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三昧(サマディ)までは何哩(マイル)?

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アシュタンガヨガのお家騒動  

なんか最近アシュタンガヨガ界で、シャラート元帥率いる総本山が発令した行動規範及び、一新された公認指導者リストに関する記事がアチコチで目立つようになってきた。

アシュタンガからは身を引いた私であっても、つい気になり記事を読んでみると、ふむふむなるほどね、その予兆は少し前からあったよね、という想定内の出来事。

創始者グルジから後継者シャラートへ権限が移行した時点で、この騒動は予想されていたというか。

創始者亡き後、いわゆるオールドスクールと呼ばれる西洋人プラクティショナー第一期生達は、カルトアシュタンガの献金システムや総本山詣で、そして元帥崇拝のルールからは自由な立ち位置のアンタッチャブルであったが、そのあたりを今回一掃し、改めて新生カルトアシュタンガ団体として、正式な規定を制定したというだけのこと。

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どんな団体や企業でも、よくあることですよね。経営陣が変われば指針も変わるし、そういう柔軟な対応なくして時代の変化についていけるのか?ってことです。

基本的には、どんな団体や企業であっても、そこに属する人達がオッケー出せるかどうか?が大事で、それを外部が批判したり議論しても、なんだかな、と思う。

どんなバカバカシイ規定であっても、そこに属して、それにオッケーを出している信者や従業員にとっては、大切なよりどころなんだろうし(それがバックベンドで足首を掴む・・・とかいう一般的には意味のワカラナイ指針であっても)、それを「向こう側の人達」から頭ごなしに批判させれくたくはないよね?ね?そうだよね?オウムとかって、そうだったよね?

今回のちょっとした騒動は、その記事がほとんど英文のみだったので、では日本の従順なアシュタンギの皆様は、どのように捉えているのだろうか?と、久々に日本語のネット検索してみたけれど、まったくヒットしなかったってことは、あんまり関係ないやー、って感じなのかな?

ま、逆に、いっぺん周ってワンじゃないけれど、そのくらい国外の情報に無関心な方が良いのかもしれないね。

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and 2 years later  

そして二年後に、果たして私は何をしておるのか?というと。

移住先のロンドンで、出勤前の寒くて暗い早朝に自宅の廊下にマットを敷いて、アシュタンガヨガという健康法を再開しているのであった。わははは。

playground



毎日の練習を止めて一年半、その間に色々なものを心と身体に溜め込んで、ごくごく普通の一般的な不健康な現代人として、心身の不調を訴えつつも「ま、人生こんなもん」と一種のクールな諦念を抱え、不良老人ぽく生きてきた。ま、外国だし、とか意味の解らない言い訳をしながら。

ロンドンやダブリンにいると、周りが縦にも横にも巨大な人達ばかりで、私がちょっとやそっと太ろうが「オー、ユーアー、ソータイニー(あらまぁ、アナタちっちゃいわねー)」と言われ続けるものだから、体重が際限なく増えてきちゃって、ついにプラス20キロ。

45キロの体重がプラス20キロってさ、伸長率150%というか、プラス50%というか、あのねー・・・ 絶句。

さらに足の親指の付け根が痛くなってきて、すわ!痛風?ベジでヘルシーでヨギーニ(うふ♡)だった私が、成人病?・・・と、一気に目が覚めた。

もう私の家族は父も母も、ついに弟までもみーんな死んじゃって、私ひとりが残ってしまったのだが、三輪家最後の者として90歳くらいまでは生き延びなきゃ、なんか辻褄合わなくない?と、ひそかに憤慨していた身としては、これじゃヤバいでしょう、と。

ということで、苦しいときの不健康な時のヨガ頼み&痩せたいときのアシュタンガ頼み・・・として、最近朝練を復活させたのでありました。

チャトランガとか、まだできないんですけどね(笑)

マリーチAも手が届かないんですけどね(汗)

