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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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DAY8 ヴィパッサナー瞑想 5  

朝イチの瞑想は4時半から6時半の2時間。いつもガサゴソ・クシャンクシャン・ゲホゲホと、私たちみんな相変わらず落ち着きがない。瞑想に集中するのに難儀するが、日に日にそんな周囲の騒音にも慣れてくるから不思議だ。

この朝イチの瞑想は、特に指導テープも流れず、個々がそれぞれの瞑想を行うようになっている。そして1時間半くらい経った頃、ザッザッザッとアシスタント・ティーチャー夫妻が瞑想ホール入りし、ゴエンカ氏のチャンティング(詠唱)のテープを流すのだ。この、ゴエンカ氏のチャンティングがすこぶる良くてねー、初日から惚れ惚れしておるのだが、この日がまた凄かった。

例によって身体全体をイッキに感じるようにして、全身を覆う微細な電流感覚に慄きつつも、少しずつそれを受け入れていると・・・・その身体感覚ゾクブル感とゴエンカ氏のチャンティングの文末の擦れるような声の響きが、同じバイブレーションで震え合った。

身体中が今度はゴエンカ氏の染み入るようなパーリー語の波動によって貫かれる!ああ!そして、そして、私は子供みたいに身体を震わせながら、自分が微粒子である感覚、そして私と世界との境界線が溶けてしまい、つまり私と世界は粒子レベルで融合しあっている感覚を感じながら、今度は感動の涙がボロボロ溢れてきた。「あ、なーんだ、私って結局世界の一部なんだー」って感動で満ち溢れちゃった。

「なにクダラナイことでうだうだウジウジやってんだろー」とか「ちぃせーよなー、まったく」とか、これまでの人生のシリアスなすべてがバカバカしく思えてきて、でもそれが否定的ではなくて、乗り越え立っちゃような心地の良い感動。昨日感じたエロい皮膚感覚やオルガスムス感なんて次元じゃなくて、そんなこんなも、想像の域を超えた一切合切をもすべて包括した次元での出来事みたいな感じ。

ワタシャ、ただただもうそこに立ち竦むのみ。だって、こんな圧倒的な感覚を実際にこの身に抱えて、一体なにができるとゆーのだ?

アタマデッカチの私にとっては、「オツムでの理解」をすっ飛ばして「実際の感覚を体験することで理解」したというのはスゴイことで、だから「あわわわわ」と回線ショートですよ。願わくば、この至福の時にずっと留まっていたい、と、思うくらいが関の山。しかし、あっという間にゴエンカ氏のチャンティングが終り、ゴングが鳴り、朝の瞑想の時間が終了する。現実へ戻る時間。ああ、でもこの朝は、皆がホールを後にしても、私は呆けたようにそこにずっと座り込んでいたなぁ。

その後の瞑想は、気もそぞろ。これまでの人生で無意識に張り詰めていた緊張や、ずっと頑張り過ぎていた部分とか、虚勢とかが、イッキに溶けてなくなっちゃたみたいで、まったくの無防備な赤子のごとく、少しでも集中すると、ちょっとした想念に対して非常に敏感になり、すべてが核心へ繋ってゆき、私は溢れる涙を抑えきれない状態になってしまった。うーん、どーしちゃったの、ワタシ?それが嫌で、怖くて、あえて集中しないように、どことなくビクビクとした中途半端な瞑想に終始。

なんだオメーまた来たんかい?と思われているであろう「お昼の質問タイム」も、私の中の衝撃が大きすぎて、核心にせまる話題を避けてしまった。今朝体験したコトを話したらきっと、オンオンと泣き崩れてしまうのが目に見えるようで怖かったのだ・・・うーん、情けないねぇ。何を聞いたのか、覚えてないけど、虚勢をはった発言をしていたことだけは確かだ(笑)。
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DAY7 ヴィパッサナー瞑想 4  

もうひたすらズーっとヴィパッサナー瞑想、ひがないちにち、スタータゲイィィーン、スタータゲン・・・ムニャムニャ。

アタマのテッペンからつま先まで、身体中の感覚をありのままに感じるために、身体の上から下まで、意識の持って行く部位を少しずつ移動させていく、という方法が、実はどうもイマイチ私にはやりづらい、というか、変に身体に力が入ってしまうコトに気づいた。意識を移動させる部位に意識しすぎるため、「あ、今、左の肩、左の肩、ここ感じなきゃ、感じなきゃー、きゅーっ」という強迫観念的プレッシャーが身体をカチコチに固く緊張させてしまうのだ。うーん、私らしいなぁ。ありのままに感じるために緊張を強いてしまっては本末転倒・・・。

そこで、意識的に「もう感じなくてもいいから、リラックス」と、深い深呼吸と共に、感じる部位を移動させる方法を止め、一気に身体全体の力を抜くことに専念してみた。ふー、久々のりラックス感。

すると、どうでしょう!身体全体を貫く微妙なビリビリとした感覚!アーナーパーナー瞑想で鼻の下という部位で感じた、あらゆる感覚、想像の産物も含めた微妙な感覚、それと同様の感覚が身体全体を包みこんでいるのに気づいた。

皮膚が筋肉が骨が内臓が粟立つ、蠢く、波立つ、微細な電流を放つ!ジジジジッ!とオルガスムスのような全身を貫く微細な電流!あわわわ、と思う間もなく、立て続けに幾度も幾度も繰り返し、身体全体を震わせにやってくる。もう自分が微粒子になっちゃった感覚、判ってくれるかな?やば、これは、LSDを摂取したときの全身の皮膚感覚、エロエロな皮膚で感じるオルガスムスと同じじゃないかー!!!!適切な音楽があれば、そのループするリズムと共に眩暈のように波のように幾度もやって来るオルガスムス感。今ここで欠けているのはそういった音楽だけだよー、ベイビー。

ブッダによって生み出された古典的瞑想法を学んでいる、という神聖なシチュエーションに於いて「おお!このエロエロ皮膚感覚オルガスムスはまさにLSD効果と同様!」なんて、膝をポーン!と叩いちゃ、本当はイカンのでしょうね・・・でも、私にとってはスゴイ発見だったのです。

面白いね、これ。ドラッグというのは一般的に我々の「抑制」部分を開放(リリース)する手助けをしてくれるけど、ケミカルの力を借りずとも「抑制」の箍外しを、私達は意識的にすることができるのだー!この体験はそれをスッゴクわかり易い構図にしてくれた気がする。本来私達が持っている「本来の感覚」、それは通常抑制されていて表面化されないが、ドラッグや瞑想によっていくらでも解放することができる!しかしそれは、「コントロール」という手段では達成されず、むしろ相反する「手放す」という全面明け渡しによって成されるのだ。うーむ。

ジンワリと身体全体を、部分ごとではなくイッキに感じるようにして、時折「あわわわわー」とゾクブル感を堪能しては、うひゃ、これはヤバいよ、オシッコ漏らしたかと思ったよ、と我に返り(つまりそれを感じきる勇気がないってことです)、意識を部分ごとへの移動に戻してお茶を濁したりして、この日は過ごした。ねぇねぇねぇ他のみんなはどうなのよ?何を感じているの?気になる、気になる・・・と、なんか、こう、色々と喋りたい気分が高まって・・・明日はお昼の質問タイムへ行くぞー!と、心に決めた。

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DAY6 ヴィパッサナー瞑想 3  

さて、私がヴィパッサナー瞑想10日間コースに参加して本当に良かった!と思ったのは、予想以上の衝撃的な体験をし、自分の感覚の限りない可能性を発見をし、またその先の方向性を指し示してくれたからで、そしてそれらはすべてこの6日目以降に発生した。ということで、この体験記はこの日以降が本番です、これまでは序章って感じ。

