他人から受けた傷であり、他人へ与えた傷が要因となっている。それらを誤魔化すことなく、この目でしかと見届けた上で、それを「許す」って言ってるんだよ、しかも意識せずに傷つけてしまったことに対しても、ねぇ!そして自分が与えてしまった傷、意識しなかったけど与えてしまったであろう傷に対して「許しを請う」って、ねぇ、できる?そんなこと?

結局、私は他人に対して、ちっとも「許し」てこなかった。徹底的に「許さない」ことに心を砕いてきてしまった。ゆえに全てを悪化させたままにしている。そして、結局私は、自分がいつも正しい、という信念に基づいて生きてきたので、傷つけてしまった(もしくは故意に徹底的に傷つけた)他者に対して、許しを請うどころか、「自業自得です!」とキッパリ断罪する傲慢さを「鎧」としてきた。ゆえに、全てを悪化させたままにしている。

本当に心から、それが思えるように、まずは最初の一歩を踏みしめよう、と思った。これが、私に欠けていたものなんだ、と心底思った。この台詞を心を込めて唱えると、胸が熱くなりこみ上げてくるものがあった。これを書いている今もそうだ。メッタ・バーバナはハートのチャクラの瞑想だよ、と言った人がいたけれど、まったくそのとおり。ヨガを始めた頃、「もっとハートを開いて!」の意味がまったく解らなかった私だが、やっと、「ああ、ハートってここなんだ」と解り始めたのかもしれない。

もし、この10日間コースがアーナーパーナー瞑想、ヴィパッサナー瞑想で完結していたら、このメッタ・バーバナ瞑想がなかったら、私はここまで「素晴しい!」と評価しなかった。結局、「瞑想=脳内遊戯」なんだね、スゴイね、ふーん、で終わっていたと思う。極度の集中を手に入れることで体験できる、非日常的な身体感覚(=アーナーパーナー瞑想)。そこから哲学的思索を展開し、感情の、心のお掃除をする(=ヴィパッサナー瞑想)。そして、最終的に「他者・外部」への愛と慈悲を祈ることで、利己的レベルから脱却する(=メッタ・バーバナ瞑想)。

だって私たちって「他者・外部との関わり」によって形成されているんだもん、ひとりきりで生きているわけじゃないんだもん。それは別に家族とか友人とか表面的な「関係」だけでなく、現実では実際に関わりを持たない、見知らぬ他者・外部との「とある一種の関わり」というものだって、歴然とあるんだし。自分の内部に篭って宇宙的哲学を探求するのもアリだし、全てはオノレの中に確かに存在するのかもしれないけど(=これまでの私)、そこでもうひとつひっくりかえって、この「自分」とやらはどうやら全ての繋がりの一部分であるらしい、という視点を持ってみるのも悪くない(=今回の発見)。そうすることで、おのずと、「他者・外部」への愛が自然と自分の内に溢れてくる。それはもう、ビックリするくらいに、バッカみたいに、単純に。

まだまだ私たちは未熟者で、個人的な恨みやモロモロを捨てきれず、100%ココロから「許す」ことは、できない。「こだわり」という結び目をアチコチに抱えてる。でも、「許す」ことで、まず自分が救われるのだ、ってコトには気づいてる。本当は「許し」たい、「許す」ことができるようになりたい。なにが私を「許す」ことから引き離しているのか?=自分だよ、って知っている。自分のくだらないエゴとプライドだよ、って知っている。この葛藤ととことん付き合う、諦めない、というのが修行なのだと思う。そして、私は(真面目に)この修行は続けていこう、と、本当にそう思った。



すべての生きとし生けるものが

苦悩から解放され

自由になれますように。

真の平安、真の調和

真の幸福を享受できますように。



メッタ・バーバナ瞑想が終わり、ゴングが鳴る。この時点で「聖なる沈黙」が終了。希望する生徒さんは瞑想を続けてもよいし、以降も瞑想の時間はあるが、沈黙を破ることで「理想的な温室のような瞑想環境」が破綻し、「鋭敏になった感覚が元に戻ってゆく」ため、実質上はコース終了となる。