でもドロップバックとか気持ち良いのです

そんなかんじで。

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life goes on  

4月の始まりに弟が急逝した。

東京のど真ん中で会社に属せず自らの信ずる道を歩み、しっかりものの奥さんに支えられ、小さな二人の娘を溺愛し、山アリ谷アリの人生の真っ只中、心身共に至って健康、むしろ若々しさが自慢の40代半ば。人というのは、こんなに急に、こんなにあっけなく、何の前触れもなく、ある日突然に、いなくなってしまうものなのか、と愕然。

早くに父を失い、3年前に母を看取り、事故で弟が逝き、家族全員がいなくなってしまった現在、絶望的な喪失感と、それでもここに生きる自分自身の奇跡、世界や宇宙や意識の不思議に翻弄されながらも、私がすべきことは「それでも闇から光の方向へ歩いていくこと」なんだろうな、と漠然と感じている。



時を同じくして、主人が20年住んでいた日本を離れアイルランドへと発った。

彼が50代の半ばを迎え、これからの人生の終焉をどのように生きるかを熟考した上での決断。それに異議はないけれど、人生の伴侶として共に生きる身としては、知らない外国での生活はあまり乗り気ではなかったのは確か。

正直なところ、現在の仕事を理由に日本に留まっちゃおうかな、と密かに企んでもいたのだけど、こうして弟の突然死を目の当たりにすると、私達はいつ何時何が起こるか判らないし、「また今度」とか、「機会があったら」なんて、二度と来ないんだという前提で“いま”を生きていかなちゃ、って痛感するしかなくて-だって、それが人生における最大の真実ですから- 結果として、やはりちゃんと主人について行こうと、素直にそう思うようになった。



一方で、私個人的な問題が2点浮上してきた。

ひとつは、なんと、この私が心身症とやらになってしまった。しかもその要因が「仕事環境」という、20年も外資企業の過酷な環境でガッツガツ働いてきた身としては、情けないやら、申し訳ないやら、理性やロジックの部分では到底受け入れがたい現実にガツーンである。

もうひとつは、昨年末あたりからジワジワと肩の調子が悪くなり、スポーツ整形外科で診断を受け、理学療法と東洋療法のリハビリを続けてきたのだけど一向に改善されず。普通50代中年女性なら、痛みのコントロールをしつつ身体に負担をかけない生活を送れればOKとされるけど、私個人的見解が「ゴメン、あと10年はヨガやりたいんですよねー、しかもガッツリと」とアスリート魂全開なため(だからスポーツ整形外科なの)、手術という選択肢も視野に入れ始めている最中。



ところで、このブログはヨガブログであった。

1月からお休みしているアシュタンガの練習は、肩を安静にさせることが第一の理由だったのだけど、4か月休んでも悪化する一方ならば、痛まないやり方を模索しながら練習復帰してもいいんじゃない?と、ふと思い、ちょうどGW中のお休みを利用してリハビリ練習を再開してみた。

身体は思うようには動かないけれど、1/4プライマリーをじんわりやるだけで、バンダちゃんがみるみる活性化していくのが実感できて、面白かった。ポーズを獲得する練習というよりは、バンダちゃん養成練習みたいなかんじで、しばらくゆるゆると続けてみることにする。


ま、全てこの世はこともなし Life goes on anyway.

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私がアシュタンガヨガ界から一定の距離をおく理由  

アシュタンガヨガは伝統的なヨガであり、その創始者パタビ・ジョイスからの教えをパランパラ(師から徒へ)に則り学ぶことができるのは、唯一インドのマイソールにあるKPJAYIだけである。つまり、このKPJAYIで正式に資格を与えられた指導者のみが、伝統的に正しいアシュタンガヨガを教えることができるということであり、KPJAYIの正式指導資格を持たない者からアシュタンガヨガを学ぶべきではない。ましてやTTCなんぞもってのほかだ。



といった趣旨のポストが某サーティファイドティーチャーのFBにアップされており、なぜヨガを伝える身でありながら、そんな了見の狭いジャッジメンタルことを平気で公表できるんだろう・・・と首をかしげていたら、なんととても多くの人々が「素晴らしい!」「よくぞ言ってくれた」「真実を伝える勇気を尊敬する」「シェアします!」等々、ベタ褒め状態なのに唖然とした。

アシュタンガヨガ界のコアな面々は、「我々」と「我々以外」の線引きを強調することで、「我々」の選民意識を増長させる傾向にあるけれど、それって、つまり、カルトの特徴なんじゃないかな。

KPJAYIに数回通うだけで発行される認定証という紙切れを持つコト=正式な指導者、なんて、みんな本気で信じているんだろうか?