相変わらず「アタマのテッペンからつま先まで」の感覚をありのままに感じるよう、それをエンエンと繰り返すよう指示テープが流れ、そのとおりに全神経を集中させる。どうも頭部は相変わらずまったくの「無感覚ゾーン」でシャクにさわる。感覚を感じようと努力するあまり、身体が緊張しこわばってしまい、負けず嫌いの性格が大暴走する、トホホ。

それでも少しずつ肩から下の胴体部は感覚が鋭敏になり、ゆっくりと感覚を感じながら移動できるようになってきた。と同時に肩・肘・手首のアシュタンガヨガによる痛みが表面に現れてきた。これは睡眠中やシャバーサナでの筋弛緩時に現れる痛みと似ていたので驚きはしなかったが、ああ、こういう風に普段誤魔化されている身体的痛みが出てくるんだな、面白いな、とシミジミ思った。

そして、突然、それはやってきた。

感覚を感じる部位を少しずつ下の方へ移動させていって、丁度右側のわき腹あたりに差し掛かった時、凄まじい重さと痛みがそこに出現した。うわー、あイタタタタ・・・と身体を二つ折りにキューッとしかけたその途端!その「重さ・痛み」を感じるのと同時に涙がボロボロッ!とすごい勢いで噴出した。もう、痛くて重くて苦しくて堪らない!誰か助けて!と叫びたくなる、その叫びが涙となって現れたのか?

私は元々涙モロイので、涙の出る前兆や、その時の感情はよーく知っているのだが、この時はまったく別。伴う感情はまったくナシ。ただ物理的現象として涙腺から涙が滝のように流れ出ている。そしてそれを私は呆気にとられて感じている。アタマで感情で泣いているのではなく、右わき腹の「重さ・痛み」が涙を発生させている、ああ、身体が泣いてるって感じ。

怖いなぁ、と思ったけど、覚悟を決めて、なすがままに任せてみた。身体の叫び、すごい、涙ってこんなに出るもんなの?というくらい、鼻水と涙で顔中グチャグチャにして、上半身を覆っていたブランケットまでグチャグチャにして、もう殆んど呼吸困難ってくらいデロデロに泣いた。でも感覚を感じる部位をどんどん移動させて右わき腹を通過すると、症状はピタと止んだ。

こんな事が起きちゃうと「なんで?」って思うのが人の常。私も「なんで?」って考えてみた。

10歳のとき、ブレーキの壊れた自転車で暴走して、ビルの壁に激突した時の右わき腹の痛みを思い出したり、ストレス感じるたびにギューって力が込もる部位ってここだよな、なんて思ったり、ま、要は勘ぐってドラマを作り出そうって気持がそこにあった。

それまでのゴエンカ氏の講義テープで、「過去のサンカーラが身体の表面に現れ、それをありのままに感じ、そして去ってゆくのをただ見つめなさい」みたいな洗脳もあったので、「ああ、私のサンカーラ、サンカーラ。これはいつどこのなにが原因なの?」って、ついつい探偵さんしてしまい、「ああ、私はヴィッパサナー瞑想で子供のときのトラウマを昇華させましたっ!」なんていうドラマつくって納得したいんだなぁ、浅いなぁ、と反省しました。なので、この件は「そういうことがあった」ってだけに留めておこう、と、そう決心した。

ヴィパッサナー瞑想は、もうひたすら個々が「全身の感覚を感じる」ことに集中して延々とそれが続く。それまで、瞑想中に姿勢を直すのも、トイレへ行くのも自由だった。が、感覚の鋭敏さを養うために、この日あたりから瞑想中は姿勢を絶対くずさないよう、席を離れないよう指示されているので、瞑想ホールの雰囲気も厳かだ。

もう有無を言わさず全員1セッションは微動だにせず、瞑想ホールを出ることなく瞑想に集中すべし!と強制的になっているあたり、「うえー!キビシー!」と反感を持つ人も多かったと思う。でも、結果的にはとても効果的だったと思う。「個々の自由でーす」ってやっちゃうと、どうしたってダレちゃうし、自分に甘くなっちゃうし、せっかくの超集中のチャンスも逃してしまうからね。

この日これ以降は、右わき腹の辺りに意識を持ってゆくたびに、「ああ、また、あの重さ・痛み・涙ボロボロが出ちゃうんじゃないか・・・」とビクビクしての瞑想だった。2回目3回目くらいまでは、「重さ・痛み・涙ボロボロ」があったけど、回を追うごとに強度が弱まっていき、この日の終わり頃にはもうなにも特別なものは感じなかった。

休憩の度に、裏庭へ出て雪の中をサクサク歩いては、今日あった出来事を反芻しては、首をかしげていた。あれは単なる洗脳の賜物なのか、はたまた本当にサンカーラが身体的表面へ現れてきたのか、脳内ケミカル修練による身体的反応なのか、まったくの想像の産物で物理的には痛みなど存在していなかったのか・・・・様々な解釈は可能。理知的であろう、論理的であろう、と鎧を被るのは簡単。でも大事なのは、自分の身体に於いて本当にこういうことが発生したのだ、っていう、その事実自体だよな、と、ひとりゴチた。それ以上でも、それ以下でもないのだ。うん。

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DAY5 ヴィパッサナー瞑想 2  

「スタータゲイィィーン、スタータゲン・・・ムニャムニャ」ゴエンカ氏のいつもの掛け声で瞑想を始める。睡魔と闘いながらの早朝瞑想。ガサガサ、ゴソゴソ、鼻すすり、鼻をかむ、くしゃみ、咳、咳払い・・・いつもの周囲の騒音に苛々しながらの早朝瞑想。集中するのが難儀な環境、しかし原因は環境ではなくそれを捉える自分自身に他ならない、なーむ、精進したまえ、You’re bound to be successful…bound to be successful…ムニャムニャ・・・。

さすがに5日目ともなると、そんなこんなやあれこれがルーティン化してきた。アクティビティとしては「寝てる」か「瞑想してる」か「食べてる」しかない(合間に排泄と清めがある)んだけど、それ以外の些細なことが意外と重要になっちゃったりするのだ(他になにもないからね)。他人と眼を合わせず共同生活するのにも、ちょっとしたコツがつかめてきて、狭苦しい洗面所や流し周辺でも、ヒョイヒョイと気配だけで他人とぶつからないよう空間を分かち合い優雅に立ち居振る舞いができるようになってきた。衣類の洗濯をいつやれば効率的か、とか、ジンジャーたっぷり入れたミルクティ(自称いんちきチャイ)を持って雪で埋もれた裏庭のどの場所で休息とるか、とか、食事の行列待ちが嫌いなのでストレッチヨガをやってから食堂へいくタイミングをどうする、とか・・・まぁ、どうでもいいことばかりなんだけど、要領がつかめ、慣れて、ルーティン化することで、ストレスがどんどん減ってゆくのは喜ばしいことだ。ま、相変わらず夜は眠れないんですけどね。

ヴィッパサナー瞑想の方は、頭頂部へ持っていった意識を、どんどんと下の方へ移動させ、言葉どおり「Head to toe(=アタマのてっぺんからつま先まで)」の体全体をくまなく観察することになった。移動させる範囲は5cm四方、移動させる早さは一箇所に数分留まり次の部分へ、というのをガイドラインに個々のやり方で、と指示される。