あれほど「喋りたーい!」と思っていたけれど、実際「聖なる沈黙」が解除されると、淋しい気持になった。食堂でランチを摂りながら同じテーブルの関西圏に住むオーストラリアンの古い生徒さん達、チャイニーズの新しい生徒さんとお喋りをする。耳がボワーンとして、自分の声のボリューム・コントロールが上手く取れない。妙にテンション高めのヒステリカルなムードで、話が表面的なものに終始し空回りし、Welcome back to the real world!どこかで誰かが、そう言っているようだった。それでも少しずつ会話にも慣れてきて、深い核心的な話題も出てきて、恐る恐ると(特に新しい生徒さんたちは)体験したこと、思ったこと、泣いたこと、発見したこと、などなど色々と、ポツリポツリと語り始められるようになってきた。

以降は、もう女の子のお喋りパワー大爆発!あっちでも、こっちでも、キャーキャー・ワーワー大騒ぎ。夜なんてまるで修学旅行ですか?ってノリ。でも、楽しかったなぁ。こういう場に参加する人たちとは共通項が多いので、話題に事欠くこともなく、夜更けまで延々とお喋りは続く・・・。

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DAY9 ヴィパッサナー瞑想 6  

朝イチ瞑想時、ゴエンカ氏のチャンティングでの怒涛の感動の嵐は変わらず。全身ブルブル、涙ボロボロ、途方もなく繊細・超過敏となり、コワレモノのごとくフラジャイル化した自分を持て余す。

さて、この日は、全身の感覚をイッキに感じるよう指示が与えられていた。また、その感覚を上下左右へ自由に動かしたり、表面だけを感じるのではなく内部も感じる為に身体を突き刺すイメージで動かしたり、背骨に沿って下から上へ呼吸と共に動かしたり、全身をイッキに感じながらも時折部分部分を確認するようにしたり、ま自由自在にやってくれたまえ!と来た。

背骨に沿って・・・というあたりで、「おおおお、これは基底のチャクラから頭頂のチャクラへエネルギーを送るクンダリーニ・ヨーガではないですかー!」と興奮した。けど、これまでチャクラ関連は、特に修練を積んできたワケではないので、私には何も起こらなかった。(ムーラダーラあたりでは、ちょっとエロエロ系感覚過敏になりますけど)

これまでの生活規範も含む修練で、カラダもココロも浄化され非常に鋭敏になっているので、目を閉じて全身の感覚に身を委ねるのは、ちょっとしたトリップ状態。全身を包む微細なエネルギー、そこから派生する可能性を超えた想像力のパワーで広がりを見せる無限の宇宙を越える世界を体験する、しかしそれは自分の内部で起こっているというパラドクス、どこが終わりでどこが始まりなのか、答えの見つからないメビウスの輪、ブラックホール、ビッグバン、広大な広大な無限の広がりの果てが自分の細胞組織の出来事になる。そんなこんなが、文章として、思想として、ではなく、身体的感覚として体験される。

さて、そこから導かれるのはナニ?こんな極上の娯楽があろうとは!と、有頂天になって脳内遊戯に没頭することに意義はあるのか?仏教の教えとなにがどうリンクするのか?なんか欺瞞に溢れてないか?私はただここで、ドラッグを愉しむように瞑想効果を愉しんでいるだけじゃないか?これが浄化のプロセス?過去のサンカーラを滅する?単に感覚の可能性を探求しているだけじゃないか?どこがArt of living(生きる技)なのか?実際に体験したアレコレを、なんとか論理的に解明しようとするが、堂々巡りの「出口ナシNo way outなんです」状態。10日間コースも終わろうという時になって、腑に落ちない気分で悶々とし始めてしまった・・・

「なんか、不親切じゃないか?テープだけ流して、特に説明もしてくれず、放っておかれるなんて。もっとマニュアル化して、参加者のフィードバックを取りつつ、全員が確実に「あるべき」ステップを踏んだ上で最終目的達成するよう、フォローアップするべきではないのか?」

などなど、日本人的マニュアル信仰をベースとした会社人間のような批判が頭をよぎる。いやいや、そんなのは必要ない、って判っているんだけどね。無料で生活と瞑想の場を提供してもらい、瞑想法までも段階を追って指示してもらっているというのに、この上何を求めることができるのか?この「時と場所」を活用するのは自分次第であって、的確なマニュアルなど存在しないのだ、ってことだ。

ともあれ、「明日で終わりなんだなぁ」と思うと、少し感傷的になった。休憩の度に、裏庭から眺める雪景色を、心に刻むように飽かず眺め続けた。なんか、色々と経験しちゃったなぁ、まるで夢を見ているようだったなぁ、現実に戻りたくなどないなぁ、などなど思いながら、ひとつひとつの行為を堪能するように一日を送った。

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