つまり、ヨガを始めて3~4年でマイソールへ何回か通ってKPJAYIのお免状を取得した、いわゆるアシュタンガヨガ界でいう「正式指導者」と、普通に社会の中での役割を全うしながら20年30年とコツコツとヨガの実践を継続しているヨギーと、どちらからヨガを学びたいか、ってコトなんだけど、どうやらアシュタンガヨガ界では、前者を支持するコト=イコール・忠誠心の証らしい。

私個人的には、ヨガを学ぶということは、人生をどのように生きて、社会と人々とどのように関係性を持つか、ってことなんじゃないかと思うし、理不尽な環境の中でも、問題や対立する物事から逃げずに、好戦的にならずに、どのように双方の調和を保つか、そのためにどのように働きかけるか、を日々実践することが大切だと思っているので、KPJAYIの資格がどうとか、あんまり関係ない。

そして、なによりも、ヨガを伝える者のすべきことは、「○○○や△△△を具体的に手とり足とり教えてあげる」ということではなく、ヨガというツールを使って、生徒さん自身がヨガの学びを実際に体験していく環境つくりに徹することなのではないかな。

だいたいさ、私がヨガを教える、なんて、おこがましいでしょ。

ヨガはいつもそこにあって、ヨガは常に私達に働きかけてくれて、ヨガというシステム自体が先生なワケだからさ、それを「紹介する」PR担当者みたいなもんなんですよ、ヨガの指導者なんて。

そこにビジネスとか、カルト的傾向とか、個々のエゴとかが絡んでくると、途端に胡散臭くならざるを得なくなって。

だから、ブランドネームが必要になってくるのね、アシュタンガとか。
だから、ブランディング戦略が必要に会ってくるのね、伝統的とか。

冷静に見れば、アシュタンガヨガって、パタンジャリのヨーガスートラでしょ?エーカムインヘールのことじゃないよね?
冷静に見れば、伝統的って言葉は、たかだか半世紀程度の期間をたった2世代で受け継いできたコトには使わないよね。日本の伝統的な歌舞伎や能は何代続いてるか知ってる?

そのカラクリをわかった上であえてゲームを演じるのか、ただひたすら盲目的に全てを信じるのか、どちらもアリだけど、ただ私個人的には狂信的なカルトからは身を引いていたいな、というのか正直なところ。

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春の気配  

アシュタンガヨガの、これまで続けていたインテンスな練習から離れるのは、そんなに大したことじゃなかった。

特にこれといって喪失感もなく、むしろ日々の生活の中で自分自身のゆとりが生まれてきたくらいで。

アシュタンガはリタイアしたけど、朝ヨガの習慣は残ってる。

朝5時半ごろ起きて用を足したら、暗い居間にマットをビャッと敷く。電気もつけず、寝起きのヨレヨレのまんま、両手も合わせず即!太陽礼拝。

バリバリのガチガチの全身を、ヨロヨロと動かす。伸びない身体に対して、重たい身体に対して、特に不満に思うでもなく、這いつくばって「この肉体が許してくれること」だけをただ粛々と。

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朝の起き抜けは余計な邪念がないから、気楽にできる。

お家での練習は、なーんにも取り繕わない素の自分が、卑屈からも驕りからも自由でいられる。

スタンディングを中心に座位の前屈や後屈を適度に加え、陰ヨガも取り入れて正味45-60分くらいの「自分を整えるヨガ」いっちょうできあがり。

満員電車に揺られて、一日の大半を過ごすストレスフルな仕事場へ向かう前の、こんなちょっとした大切な時間が、現在の私のプラクティスだ。

「あれこれしょーもないことの連続」でできている私達の日常。いつもの毎日を平坦な戦場にするのも、愉快な遊び場にするのも、自分次第。

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