フーン、なんて気楽にこれ読んでるアナタ!これがどういうもんかちょっと試してごらん!ワタシャ頭部だけでもうウンザリしちゃいましたからね、正直。それをカラダ全体よ、whole body!何時間かかるのよー!とヒステリー起して卒倒しそうになりましたが、他にすることもないので、やるしかないのね・・・と消極的に始める。途中で「あー、やってられない!」と、アーナーパーナー瞑想に戻って爽快な気分を味わったりと、ズルもしました。時折、気が向けば身体全体の感覚観察、でも1時間と集中できない・・・そんな状態がしばらく続いた。1日目は1回で通してHead to toeはできませんでした、あちゃ。

この日から妄想に拍車がかかってきた。誰とも話さない、外的刺激がない状況下で、脳味噌が刺激を求めているのだなー、と思った。過去の出来事を思い出すのではなく、まったくありえないであろう、しかし現実的な想像の世界、パラレルワールドっぽい妄想にドップリ・・・。日常生活で妄想の世界に遊ぶことができるのは数分程度しかないけれど、ここ瞑想合宿の場では何時間も何時間も、時間だけはたっぷり目の前にあるもので・・・ついつい。あらー、ワタシったら、そそそそそんなことまで妄想するのかー?!!!とオノレの際限のない欲望を知る、良い機会ともなりました。恥ずかしいので詳細は記しません。

あ、この日はお昼の「質問タイム」に行った。前回のように「あーだ、こーだ、ブラーブラーブラー」ではなく、ポイント2点のみ。ひとつは「前回ご心配おかけしましたが、平衡感覚失うことはなくなりました。ご安心ください」という報告。もうひとつは現状の課題である「ヴィパッサナー瞑想になってから、どうもやたらシンどくて集中できない。途中でアーナーパーナー瞑想に戻ってもよいか?それとも頑張ってヴィパッサナー瞑想を続行すべきか?」という質問。私の場合「質問の答えは既に自分で持っている」という悪い癖が昔からあるのだが、案の定見透かされた。「あなたがそれが必要だと思えばアーナーパーナー瞑想で心を落ち着かせてもよいし、頑張れるようだったらそうすればよい。どうやら欲張りで無理して自分を追い詰めるタイプと思われるので、気をつけて、もっとリラックスして、エンジョイして!必要だったら瞑想を抜け出して裏庭の新鮮な空気を吸って気分転換しなさーい」ふーむ、流石っす。あと、「アーナーパーナー瞑想に戻るのはいいけど、他のプラナヤマとかはやっちゃダメよ」と注意された。やりそうに思われたのか?休憩時間にヨガやってるのがバレたか?とちょっとだけビビった。

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DAY4 ヴィパッサナー瞑想 1  

ここまで書いてフト疑問が・・・私の記憶が朧になっちゃったせいなんですけど。「鼻の下の部分に意識を集中して感覚を鋭敏にする」というのは、これってアーナーパーナー瞑想の後半だった?それともヴィパッサナー瞑想の序盤だっけ?DAY4のヴィパッサナー瞑想の初日にイキナリもう「意識を頭頂部へ」持っていったっけ?DAY4に「鼻の下の部分に意識を集中して感覚を鋭敏にする」が始まるんだったけ?????コース全体の流れは体験としてこの身に刻まれているのだが、それが何日目だったか?というのが曖昧になってます。ま、記憶違いだったらゴメンナサイ、DAY4ヴィパッサナー瞑想初日にイキナリ「意識を頭頂部へ」持っていく、ってことで進めます。

さて、いいかげん鼻の下の部分に意識を集中するのも飽きたー!というトコロで、ゴエンカ氏の新たなインストラクションが指示される。「その意識をアタマのテッペン、頭頂部へ持って行け!」とのこと。オー!ニュー・ミッション・ゴー!

しかしだね、私の頭皮の感覚は非常に鈍感なのだよ、昔から。美容室へ行くたびに「やー、ミワさんアタマ凝ってますねー」と頭皮マッサージを集中的にしてもらうことシバシバ。いつも凝っていて麻痺して痺れているので、ペン先でつついても「なーにー?」というくらい感じない部位なのであった。その部分へ意識を集中して感覚を研ぎ澄ませろ、ったって無理無理。

イキナリ劣等性になったような挫折感と屈辱感で不貞腐れながら、「アタマのテッペン、アタマのテッペン・・・・どこだよー?エーン(涙)」と四苦八苦すること数時間。「感覚を感じよう」と努力するのではなく「感覚を感じない」ということを感覚で感じる、それが大事!とアタマで判っていても上手く身体感覚レベルで納得できない。つまり、自分のエゴとの戦いになっちゃった、ってコト。

まったくの個人的レベルで発展してゆく瞑想体験においてですら、「できる!」「すごい!」「さすが!」「優等生!」というお決まりパターンを蹂躙したい(自分のエゴのため)ワタシが相変わらずココにいるのだ、あー愕然、やだねー。「だって、ゴエンカ氏が“こうしなさい”って言う指導についていけないのはプライドが許せない!」って、ユミコちゃん、そーゆーダダッコは辞めなさい!こんな想念がグルグル・グルグル・・・。

そしてアタマのテッペンへ持っていった意識を、今度は少しずつ下の方へ移動させ、頭頂から湧き出る噴水のように頭蓋全体(頭・顔)を感じてゆくよう指示される。

頭サイドは全滅ですが顔は感じることができるので、一安心。額から少しずつ顔の下の方に向って意識を移動させ、意識している部位で何が起こっているのかを、ありのままに感じ取るようにする。ひとつの部位に一定の時間以上留まらないよう注意されているので、感じない部位があれば「あ、ここは感じない」という感覚を感じ次なる部位へ進む。ジンジン・ジワジワしたゾクゾクの一種みたいな感覚が現れては消え、麻痺や痒みや痛みと交互に立ち現れては消え、そんな繰り返し。

テラワーダ仏教の「押さえとこーぜ、これ基本!」のひとつであるimpermanence(=すべては移り変わってゆく、無常である)をオノレの身体の感覚を持って体感、痛感する。あまりにも簡素な簡単なシンプルな真理。形あるものも、無形のものも、現世に存在する一切は永遠不滅ではない、すべて移ろい滅してゆく。例えばこの額に感じている痒み、それはこの世の終わりかと思われる程の凄まじい痒みであったが、痒みに反応するのではなく「痒み」をただ見つめて観察していると、それを見つめるオノレと感覚をもつオノレの間に乖離が発生し、すべてが目の前で行われているドラマと化し、そしてそれらはいつしか消え去ってゆく、ああこれ無常、パーリー語で「aniccaアニッチャ」、これは以降ずっとワタシのココロの中で木霊する聖なる真理となる。

私は昔から右頬にチック症状がよく出ていたので、いつもなんとなく右頬側が重いようなムズムズ不快感を抱えており、瞑想中はそれが邪魔臭くてウザかった。でもそれを意識しちゃうと「ムズムズ不快感」が「ブルブルの本格的チック症状」に悪化するので、意識的に「意識しない」という、感覚の抹殺を習慣としていた。しかし今回のヴィパッサナーでは「そこで起こっている感覚を注意深く感じ観察する」というのがミッションなわけで、うーん、このチック症状はどうしたものか?と困った。でもまぁ、誰も見てないんだから「ブルブルの本格的チック症状」が出ても構わないわね、と自分を納得させ、キチンと「ムズムズ不快感」と対峙することにした。眼を閉じて身体の感覚に身を委ねる、ってのは、実際にやってみると「自分の想像力の限度を範囲とした妄想迷走遊戯」に過ぎないんだな、ってこの時思った。

いつものとおり右頬が重いようなムズムズ不快感

そこに意識を持って行き観察する
↓ 
重さにどんどん拍車がかかる(気がする)

周囲の筋肉が収斂し右顔が歪んでゆく(気がする)

ありのままを見つめているのではなく「重い重い重い歪む歪む歪む」と自己暗示をかけている事に気づく

イカンイカンと改めて右頬に意識を持って行き観察する

重い、ムズムズする、不快感、ゆっくりした筋肉の不随意運動、鼓動と同期する一瞬がある

なんでだろう、いまここで何にストレス感じているんだろう、もっとドッシリと落ち着いていたいのに(想念に囚われる)

右頬の中心部がオレンジ色の卵で、それがどんどん拡大していって、拡大するたびに私は息苦しく収縮していって、負けじと私が拡大してゆくと卵はシュルシュルと縮小してゆく・・・シーソーゲームのように、「私の拡大=卵の収縮」vs「卵の拡大=私の収縮」というバトルを繰り返す(妄想始まる)

そういえば子供の頃、風邪を引くと似たような夢を見てたなぁ。苦しさの波があって、その満ち引きとイメージされるヴィジョンがリンクしていて、面白かったなぁ、あの頃と同じ働きを脳細胞がしているんだな、きっと。子供の頃はお母さんという、頼れる甘えられる安心できる「巣」があったんだよな、あの暖かさって懐かしいなぁ、今はどこにも無いんだよね、淋しいなぁ。ケッ!あたしゃACかよ?ロスト・チャイルド・イン・ミーがそう言うの?うわー気色悪い、そーゆー言訳じみたインナー・チャイルド説は止めてってばー。(迷走は止まらない)

はっ!イカンイカンと感覚に意識を戻そうとすると、ゴォォォーンとゴングの音。しょーもない妄想迷走グルグル状態で、あっという間に2時間が過ぎてしまったんですね、ぐっすん・・・。

ヴィヴェーカーナンダが「ラージャ・ヨーガ」の中で、Chitta=ココロ=Mindというのはもともと落ち着きのない「サル」がワインをしこたま飲み、蠍にさされ、あげくに悪魔にプライドとやらをそそのかされ、七転八倒の大暴れしているようなもので、こいつを手名づけるのは至難の業であーる、と言っているが、私のココロはサル以下だね、と胸を張って言えるな、と本当にそう思った。ホトホト手が焼けますよ、自分のココロってやつは・・・あっちへコロコロ、こっちへゴロゴロ、ちょい待ち!と追っかけるワタシ、ああああ手綱すらマトモに扱えない、途方に暮れます、ふー、修行の道のりは長い。

アーナーパーナー瞑想は「呼吸」というツールに頼ることができるので集中もしやすい。でもヴィッパサナー瞑想が始まった途端に、私の集中力は途切れがち、というか集中の度合いが強い為あっという間に疲労困憊してしまい、結果とっとと想念に逃げ込んでしまうのであった。

ところで昨日からの目論見「夜のディスコース(講義)を英語バージョンで視聴する」ですが、日本人の「新しい生徒さん」は日本語での翻訳テープのディスコース参加が義務つけられているとのこと。つまり、どんなに英語が堪能であってゴエンカ氏のオリジナル講義を視聴したくても「新しい生徒さん」はダメ!ってこと。ばっかみたい、というか了見狭いよね。でも、それがルールらしいです。悔しかったら「古い生徒さん」となり堂々と英語バージョンを正式に希望すればいいだけのことだ。私はこの晩ヘラヘラとゴエンカ氏のオリジナルビデオを見ていたら、引き戻されコンコンと叱られ、ガーガーと反論しましたが、ルールはルールっつーことでend of matterフーンだ。以降、毎晩「夜のディスコース」の時間は不貞寝タイムとなりました、わはは。

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DAY 3 アーナーパーナー瞑想  

昨日のデレク氏との面談でちょっとだけ気分がラクチンになった私は、本日ひとつの策略を胸に秘めルーティンをこなした。どんな策略か?それは「夜のディスコース(講義)を英語バージョンで視聴する」なのであった。なんでまた?というと、こういうワケです。毎日瞑想を進め、日々少しずつ前進してゆきますが、いかんせん「テープによる瞑想指示vsそのとおりに実践する自分」という構図しかここには存在せず、質疑応答とかアドバイスとかそういったインタラクティブな確証確認が希薄になると、不安や諦め、放棄などが発生しかねないってことで。それを避けるためにもゴエンカ氏によるありがたい「夜の講談」の時間が設けられている。これはテラワーダ仏教のやさしい入門編も兼ねており、また当然私達が日々奮闘しているこのヴィパッサナ瞑想の様々な観点による思想や意義の説明もしてくださるので、ま、ちょっとしたオアシスのようなひとときであるのです。が、ですよ。この「夜の講談」のオリジナルはゴエンカ氏による講談のヴィデオテープ(by英語)なのだが、日本人はそれを「女性による日本語訳の朗読テープ」バージョンで聴かなければならならず、そしてその朗読のトーンはとてつもなく表面的・機械的・非人間的で押し付けがましく説教臭いシロモノなのであった!!!5分も聞けば反発感でイッパイになり、ザケンなテラワーダ仏教なんてクソだ!と叫びたくなるような、ま、そんな感じ。で、これって絶対間違っている!と直感した私の推測は「ゴエンカ氏によるオリジナルビデオはもっと重み深みがあるはずだ」さもなきゃこのチャリティベースの団体が全世界で人々に支えられているわけがない!とマットウなもので、よってそれを検証すべく今夜は別棟で行われる外国人用の「夜の講談」に参加しよう!とうのが本日の策略なのであった。

さておき、肝心なのは策略なんかより瞑想そのものだ、というのが事実。本日3日目はアーナーパーナー瞑想が更に続き、意識のもっていく場所が「下唇を底辺とし、鼻腔の入り口を頂点としたちいさな三角形(正確には台形ですね)」と昨日よりもっともっと狭く小さな範囲に限定される。「鼻の下・上唇の上」へ意識を集中させること終日、10時間。これはね、ちょっとした洗脳と同じですよ。もう体全体がこの「鼻の下・上唇の上」だけでできているかのような錯覚、というか「もーそうなの!それ以外ありえないの!」っていう幻覚。この限られた部位の皮膚、粟立つ皮膚、波打つ皮膚、風を作り出す皮膚、汗を流す皮膚、思考する皮膚、蠢く皮膚、もはや私のものではない皮膚、痛みを作り出す皮膚、安らぎを感じる皮膚、変化続ける皮膚、あ、やばい、アニッチャ・アニッチャ・アニッチャ・・・。非日常環境に身を置き継続的な肉体行為/刺激で麻痺感覚がなされた脳内サイケデリア状態で何かを吹き込まれたら、私でも抗えないっす。平気で自然とアニッチャをひしひし感じてしまいました。あ、でもそれ以前にここまで真面目に集中して修練してるヒトってまれなのかもしれないけど。他の参加者のアタマのなかってどうなってたんだろう?ともあれ、明日からはヴィパッサナー瞑想だからキツイよ、あんまり飛ばしすぎないようねに!と女性チームのマネージャーであるケイコさんに言われ(グループ瞑想の途中で下痢激痛でトイレへ駆け込んだ私を追ってきてくれた・・・さぼっってんじゃないか?というチェックでもあったんでしょうけど)午後の後半は集中ゲームもほどほどに、自分を追い詰める癖を押さえリラックスを努めた。うーん、とたんに寝ちゃうんですけど、私の場合・・・。

3日目ともなれば1日の流れにも無理せずカラダが慣れてきて、緊張とか不安とか張り詰めたものは幾分か軽減した。ただこれまで毎日行っていたヨガの練習ができないのが辛くなってきたので、ヨガは禁止事項に含まれていたのだけど、「いや、これはヨガではなくてストレッチなんですよ」と言い訳できるポーズを休み時間にすることにした。ヘッドスタンドとかハンドスタンドは(最初のうちは)遠慮して、座って行う前屈形をまったりと・・・。あと、何故か後屈系が無性にしたくなり(アシュタンガのプライマリーシリーズでは後屈あんまりやらないのに変ですね)キャメルのポーズとかでお茶を濁しました。後になって思うとこの習慣はとても良かった。1日中瞑想ポーズで座りっぱなしって、やっぱりカラダ鈍りますもん。毎日のストレッチ(という名のヨガポーズ)はガチゴチになったカラダをいい感じにほぐしてくれ、これ以降全てにおいてかなりラクチンになったのだ。ヴィパッサナ参加される方には思いっきりオススメしますぜ。

あ、そうだ策略の件。思ったとおりゴエンカ氏によるオリジナルの講談ヴィデオは「バチ・グー」でした。ゴエンカ氏のユーモラスでなおかつ温かみ溢れる慈悲深さが言葉の端々に、表情のひとつひとつに溢れ出ており、「あー、いい話し聞かせてもらったわー」とシミジミしました。と同時に「なんすか、あの日本語訳の朗読は!」というイキドオリが胸イッパイに溢れてきたのだが、誰にも言えずひとり悶々と心に留めておくことにした。(しかし後日聖なる沈黙解除後はガンガン言わせてもらいましたけどね。それだけに飽き足らず東京帰ってからメールで抗議文まで出したぞ)そんなこんなで、明日からのヴィッパサナー瞑想にドキドキワクワクの期待を抱え眠りについた。でもまだ寝つき悪い。

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DAY 2 アーナーパーナー瞑想   

4時起床、昨日と同様にホールでの瞑想からスタート。流れ的には、前日の夜最後のグループ瞑想時にテープで流れるゴエンカ氏の「瞑想のやり方の指示」の方法を翌朝から開始するみたいだ。よって、本日からは「呼吸自体の全体を感じて見つめる」瞑想方法から少し展開して、「上唇を底辺とし鼻全体を覆う三角形部分、そこの感覚によって呼吸を感じる」と、具体的に指定された体の部分によって感覚を研ぎ澄ます訓練だ。鼻腔を通る空気を感じる。吸うときは少し冷たく、吐くときは少し暖かい息を感じる。鼻腔から出た息が上唇の上部に当たる感覚を感じる。吸うときにジンジンするような鼻の奥の痺れを感じる。外部の空気に触れている鼻の外側の微細な反応を感じる。

上唇の上部がチクチクと小さく鼓動する皮膚感覚を感じる。それが想像上の産物なのか、本当に感覚として感じているのか、そのあたりが朦朧としてくるのが怖い。私はちゃんとココに存在しているのかな?私の存在なんて実は嘘っぱちのマヤカシだったんじゃないのかな?思い込み強し、イマジナリーワールドで平気で過ごせる体質、意識変容に対するオープンさ、といったワタシの資質がいかんなく発揮されてしまう、ああ、危うしミワユミコ!既に脳内スイッチはオン状態、委ね遊ぶ快楽と恐怖。えー楽しーい、雑念想念どころじゃなくてよ!と、最初は新しい感覚に夢中になってそう思ったけれど、しばらく経つとそれが普通になってきて、また色んな雑念が沸いては「あ、雑念」と気づき、呼吸に戻る。「あ、妄想」と気づき、呼吸に戻る。「あ、アタマの中での架空会話」と気づき、呼吸に戻る。「ああ、ワタシのアタマの中は本当に五月蝿いなぁ」とウンザリしながらも、また呼吸に戻る。その繰り返し。

さすがに、昨日のように「プハー!爽快ざんすよ、ブッチギリの瞑想でゴー!うーん、快感!」というぶっ飛ばした心持ちではおられず、午前中の瞑想で、ちょっとシンドくなってきた。集中力が途切れがちになってきた。こういう色んな発見や気づきや疑問を誰とも話せないのがツライくて溜まらなくなってきた。周囲の物音に過剰反応してしまい苛々してきた。足のシビレが頻繁なってきた。股関節の痛みが出てきた。この瞑想コースそのものがくだらないシロモノに思えてきた。「未知の体験という刺激に対する反応のはけ口は自分のみ」という絶対的な事実に愕然とし、発狂しそうになった。途端に周囲の他の参加者が皆バカに見えてきた。なにやってんの、みんな?私も何好き好んでこんなバカみたいなことやってんの? ツライツライツライ、瞑想どころじゃない、呼吸を見つめるどころじゃない、ここにこうしているだけでギリギリの状態、破綻寸前の極限状態で展開する妄想の渦に呑み込まれる自分。だけど、これすらも「冷静に見つめなさい」と云われるのだろうな、と思ったら世界の淵の境界線が溶けていってしまうような妙な感覚が胸イッパイに迫ってきた。一体なにを深刻に捕らえているのか?すべては私のアタマの中だけで起こっているバッカみたいなドラマでしかなく、それに翻弄されているマヌケずらの自分が愛しくも憐れに感じられた。

確かにこのコース中はお喋りなんてできないが、そしてそれが目下の一大事となってしまったが、実は1日に1回この瞑想に関して喋る機会があるということに気づいた。昼食後の30分間、事前にリクエストを出しておけば、公認アシスタント・ティーチャーとプライベートで「Q&A」ができるのだ。お、これだね、と膝を叩き早速リクエストを出す。お喋りしたいから「Q&A」参加ってのはちょっとマズイから、一応ちゃんと質問形式にしておこう、と架空会話のシナリオを揉むことで、退屈な朝食・休憩・昼食時間を乗り越えた。待望の「Q&A」タイム、順番待ちの人数は2・3人と少ない。制限時間は1人5分と短いので、通訳は頼まず英語で直接デレク氏に挑む。

質問:
今回初めての参加だ。昨日は大変深く瞑想に入れて良かった。が、終了後バランス感覚を失い、まるでジェリー上を歩いているような状態になった。このような反応は自然なことか?
コースでの瞑想中はインストラクションどおりに行い、他の瞑想方法や宗教的な行為を取り入れてはならないということだが、それは何故か?リラックスするために慣れた瞑想方法や呼吸法を導入的に行うのは問題ないのではないか?ムドラーは宗教的な意味合いととられるのか?呼吸に集中するために「1・2・3」とカウントをとってしまうクセがあるのだかこれは問題か?
周囲の物音がかなり五月蝿くて集中できない。とくに朝イチの瞑想がひどい。他人を非難したくないのだが、してしまう。このように邪魔された精神状態で瞑想をすることに意味はあるのか?瞑想に集中できないまま我慢して慣れてくるのを待った方がいいか、もしくは場所を自分の部屋へ移すなどして落ち着いた環境で瞑想を進めた方がよいのか?どちらが効果的で成果が見込めるのか?
もーとにかく、わーわーわー。

回答:まずは、もっと気を楽に、あまり自分を追い詰めず、リラックスなさい。

反応:ふにゃー。

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DAY 1 アーナーパーナー瞑想   

朝4時に鐘が鳴る。この後幾度と聞くことになる鐘の音・ゴング、これが全てのスケジュールの開始を知らせてくれる。4時起きは辛いかな?と思っていたけど、意外とサクッと起きれるもんだと感心。11月から毎日5時起きしてたからカラダが慣れたのかな?きっとそうだね。しかし寒さはツライ、特に雪の中、別棟のトイレ・洗面所へ向うのはかなりの覚悟が必要、でもそこをエイッ!と行く、アタマの中がキンとする快と不快のハザマ、ふふふ愉しい。30分で顔洗って歯磨きしてトイレ済ませて着替えて・・・あっという間なので時間との戦いだ。のんびりする間もなく4:30amのゴングが鳴り、2階の瞑想ホールへ向う。瞑想ホールには男女合わせて約60名くらいが勢ぞろい、女性の方が若干多いかな?外国人はうち15人くらいか。このコースは全てが日英のバイリンガルなので、(というか、どちらかというと英語の方が有利だ)日本に滞在する外国人でも気軽に参加ができるせいか、2回目以上の経験者が多い。

この朝イチ2時間の瞑想では、先生がいるわけでもなく、指導テープが流れるわけでもなく、ただ瞑想しろってことなの?と当惑するも、誰に尋ねることもできず、なんとなく周囲を見て昨夜の指導テープのとおりにアーナーパーナー瞑想を始める。いやしかし朝イチの瞑想は眠気との戦いだ。(戦ってばかりだな)あちらでもこちらでもコックリコックリ、グラリグラリと船漕ぎ大会。私もご多分に漏れず何度も落ちた。自分の呼吸、吸って、吐いて、来る息、出る息、生暖かい空気、冷たい空気、右側の鼻腔、左側の鼻腔、肺の膨らみ、腹筋の収斂、雑念に囚われ、また呼吸に戻る、何も変えない、何もコントロールしない、あるがままの呼吸、あるがままの想念、否定しない、ただ見つめて、受け入れて、認めて、手放す、繰り返す、繰り返す、眠気に襲われるが意識がある状態、カラダだけが舟を漕ぐ、私はどこにいるのかな?ここは夢の中なのかな?朦朧と覚醒を繰り返す、繰り返す、周囲の物音に苛々する、季節がら風邪をひいている人が多いのか鼻をすする音、鼻をかむ音、くしゃみ、咳、咳払い、姿勢を直す音、席をはずす音、静かな瞑想環境を期待していたが、以外と物音が五月蝿い、苛々する自分、集中できず焦る自分、そんな自分を達観するもうひとつの自分、グラリ、グラリ、想念、過去の思い出、未来の想像、後悔、期待、頭の中で堂々巡りする会話、イマジネーション、フラッシュバック、足の痺れ・・・6:00am頃先生夫婦が瞑想ホールへやってきてテープを回す。突然ゴエンカ氏のメロディアスな、どことなく郷愁感を抱かせる、パーリー語でのチャンテイングが流れる。文末の擦れるような声の響きがなんとも言えず良い。「オーム」と空気を震わせて唱えた余韻のビリビリする感触を大袈裟にしたような、なんともカラダに心地よいバイブレーションにいたく感動した。このチャンテイングが30分ほど続き、聞き惚れながらも辛うじて瞑想を続ける。チャンティングが終わると先生夫婦は瞑想ホールを出て行く。なんか、ティムバック3みたいでかっちぃやん、とか思った。私たちは瞑想ホールに残され、6:30amの終了のゴングが鳴るまでその場で瞑想を続ける。

6:30amから朝食。おかゆ、梅干、プルーンの煮付け、野菜のお惣菜1品、を各々が好きなだけ皿に盛るバッフェスタイルだ。「聖なる沈黙」は厳粛に守られるため、ジェスチャーや目を合わせることもダメ、これじゃ他の人とぶつからないように気を配ったりするのが大変だにゃー、と気疲れする。食後、部屋に戻りウトウトしてると、すぐに8:00amのグループ瞑想が始まるゴングが鳴る。

「グループ瞑想」とただの「瞑想」の違いって何?というと、グループ瞑想は全員が必ず瞑想ホールで瞑想をしなければならず、ただの「瞑想」は瞑想ホールもしくは自分の部屋で瞑想する、それだけの差です。自分の部屋での瞑想って絶対さぼりそうなので、私は常に瞑想ホールに留まりましたが、人によっては「グループ瞑想」以外は部屋で休憩していたそうです。ま、人それぞれのペースというのがあるから、これはいいシステムだね。

この日はもうひたすらアーナーパーナー瞑想、というか、私にとっては「いつもやってる瞑想」三昧でした。時間が経過するにつれ、時間の感覚が麻痺してきて、「いい感じで瞑想に入れた」状態が何度も経験できて、悦に入ってました。うーん、私ったらやるじゃん!みたいな感じでね。脳内スイッチのオン・オフのコツが掴みかけてきたってことなのでしょうね。ともあれ、もうあっという間に最後の瞑想タイムが終了!となり、なによこれじゃ楽勝じゃん、もっとしんどいのを想像してたわよ、と強気になった愚か者はワタシです。さ、席を立とうとしたら、グラリ。あれ、地震?と錯覚するくらい平衡感覚がなくなり、一歩一歩がゼリーの上を歩いているような感覚でグラリグラリ、ありゃー。こ、これはイカンっすね、とソロソロと部屋に戻り、ソロソロとシャワーを浴びにいき、ソロソロと布団に潜り込み就寝。また、眠れない、どうしちゃったんだ私のカラダ?

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ヴィパッサナー 到着日  

関西地方は大雪!とのコトで東京発京都ゆきの新幹線は大幅に遅れる。京都から嵯峨野線・山陰本線で園部まで。園部から西日本JRバスに乗り桧山で下車し、センターからの迎えの車に乗り込む。園部からのバスは95%がヴィパッサナー瞑想合宿へ向う人達であることが、日本人・外国人を問わず、格好や雰囲気を見れば一目瞭然なのが面白かった。

18時ごろ受付を済ませカンタンな夕食(お蕎麦)を摂り、まだ男女取り混ぜてお喋りができるので、アレヤコレヤ自己紹介やら体験談やらに花が咲く。そうだよね、だって数時間後から「聖なる沈黙」が始まっちゃうんだもんね。その後コース説明が行われ一旦部屋に戻り、20時からホールでの瞑想があり、ここからがスタート! パーリー語でのお経を復唱後、アーナーパーナー瞑想の指導テープが流れ、それに則って瞑想を行う。

瞑想の指導は基本的に「ゴエンカ氏の英語でのインストラクション=>日本語訳インストラクション」のテープが流れるだけで、今回のコースでの公認アシスタント・ティーチャーであるデレク・フィリップ氏による説明は殆んどない。最初はそれが奇異に感じたが、ゴエンカ氏のインストラクションテープなら全世界どこでも同じ内容でのコース指導が可能なわけですから、効率的だし公平なんだな、と思いましたわ。

さて、しょっぱなからの瞑想法、アーナーパーナーとは何ぞや?というのをカンタンに説明すると「自分の呼吸をありのままに観察する」それだけ。言うのは簡単、でも興味ある方は実際にやってみて。座って、目を閉じて、自分の自然な呼吸を意識して感じてみてください。どれだけ呼吸に意識を向けていられる?意識すると呼吸が自然じゃなくなってしまわない?あっという間に雑念・想念に囚われてしまわない?そうなの、そこがスタート地点なのです。

私はちょっと前から瞑想をやっていて、自分の呼吸を瞑想のツールとして利用するのに慣れていたので抵抗ありませんでしたが、それでも1時間もの長丁場はダレてくるし、あっという間に雑念・想念の渦に呑まれてしまい、そのたびに「あー、私ってダメだなー」と自分を叱咤してしまい、そのたびに「あー、そうじゃなくて雑念・想念を否定せず、そのまま受け入れて手放せばいいだけなのにー」と、知識としての理解とこの身の反応とのギャップをいたく痛感することしきり。先は長いのだ。たかだか1時間の瞑想で足は痺れるし、背中が曲がってくるし・・・トホホざんす。9時には瞑想終了し部屋に戻ってバタンキュー、と思いきや全然眠れない。明日は4時起きだというのに、と思うと余計に眠れない、相部屋(8人で雑魚寝)の皆の寝息が羨ましく思え溜息ひとつ、外は雪。

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ヨガによる気づきと変化についての記録  

我々は生まれついた時点で既に充分スピリチュアルな存在ではなかったか?

言葉も思考も未だ持たぬ赤子の心は果たして無であるのか、と問えば寧ろ、変容のフォームを伴わぬ無垢な状態という意味において、歳を重ね様々なしがらみでカチンコチンに固まった魂を持て余す我々よりも、ずっとずっと豊かで満ち足りた輝かしい自身を持ち合わせているわけなんだから。

ならばなにゆえに、我々は歳を重ねプライドとエゴに支配され妥協と防衛と憐憫の苦しみでオノレをがんじがらめにしながら、何かを探し続けその不毛さに途方に暮れているのか?何かが足りない、何かが満たされない焦燥感。そしてそれにすら無自覚で鈍感になっている事実に打ちのめされる日々。何を一体求めているのか、本当に自分は何かを必要としているのかどうか、本質の大事な部分がイマイチ曖昧なまま世間のスピードについて行く為にガムシャラにガムシャラに、自分を奮い立たせる、狂騒のダンス、世界中が回り疲れているというのに!もしくは諦念という安易で甘美な卑怯さでもって責任を回避する、軽やかなステップ、したたかに醜悪に。

肝心なことがいつもどこかに行方不明。モヤモヤと確証の取れない苛立ちがいつだって絶えずそこにあって、鏡に映るオノレは生気を失った亡霊のごとき形相をしているが、それは日常関わる人達全ての顔に張り付いている仮面と同じだというコトに気づかない振りをする。気丈にハイテンションで上っ面だけの空虚な会話を延々と続けるパラノイア、何かかから逃げようと必死になって。白々しい思いやりモドキや、見返りを期待する見せかけの親切、おべっかゴマスリ権力構図、表面だけの体裁だけの社交ゲーム。

ねぇねぇ私たちの「ホントウ」ってどこに行っちゃったんだろう?雑踏に取り残された迷子の様な気分で1/100秒だけアタマをよぎる疑問。世間ではそういうことは考えないようになっているのだ、と道先案内人が叱咤する、そんなことをしていたらバスに乗り遅れますよ、とね。なんたってアナタ、都会で働くキャリアウーマン、しかも外資で管理職で国際結婚というバリバリの勝ち組街道まっしぐらなんだから周囲の期待に沿わにゃイカンでしょ?と。

全てが見栄見栄見栄、虚勢張って強がって嘘ばかりで固めて、なにも感じないよう心を麻痺させる術にばかり長けて、泣き言や弱音などこれっぽっちも!だって私は子供の頃からずーっと誰からも羨まれるSomeone Specialであり続けたかった、ただそれだけのくだらない人生だったのだから、仕方ないね。

シニカルなポーズで自分を守り固め、ニヒリズムに見せかけてはイザという時の避難場所を確保し、毒舌巻き散らすことで他人を平気で傷つけゲームに勝つことに奔走するばかりの、ああ、私は他人をちっとも愛してなぞいなかったんだな。いつもすべてがme me meの肥大したエゴで皮下脂肪がパンパンのダッチワイフみたいな人生。

こんなん破綻します、普通の神経もってれば。そして運の悪いことに、私はすこぶる病的なまでにセンシティブ過ぎたという、それだけの話。ナーバスブレークダウン、摂食障害、アルコール依存、身体コントロールの喪失、それらが「当たり前」になれなかったあたり、一定レベルの社会人としては落伍者だってことです、くやしいけど。もういいや、外部の価値観なんてファックオフだ、自分にとっての「フツー」で生きよう、ってんでStory of my life人生変えることにした2005年後半。リセット予定の設定は済んだ、あとはその準備だ。





自分にきちんと戻ってあげようと思った。まずは制御不能となった身体コントロールの復活を求め、リハビリ的に太極拳を始めた。同時に肉食やめてマクロビオティクスもどきの食生活に変えた。でも精神安定剤噛み砕いてビールで流し込むケミカル依存のままではありましたが。2004年の秋ごろの話です。

以降、ジムでハタヨガやパワーヨガや瞑想を始めたが、「なんだかなー」という中途半端な感想のみ、ガムシャラ走ったり泳いだりファイティングエクササイズしてた方が爽快感あるわよねーてなもんで。しかしある日のパワーヨガからの帰り道、それまで何年間も続いていた体の凝りと痛みが丸っきり消え去っていることに気づいて愕然。あらこれはナニかしらー?と興味を持ったのがヨガ効果、早速本屋へ行きたまたま購入したのが「女性のためのアシュタンガ・ヨーガ」、そして数日後にはIYCのスタジオへ参加、爽快感に病みつきになり定期的に(10月からは毎日)実践開始、同時にプラナヤマ・瞑想実践も始め、ヨガ哲学・仏教・精神世界方面へ傾倒・・・。

定期的に実践するヨガの(特にアシュタンガの)浄化作用には眼を見張るものがあり、自分の中でナニかが確実に変化していくのが判った。肉体的には身体がタバコとお酒を拒絶し始め結果的に禁煙・禁酒。肌が綺麗になり吹き出物や毛穴のザラつきが消滅。体重は変わらないが体脂肪が激変、つまり筋肉ついたってことか。

精神的には「私が私自身である感覚」がどんどん鋭敏になり、これまで閉じ込めてきた「本当に感じているコト」をちゃんと感じ取れるようになってきた。それがどんなに辛くても回避しない、という勇気も同時に取得。このあたりは瞑想の実践がかなり影響してきてます。自分の内を見つめる、自分を知っていく、受容していく・・・執着を捨てるとかそういうレベルには達してませんが、過程としての瞑想によって得られるものはあまりに偉大で多大です。こんなトコロに答えはあったのか!マッシモー!

そしてなによりも対人関係。取り繕わなくていいんだよね、私は私自身であっていいんだよね、「ウチラvsアイツラ」メンタリティを取っ払って「ワタシタチ」という視点でスタートすることによって、全然ラクチンでハッピーになれちゃうことに気づいた。本当涙がでそうです、これ。なんだーミンナ本当は良い人ばっかりじゃないかー、もー、敵を作りあげていたのは私自身だったのだー、ってな感じ。まぁ、会社辞めてから周囲がピュアで暖かい人ばっかりだっていう現在の状況もありますが・・・。今後も付き合う人はちゃんと選択していけばいいだけだしね。エゴ防衛戦になる付き合いはコリゴリ!

ともあれ、すべてが偶然というよりは必然であったのだと、これは確証もって云えます。で、年末年始にヴィパッサナー瞑想10日間合宿に参加の後日本を離れフィリピンへ向います。私の人生の敗者復活編・第二章がスタート。バンザーイ。

(瞑想合宿後の私がどのように変容するのか興味津々なので、「以前」の気持をとりあえずここに記す。)

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ゴビンダ・カイWS(@IYC荻窪)   

ヨガを生きるという真摯な姿勢

その揺るぎのない深みにガツーン

外側の上っ面なんかじゃなくて

奥のそのまた奥の核心の部分、つまり本質の問題。

「ヨガとは自己発見の道程であり、浄化のプロセスである」

私のこのグチャグチャはなんだ?

「誠実に、愛をもって」

大事なものは、なんだ?

わかっているのに認められない次元へ

片足踏み込んじゃった気がする。



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とある過程の覚え書きとして   

ありゃ、もう12月も半ばだ、あわただしく日々が過ぎてゆくね・・・たって、私はここのところヨガと瞑想と読書くらいしかしてないんですけどさ。こんなことでいいのか?いいのだ。「なにもしない」ってことに罪悪感を感じることもなくなっちゃたので、とりあえずは、いいのだ。

かの地フィリピンではダンナが独り奮闘しつつ私の到着を待っているというのに、私ときたら瞑想リトリートだ、ヨガのワークショップだ、と現を抜かしておるわけです、いいのか?ごめんねハニー、あんまりよくないね。きっと私はグズグズと逃げてるのかもしれない。共に彼の地で一切合財を投げ打っての体当たり人生というリアリティと対峙するのを恐れてるのかもしれない。

アタマでは当然充分理解しているのにココロが納得してくれない、おっかしいにゃー、あああああ、またまた堂々巡りスタート・アゲインin my mind マジやだもー、呼吸へ戻ろう、吸って・吐いて・吸って・吸って・吸って、酸素が足りない欠乏感、バランスを失う、ダメだ!足掻くなワタシ、くそー負けてどうする。いいんだよ、負けちゃって。ほんとうに?

想念雑念に飲み込まれる瞑想中のマインド、つまり我々はココロを制御なぞ、これっぽちも、はなからてんで無理だったということで、ならばいっそ、ああそうだね、期待や決意や憧憬や志といった執着を手放せっていうことか。なんだ、ちっとも脳内学習帖の域から出れないまんまじゃん、ワタシ。

あー、キタナイなぁ、私のアタマ中は色んなガラクタで一杯で、本当にキタナイ。

本来言葉なんて要らなかったハズなのにね、えーん、言葉に囚われ、言語化することで妄想を自ら作り上げては途方に暮れる、愚かな我々を救うものは外界になし。You yourselves are the Being you are seeking

頑張りすぎるな、肩の力を抜け、眉間の皺を緩めろ、目玉リラックス、筋緊張を解して解いてgently gentlyそしてゆっくりと柔らかな自分の内に帰ろう。

そこでキミに会うために。

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マーク・ダービーWS(@IYC荻窪)  

2005/12/9 & 12/10

初めての外タレさん(笑)のワークショップだー。

体内エネルギーの意識の仕方

その流れを感じること

そしてその流れに導かれるように身体を委ねていくこと・・・

初めて知った、そんなこと。

アシュタンガヨガの流れ、フローって、すごい。

私は、まだまだ入り口に佇んで

「入っていいですかー?」

って、タノモウしている段階。

そんな気がした。

アシュタンガヨガの練習というものを

なんか、今まで思いっきり勘違いしていたような気になった。


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めぐりあわせというものは  

最近、運命というものをちょっと感じてます。

と同時にここのところ、必要なものが必要な時に目の前に差し出されているような感じ、不思議だにゃー。

10年間のサラリーマン生活に終止符を打って、海外へ移住するわよ!っていう決意の時期に、こんな風にヨガに傾倒しスピリチュアルな部分での変化を体験しているというのは、ナニカのめぐり合わせだったんだと思う。

今現在はなんだかトランジットな状態で、会社からも家族からもダンナからも離れ、独りで自分をキチンと取り戻しつつシッカリ感じていってる最中みたい。でも、こういう時間を持てるというのはとってもラッキーな事で、それが途轍もなく有難くって有難くって仕方ないのが正直な気持。

んで、ドースル、ミワユミコ?キミはどこへ行くのだ?と問われれば、あたしゃ京都の山奥へヴィッパサナー瞑想10日間合宿に行くよん、と答えとく。

ヴィッパサナー瞑想、昔から興味はあったのだ、とはいってもヨガを始めた8月くらいに読んだYOGA YOMUの記事で初めて知ったんですけど。

それは怪しい宗教団体ではないのか?と心配してくれた方々も沢山いたけれど、実際に参加された人達から(これが意外と周囲にいるのだ、何故だろう?)直接ハナシを伺い、サイトや本で色々調べた結果「あ、これはOKだ、私を呼んでいる」と思い申込みましたのだ。

ヴィパッサナー瞑想について、今、色々な事前知識をアタマに一杯詰め込んじゃったので、ナントカカントカ薀蓄をたれることもできそうなんですが、そしてそういうのが私とっても得意なのですが、それは止めとく。アタマデッカチで観念的でブラーx3なのはもう卒業ってことで、実際に体験してから口を開くことにします。

その後、フィリピンのボラカイへしばらく行くことになるのだけど、「ヨガのスタジオなんてないだろうからツマンナイなー」とずっと思ってました、が、それが「いやあれだけ観光客を呼ぶ小島なのだからどこかでヨガクラスがあるだろう」という変な確信に変り、アチコチのそれっぽい所にメール問い合わせをガシガシしてたら、ありましたよ、見つけましたよ。Mandala Spaという一見お洒落でラグジュアリーな癒し系スパなのだが、ちゃんとヨガのレギュラークラスもあるというご連絡が!週3回のアシュタンガ・マイソールクラスと残りの曜日はハタヨガの中級(or Mixed level)を定期的に開いているらしいっす、Mandala Spaさん、やーん、うでじー、ありがとー、ラブ。何事も諦めちゃイカンね。

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月の満ち欠けと私たちの月経周期  

アシュタンガヨガを始めたばかりの頃、周囲の先輩やインストラクターから「そのうち生理がムーンディと重なってくるよー」とよく言われた。

ヨガの実践そのものが浄化への道であり、ヒトという動物本来のリズムを取り戻すという意味では「そりゃそーだろうなー」と素直に思った記憶がある。

しかし私の生理はかなり「不順・重い・ほとんど半病人」のため、月の満ち欠けとの同期もヘッタクレもないわよ、というのが正直なトコロでもあった。

ところが、9月・10月・11月と生理のスタート日が早まり始め、あれーなんかおっかしいなー、なんて思っていたら今月はついに新月と同期をとりました、うあースゲッ!なおかつ10月からは鎮痛剤がいらないくらい生理痛ナシ、しかも前後のダラダラ期間がなくなり3日でサクっと終わるようになったのでございます。

7月:新月6日/生理15~19日/満月21日
8月:新月5日/生理13~17日/満月20日
9月:新月4日/生理9~13日/満月18日
10月:新月3日/生理11~13日/満月17日
11月:新月2日/生理5~7日/満月16日
12月:新月2日/生理11/30~12/2 /満月16日

神秘だよー。

本当は生理中の3日間アシュタンガヨーガはお休みすること!らしいのだが11/30・12/1の2日間は朝マイソールで、逆転系を除き&ビンヤーサをはしょった練習を行いました。

いつもの「気合のアシュタンガ実践」とはまた違い、まったりヨガ系でなかなかに癒されました(ちょっと骨盤がガタピシいってる感じがしたけど・・・)

12/2の新月はお休みして、週末からまた練習復帰しよう。

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